吹っ切れたかな。きっと、そうだろう。 右手の拳に厭な痛みを感じていたが気分は清々していた。校正用の机の向こう側に唇の端にわずかな血を滲ませて男が立ち尽くしている。慮外な出来事に面喰らったのか、男の口は痴呆のように大きく開き、私を見る眼は宙を彷徨っていた。赤鉛筆を握り締めて呆然としている姿が何だか間抜けで滑稽だ。 訴えられるだろうか。かまうものか。それならそれで踏ん切りがつくというものだ。寧ろ感謝する。私は本気で怒ってはいなかったし、まして眼前の男にどんな恨みも辛みもなかった。この男はたまたま私の口実にされたのだ。ちょっとした憎まれ口を叩いただけで殴られるなんて、どう考えても間尺に合うはずがない。どうして殴り返してこないのか不思議に思う。 「このレイアウト古くない? 相田さん、もう歳なんじゃないの?」 たったこれだけのことに本気になれるはずがない。 男は軽い冗談のつもりだったのだろう。けれど三十歳そこそこの編集者にとって、五十を越したフリーデザイナーの雑誌レイアウトを古く感じたのも正直な事実だろう。しかたのないことだ。今では、若いデザイナーはすべてがパソコンによるデザインだったし、感性が勝負のデザインはより斬新で若いセンスが要求されている。まして彼等にとってパソコンは子供のころからの馴染みだ。どう考えても追いつけるはずがない。見よう見真似のパソコンでは形にするのが精一杯で、納得のいかないところで時間切れになってしまう。それからどたばたと慌てて納品に走る。それは毎度毎度のことだった。デザインの方法は完璧に様変わりしていたのだ。 「すまなかった」 私は心にもない一言を詫びて深々と頭を下げた。そして、デザイン校正を途中で投げることがプロとして失格であると知りつつ、私は六階の編集室を後にしたのだ。 失業率五パーセント。これで私も国の発表した数字に貢献できたかと、夕闇に覆われた出版社の十二階建てのビルを見上げて苦笑した。仕事はもう来るはずがないのだ。 「今夜は校正で帰らないから」 妻の返事はなかった――もうたくさんだった。 決別は徹底した崩壊によってのみ可能なのだと妄想のごとく憑依した結論。家を後にした昼過ぎ、すでに意を決していた私は道中その決行方法を模索した。編集者はその迷惑を被った犠牲者に過ぎなかった。私は身勝手に自己の思い切りの切っ掛けを作りたかったのだった。 新橋駅前の人混みの中にいた。機関車のモニュメントの前で、右手に茶の皮鞄をぶら下げ、左手をコートのポケットに忍ばせて何を思うわけでもなく眼を瞑り、漠然とした思いで待人達の中に紛れていた。寒風に流されて気の早いジングルベルが聞こえてくる。待人がやってきたのだろうか華やかな歓声があがる。あちこちで携帯電話のメロディーが流れている。終わったなと思う。否、終わらせたのだ。編集者一人を殴ったくらいで仕事がなくなるものではない。敢えて終えさせたのだ。崩壊の手段として放擲を選択した。それと伴に妻との決別をも決意したのだ。 眼をあけたら雪になっていた。舞い落ちる塵のような雪は、顔面に吹きつけて瞼を覆い、鋪道のところどころで小さな渦を巻いている。そういえば今日は赤穂浪士の討ち入りだった。それとも、討ち入られた日と言うべきなのか。どちらにしても、晴らしきれない恨みと理不尽な非運であるなと、自分とは関わりのない歴史は空々しく思う。眼前の風景はたちまちのうちに曖昧に霞んでいった。 こうしていてもしかたがない。雪と感傷を戯れていて何があるというのだ。今は、空きっ腹を満たし、冷えたからだを温め、私なりのけじめの時間を通過しよう。そしていよいよ憑依した妄想の意味する原因へと移り行く。ならばまず、酒を呑むしか手立てはない。私は雪が薄く積もりはじめた路面を踏み、酔うべく、白い闇の街に舵を向けた。 全ての決別は、まず姿を晦ますことだ。カフカの後ろ姿のごとく、「紛れる」ことだ。ようやく温まりはじめた脳が妄想を掻き立てる。それは今にはじまったことではない。心ここに在らずな日常が私の生活を空洞化し、空疎な洞穴を埋めるかのごとく妄想がいつしか破裂寸前の風船玉になっていた。頑是無い子供のようだと、自分でわかっている。だが、それでいいのだという気持ちもある。もはや、私には託つものは何もない。あらゆる誹りは甘んじよう。それこそが「思い切り」なのだから。 酒場の小さな窓から、降る雪が見えた。粉雪は一段と激しくなって街を白く埋めている。安酒が廻ったのか、これからの段取りの整理を試みたが、解放感だけが優先して思うようにいかない。何をするにもつき纏っていた後ろめたさが今は皆無であったのが、ますます酒の廻りをよくしたのだろう。なるようになるさと思うだけなのだ。店の雑然とした騒がしさも手持ち無沙汰なこの気分も今は心地いい。抛擲は全ての重力を紛失して私は酒場の空間に浮遊していた。自己の都合のみが先行する快感。軟弱な記憶が走馬灯のように脈略もなく脳裡を巡りはじめていた――。 高等学校最後の夏。 無計画の計画と称した東北旅行の三日目、私達二人は仙台に着いていた。街はジンクス通りに雨の七夕だった。夕方四時近くにユースホステルに辿り着いたのだが、予約してあったにも関わらず、ホテルは満室だという理由と職員の手違いで私達は粗末な急拵えの部屋を割り振られていた。正規の部屋は同じような旅行をしていた一人の女子高生に優先し、いっぱしフェミニストぶった私達は抗議もせず、季節のわりには寒々とした集会所だか会議室だかの訳のわからないプレハブに甘んじたのだった。だからといってその女の子に一言の礼を言われたのでもなく、二十歳前後の女職員にいたっては当然のような物言いで私達をあしらったのだった。 「しかたないさ。そんなに不貞腐れるなよ」 床板に直に敷かれた蒲団の上でリュックの荷を整理していた和久井が宥めるように言った。 「まあな。どうせここは一泊だしな」 「寝れるだけでいいのさ。これも思い出の一つになるじゃないか。明日の朝一番で出てしまえばいいんだ」 「そうだな。ここには何もないし……」 和久井も私も、雨が降る夜の街に繰り出す気などなかった。駅に降り立ち商店街を通り抜ける際に見た七彩の吹き流しや人形仕掛けなどの七夕飾りで十分だと思えたのだ。雨に濡れた大袈裟な飾りは重々しくげんなりと店々の軒にぶら下がっていた。薄着が寒かったし慣れない無目的の旅は無駄が多く疲れてもいた。それに、私達はまだ祭に興味を持てるほどの歳ではなかった。それは私だけの気持ちだったのかも知れない。和久井はどうであったのか。常にリーダシップ的な行動をとっている和久井が誘えば、或いは夜の七夕に出かけた可能性もあった。けれども、その和久井は夕食が済んだあとも出かける気配を示さなかった。私はそんな和久井に何の蟠りもなく従っただけのことだ。この旅は和久井の提案で実行されていたのだった。 和久井との出逢は小学三年生のときだった。当時、引っ越しの連続であった私は、両親の怠慢により、かなりの期間を無駄にして小学校に中途編入していた。学業の遅れが著しく、クラスでの私の待遇は劣等生そのものだった。教師は黒板の解けない問題を私に命じ延々と取るに足りない自慢話で授業時間の大半を潰した。私は黒板を見上げながら右往左往するしかなく、頭のなかが白く霞んでいくのを何度も感じた覚えがある。生徒間による酷い苛めなどまだなかった時代のことだ。 或日から、和久井が私の補習を見てくれるようになった。見かねた和久井の自主的な行動なのか教師による示唆であったのかはわからない。いずれにしても、和久井は優等生であったということだ。放課後の補習は一ヶ月間、毎日続いた。和久井はその間、厭な顔一つするでなく、飲み込みの悪い私の面倒を見続けた。その成果は瞬く間に現れた。何故なら、私は掛け算が出来なかっただけなのだから。しかし、その負い目が幼い気持ちを萎縮し、全ての遅れの原因にしていたのだろう。まして人見知りになっていた私には覇気がなかった。席の背後から無意味に頭をこずかれているひ弱な小学生であったのだ。 以来、中学生の終わりまで、和久井とはクラスを異にしたり共にしたりして過ぎていった。中学三年生で再び同級になったときには、二人は成績を争うようにまでなっていた。しかし、和久井を抜くことは一度としてなかった。和久井とのつきあいはそれからが本当であったと思う。和久井は私が劣等生であったことを忘れていたし、少なくとも見下すような行為は全くなかった。親友としての形態は成立していたのだ。 その後、和久井は四年制の工業専門学校へと進学した。私は受験間際の引っ越しによって都立の工業専門学校を受験できなくなり、急遽、自ら県立の工業高校を探しあて、辛うじて入学した。住民票一つの案配で何とかなったのだろうにと、親と、何の面倒も見てくれなかった担任教師を恨めしく思ったものだった。学校が違ってしまい住居も離れたせいで、二人のつきあいはいつか間遠くなっていったが、それでも音信は途絶えることがなかった。そんな或日、和久井から電話が掛かってきた。それが一緒に東北旅行に行こうという誘いだった。高校三学年の夏休み間近のことだった。 「明日から三日間、自由行動にしよう」 「牡鹿半島に行くんじゃなかったか?」 蒲団に寝そべって漫画を見ていた私は唐突な和久井の提案に一瞬途惑った。和久井の言葉が断定的に思えたのだ。すでに決めてしまっている。 「相田は行ってこいよ。俺は仙台の街を歩いてみたい」 「それなら俺もつきあうけど?」 「いや、俺一人で歩いてみたいんだ。そういうのもいいだろう? お前だって俺と一緒より一人のほうが何かあるかもしれないぜ」 和久井の言葉に刺や皮肉があったのではない。これはお互い様で、旅には出逢いがつきものなのだ。漠然とした期待感を抱いていたのは二人同じだったはずだ。 「いいよ。それで待ち合わせはどうする」 「青森にしよう」 「いきなり青森かよ。盛岡あたりでいいんじゃないか」 「それでは中途半端だ。青森でお互いの成果を報告しあおうよ。ゲーム性があっていいじゃないか。このままではただの観光旅行になりそうだからな」 一人旅に多少の不安があったが、和久井の言うことはもっともだと素直に感じた。すでにここまでの観光には飽きがきていたし、やたら記念写真を撮るばかりの刺激の希薄な旅になっていた。まして、私にとっては、和久井にリードされている旅は正直、不満があった。和久井はそのことも察していたに違いない。行き当たりばったりで、ユースホステルの予約はここだけであったから、二人の別行動に差し障ることは何もなかったのだ。 雪は予想通り止む気配がない。酒場から見える通行人が雪に脛まで浸かっている。これではいずれ電車は不通になるだろう。が、帰る気など毛頭ない私にとってはどうでもいいことだった。この店が何時まで開いているのか定かでないが、その後のことはその時に考えればいいことなのだ。巡る思いを停止する理由は今どこにもなかった――。 翌日の早朝、私達はホテルの前で青森での再会を約束し、それぞれの方向に別れた。雨は昨夜のうちに晴れていて、ひんやりとした空気が気持ちよかった。別れ際に、うまくやろうぜと屈託なく笑っていた和久井の顔が、暫く私の脳裡に留まって消えようとしなかった。心細い感傷だろうかと、いかに私が和久井にリードされるままであったかが、今さらながらに悔しく、それと伴に恥ずかしい思いがこみあげた。 ところが、仙台駅に来てみると、このまま牡鹿半島に向ってしまうのは何か癪に触る気が俄に涌いてきた。半島行きまでが和久井に仕組まれているような気になった。自由行動てあるならば、私も勝手に仙台の街を廻ってみようと思いはじめていたのだ。幸いまだ切符は買っていない。俺は俺で太宰治の惜別の街を歩いてみよう。半島はそれから行けばいい。今思うと、それはきっと和久井への幼稚な反発といじましい競争心だったと思う。他に含むものは何もなかった。 ガイドブックを頼りに街を巡りはじめた。なるほど、和久井の提案は正しかった。一人で歩いてみてやっと旅の楽しさを味わえたような気がする。旅とは物理的な空間を認識し、視線の位置を快感に導くものだと、景観の高さに酔った。仙台の街は〈森の都〉なのだった。 仙台城跡に差し掛かって私はふいに足を止めた。通りの反対側のビルの二階に和久井の姿を見つけたのだ。そこは喫茶店だった。和久井は女と一緒だった。女は、ユースホステルで私達が部屋を譲った女だった――。 不意の雪に足留めされたのであろうか、いつの間にか店は客で溢れていた。賑やかな話し声が渦を巻いている。そのなかで、全てを捨てたというのに、遥か三十年以上も昔の出来事を、私は酒の力を借りて懐想に耽っている。もう沢山だ。もういいのだ。鹹苦の酒が胃に落ちていった。 それでも、眼前の白色の街は、七彩のイルミネーションにいつまでも輝きつづけていた。
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