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ながしろばんり引き語り
「欠片B vol.1」
公演のお知らせ。
ゲストに佐藤yuupopic(朗読)さんを迎えての熱いライブ。11月20日(土)19:00スタート。会場は江古田「樽平」。西武池袋線江古田駅北口徒歩1分。大江戸線新江古田から徒歩15分。料金\500+1D。開場時間他詳細は決まり次第とのこと。チケット予約は、狭いところで立ち見で30席程度。先に予約しておくと悠々座れそう。予約はながしろばんり氏まで。「久々の長い舞台です。じっくりやります」デュナミス爆発か!! 超ご期待のライブだ。04/11/2/Pontormo
朗読会Q;drive無事終了

司会にリーディングに大活躍だったBegan、Kazuのお二人

謎の流出フィルム
YOKE MAKYLL LIVE AT Q;DLIVE。
朗読会Q;drive
いよいよ目前に迫った朗読会Q;drive。参加者一同はリーディングの練習や会場の準備にフル回転の真只中だ。ミーティング用のBBSではひっきりなしに演目や機材についてのやりとりが交わされ、MLが大量に飛び交っている。誰もが初のQBOOKS朗読会に最高のワクワク感で臨んでいるかのようだ。演目には朗読の他にバンド演奏、ギターによる弾き語り、独り芝居などと多彩。まさしく「街」に飛び出た文芸だ。朗読の内容は詩や小説だが、遠距離やスケジュールで参加できない作者は、朗読用の作品を提供して熱い思いを共有している。心配されたチケット(無料)のはけも順調のようだ。今回の朗読会では、ボランティアの方々の手により朗読作品の点訳もつくられる。QBOOKSが創作を通じて、単にコンテスト目当てという枠から、より広い文化へと歩み出す第一歩となるのは確実。パンフレットづくり、会場のセッティングと、いよいよQ:driveにダッシュがかかったようだ。04/9/1/Pontormo
会場の和泉永福地域区民センター第一音楽室(写真提供は空中海岸の佐藤yuupopicさん)
白夜のカフェ。の空人さんのイラストによるチケットのデザイン
朗読会Q:drive/Q'sBOOK朗読の会
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森羅万象
読書虫のための文芸事情
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「ダ・ヴィンチ」や「本の雑誌」が文芸雑誌で、「群像」や「すばる」や「文学界」といったところがいわゆる文芸誌。が、「ダ・ヴィンチ」も「本の雑誌」も文芸に特化しているわけではないから、まあただの本の雑誌。タイトルまんまです。「ダ・ヴィンチ」は漫画にも重点を置いてますし。となると、意外と純粋な文芸雑誌は見当たらない。文芸自体がよほどのものでないと売れないのだから、文芸雑誌を買う人間などそうそういないだろうというのが、大方の出版社の考えなのでしょう。自然な思考回路ですね。理に適っている。だがしかし。そこをなんとか発想の転換をしてなんとかしろやい、と言いたくなるのが、まあ我侭な読者であるわけです。待てよ、書評なんて本があるのかも。あったかも……その程度です。よく分からない。
ところで文芸あるいは文学情報は、皆さんどこから得ているのでしょう。週刊誌や諸々の雑誌のコラムや書評、新聞の書籍広告といったところでしょうか。口コミというのもありますが、この際別としておきます。
話題本になればそれなりには伝わってきます。ストーリーだけ紹介した本が出てるくらいなのですから、話題本さえ読んでいれば世の中それで十分なのかもしれないです。作家も自作の宣伝になりゃいいやとでも思っているかもしれないです。商業ですから(ひょっとしたら著作権の切れたものばかり?)。しかしこちらとしてはまとまったものが読みたい。週刊誌を全種類買うわけにもいかないですし、本の紹介だけというのもつまらない。やはりそこにまつわるお話も読みたい見たい。そこなんですね。すばる派、群像派、文学界派、諸文芸誌派の文芸本ではなく、つまり文芸綜合雑誌のことなのです。ないですよね多分。雑誌「文藝春秋」がそれにあたるのか? そういえば昔、「文藝読本」といのがあったような。幼き時なので内容までは言及できませぬ。諸情報ください。
04/9/8/Pontormo
写真▲左から「本の雑誌」「ダ・ヴィンチ」「文学界」「すばる」。なぜか「群像」サイトが見つけられない。というか分からない。それでいいのか群像さん…といってたら見つかりました「群像」(列右)。(写真は各サイトより)
ブックタウン神田の姉妹サイト神保町ドットコム.COM。ここで澁澤龍彦や江戸川乱歩の書斎を覗くことができる。どちらも凄い数の蔵書で圧倒される。ものを書くにはこれだけ沢山の本を読まなければならぬのかと単純にへこまされる思いにもなる。沢山読み、かつ床が抜けそうになるほどの蔵書家は五万といるのだろうが、澁澤も乱歩も一人だ。そのままに残されている書斎(書庫)は、故人を偲ばせるというより、彼らそのものとなって呼吸しているかのようでもある。
「本は余計なものを全部とっちゃうのさ」と嘯いていた友人が昔いた。表紙から目次、奥付、カバーは当然のごとく、ことごとく余分と思われる個所を破り捨ててしまうらしい。そんな彼には、澁澤の書斎も、乱歩の書斎も、ただ無駄で余分な空間としか映らないのではないか。造本などという文化も無きに等しいのではないか。データはデータでしかないという発想なのかもしれない。そうした人間は世の中に意外と存在するのも事実だ。価値観の違いがあるのは健全なことなので文句はない。本ひとつとっても、楽しめることを誰よりも多く見つけたいと思うだけなのだ。04/9/3/Pontormo

写真▲左は澁澤、右は乱歩の書棚
(神保町ドットコム.COMより)
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