Pontormo 文学のすべてがターゲット!書く=・232221201918171615141312111098754321


筆者紹介
ながしろばんり



芸人。日本大学芸術学部文芸学科卒。著述から編集、イラストレーション、作詞作曲弾語りまで幅広くこなす大いなる器用貧乏として活動中。現在は編集者を経てフリー。亜空間創作ギルド万里園主宰、オンライン文芸集団・文藝越人六〇〇主宰。いくら仕事をしてもパッとしない仕事ぶりは「無冠の帝王」として語り継がれている。ハウツー本のライターからエロ小説まで、基本的に頼まれれば引き受けます。お仕事募集中。格安にて営業中。寄稿リスト|
第1回
第2回コモンセンス
第3回グロテスク
第4回剥製〜短編小説論 I
第5回空間〜空間小説論〜
第6回破綻〜ライトノベル論
第7回萌え〜判官贔屓のリアリティ〜
第8回リアル〜『となり町戦争』を読む〜
第9回お役所〜文字・活字文化振興法案(前編)
第10回施策〜文字・活字文化振興法案(後編)
第11回興味〜よいこのブックガイド
第12回センス〜ダビデ王とマシンガン
第13回春は化け物
            
森羅万象
書く人のための文芸事情

ながしろばんり 「書評のデュナミス」 第3回 グロテスク
 まずは写真を見ていただこう。この奇怪な玩具、どう使うかは画像をワンクリックしていただければわかる。クリックしましたか。そうです。そういうことなのです。



 玩具の製作者の意図を追いかけていくのも面白いが、それはまた別の機会に譲るとして種明かしをしてしまえば、これは筆者が昨年、伊勢の秘宝館に行った際に土産として購入したものである。こう書くと、ああながしろはこういうエログロの趣向があるのに相違ない、と思われることだろうのでちょっと解説をば。
 三重県は伊勢駅から国道三十七号線、一日数本のバスに乗って名古屋のほうに北上しているはずが、どんどんどんどんまっ平らな道が続く一方で、すわ、このまま地の果てに連れて行かれるのか知らん、というバスの終着駅近くに忽然と伊勢秘宝館がござい。もう、周りに有るのはうどん屋と、郊外に有りがちな大型書店、個室ビデオ屋。個室ビデオ屋にわざわざ車で乗り付けてビデオを見るのだろうか。よくわからないところにホント、全体的に錆びついた感じの建物、伊勢秘宝館。中に入る。オッサンが独り。胸には「館長」なんてプレートをつけてて、二千いくら出して入場。ははー、THE・秘宝館。途中休憩所、なんてソファの並ぶ小部屋があって、普通は寛ぐところでスキンの自動販売機がある。もう休憩どころじゃないね。
 色々な動物の交尾剥製を横目に、お土産屋が有る。館内二人目の登場人物、おっそろしいオババ。
「クジを引いてください」オババ、声で人を殺せるね。「クジを引くことになっています」
 入り口で貰ったクジ引換券を差し出すと一回五〇〇円だと。なんじゃい、金とるんかい。
――と、ここで引き当てたのが件の玩具でありんす。
 ラグビーボールで、手のカラクリを押すとラグビーボールがぱっくり披いて男性器がまろびでる。この取り合わせがものすごい。男性器、画像では分かり難いかもしれないけれども、皺のつけ方からフォルムまでよく出来てる。手元のレバーを押す、ラグビーボールが花開く。カラクリの動力がなくなるとまたラグビーボールが元通り。悪趣味ですか。そうかもしれない。この手の悪趣味はアダルトグッズには多くて、ナイロンで陰毛をぎっちり付けた陰茎型の小銭入れ。小銭を入れるたびに茎の裏の部分がパックリ割れる。あまりにも気色が悪いのでアレだけは紙に包んで後輩の家に送りつけてしまった。

 というわけで今月はグロテスクである。とりわけエロとグロ、この二つを作品として扱うときにどんなんかなぁ、と。いやそれよりも、なんでエロとグロがセットであるのかということに着目したほうがいいのかもしれない。昨今のインターネットはエログロの宝庫で、イラクで殺された幸田証生の画像も殺害時の映像も割合容易に見ることが出来る。でも別に見なくてもいい。あんなもの、報復と無稽の反吐でしかない。
 閑話休題、お手軽なグロテスクということで河出文庫『眼球譚・初稿』(オーシュ卿)を今回は取り上げたい。昨年五月の発売だが驚いたのなんの、アンダーグラウンドエロスの極北である本作をあらためて今の日本に問うとはどういうことだったか。ロード・オーシュ、本名ジョルジュ・バタイユの方が読者諸氏のノウズイにピピンとくるだろうか。出版の端くれに辛うじて引っ掛かっている身としては、編集者と印刷社と流通屋におまんま食わせるために本を出すわけであり、そこにおいて、何故昨今のメディア社会において『眼球譚』なのかという話なのだ。

 『眼球譚』のストーリーをかいつまんで書くと、主人公の「私」は裕福な家の、上流階級だろうな、ともあれ、いい年をしていても遊んで暮らせるような身分の男。が、シモーヌという同世代の女の子の別荘に、彼女と二人きりで取り残される。
 この作品冒頭でまず、シモーヌと私が、ネコ用のミルク皿(牛乳入り)にお尻を浸せるかどうか、という賭けをするわけだ。シモーヌの尻が牛乳に浸る、牛乳に濡れたところで開いた《ピンク色と黒色の肉体》が見える。私は激しく勃起してズボン越しに陰茎を摩り、そして、気を遣る。
 読者に対してのファーストインプレッションから行為はどんどんエスカレートして行く。友人で意志薄弱の少女、マルセルの羞恥責めした挙句に瘋癲病院(今でいう精神病院ですな)送りにしたあと自殺させたり、玉子を水洗便器に入れて眺めたり放尿したり、闘牛を見にいって殺された牛の睾丸を皿に二つ盛ってみたり、僧侶を無視遣り勃起させて生体パンを入れる容器にさせたり、と、当時の宗教的禁忌を真っ向から実践することも含めて、二人の全ての行動の動機について何かしらの解答を得ようとするならば、そこにあるのは一つ、金持ち二人による快楽の追及でしかない。この二人、まっとうな(!?)交尾もしているのだが、だがしかし、それは単なる通過地点でしかない。快楽の追求、つまりは当事者二人がいろいろなものを犠牲にしてまでの<充足>への欲求が作品から立ち上ってくるところに、我々はグロテスクの本懐を見ることになると思う。畢竟、グロテスクに至るまでの過程がリアルであればあるほど、グロテスクは美に収斂されていくのだと考えると分かりやすいだろうか。
 比較して昨今のニュース、残虐な事件はあれど、動機に生々しさがないのである。ばれると思ったから殺した、可愛いから声をかけたが抵抗したので殺した、刑務所に入っていれば食事に困らないので殺した……あまりにも短絡的で、想像力の無い残酷、そしてそれらの低能を材料として金を稼ぐマスメディアが日本を、着実に蝕んでいる。出版した側にはそこまでの意図は無いだろうが、この時期に『眼球譚』が世に出てことについては、筆者は真のグロテスクの掲示ということで何かしらのシンクロニシティがあったような気がしてならないのだ。
 創作におけるグロテスクは、いわゆる写実主義と大いに関わってくると考えていいだろう。リアリズムにおける日本の私小説も、東京タワーの精巧に出来た蝋人形もそうだけれども、いわゆる「リアリズム」はグロテスクと深く関係してくる。岸田劉生なんて画家、麗子像で有名だけれども、あれだってリアリズムへの肉薄があるから、実の娘をあんなにグロテスクにしてしまった。本質の探求がグロテスクの一要素だとすれば、最近のヤングに大流行りの「自分探し」もグロテスクであろう。Artとしてのグロテスクは、この辺り、若さゆえの他者を省みない行為にも直結してくると考える。
 加えて、リアリズムを希釈するとどうだ、現在の工業社会、工場で働いているはずが自分が歯車に載ってあっちこっち……ホレキタ、チャップリンである。あれ、みんな大口開けて笑うけれども、実は滑稽というのはリアリズムが母胎なのである。冒頭の写真もそうで、玩具のわりにはかなりリアルに出来た陰茎が、やはりグロなのである。コメディーでありながら、社会の本質を捉えた……っていい回しは耳にタコが出来るが、社会の本質を捉えているからコメディーになりうるのである。
 結局は人間、切迫したリアリティーなど、根の無いグロテスクが不快なのだ。グロテスクがアート足りうるか、という問いに対して、欲求のエスカレートであれ、Art的な本質追求であれ、対象に切迫すればするほど、世界の全てはカオス的容貌を見せてくれる、とも言える。
 だから、根のあるグロテスクは神にもなれる。インド神話を御覧あれ。首が六つあったり、頭が象だったり、手が千本あったり……人間から比較して、神格はおおむねフリークスであるといえる。このあたりのフリークスと信仰についても根が深いのでまたいつか触れたいが、少なくとも「一般の人間とは違う」というリアリズムの答えを「崇拝」として捉えていたニュアンスは、グロテスクを鑑みる上での余録としておこう。

 年末なので二回分予定を一回に詰めこんでしもうた。まあ何はともあれ、ミナサマよいお年を。

 テーマに関連して、今回の参考資料
・オフィーリア
 オフィーリアってのは、シェークスピアのハムレットのアレ(失礼な!)である。ミレイの描く「オフィーリア」をはじめとして、死んだ肉体をいかに描くかというところへの情熱として、結構この手の死体描写、というのは時代を問わず競われている感じである。死体だって、よく描けていれば見たくなる。見ようによっちゃあ、ただの土佐衛門なのだが。創作の意図、という点で考えてみるのも面白い。
 名シーンだから描いた、と考えた読者は、実際に死体を描いたり、文章描写したりしてみると、多少は「意図」についてお分かりいただけるかもしれない。

 今回のテキスト
G・バタイユ/生田耕作訳 『眼球譚[初稿]』(河出文庫、2003)
04/12/26/NAGASHIRO


写真▲ミレイ『Ophelia』


写真▲ジョルジュ・バタイユ

                                         

ながしろばんり氏のイラスト満載『あなたの常識力を10倍にする本』(監修日本常識力検定協会・実業之日本社刊)が新年1月8日、初荷で全国の書店に並びます。本文も検定協会の問題文を基に氏が執筆されました。ブックプロデュースはマニエリストQです。

定価(本体952円+税)208頁
「書評のデュナミス」の感想を作者と読者の掲示板でいただけると、筆者が宙に舞います。

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