マニエリストQのストゥディオーロ其の十五
汚洞の果実
第1幕−5 マニエリストQ 感想などいただければ幸いです。



 Daedalus who grieves in labyrinth. ――

 パーティは儀式的だった。ミノタウロスの女の無言の仕草によって進行していた。二人の男はパーティの進行係なのだろう、女の左右にいて姿勢よく跪いている。彼らも仮面だけ着けて全裸だ。ほどよく隆起した筋肉と、しなやかなからだは、日常的な鍛練によるものか。ボディビルなどではなく、ひょっとしたら自分と同じ格闘技で身につけた筋肉ではないか、と翔は思った。筋肉に機敏な鋭さを感じたのだ。
 そのとき、女の仕草が大きく動いた。すると、進行係の一人が立ちあがり、スウィンガーたちに男と女に分かれるように指示した。口腔になにかを仕掛けているのか、その声は奇妙に震えている。これも儀式の演出なのだろう。男と女たちが二つに分かれると、そのあいだを割るように黒いカーテンが引かれ、たがいの姿が見えなくなった。進行係の二人は女たちの側に消えた。ミノタウロスの女は、ソファーに腰掛け、じっとなりゆきを見つめている。怪物の頭の内側に、洞窟の闇のように深く妖しい瞳を隠匿して。
 女側で、ときおりクスクスと小さく笑う声がする。ごそごそとうごめく物音もした。五分ほどすぎたころ、進行係の一人がカーテンの脇から出てきた。そして一気にカーテンがあいた。驚嘆のどよめきが男たちからあがった。そこに、整然と居並んだ二十頭の牝牛がいた。

「性犯罪者って、なんだかかわいそうだと思う。自分では制御できない本能的な癖だもの。普通はみんな、ちゃんと制御できてる。被害者はかわいそうなんてもんじゃないけど」
「美樹の話はなんでも唐突だな」
「だけど、わたしが被害にあったら、翔、そいつを殺してね」
「殺すわけにはいかないだろ。ボコボコぐらいにはしてやるよ」
「いいわ。翔がボコボコにしたあと、わたしがとどめを刺す」
「まるで映画のリップスティックだ」
 翔はベッドから抜けると、二人分のコーヒーを用意する。
「これって笑いごとなんかじゃない。ほんとうは同情するのもまちがってる。許される理由なんて絶対にない。彼らは、制御できない癖でも、それが犯罪だってことをちゃんと知っている。それならば、たとえ性癖を制御できなくても、犯罪はいけないという自覚はもつことができる。だから、彼らはその自覚をもとうとしない犯罪者そのものなの。もてないのではなく、もとうとしていない。制御できない性癖以前のことなの」
 美樹にコーヒーを渡す。
「やっぱり、殺して、翔」
 殺すとも。形がなくなるまで叩きつぶしてやる。
 翔は美樹の頭を裸の胸に抱きよせて思った。これはすべての女が日常的に抱いている不安なのだろうと。犯すのも男であり、護るのも男なのだ。

 まさに、ミノタウロスの母、バシフエの淫蕩がはじまろうとしていた。ミノタウロスは自身の誕生のいわれを目撃することになる。
 二十頭の牝牛が男たちに尻を向けていた。名工ダイダロスが仕掛けた牛は、頭から腹、四肢だけが牛の姿だった。背と尻は女たちのものだ。顔が隠れた女たちの見分けはつかない。男たちの妻はそれぞれがバシフエとなって、それぞれが海神ポセイドンの牡牛となった夫たちによって犯される。それは、映画『491』の獣姦のようでもあった。ただし、相手が自分の妻であるかは定かでない。それこそ、Swingingであったから。

「もう帰らなくちゃ」
 美樹は、ベッドから抜けて、制服を着はじめた。
「送ってくよ」
 翔も服を整える。 「磯城さんのバイトは、いつから行くの?」
「いつでもいいみたいだが、来週からにするよ」
「バイト料がずいぶんいいけれど、何か気になるなあ……」
「だいじょうぶさ。ヤバくなったらすぐにやめる」
「おもしろそうだけど、どこか虫の知らせっていうか……」
「虫の知らせって、いつもの美樹らしくないな」
 翔は年寄りくさい美樹のものいいに笑った。つられて美樹も笑顔になったが、心から笑ってはいなかった。
 美樹は理屈っぽいところもあるが感の鋭い子だ。想像力もある。翔は美樹の不安を軽く笑い飛ばしていたが、ものごとに白けているわりには慎重なところがあった。口にこそ出さなかったが、用心するにこしたことがないと、胸の裡に言い聞かせていた。

 ミノタウロスの宴がつづいている。
 男たちは、気がすむまで、相手の牝牛を変えては交尾した。牝牛たちは、くりかえし攻めたてる形と技法に、苦悶し享楽した。
 佐竹が、撮影に飽きたか疲れたりして、うんざりといった顔で翔のところにもどってきた。カメラを翔にあずけると、ふっと一息吐き、絨毯にあぐらをかいてワインを呑みだした。
「ここまでくると、もう彼らだけの世界だ。俺たちのことなんて眼中にない。そこが彼らの凄いとこだ……」
「主催者の校長は参加してるんですか?」
 暇をもてあました翔は、スウィンガーの校長がどんな人間なのか見てみたい、少しは写真のキャプションづくりに役立つかもしれないと思ったのだ。
「今回は急用ができたらしくて不参加だ。そのかわりに、娘が主催を務めてる」
「娘って……じゃあ、あの女が……」
 翔は、あの女、ミノタウロスの女に目をやって言った。
 ミノタウロスの女は、二人の進行係を両脇にはべらせて、悠然とパーティを見つめている。
「校長は独身だからね。だいぶ前に奥さんと死に別れてる」
「だからって親子で……」
 もしも、眼前で進行しているような行為がパーティの定番であり、校長とミノタウロスの女も参加するとなれば、それはどういうことになるのか――さすがの翔も唖然とした。
 人間には、逸脱した性に無抵抗な人間と抵抗力を有した人間とが存在する。そして、逸脱した性を犯罪でしか消化できない人間と、犯罪には陥らない智恵をもって消化できる人間とがいる。つまり、後者が今日のスウィンガーたちだ。そのちがいはどこから生まれるのか。多分それは金だろうと、翔は短絡的に思う。もちろん、犯罪そのものを希求する人間がいるのは、たしかなことだ。犯罪でなければ快楽が得られないというわけだ。プレイでは達成不能なのである。それは、想像力の絶対的欠如。否、想像力が頂点を極めた結果か? 沸騰する妄想だ。だれかが蓋を開けて煮えたぎる蒸気を抜かなければならない。世の中はシモニアで溢れているのだから。
 進行係が、無情にも、享楽の時間を容赦なく止めた。男たちは二十頭の牝牛の尻にまじわったままで動きをやめた。進行係が牝牛の頭の側に回ると、手品師のような仕草をした。すると、いっせいに、パカっと蓋が割れるような音がいくつも起きた。牝牛が真ん中から割れた二十の音だ。二つに割れた牝牛の殻は、四つん這いになった女の左右に倒れ落ちた。それによって、男たちは、まじわっている女が自分の妻であったり、他人の妻であることを知った。それからあとは乱交となり、宴の夜が更けていった。
 ひと夜の飽くなき欲求は、それだけで終わらない。三々五々、それぞれの部屋へと散った夫婦たちだったが、だれもが深夜になっても眠りにつくことがなかった。
 ホテル側の特別な配慮により、スウィンガーたちの部屋はワンフロアーに集約されていた。彼らは自由きままに、だれの目もはばかることなく廊下を行き来できた。たとえふしだらなかっこうで歩きまわっても、だれにもとがめられはしなかった。
 翔と佐竹は、自分達の部屋で遅い夕食をすませたばかりだった。
「いつまでつづくのかなあ……」
 ベッドに寝転がっていた佐竹が煙草を吹かして言った。疲れきった顔だ。写真を撮りながら呑んだワインが、今ごろになってきいてきたようでもあった。
「パーティがですか?」
 翔は、備えつけのサイフォンからそそいだ紙コップのコーヒーを佐竹に手わたして訊いた。
「俺の仕事……」
 佐竹はカップをうけとり、独り言のように言った。
 翔は佐竹の言葉を黙って聞いた。佐竹とは、たまたま夏休み期間中にアシスタントを勤めるだけの関係だ。佐竹は気さくだし優しいが、深い仲になるとは思えなかった。自分はいま、コルナゴがほしいだけなのだ。翔の気持ちを察したか、佐竹はそれいじょう話そうとはしなかった。紙コップを両の掌でつつみ、ほうけたような顔で、じっとテレビの画面を見つめているのだった。音声を落としたテレビには、深夜の通販番組が流れていた。

「一時だ。そろそろだな」
 佐竹が腕時計を見て言った。翔はカメラのバッテリーをチェックして佐竹にわたした。
 廊下は、ひっそりと静まりかえっていた。人の顔が見分けられない程度に薄暗い。
「金持ちは元気だ。栄養がいいんだろうな」
 佐竹はカメラの具合をみながら翔に笑んだ。翔はその表情が少し卑屈に感じ、佐竹はこの仕事が嫌いなのだろうと思った。はじめての自分でさえ飽きていたのだ。仕事とはいえ、佐竹の嫌気がわかるような気がした。
 廊下の左右に並ぶドアがそれぞれスウィンガーたちカップルの部屋だった。階段は、パーティのために、防災扉で他の階から遮断されていた。エレベータは、この階から呼ばないかぎり停まらないようになっていた。
 佐竹は部屋のドアが開く気配にカメラを構えた。すると、からだをシーツでつつんだ女が廊下にあらわれた。カメラのフラッシュが一瞬、輝く。女は別の部屋に消え、その部屋から別の女が出てくると、さきに出てきた女の部屋に消える。
 他のドアも開きはじめる。女たちが右往左往する光景が、カメラの白いフラッシュの中に、あらわれては消えた。
  Swinging は深夜の運動会のようだと、翔はなかば呆れ、なかば微笑ましく感じた。きっと彼らはすこふる健康なのだろう。でなければ、こんなにも開放的に、あっけらかんと、性の遊戯に興じられないはずだ。だれに迷惑をかけるわけでもない。ほかのどんな趣味の会とも、なんら変わりがないではないか。翔が可笑しさに堪えられなかったのは、ふだん彼らがどのような顔で子供たちの前で授業を行なっているのかを想像したことだ。きっと、なにくわぬ顔をして、日々子供たちに漢字を教え、算数の計算式を黒板に書き、道徳を語っているのだろう。それは、トイレに隠しカメラをとりつける下賤な卑しさとはちがう、もっと大らかなものだ。まるでギリシア神話の中の神々の交歓でもあるかのようにだ。だからこそ、教職者の性犯罪は、唾棄すべき救いのないものなのだ。
 佐竹は仕事の不満を口にするが、 Swinging そのものを蔑視していたわけではない。彼の不満と希望は、つくりたい本のジャンルにであって、決してSwingingといったテーマにではなかったのだ。
 どうしても部屋に行きあたらない女が一人いた。ドアを開けるたびに、先を越した女たちにおいかえされていた。翔は、まだ外から開けられていない部屋を、「そこ」と言ってドアを指差した。女はうれしそうに長い舌を出した。そのとき、カメラの白い閃光が、女のおどけた姿を矩形の枠に切りとっていた。
「よっしゃ。これにて終了」
 佐竹がほっとした顔で翔に言った。
「お疲れさまでした」
 翔も元気に答えた。佐竹からうけとったカメラは、ずっしりと重かった。夫婦交換の夜は、そうやってすぎていったのだった。

 夏休みが終えようとしていた。
 本の会員登録名簿と、取扱い書店、広告スポンサーのリストともに、佐竹が失踪した。すべてのデータ類も削除されていた。不幸は重なるものだ。全国の書店をまわっていた集金係も売上とともに消えた。本は取次店を通さず独自の販路をとっていたのだ。
 一週間がすぎて、本の編集はまったく頓挫した。翔のうろ覚えの編集能力では、どうにもできないことだった。
「佐竹についてなにか知らないか? どんなことでもいい」
 翔は社長と二人きり、応接セットのソファーで向かいあっていた。
「さあ……べつに変わった様子はなかったですが……」
 灰皿が煙草の吸い殻であふれている。
「なんとか本はできないものかな」
 編集は素人の社長が泣きつかんばかりだ。
「せめて素材だけでも置いてってくれれば、なんとかなるものを」
 佐竹は最新の投稿写真や記事の素材までもちだしていた。素材さえ残されていれば、ほかの編集プロダクションに編集を頼めたと、社長は憔悴した顔を歪め、翔が聞いてもしかたのない愚痴を迷路を徘徊しているかのようにくどくどとこぼした。
 Daedalus who grieves in labyrinth.
 ダイダロスは迷宮の中で嘆く。
 夫婦交換本を仕掛けたのは社長だった。社長が発案し、資金と労力、長い準備期間をついやして発行環境をととのえた。いま、それらの手がかりが、すべて消えてしまった。一、二号の休刊で発行再開とはいかないのである。これからいろいろな賠償問題が起きるだろう。会員の会費も、そして広告費も前金だった。書店からの定期的な集金をあてにもしていた。いまや社長は、自らつくった出口の見つからない迷宮にとじこめられていた。名工ダイダロスのように、社長はスウィンガーたちの集うラビリンスを脱出できるだろうか。飛翔のための翼をつくることができるだろうか。
 翌日、翔はアルバイトをやめた。そのアルバイト料と貯金でコルナゴを買った。






写真:淡ぢぃ(PHOTO ST