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大学の紛争にぼくも一般学生の通例として、はじめのころは集会に顔を出したことがあった。多くの〈一般学生〉とともにキャンパスに座らされ、あの独特のイントネーションによるアジテーションを聞かされた。そうなのだ。ぼくとしては聞いたのではなく聞かされていたのだ。オルグに無関心な〈一般学生〉に終いにじれて泣きだした活動女子を宥める無関心な〈一般学生〉の輪があったりして、それは不可解で冗談としか思えず、それもその女子はぼくの同級生でデッサンも満足に描けない影の薄い地味な子で、ああこういう子がオルグされるのかと、半ば感心し、半ば意味知れぬ不安にぼくは囚われたものだった。その後、その子はかなり過激な活動学生と同棲をはじめると、じき大学に姿を見せなくなった。同級の女子たちの間では、二人は警察に追われて逃走生活をしているという、まことしやかな噂話となっていた。片一方では、田舎に帰ったのだろうという、いいかげんな話にもなっていて、ぼくたちはどこまでも曖昧なのだった。たとえその子がなにかで死んだと聞かされても、ぼくのどんな神経さえ動きはしないだろう。それはその子にそれだけの魅力がなかったからなのか、それともぼくの性格がそうなのか、それはわからない。以前ぼくは指を怪我したことがあって、彫塑の時間に粘土を捏ねることができないでいたが、同級の誰もが助けてくれるようなことがなかったように、ぼくたちの多くは熱というものを持ちもせず、感じてもいないのかもしれない。それはぼくたちが、拡散し濃度が薄められてしまった精子の子たちなのかと、サルバドール・ダリの一見粘液質のようで実は徹底して醒めきったリアリズムの絵を見るような気になるのだ。ダリのすべてが原子化をめざし、磔刑のキリストまでが凝縮しながら拡散している。ぼくたちは描くべきなにものをも手にしていなかった。あるのは実感の涌かない反戦運動のことだったり、過去の知らない戦争の観念だったり、こじつけのテーマばかりで、せいぜいがピースマークで喜んでいられたのだった。 校舎を囲む雑木林の黒い影が地に濃く落ちていたとき、梶とぼくはその影の中で、雨晒しに朽ちかけた木製ベンチの背にだるい體を凭れかけ、夏の陽光が芝生に埋もれている地虫のことごとくを焼き殺している広大なキャンパスの方向をただぼんやりと眺めていた。仲間の一人を泣き落として手に入れた煙草があったので、ぼくも梶もあまり苛立つことなくほうけていられた。ぼくたちは、あの老いて眼の力を弱めてしまった犬が狭く暗い檻の中をとぼとぼと堂々巡りするように、煙草とティーパックの紅茶さえあれば一日中眼を瞑り無為な中身のない時間をぐるぐ回っていることが可能だった。たとえデッサンのための木炭を握らない日があっても気に病むことなどしなくなっていたのだ。もっとも、その木炭デッサンに用いるための食パン一斤さえ買う金がなかったのだから、二人にとってまさに貪詰まりの夏なのだった。そこまでに至っても、窮状の囲いに針の穴すら開けようとせず、無思考と無策でいたのは、二人に共通した怠惰と、それを上回る卑賎なたかりの神経が蜘蛛の巣のように體の隅々に行きわたってしまっていたからだ。ぼくは画材屋の店長に、梶は火炎瓶の恋人に、それぞれが怠惰なたかり人間となってぶら下がっていたのだ。少なくともあのことが起きるまで、ぼくはそう思っていたのだった。
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「校舎に戻らないか?」 暑さに疲れていたぼくは隣で半睡状態に陥っている梶を促した。 「きみは戻れよ。俺はもうちょっといる」 「誰かくるのか?」 「まあね……」 梶はそう言うと、ぼくが立ち上がってあいたベンチに、長々と寝転んだ。 「じゃあ、先にもどってるよ」 「俺はこのまま帰るから。待たなくていいよ」 「ああ、そうする」 多分、梶は火炎瓶の恋人と待ち合わせているのだ。ならばよけいにぼくはここを早く立ち去りたいと感じた。梶の恋人とはクラスで顔を合わせることがあったが、ぼくは眼を合わせることさえしないでいた。深い理由はないが、なぜかそうした。腹の奥底を見すかされているように思えて、ばつが悪かったのかもしれない。あるいは、自分との違いをはっきり感じていたからか。作品は勿論そうなのだが、彼女自体のセンスに自分との差がありすぎると感じるのは、美大生だからこその特有の意識、いわゆるコンプレックスなのだろう。彼女との世界の違いに気押されて馴染めなかったというのが正直な気持ちなのだった。
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その日、梅雨にもどったような陽気に朝から鬱陶しい雨が降りつづいていたなか、なけなしの金で買った安価なウイスキーを土産代わりに、ぼくは乃木坂に向かった。帰りの電車賃が心細かったにもかかわらず土産を持参する気になったのは、梶がすでにぼくとの同棲者でなくなっていたことに気が引けたからだ。それに、いざとなれば梶に金を借りるほうが、手ぶらで行くよりもいいだろうと思えたからだ。ぼくには似合わない心理として、梶の恋人に対する遠慮か、あるいはつまらない見栄が働いていたのだろう。しかし、それを思うと面倒に感じてしかたなく、今日の飲み会を断れなかった自分に苛立った。仲間といっても梶の仲間であって、顔も知らない連中なのだから面白くならないのはわかりきっているのだ。それに梶の恋人には店長に抱く同種の疎ましさを感じていた。店長同様に、梶の恋人は、ぼくにとって避けて通りたい存在なのだった。 |