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大覚アキラさんの場合】中島らも著『今夜、すべてのバーで』(講談社文庫)


▲第13回吉川英治文学新人賞受賞作品。中島らも著『今夜、すべてのバーで』(講談社文庫)。その他、『ガダラの豚』(実業之日本社)など著書多数。
 

 若者の多くがそうであるように、いまよりももっと若かった頃のぼくは、世の中に対して少し斜に構えていた。生きることとか、人生とか、そういうものと真っ直ぐに向き合うことは、なんだかかっこ悪いことのような気がしていた。「人生なんて、死ぬまでの暇つぶしだ」とか「いかに生きるかよりも、いかに死ぬかの方が問題だ」なんてうそぶいて、それがかっこいいと思っている、ケツの青い馬鹿者だったのだ。三島由紀夫の『葉隠入門』を読んで、それを理解したような気になり、その当時の彼女に「人は死ぬために生きているんだよ」なんて偉そうに語って聞かせたこともある。馬鹿だ。徹底的に馬鹿だ。思い返すと、顔から火が出そうなほど恥ずかしい。

 大学を卒業して社会人になってからも、相変わらずそういう愚かさは抜けきらない馬鹿者のままだった。そして、馬鹿者のまま今の奥さんと出会い、馬鹿者のまま結婚し、馬鹿者のまま父親になろうとしていた。1996年2月のことだ。出産の予定日を一週間過ぎても、まだ陣痛が訪れる気配はなく、奥さんのお腹はスイカのように膨らんでいた。

 その日は土曜日で仕事は休みだった。遅めの朝食を食べた後、「どうもそろそろ陣痛が来るような気がする」と奥さんが言い出した。車に乗せて病院に連れて行ったものの、待てど暮らせど陣痛はこない。待ちくたびれたぼくは、煙草を吸いがてら病院の向かいの小さな書店に行ってみた。そこで何の気なしに手に取ったのが、中島らもの『今夜、すべてのバーで』の文庫版だった。パラパラと中身を見て何となく面白そうなのでそのままそれを買い、病院の廊下のベンチに座って、読み始めた。

 この小説のストーリーについては、吉川英治文学賞も受賞している作品だし、既に読んだ人も多いと思うので、敢えて語らない。ぼくがこの小説を読み終えて痛感したのは、「人は、生きねばならない」ということだ。「死ぬために生きる」なんて欺瞞だ。甘えだ。愚か者の唇を潤す偽りの甘露だ。

 読み終えてしばらくした頃に、奥さんが分娩室に運ばれていった。廊下で待っていると、しばらくして助産婦さんがやって来た。「産まれたわよ、女の子」といって、にっこり笑った。分娩室のドアを開けると、奥さんの隣で産まれたばかりの娘が大声を上げて泣いていた。泣きながら、彼女は、ただ生きようとしていた。その小さな小さな身体のぜんぶで、ひたすら生きようとしていた。

「生きるために生きる」、それはなんとシンプルで、そしてなんと素晴らしいことだろう。そんなあたりまえのことに気付くのに、ぼくは30年近くかかったのだ。馬鹿者の人生から目覚めさせてくれた中島らもと、彼の『今夜、すべてのバーで』、そしてぼくの娘に、心から感謝したいと思う。

06/3/18/大覚アキラ

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