 ▲映画『人間の絆』
 ▲映画『めまい』での監督ヒッチコックとキム・ノヴァクのスナップ
 ▲ウィリアム・サマセット・モーム(William Somerset Maugham/1874−1965)
 ▲そして憧れの女性、キム・ノヴァク。もうお婆ちゃんになってしまったでしょうね……と思って検索してみたら有りました。キム・ノヴァク(Kim Novak 1933/02/13 アメリカ/イリノイ州シカゴ生れ 本名Marilyn Pauline Novak)高校卒業後のモデル中にスカウトされる。54年「フランス航路」の端役で映画デビュー。その後コロンビアと契約。56年「ピクニック」で主役。以降「愛情物語」「めまい」「媚薬」主演。スター街道を驀進。62年にギャラで対立しコロンビアを去る。人気も低迷し作品の数も少なくなる。現在はLA郊外の海岸近くで暮らしているらしい……ということは、71歳。お、誕生月がいっしょだ(ミーハーです)。
 ▲お気に入りとっておき写真。ウフ
(画像表示で大きな写真がご覧になれます) | | 映画『人間の絆』1964年・アメリカ・MGM配給●モームの自伝的小説を映画化した文芸ドラマ。出演は「悪名高き女」のキム・ノヴァク、「不思議な世界の物語」のローレンス・ハーヴェイほか。 あらすじ●画家になるのをあきらめ医学生になったフィリップ(ローレンス・ハーヴェイ)は、グリフィス(ジャック・ヘドレイ)らと友達になり、真面目な学生生活を過ごしていた。ところがある日、喫茶店の娘ミルドレッド(キム・ノヴァク)に出会って、フィリップの人生が変わる。2人の仲は急速に進展したが、ミルドレッドが生来の浮気女と分かり、フィリップの生活は乱れる。友達も去り、試験にも落ちた。それでもなんとか勉学の生活に戻ったフィリップだったが、またもやミルドレッドとヨリをもどしてしまう。フィリップは求婚したが、ミルドレッドは別の男と結婚するという。傷心を慰めたのは小説家のノラ未亡人だった。彼は猛烈に勉強し試験にもパスした。ところが、妊娠して捨てられたというミルドレッドに詫びられると、フィリップはノラのことも忘れて彼女を迎えいれてしまった。それにもかかわらず、いつの間にか彼女の心はグリフィスに移っていた。フィリップは孤独とたたかい、卒業試験にも合格したが、パーティでノラの婚約者に会い、一層孤独になっていく。その頃、ミルドレッドは赤ん坊を抱えた夜の女になっていた。やがてフィリップは医師になり、患者だったアセルニやその娘サリー(ナネット・ニューマン)も自分のことのように喜んでくれた。そんなある日の急患勤務に、ミルドレッドがフィリップの前に現れる。彼女は不治の性病に冒されていたのだが、頑に治療を拒み、そして死んでしまう。フィリップは汽車でほかの町へと旅立つ。車中、ふと気がつくと、微笑を浮べたサリーが立っていたのだった。(goo映画より参照)
 写真左から▲『人間の絆II』中野好夫訳(新潮社) 『女ごころ』龍口直太郎訳(新潮文庫) 『手紙』西村孝次訳(角川文庫) 『月と六ペンス』大岡 玲訳・解説(小学館)
さてさて。マニエリストQはいかにして人生に目覚めたか。お聞かせしようではありませんか。語るも慟哭、聞くも涙、ええ、ええ、語ってみせますともさ。 モームの『人間の絆』に出会ったのが高校三年の時です。このことは再三、私の小説のなかで、設定こそ違え出しています。それだけ私にとって重要な出会いとなっています。 たとえば「翌日、昨夜の興奮をひきずったまま僕は授業のすべてを放棄して学校の図書室で過ごした。謎めいた十六世紀に少しでも触れたかったからだ。隣に職員室があったけれど、幸いに教師はたったひとりとして現われなかった。僕は深閑とした図書室の一番奥の床に座りこみ、書架に凭れていつまでも本を読んだ。図書室には美術書もあったし、歴史の資料もあった。けれど、それはルネサンスばかりでマニエリスムに言及するものはひとつもなかった。それでも全授業の終えるまで十六世紀にとっぷりと浸った時間を過ごした。そして、放課後の倶楽部活動がちらほらとはじまるころ、僕は学校を後にしたのだった」(『僕の復活祭』小説すばる新人賞一次選考通過作品)。 まさにそのままです。事実と異なるのは、謎めいた十六世紀ではなく、それがモームの『人間の絆』であったことです。ですから、その日一日だけではないわけで、教師に咎められた記憶がありませんから、多分ぶっ通しで幾日も授業をサボったのでしょう。結構な長篇に呑み込まれていたのです。当時、小説よりも画集だった私には、長篇小説を読んだはじめての体験になりました。しかして、これが私にとって悔恨のスリコミになるとは!?――悲しいかな、この今があるのです。ああ、しんど。 以来、理解不十分なれど、我が哲学あるいは恋心は『人間の絆』に侵食され、年々歳々進行する腐食により、いまだ女性には弱く頭が上がらない、なのです。で、お気づきのように、モームの『人間の絆』はまあどうでもよくて、私がここで語りたいことは、実はキムさんのことなのです。モームの『人間の絆』は上のあらすじでいいやってなもんです。キムさんあっての『人間の絆』ですもの。ええ、映画は駄作でしたよ。高校生でもそのくらい分かりました。場末の映画館で、客はいないし、ほんと侘びしかったです。でもね、彼女さえ見れれば、それだけでいいんです。キムさんが出てるから観たんですもの。 キムさんを好きな理由は単純です。彼女は画学生でそれも特待生でした。海岸に切り立った岩壁の上にある別荘でスケッチしているスナップが映画雑誌に載ってたりして、美大に進みたいと悩んでいた当時の私は羨ましくて妬ましくて憧れました。まあそれで映画雑誌の編集者にもなりたくて、工業高校の担任に当時「映画の友」だか「スクリーン」の編集長をやっていた淀川長治さんに紹介状を送ってもらったりもしたんです。梨の礫でしたっけ。担任先生その節はありがとうございました!(学校ほとんど行ってませんでしたが、卒業できたのは先生の温情だったのですね、きっと)。 そんなでしたから、キムさんの顔を随分とデッサンしたものです。なかでも、ヒッチコック監督の『めまい』でのキムさんの顔が最高です。ビデオも持ってます。ヒッチコックさんは自分の好みの女性だけを起用してますから、好みだけはきっと共通していたのでしょう。うれしいです。わかってんじゃんヒッチの爺さん! ところでモームですが、『月と六ペンス』が有名です。芸術家の過激なエゴを描いた作品です。絵画への情熱に燃えた男が、いきなり家庭を捨て南海の島(タヒチ)に身を置きます。そして、死の病に冒され、それでもなお大作をものにして死んでいくというものです。画家ゴーギャンその人からヒントを得た作品のようです。モームは自らを「通俗小説作家」と自認するユーモア精神溢れる作家ですが、『月と六ペンス』自体は、芸術家の本質を捉えた、通俗的とはいえない作品です。 結局、悔恨のスリコミとは、『人間の絆』にみる恋愛観そのままになってしまったということなのです。つまりこの歳になって気づくことは、フィリップくんには申し訳ない言い様ですが、どじで間抜けな男を、知らず知らずに模倣していたわけです。知らずにだから後悔先に立たずです。ですので猫も好きなんでしょう。あの身勝手でご都合主義の猫めが。そういえば、初恋の人もそうでした。小学生の時に校内一の可愛子ちゃんに恋をし、つきあいもしたが高校に入った途端ふられた(いまいましい)。あの子もかなりおませでなまいきで我侭だった。そうそう、キムさんも猫にたとえられているんですよ――とここまで語ればお分かりになりますよね。まあマニエリストQの人生なんて大した波瀾万丈ではないので、エピソードもおとなしいものですが、小説に登場する人物は、斯くありなんと、いい子じゃつまらないということなのです。現代ではすでにミルドレッドの個性も平凡になってしまった観がありますが、当時としては悪女もいいとこです。まったくデタラメな生き方です。だからこそ、小説は面白かった。『人間の絆』は連載物だったのか、ミルドレッドを死なせた時、読者のブーイングが物凄かったそうです。死なすな、殺すなって非難轟々。それでモームはストーリーを変えたとか変えなかったとか。悪女はチャーミングであり、面白くて、小説の醍醐味なのですよ。
えっ? うちのかみさん? ちっとも面白くないお方です、はい。 お粗末様。
お次は越冬こあらさんです!→
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