マニエリストQのストゥディオーロ其の十五
汚洞の果実
第2幕−2 マニエリストQ 感想などいただければ幸いです。



 そして輪舞はスーパーサーカスのように――

 夜の九時。スタッフの一人がスタジオに出ていった。オフィスの仕事場は、翔と啓子、残りのスタッフとで四人になった
 仕事場の様子はいつもと変わらない。パソコンを置いた白いテーブルは整頓されて清潔だし、キーボードを叩く音と微かな機械音があるだけで、深夜の停車場みたいにひっそりとしている。啓子はやや派手目だが、ほかの女たちは清楚な服装で化粧も淡い。日々、妖し気なものを、それを生き血に棲息する人間たちに向かって発信している、秘密を隠匿した白い洞窟。仕事場は、単調だが心地よい。
 また一人、前のスタッフと同じように、ドアから出ていった。さきに出たスタッフはまだもどっていない。隣の啓子は気にするでもなく、なにくわぬ顔でパソコンに向いている。 Swinging パーティの企画を立てているのだ。本を出す前に先行するのだという。
 啓子はミノタウロスの女だという翔の疑惑は、先日のSwinging本の会議で明らかになった。おのずと佐竹との関係も知れようというものだ。翔が取材に行ったときには、すでに関係していたのだろうから、とぼけた人たちだと翔は思った。佐竹の失踪は衝動的なものではなかった。こうして啓子といっしょだということは、それなりに練られた計画だったわけだ。だが、翔にはまだわからないことが一つある。それは、佐竹と磯城の関係だ。
 また一人、出て行った。仕事場は翔と啓子の二人になった。
「気になる?」
 啓子がパソコンに向いたままで言った。長くて、しなやかな指がキーボードの上で踊っている。
「みんな、どうしたんです?」
 翔は画像のトリミングをしていた手を休めて訊いた。トリミングした今夜の画像は五十点近くになっていた。きりがない。
「仕事」
 啓子は体言止めで答えた。めんどうだからではない。企画書づくりが乗っているのだ。それでも、
「ごめん。しばし、お待ちを」と、翔を横目で見て言った。
 翔は二人分の珈琲をいれて一つを啓子の脇に置く。十時を回っていた。一時間の間に三人の女が仕事場から姿を消していた。ドアを出たさきにはスタジオしかない。啓子が仕事だと言うのだから、撮影の手伝いでもしているのだろう……まさか……。

 スタジオの中は、〈猥褻〉そのものだった。それはただ、いやらしいこと、という意味であって、〈善良な性的道義観念に反すること〉をさす意味ではない。ここには善良も羞恥心もなかったし、性には善良な性と悪の性があるらしいことすら思うこともなかった。あるのは、ひたすら淫らなことを求めていることだった。
 広大なベッドに、スタッフの女たちがいた。
 ビデオカメラが〈いたずらに性欲を興奮・刺激させ、普通人の正常な羞恥心を害する〉アングルを狙って回っている。彼らは普通人ではない。正常な羞恥心ももちあわせてはいない。というよりも、普通人と正常な羞恥心といったことの意味を理解していない――PTAの父兄はみな普通人であり正常な羞恥心のもちぬしで、〈異常な羞恥心〉をもった人間は一人もいない。子孫繁栄のための正常な羞恥心による性を営む。犬と同じである。交尾を目撃された犬が見せる、あの困惑した目は、まさしく正常な羞恥心によるものなのだから。
 スタジオは、小さなコロッセオだった。
 間断ない呻き声。男たちの無骨で滑稽な姿勢。腑抜けた口もと。清楚だったはずの女たちは、かぎりない淫らさで魚のように跳ねる。女は喰い、男は射ぬく。それは、互いの〈異常な羞恥心〉を激しくぶつける、なんでもありの噛みあいだった。
「仕事なんだから、ほどほどにすればいいのに」
 啓子が翔の隣で冗談めいた調子で言った。
「驚いた? これもスタッフの仕事のうちなの。みんなは楽しんでやってるわ。わたしもね」
「啓子もはやくおいでよ」
 ベッドで男が呼んだ。男はスタッフの口腔で溢れていた。

 車線に車はない。鋪道に人はいない。遠く前方の山並みに旭日のきざしが見える。全速。コルナゴは夜明け前の国道を疾走する。
 翔はセンターラインを走った。白線を踏みはずすことなく、どこまでも正確に走った。冷たい空気が頬を切って流れる。ハンドルを握る左手の痺れた小指。どこからか無性に懐かしいなにものかがあらわれては消える。全速、全速、全速! 翔は叫ぶ。
 前方にオートバイが見えた。ものすごいスピードで近づいてくる。それでも、翔はセンターラインを走った。やがてバイクは眼前に迫り、そして一瞬のうちにすれちがった。そのとき、銀色のガソリンタンクが硝子のように光り、ゴーグルをつけたライダーがなにごとかを発して右手の親指を立てた。風圧でコルナゴのボディが軋む。
 Good luck!
 女の声でそう聞こえた。思わず振りかえると、背を向けたバイクが旭日に輝く国道を一直線に疾走しているのが見えた。そして瞬く間にバイクはカーブのさきに消えていった。翔の瞳に銀色の輝きを残して。

 道場に来たのは二ヶ月振りだった。夜の七時、空手着に着替えた翔は、素足に伝わる床板の冷たさに、季節はすっかり冬になったのだと感じた。準備体操でからだをほぐしていると、道場生たちが久しぶりといった顔で手をあげた。床に座った柔軟体操の背に、はしゃぐ児童部の子供たちが乱暴に跳び乗り「くっしん、くっしん」と大声をあげて遊んだ。
 からだが暖まったころ、若い師範代の号令がかかった。横一列に並んだ二十人ほどの道場生が気合を発し、基本技の練習がはじまる。突き、蹴り、払い、受け、それらの合わせ技、師範代の号令に合わせ、ひと技ずつ前進しては、また同じようにもどってくる。ひと技ずつ気合を発しながら往復がくりかえされる。
 翔は腹の底から気合を発した。仮想の相手に向かって突き、そして蹴った。ときには上段や中段の突きを受け、上段や下段の蹴りを払ったり流したりした。道場に師範代の号令と道場生の気合が交互に鋭く響きわたった。
 基本練習が終えると型の稽古に入った。子供たちと白帯から茶帯までは平安初段の型を有段者の指導で練習した。他の有段者は独自で稽古を行なっている。今夜の翔はクーシャンクーの型を後輩と練習した。翔は、この型が好きだ。二段の昇段試験で演武した型だったが、もう少し上級の型をやってもいいものだろうにと師範に皮肉られたことを憶えている。その師範は、今夜は来ていない。配送業者だという若い師範代が指導を務めていた。
 翔の道場は、いわゆる寸止め空手だ。突きや蹴りは、からだの寸前で止める。だから防具はつけない。なのに、翔の空手着は黒ずんだシミで点々と染まっている。試合形式の自由組手で師範代に負わされた血痕だ。眉間の右の腫れが治ったと思ったら左をやられ、また鼻の下を、これは急所の人中というが、正拳で突かれて唇の裏にコイン大の穴をあけられた。そのたびにおびただしい血が空手着に落ちた。少しも寸止めなどではなかった。前歯を折られなかったのが幸いだったと言える。
 自由組手というのだから、約束組手というのもある。これは、向かいあって構えた二人が、約束した技で攻守を学ぶ、つまり「上段一本!」と宣言してから攻め、攻められた対手はそれを上段受けでよけて突きで返すというものだ。約束組手のつぎはもう少し高度な任意組手になる。これは攻め技の約束がない。「任意一本」や「任意三本」などと、攻める数だけを宣言した攻守の練習だ。
 稽古は約束組手、任意組手と進み、そして自由組手の時間になった。試合形式なので師範代が審判を務めた。翔も黒帯同士や白帯を相手にした自由組手を何番かこなした。そのうちに、ほかの有段者に審判が交替し、師範代が組手の相手をはじめた。黒帯に対する師範代の組手は、白帯や茶帯を相手にする場合とくらべ、立場もあるだろうから、いちだんと厳しかった。道場はいっきに緊張感でみなぎる。いま、師範代に対峙しているのは翔だった。
 師範代のステップのとりかたは独特だ。構えて早々、すでに間合いは師範代のものになっていた。翔は牽制で揺さぶりをかけるが、師範代は動じない。スピードは断然、師範代が上だ。このままでいれば、また痛めつけられる。師範代の構えた腕からくり出される前拳の突きは、いまの翔には見えないスピードなのだ。通常、くり出された突きや蹴りは素早く引きもどすのだが、師範代の突きはからだごと眼前に飛びこんできて引きもどしがない。それが目隠しにもなる。すかさず出された連続技で、あえなく撃沈という結果になる。
 瞬間、鋭い気合。翔は、左の腕を眼前にかざし、頭を右にわずかに傾け、顔面を狙った師範代の右拳の突きをかろうじてかわす。が、そのときすでに、師範代の左拳が中段の肋骨を襲っていた。と同時に、翔の足刀も師範代の向こう脛を蹴りこむ。バランスを崩すして前のめりになった師範代の首が一瞬がらあきになる。そこを翔の手刀が飛んだ。師範代の首が落ちた――ことになる。
「あらあ!」翔は思わず言った。
「こら!」師範代が血相を変えて翔を追った。
 翔は慌てて逃げた。肋骨が痛い。
「やめえ!」そこで審判の号令がかかる。
 結果は師範代の中段突きで技あり。
「いてえなあ」
 師範代は、このやろうといった顔で翔を睨み、そして笑った。
 久しぶりの空手稽古は翔に緊張感をもたらしてくれた。翔は、このときだけは退屈を忘れられると思った。ただし、健全すぎるとも思った。その思考回路、あるいは性格が、翔の特徴であり難点でもあった。爽やかだけではいられないなにかが翔にあった。翔自身それがなんであるかがわからないでいた。刺戟をもとめているのはたしかだが、むしろ空洞を埋める作業に近いのではなかったか。空洞がはっきりと大きい穴ならば、その作業の目的も明確なのだが、森の暗闇に潜む洞窟のように、入口さえ定かではなかった。十代の子供が抱える思春期にも似た感情といえばそれまでだが、たまたまそのような性格の似た者同士が出逢ったところに、翔と美樹の思いもよらない深穽があったのではなかったか。
 いっぽう、満開の桜が雨にうたれて散った夜、美樹は倉橋由美子『聖少女』の十六歳の未紀を自分も書いてみようと思いついた。フレッツ・ラングの映画『メトロポリス』でアンドロイドのマリアをつくった学者ロトワングや、ルイ・マルのヌーヴェルヴァーグ映画『地下鉄のザジ』のザジをつくったレーモン・クノーのように、自分の未紀をつくってみようと思ったのだ。倉橋とは違う聖少女を。
 シュールな表現主義のアンドロイドのマリアと地下鉄のザジ。美樹は言葉で絵を描こうとしているのかもしれない。それは、美樹がまだ〈倉橋のような小説〉や〈倉橋のような未紀〉を書ける女に醗酵していないからだ。倉橋は『聖少女』を二十九歳で書いた。倉橋の未紀は二十九歳の未紀なのだ。高校生の美樹が倉橋の未紀を書くのは、たとえば洞窟の地下水が地上の縦穴を満たすまでのように、長い時間を待たねばならない。まして、読者を混乱の海にひきずりこむ『聖少女』の複雑な虚を描くには、美樹の技量ではとうてい無理なことだ。美樹はそこまで〈悪人〉ではないし、サディストではなかった。それに美樹は、十六歳の未紀のように、ロシアの数学者ポントリャーギンも一九三〇年代フランスの若き数学者集団ブールバキにも縁がなかった。美樹がこういった名前を羅列するとすれば、それはシュールレアリスムの源流でもあるマニエリスムにおけるマニエリストたちの名を抽出することだろう。しかし美樹にとって、これみよがしの羅列は際限がなく、意味のない行為に思えた。セルバンテスの名を一つあげればすむことなのだ。つまり美樹は、ここでも美樹の〈退屈しのぎ〉を行なっているのである。紙粘土をこねるように美樹の未紀をつくっては壊し、玩具遊びに興じているのだ。それは、不自然によじれて歪曲した人工的な少女、アンドロイドマリアという人形づくりだ。倉橋の未紀ほどではないメランコリアを心の隅に秘匿しながらの――。

 翔は炬燵で背を丸めていた。隣で美樹が蜜柑を食べている。二人は学校帰り、翔の家にいた。
「なんだか家庭的だね」
 そう言って美樹は肩を振って翔の腕に軽くぶつけた。美樹は、一年ぶりの炬燵の暖かさに小さくなって、幼い子供がだれにも知られない秘密基地で遊ぶような、内緒というワクワクした気持ちになっていた。
「パーティの取材にまた同行することになったんだ」
「いつ?」
「クリスマスイブの日からいくつかやるらしい。大晦日には帰ってこれると思うけど」
 翔のアルバイトは、二人の〈林檎探し〉から離れて、ただの小遣稼ぎになっている、と美樹は感じていた。磯城に抱いた危険な期待感もそれほどではない。退屈しのぎは意外とむずかしく、思ったより努力がいる。美樹は翔があえて退屈しのぎをもちだした気持ちがわかるような気がした。怠惰と怠慢では退屈をしのげない。智恵とアイデアと工夫と体力が必要で、退屈しのぎのエネルギー量は自分たちの白けた気分に大きく反比例している。翔は冗談めかして言うけれど、本当は本気で白けた気持ちという迷宮から脱出しようとしているのかもしれない。──わたしだってダイダロスの迷宮で蛆を涌かせて腐るのは厭だ。だからこそ、翔の林檎探しに期待もしたんだわ。そうだ。わたしはアリアドネ。翔はテセウスではないけれど、わたしは翔の腰に絲の先を結びつけてたぐっていよう。いざというときに、わたしはDance of labyrinthを翔のために踊ろう。古代の衣装をまとい薄布をひるがえして宙返りもしよう。空中ブランコも玉乗りもしてあげる。お望みなら軟体人間になって久世光彦の描いたちょっといやらしい毬人間に挑戦してもいい。分身の術で大勢のアリアドネのわたしがスーパーサーカスのように輪舞するのだわ──。
「どうしたの? 美樹」翔が美樹の顔をのぞきこんで訊くと、
「ケ、ケ、ケ」と、美樹は毬人間になった自分を想像して思わず奇妙な声で笑った。お酢をいっぱい飲まなくちゃ、などとも思った。
「文学って、けっこう下品よね。穴とか口とか、だいたい、からだを肉なんて言うのも。そりゃそうなんだけど、ほらこれが文学だってわざわざ汚く露骨にしてるみたいで」
「美樹だったらなんて言うの?」
「膣、または鞘」
「それってラテン語のvaginaって言ってるだけじゃない」
「鹿児島は manjyu。長崎は chonbe。佐賀は bobo。わたしとしては、三省堂の大辞林に載ってる omekoがいいな」
「美樹のほうがよっぽど下品だぜ」
 翔は美樹を抱きよせ、悪ふざけに興じる美樹の唇をふさいだ。






写真:HIROSHI AOKI(PHOTO ST