Pontormo 文学のすべてがターゲット!書く=・232221201918171615141312111098754321


筆者紹介
ながしろばんり



最近、某爺とつるんで何やら画策しているらしく、夜な夜なメールでやりとりをしている……らしい。どうせろくでなし同士、善からぬ事に違いない。新世紀小説バトルでは激戦を勝抜いて一次審査通過もしたし、まあこれで一等賞にでもなれば晴れて名実共に作家様。遠い人になるのだろう。さよーならー。だったらいいなあと、春まだき寒さの中で膝小僧抱えて寝てるそうな。本人曰く、ハウツー本のライターからエロ小説まで、基本的に頼まれれば引き受けます。お仕事募集中。格安にて営業中。だそうですよ。寄稿リスト|
第1回
第2回コモンセンス
第3回グロテスク
第4回剥製〜短編小説論 I
第5回空間〜空間小説論〜
第6回破綻〜ライトノベル論
第7回萌え〜判官贔屓のリアリティ〜
第8回リアル〜『となり町戦争』を読む〜
第9回お役所〜文字・活字文化振興法案(前編)
第10回施策〜文字・活字文化振興法案(後編)
第11回興味〜よいこのブックガイド
第12回センス〜ダビデ王とマシンガン
第13回春は化け物
            
森羅万象
書く人のための文芸事情

ながしろばんり 「書評のデュナミス」 第4回 剥製〜短編小説論 I
 さて、次に取り出だしましたるは剥製でござい。剥製とは不思議なもので、生き物の屍骸を腐らないようにして、ずっと生前の姿を保っておこうという試みであるから、つまりは誰だかの生前の姿を必要としているために剥製にするのであって、ひいては誰のために剥製にする(なる?)か、ということである。例えば自分のオジイチャンが死んだところで剥製にしようという人がいてもおかしくは無いが、そうなると若干狂気じみてくる。つい最近、独り暮しが寂しいあまりに死んだじいさんを自宅に一年間ほど寝かせておいたオバアチャンもいたそうだが、結局剥製とは、自分のエゴを反映させるには格好のアイテムということにになる。狩猟にいって雉を撃ってきた、珍しい動物をコレクションしたい、偉大な指導者にはずっと我々を見守っていて欲しい(レーニンの死体ってのは、防腐処理をしていつでも盛られるんだという話を聞いたとことがある)、などなど、意図の問題として一括りにするのは難しいが、剥製ほど所持者と外の人間の意識の隔絶するモノは無いだろう、と思う。つまりは収集という人間の「業」であると云える。
 剥製に引っ掛けて、今回は阿刀田高『ナポレオン狂』(講談社文庫)を取り上げる。短編集でありんす。筆者なぞ阿刀田さんのブラックジョーク集なんぞ擦り切れるまで読んだものだが、なにしろここまでスマートに的確な描写をする人もなかなかいない。どちらかというとミステリー畑の人だろうか。『旧約聖書を知っていますか』なんて本も出しているから碩学な方だと思うが、まぁなにしろ、本作、短編小説の一つの究極形みたいなもんだと筆者は、思う。
 話をかいつまむと、登場人物は語り手たる私、南沢金兵衛、村瀬なにがし、の三名。私はフランス文学の研究家で大学勤め。南沢は包装機器や菓子製造機の特許を取って財力のある六十過ぎの男、村瀬なにがしはみりん干しをつくっている鹿児島の田舎のおじさん。「私」は南沢にフランス語を教えており、村瀬は今までの紹介では後の二人と何の関係もない。ただ、登場しない、ある一人の人物がこの三人をリンクさせるのである。
 そう、タイトルにもある通り、ナポレオン、なのだ。
 南沢氏は数々の特許で財を得る一方、その財をナポレオンのコレクションにみんな注ぎ込む。世田谷の郊外に「ナポレオン記念館」なんて建物を立てて最上階に住み、従業員を雇って管理する資料はナポレオンの書簡から新聞の切抜きまで多岐にわたる。個人的なコレクションながらその狂的な収拾に費やす金額は月百万、ついにはフランス政府から勲章が贈られる。「私」とのフランス語の授業もナポレオンのためにやっているようなもので、ナポレオンのことが書いてあると喜び、ナポレオンを裏切った外務大臣であるタレイランのくだりになると顔を引きつらせるという有様。
 で、話はといえば、「私」の元に村瀬がひょっこり現れる。どうやら私が大衆雑誌に寄稿したナポレオンの記事を見て尋ねてきたらしい。フランス文学者だが、村瀬という男、私のことをナポレオンの専攻、だと思っているらしい。鹿児島の片田舎からやってきた。で、開口一番、こうだ。
「あの……私、ナポレオンの生まれ変わりですたい」
 小さいころから彫りの深い顔だったのか、みんなに”アメ公、アメ公”なんて呼ばれる、中学のとき先生に”お前はナポレオンみたいだ”と云われる、後に実際に写真を見てみたらそっくりでビックリ、調べて行くうちに、見たことも無いナポレオン所縁の場所や人が記憶にある。流罪にされたセントヘレナ島、最後の恋人だったワレフスカ、遠征で燃えるモスクワ……あまつさえ、ナポレオンが殺されたときに使われた砒素が村瀬の髪の毛から検出される始末。
 結局、「私」はフランス文学とは云えナポレオンの専門ではないので、この村瀬氏を南沢氏に紹介することにする。「私」がみりん干しが好物ということで毎月送る、という約束までして村瀬氏は南沢氏の元へ向かう。
 暗転。しばらくたってナポレオンの記事をコピーさせてもらいに、私はナポレオン館を訪れる。南沢夫人の案内、南沢氏に会う。事前に連絡してあったので必要な新聞記事は用意してある。

「ああ、あなたですか」
 久しぶりに見る南沢氏は、少し様子がちがっていた。夢から醒めたばかりの人間がまだなかば夢中をさまよっているような、そんな心もとない風情である。
「ご無沙汰しております」
「ああ……いえ……こちらこそ」
「相変わらずご蒐集のほうですか」
「ええ……もう……そうですねえ」
 不思議そうな顔で私を見つめている。
 私はふと”南沢氏も老境に入ったな”と感じ取った。


 とまあ、本文なのであるが、<二言、三言話すうちにすぐに日頃の南沢氏に戻って闊達にナポレオンを弁じ始めた。> と続く。おや、独りでコレクションの整理をしていて、心ここにあらず、だったのであろうか。オークションに出されたのを一千万近くで落札したナポレオンの帽子の話をしばらく、用意していた資料を預かって、ふと村瀬氏のことを尋ねてみる。「世界には自分がナポレオンの生まれ変わりだと信じている人は意外に大勢いるんですよ」だなんて、南沢氏は案外そっけない。あんまりにも困惑した顔を見せるので、私はコレクションの邪魔をしては悪い、と館を辞する。夜の寒さとは別のいやな寒さが「私」を襲う。

 南沢氏のデスクの上には相変わらずナポレオン関連の新しい資料が積んであったが、書架の片すみにもう一つ不似合いな本があった。
 そのタイトルがはっきりと私の眼の奥に甦った。村瀬なにがしのイメージと一緒に、三角帽子に滲んだかすかな防腐剤の匂いをともなって、本の背表紙の文字は……そう、たしかに”動物の剥製の作り方”……と読めた。

 約束のみりん干しはいまだに私のところに届かない。幕、と。

 よく出来たミステリ、という評価で片付けてしまうのであればそれはアイデアだけの勝負であるといえる。偏執的な性癖を持った男と、その獲物となるであろう存在、そして語り手である「私」という構図であれば、美女とストーカーとその記録者、という構図。もっとばらしてしまえば被害者と加害者と記録者、この三人の記録になってしまう。加害者は自身のナポレオンコレクションの一環として、その自分の収集欲の充足の為に人殺しをしてしまった、といったところだろうか。
 小説の「味」というのは決してアイデアにあるわけではない。その状況における感情のすれ違いであり、人間の持つ業の肯定にある。彼女がいようが子供が何人いようが、女好きはどうしても好色なのである。例えば高校やら大学やら、自分の進みたい進路に迷って、それで周りのアドバイスを受けて改心したつもりでも、その実、人は迷うものなのである。本作も、自分の欲求の為に人を殺しては不可ない、という社会的観念は別として、コレクションにおける狂気を作者自身が肯定することではじめて、人間の描写というものが浮き上がってくるといえる。本作においても、コレクション欲求が殺人というタブーを超えた上で、さらには社会的な通念との軋轢があるために、南沢氏は<様子が違っていた>のである。私はそれを見て<老境に入ったな>という誤解をするわけだ。
 ナポレオン館という南沢氏の業の凝縮した空間の中において、狂気と正常の間にある歪みは巧みに隠蔽されている。その辺を踏まえてあらためて読み返す。さて、防腐剤臭い三角帽子は、普段はどこに保管されて、「乗せられて」いるのか。読者の前で平然を保っているこの作品の、なんと闇の深いことか。
 本作、短編小説の一つの極であると作者は考える。どう呼ぼうか、某せんせいは「可哀想ってのは、愛おしいってことよ小説」なんて云っていたが、ここはすっぱり「業の肯定形小説」なんて呼んでおこうか。ほぼ同じ意味合いである。立川談志家元は「落語は業の肯定」なんて云ってたか。まァいいや。
 例えば演劇や音楽なんてのと比較してみるとわかるとおり、実は表現の本質はネタの部分には無いと考えていい。高校の演劇部が同じ脚本で別の演出をしたりとか、マリリンモンローが「ハッピバースデー」って歌ったりするのと同じで、結局は、その当事者による魂の入れ方でしかない、ということなのである。
 短編小説は短いから楽、なのではない。この長さでなければならない、のである。

 今回のテキスト
阿刀田高 『ナポレオン狂』(講談社文庫、1982)

 関連して、課題図書
車谷長吉『塩壷の匙』(新潮文庫、1995)
05/1/27/NAGASHIRO


 
写真左より▲『ナポレオン狂』『塩壷の匙』

                                              

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