
執拗に継承される町の習俗――
なにごともなく終えたつましい秋祭りの報告会と称して、町の長老たち六人が、寄合所の畳の上に雁首をそろえていた。町会費で調達したというお茶がわりの一升瓶の酒と寿司。だれもが、裕福な老人にみられる薄い皮膚で、赤ん坊のようにふっくらとツルツルした頬を甘い果実のように桃色に染めている。長老たちの話は、恒例のように、昔話へと向かう。が、それは昔を懐かしむことではない。昔話の内容は、ふたたび、実際に行なわれていた。だれにも知られず密やかに……ただ一人の男を除いては――。
「その気になったか」
唇の片はしに微かな笑みを浮かべて磯城は言った。黒のカーディガン姿が、いかにもくつろいだ感じだ。
翔はパーカーを脱ぎながら、すすめられたソファーに腰掛けた。身体が深々と沈んだ。
「どんな仕事なのか興味があったんで……」
マンションのワンフロアーがまるごとなのか、その広さに翔は目をみはった。いくつもの部屋に別れているようでもあった。ルポライターの仕事に、これだけの部屋が必要なのだろうか。素朴な疑問だった。
「当然、パソコンはいじれるよな」磯城が言った。
「一応のことは」
「そうか」
そう言うと、磯城は翔の目をじっと見すえた。
多分、自分のやる気をうかがっているのだ。詳細を説明したあとに、やっぱりできませんと翻されることを、磯城は危惧しているのだと翔は思った。
「週に二、三度、今夜ぐらいの時間から翌朝まで、ここに詰めてもらう。それで月に二十万ということでどうだ。それならいい小遣になるだろう」
「わかりました」
「契約成立だな。それじゃあ、こっちに来てくれ」
通されたのは二十畳ほどの、サーバーや周辺機器がかなり充実しているコンピュータ室だった。大きな不定形の白いテーブルにパソコンが十台、壁際には大画面のテレビが一台あった。
うながされて暗い廊下に出ると、五メートルほど先にスチール製の頑丈そうな扉があった。磯城に導かれるまま扉の内側にはいると、そこは天井に照明器具を施した撮影用のスタジオになっていた。コンクリートを打ち放した壁面には窓がない。どこにも窪みがない矩形の空間だった。
……これか! ……翔は、思わず息を呑んだ。
部屋の中央に置かれた巨大な円形ベッドで、二組の男と女が全裸でもつれあっていた。それを一人の男がハンディカメラで撮影している。その男も裸だった。
はやしたてるような奇声が飛びかっている。女たちが、激しく、あるいは艶かしく呻く。
「ま、そういうことだ」磯城は翔の肩を軽く叩いて言った。
「俺はなにをやるんですか」
「ビデオの編集や雑務だ。カメラを回してもらうこともある……」
それでいいのか、それなら楽勝だ。もっと危ないことを想定していた翔は、期待していた《蛇》はまあまあだなと、眼前の光景を見ながら思った。
「もう一つ見せておこう」磯城が腕時計を見て言った。
コンピュータ室にもどった磯城がパソコンの一台を立ち上げると、壁際に置かれたテレビに画面が現れ、一人の若い女が映った。そこは女の部屋なのだろうか、若い娘らしい可愛い縫いぐるみが置かれている。それにしてもベッドではなく六畳ほどの畳部屋だ。布団がひと組敷かれていて、女は布団の上に横になって本を読んでいる。
まあ見ていろと、磯城は煙草を吹かす。
やがて女は着衣のまま眠りにつく。しばらくして男が現れる。男は、ゆっくりと女の服を脱がしはじめる。女は人形でもあるかのように、じっと動かない。
ここで撮った裏ビデオの一本なのだろう、と翔は思う。
やがて女は豊かな素肌を晒す。男は女の全身を舐めまわす。男も服を脱ぐ。そして、女の上に覆いかぶさる老人の背。
翔は画面から目を離して磯城の顔を見つめた。
テレビの画面がスッと小さな音で消えた。
「笑えるよな。まるで〈眠れる美女〉だ……」
「これって……」
「そう。つまり、夜這いもどき。達者な老人たちが昔を懐かしんでるってやつさ。別の部屋で、リアルタイムでな」
秋祭りでの山車の光景が翔の頭に甦った。町内会の祭りと磯城の繋がりが理解できた。町内会の老人たちは磯城の顧客だったのだ。今夜、その一人がここで夜這いをしている。
磯城にとってルポライターはサイドワークにすぎないのだろう。多分、ビデオの配信は、国内にではなく外国に向けてなのだ。磯城のビジネスがはっきりと見えてきたように思えた。
女たちは、どうしてこんなにも屈託なく、明るいのだろう。
パソコンにつぎつぎとあらわれる海外のアダルトサイトの動画。女たちは、それなりに、美しい顔立ちとからだをしている。悲惨さはあまり感じられない。男と女の性器は、アスリートの肉体の一部、素早く走る脚や遠くに投げる腕のように、〈官能〉が希薄だ。まるで昼日中の街頭で交尾する犬のように、それは純粋な行為にも思える。犬と異なったのは、それが故意に人に見せるための演技であるということだった。男は腑のぬけた顔で射精し、女は嬉々として男を喰っている。汚穢な惨めさは微塵もない。そうなのだ。それが明るさの原因なのだ。男たちが主導権を奪われている。たとえその関係が現実では反転しているとしても、画面は女たちの世界になっているのだった。
磯城のオフィスから帰宅して、夜中の一時をすぎていた。翔はサイフォンのコーヒーをマグカップにそそいだ。ストレートのキリマンジャロがほろにがい。
相変わらず、家は翔だけだ。父は去年の春から海外の大学に赴任していたし、母はとっくに、父の赴任前から家にはいない。父も母も翔にとって問題はなかった。母が家を出てしまったのが問題といえば問題だった。ところが、父は母を追おうとはしなかった。数学者らしく、すべてに無頓着に、ごく自然に、子供ひとりを残して海外へ行ってしまった。父の頭は、いつだって数字の響宴なのだ。堆積した数字の内側にどっぷり浸かっている。それに、女がいたのもたしかだった。翔は、そんな父をとりたてて好きでもないが嫌いでもない。母は電話を時々してくるが、父といるよりも楽しく生きているようだから、それでいいのだろう。親に恨みも寂しさもない。。自分は自分の形であればいいと自由に生きる。
翔には、家庭の事情を言い訳や口実にする気が、まったくなかった。強がりがあったにせよ……自分の状況が悲惨などとは、まちがえても言えないのだから。
――町の長老たちの執拗な懐かしみは、夜這いもどきにとどまらなかった。なぜなら、長老たちは、子供たちのひきおこす昨今の事件に、ひどく危惧していたからだ。それはかつて行なわれ、いまでは忘れさられてしまったことへの恨事として、町としての習俗の復活を願うものだった。
子供たちに正しい教育を施す――今日を憂いた老人たちの、それが大義名分であり、かわされる意見は、彼らには都合がよい〈性〉に特化した教育へと落ち着く――寄合所で繰り返される酒盛りのうちでの結論として、または唆された結論として。
唆したのは、もちろん、風俗ライターの磯城である。裕福で健康な老人たちの好色をともなった教育ゲーム。それが、ビジネスとしての、磯城の企画だった。
磯城は以前、ある町を週刊誌の依頼で取材したことがあった。町の長老たちに昔を懐かしむ事柄について聴くというものだ。その中で、磯城の興味を惹いたのが、町の〈習俗〉にまつわる老人たちの話だった。
町の習俗について大きくみてみると、産育習俗、教育伝承、婚姻習俗、葬送習俗、信仰伝承とある。磯城の興味はそのうちの教育伝承に向けられ、その中には性教育もふくまれていた。風俗専門のライターとしては、当然の着目である。ところが磯城には、取材とは別の思惑があった。習俗がビジネスにならないものか、と考えたのだ。長老たちとしては、昔さながらに若い衆と称した若者組を組織し、子供の躾や修行の場ができることを期待した。
磯城の画策したビジネスは、思惑が一致した好奇心旺盛な地元の長老たちと、彼らが提供する資金とによって、それほどの時間と労力を必要せず始動したのだった。
……おやすみ
美樹にメールを送る。
美樹はもう寝ただろうか。それとも、自分と同じように退屈のあまり眠れずにいるのだろうか。
翔は二人のこのような退屈について考えることがある。自分も美樹も拗ねるような環境にはない。大きな不満の対象もない。なげやりや無気力などでもない。生活の自由度においては、特権的とさえ言えたのだ。
翔の場合、すでに中学生の時から、学校内での先輩後輩といった関係をいやがった。だから、学校のクラブには所属しなかった。そのかわり、町の道場で空手の稽古を行なってきた。そこでは先輩後輩といったものではなく、一般社会と同じ礼節でよかった。たとえ後輩であっても、年上であれば目上の人として対応したし、また自分もそうされた。
美樹の場合も似ている。同級生と群れることなく、いつも一人でいた。もっぱら読書を楽しみ、みずからも詩や短篇小説を書いていた。翔と同じように、つきあいが悪く生意気だと周囲に思われた。二人に通じていることは、どう思われようと、まったく意に介さなかったことだ。
漠然とした退屈感はどこから来るのか。胸底につねによどんでいる焦燥感として、それを知りたいから、そのとっかかりを探そうと翔は思ったのかもしれない。
……おやすみ
パソコンにメールが届いた。美樹からだった。
家族が不在の家は、二人が愛しあう好都合の場所だった。翌日、学校を終えた美樹が翔の家に来ていた。
「人って、かんたんに死んじゃうのよね」
「なんだい、突然」
「最近の殺人事件のこと」
「かんたんさ。人間なんて五分間息ができなければ死んじゃうもの。人間が生きていく長さで五分ってどれだけのものだか」
「一瞬の時間もいいとこよね……」
美樹は小さく微笑み、翔の唇にその小さな唇を重ねた。
「昨夜、磯城さんに会ってきた」
「林檎はあったの? それとも蛇かな?」
「アダルトビデオの仕事だった。商売としてはすでに世間に認知されてるし、目新しくはないな。ビデオがどこまでの内容かにもよるけどね。それと……」
夜這いの話になると、美樹はベッドの上で笑いころげた。
「でも、それって売春じゃない? おたがいが同意したゲームとしてなら許されるのかなあ」
「ゲームというなら、スワッピングというのもあるね。あれは罰せられていないようだし……」
翔は去年のアルバイトを思いだしていた。それは夏休みにはいってすぐのことだった。
近所の小さな印刷屋に短期アルバイト募集の貼紙があった。アルバイト料も比較的高く、新しい自転車もほしかったので、翔は夏休みいっぱい働ければと考えた。近所に住んでいることもあってか、印刷屋の社長は明日からにも来てほしいと言う。業績が好調なのだろう、野太い声と大柄なからだ全体で自信をみなぎらせていた。
仕事は印刷屋が発行元になっているスワッピング本の編集手伝いだった。素人から寄せられた写真や記事の整理と、たった一人の編集長兼デザイナーのアシスタントとして地方の出張にも同行するらしい。パソコンが普及した現在、町の小さな印刷屋の状況は厳しい。名刺やチラシなどちょっとしたものは素人が自分でつくってしまう。今時分、業績が好調でいられるこの会社は、このスワッピング本のおかげなのだろうと翔は思った。
「高校生には、目の毒だな」
社長は、それが自慢でもあるかのように、スワッピング本の表紙を掌で撫でながら翔をからかった。しかたなく、翔は照れくさい素振りをしてみせた。
翌日から一週間、会社に届く投稿写真の整理をした。郵便物の封を切るたびに、写りの悪い露骨な性交写真が出てきた。添えられた手紙には、夫婦交換のパーティ案内や、同じ趣味の仲間を募るものもあった。
本の発行が成り立つのは、スワッピング的なものが好きな人間と、実際にスワッピングを行なっている夫婦が、それだけ多く存在するということになる。風俗広告の掲載も多かった。実収入は、この広告料かもしれない――知ったようなことを考えながらの作業だった。翔は、薄汚れたような写真の連続に、うんざりしていたのだ。
そんなとき、編集長の佐竹が翔に言った。
「来週の土曜日、取材があるからよろしく」

参考資料:潮地悦三郎著『人生の習俗』(三弥井書店刊) 写真:Motoko Alexander(PHOTO ST)
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