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| . | 森羅万象
書く人のための文芸事情
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荒川修作、という人を知っているだろうか。1936年、名古屋に生まれ、武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)を中退し、その後ニューヨークで活動するコーディノロジスト(註)だ。最近では岐阜県の「養老天命反転地」をプロデュースしたことでも知られている。
現在、名古屋で彼の展覧会「荒川修作を解読する」展が行われていて、昨日そのオープニングイベント「荒川修作に質問する」に出席するため彼が来名した。僕は彼の生の声を聴くために、時間をつくって名古屋市美術館に足を運んだ。
そもそも僕は荒川修作に対し、大いなる敬意を注ぎながらも、それと同時に大いなる疑問も抱えていた。難解と言われる彼の「図式絵画」やその思想、生き方、もろもろのすべてがあまりにも一般性を欠いており、なぜそのように理解に苦しむ特殊性を帯びた人間が、現在の地位を確立し得たのかが不思議でならなかったのだ。いや、芸術家と呼ばれる人間はつねに理解されない超越した何かを有しているもの、と言われればそうかもしれない。しかし、21世紀を迎えたいま「難解」よりも「簡単」が求められている時代に、彼の生み出す作品、言動はあまりにも難しすぎる。だからこそ、このような「荒川修作を解読する」という名の展覧会が開かれるのである。「荒川芸術=難解」は、もはや公然のものとなっている証拠だ。
荒川修作を生で見るのは初めてだった。目の前に現れた男は69歳にもかかわらず、黒々とした頭髪を生やし、なにかこの世の人間ではない、別の次元に生きている人のような印象を受けた。イベントの内容は3人の聞き手(岐阜県美術館学芸員、名古屋市美術館学芸員、養老天命反転地学芸員)が、荒川芸術に対し、向き合い、議論し、導き出した答えとともにトークセッションしていく形式を採られていた。しかし、発せられる荒川氏の声はとても聞き取りにくく、かつ心象風景をそのまま言葉にしているようなあいまいなものだった。とにかく理解ができない。会場には幅広い年齢層の人が集っていたが、はじまって15分もすると1割くらいの聴衆は理解することをあきらめているように感じた。いったい彼は何を目的にしているのか、何をしたいのか、ほとんどの人は理解できなかっただろう。
では、なぜこんなにも多くの人々がここに集っているのか(会場には100名以上いたと思う)。それは単純に荒川修作という「得体の知れないものに対する興味」だろう。それは僕自身も強く感じたことだ。なんだかわからない。しかし、なぜか惹き付けられる、そんな魅力を彼自身は放っているのだ。
イベントは約2時間続いた。聞き手が止めなければ、彼はまだまだ話しつづけるような雰囲気だった。開始時こそボソボソした聞き取りにくい声だったが、後半は席を立ち、ジェスチャーを交えながら話すくらいヒートアップしていた。聞き手のひとりが「それでは最後に会場のみなさんから質問を受け付けたいと思います」と呼びかけたので、ここぞとばかり挙手をし、僕は発言権を得られた。そこで質問した内容はこうだ。
「先ほどお話の中で、僕は周りから“あいつはちょっとおかしい。でも興味をひくやつだ”と言われていたとおっしゃっていました。では、当の本人、荒川さんはご自身のことを“ちょっとおかしい”と思われたことはありますか?」
かなり失礼な質問だが、僕はこの質問に彼がどう反応するかが知りたかった。そして彼はこのように答えた。
「いや、ぜんぜん思わない。僕はいろんなところでそう言われ続けているが、自分のことを“おかしい”と思ったことはないね。むしろ、周りのほうがおかしいと思ってるくらいだから。でも、そう言われる理由はわかる。それは僕が常識とか、倫理とかを壊そうとする存在だからだ。多くの人は自分の母親の頬を叩くことをタブーとしている。叩けたとしてもそっと触れるくらいだろう。でも、僕は叩いてもいいと思っている。叩きたかったら、叩けばいい。つまりそういうことだ」
かなり省略して書いたが、彼が言ったことはこんな内容だった。この発言を聞いて「なるほど」と思ったのは、これほど多くの人が彼に“惹き付けられる理由”についてだ。多くの人間は円滑な社会生活を送るために、自分のなかの欲望を抑えこんで生きている。その欲望が反社会的なものなら、なおさら抑えこむ必要があるだろう。しかし、彼はそんなことをお構いなしに発言し、行動してしまう。そして、それがたとえまちがっていたことだとしても“正しいこと”にしてしまう力を持っている。荒川修作という人間は、そんな多くの人が抱えるタブー的な欲求を代行、代弁してくれる人、として存在しているのではないか。歯に衣着せぬ発言と行動に、潔さと快さを、聴衆は感じているのではないか。荒川芸術の難解さも「よく見て、よく考えれば、何かおもしろいものが見つかるかもしれない」というある種の“期待”が支えているのかもしれない。
荒川芸術への深い理解は、荒川修作という人間に対しての興味なくしては絶対に不可能だと思う。そして「理解したい」と思わせる動機は、荒川修作の現実離れした、でもどこか興味をそそるキャラクターに起因している。もちろん、それがすべてではないが。
イベント終了後、サイン会が開かれた。僕はその列に並ばなかったが、会場にいたほとんどの人が彼のサインを求めるために順番を待っていた。しかし、その列はいっこうに短くなる様子はない。それは順番を得た人が彼と長い時間、話し込んでいるせいだ。僕はそんな光景を横目に、彼の作品を観て回った。展覧会の主旨どおり、各作品には詳しい解説書が書かれたリーフレットが用意されていた。しかし、その解説を読んでも、やはり簡単に理解はできない。理解できたとしても、それが正しいのかどうかも怪しい。そうなるともはや「そういうものだ」と自分に言い聞かせるしか方法がなくなってくるのだ。僕はひとつの作品を目の前に、それを理解しようと腕を組む。しかし、その作品の背後に広がる圧倒的な思想、哲学、宗教、倫理、社会の世界が瞬時に大波のように押し寄せては、引いていき、また押し寄せ、すぐに理解するという行為を諦めざるを得なくなる。つまり荒川作品は、荒川芸術であり、荒川哲学であり、荒川宗教なのだ。作品はその巨大な彼の脳内世界の、ほんの一角に過ぎない。そして、僕が彼をひとつだけ理解したことと言えば、彼は芸術家という一分野にカテゴライズされた人物ではなく、思想家であり、哲学者であり、宗教家であり、さらにいえば、この世界を彼の思考で再構築しようとする革命家でもあること、ただそれだけだった。05/3/22/SORAHITO
 写真▲荒川修作著「INTERFACES」表紙より 荒川修作+マドリン・ギンズARCHITECTURAL BODY 荒川修作最新著書「建築する身体」
(註)コーディノロジスト;科学、芸術、哲学のすべての領域を横断し、そこから新たな組み合わせを見出し、総合へと向けて経験の可能性を拡大しつづける探求者を意味する。
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