魔女には男も含まれている。ただし女が多かったのでそう呼ばれていた。 《キキは若干十四歳にして魔女だった。否、魔女にされたと言ったほうが正しい。キキは、芸能界にスカウトされれば、確実にスーパーアイドルとして人気を博すであろうほどの美少女であったから、キキの通う学校の男性教師たちは、教頭も校長までも、透きさえあればキキと交渉を持とうと注意深く慎重に策を講じていた。更に女性教師達までもがキキに秋波を発信した。誤解してはいけない。キキは清く誠実で真面目な少女である。透きなど無い。他の多くの生徒達のように、勝手に席を立って授業中に戸外に出てしまうような、そんなはしたない真似はけしてしなかった。どんなにつまらなくてくだらない授業でも、終業のチャイムが鳴り終えるまで席を立とうとはしなかった。 或日、それは唐突に始まった。 「キキは魔女よ」 生徒の一人が教室の隅で囁いた。そしてその囁きはたった一刻にして校内中に電光石火流布した。キキが魔女になった日である。千載一遇。教師達はこの稀にみる幸運を逃しはしなかった。その日から、キキは授業が終えるたびに教師に小さな畳部屋に呼びつけられて詰問された。或時は次の授業を潰されてまでも執拗に、意味も無い持って廻った言葉でキキのあらゆる事について審問された。キキはほとんど授業を授けられず、学校生活はひたすら教師たちに狭い部屋に閉じ込められて終始した。詰問されるためにのみ学校に通った。そしてキキの魔女裁判はキキが卒業するまで続いたのである。 キキは強く毅然とした娘であった。教師の詰問中にもきちっと正座し顎を引いて真正面に相手を見据えた。一度も涙を見せることがなかった。意味の無い質問にも真顔で答えた。だからもう察したであろう。男性教師のみならず詰問に当たった女性教師、つまり狂ったのはキキではなく、全ての教師達のほうであった。キキの見事な魅力が全ての教師を虜にしたのだ。キキの去った後にも狂おしい思慕が教師達に続き、眠れぬ夜が重なった。食欲も失せ、性欲すら廃頽した。男も女も痩せ衰え、そして悦楽の渦中に呑み込まれて誰もが死んで行った。が、キキに毅然たる態度で臨むように忠告したのも男性教師の一人であった事実を認めておかなければならないだろう――》 「菊さんや……」 掌凸はハンモックの上に寝転がっていた。早朝の陽がインキ臭い部屋に射し込み、微小な塵が光の中に舞っている。 「先生……。よくお休みになれましたか」 菊さんが姉様被りで部屋の掃除をしていた。白い割烹着が陽に当たって眩しい。 「菊さんの名前は、本当はキキさんではなかろうか」 「何故そんなことを……私は菊ですよ。本当に菊ですよ」 掌凸は静かに眼を閉じる。瞼の裏に菊さんの少女時代の姿が鮮やかに浮かんだ。それは紛うことなく、キキだった。 「学問は捗りましたか」 「魔女ってチャーミングだね」 そう言って、掌凸は大きく背伸びすると、ひょいとハンモックを飛び降り、積み重ねた書物の上に着地した。 「御見事、御立派」 ハタキを小脇に挟んだ菊さんが拍手。掌凸は恭しく最敬礼。 「……間違いない」 掌凸は菊さんの顔を見て、独り言のように呟やくのだった。 そもそも魔術とは先史以来、知識階級から発生した秘法である。witch=魔女と言う語は何故に女なのか。冒頭に認めたように魔女は男でもあるのだ。それでは何故、女となったのか。掌凸の答は簡単だ。「女は優れて魅力的である」。怖いのだ。男も、あらゆる階級も、そして組織や為政者も、概念に翻弄されない超自然な女の能力が脅威となって、夜も安泰に睡眠出来ないのだ。別の意味でも、男は女を想うと眠れなくなる。不眠症は妄想を育む。つまり、神学者が精魂傾けて煮詰めた悪魔学は所詮、晦ましの妄想学に過ぎないと言える。そして、真弐掌凸が最も怒り心頭にくるのは、私刑拷問が個人の残虐な快楽によるものであり、それを見抜いて異端審問官に為すが侭にさせた為政者の責任転嫁である。魔女狩りは為政者達の卑小な策謀の具現化に過ぎない。更に、悲しき哉、「魔女は生かしおくべからず」旧約聖書出エジプト記二十二章十八節があった。ヨーロッパ全土九百万人が火柱に無念の炎で消えて行ったのだ。 だから、掌凸の日々追及して止まない学問は悪魔学ではない。本来の研究は、その悪魔学等による人間の無知蒙昧によって引き起こされた数々の過ちの探究であり、それは、人間の一員としての反省と、犠牲者への鎮魂と、そして為政者達への復讐でもあったのだ。真弐掌凸はリベンジャーなのである。そして格闘家でもあったわけだ。事実、掌凸は徒手空拳の技、空手の達人である。ハンモックからのジャンプなど、三角蹴りに比ぶればいと容易きことよ。今日も今日とて、掌凸は短い脚で天を蹴り、小さな拳で人中を突く。 「ウォリャア!」 雀が三羽、その内一羽が電線から墜つ。 「先生……。程々になさいまし。また先日のように肉離れでもなされたら困りものですよ」 「あい済まん」 「随分と素直でございますこと」 言いながら、菊さんは真っ白で清潔なタオルを掌凸に手渡した。掌凸は「感謝」と言いつつ、菊さんのふくよかな手を握って、「握手、握手」と十回くらい揺すってあげた。 「はい、はい」 菊さんも掌凸に合わせた。いい人だ。
「ところで先生……」 今しも落ち掛けようとする太陽が遠い空に浮く鰯雲に茜を射しはじめたころ、菊さんがぽつりと言った。森の霜葉が更に燃えるような深紅に色ついている。菊さんは書籍の山にほんの少しの空きを見つけ、端正に座して何やら繕いものをしていた。そして本の谷間から覗くように掌凸に声を掛けたのだった。 「何でしょう。菊さん」 掌凸は窓の下の書斎机に向かった侭で答えた。机には街の中古屋で百円で購入したノートパソコンが載っている。 「今朝のことですが……」 「はいはい、それですね」 流石、察しのいい掌凸は、菊さんの言おうしていることが解ってか、先回りして答える。 「可愛い女の子の夢を見たのです」 「まあ、まあ。それはよかったこと」 菊さんの真顔を見て、掌凸は戸外の紅葉のように赤く頬を染めた。爺のくせしてなかなか可愛い。 「キキさんというお名前なんですね。その娘さん」 掌凸は夢の内容を細かに菊さんに話してあげた。菊さんは繕いの手を休めず、しかし熱心に掌凸の夢の話を聴いた。そして言った。 「キキさんは、それでよかったのでしょうか」 「解りません。少なくとも、理不尽な苛めに毅然と耐えて生き延びたこと、自分の大切な命を死ぬほどの思いで保守したのは事実です。命には、守りたくても守り切れない時代、不慮の事故や事件、そして病で無念の思いを残して失う場合があるのです。それを思いますに、歯を食いしばってでも自ら死んではなりません。悔しいけれども耐えなければならないのです」 掌凸は一息つくと再び本の谷間の菊さんをちらりと見た。菊さんの美しい頬に一筋の涙が流れていた。 「歴史は残酷です。一握りの権力者や為政者のせいで、今までにどれだけの人々が悔しい思いをしたことでしょう。怨念の霊が無いなんて嘘です。そんなことを言う科学者は阿呆です。見えないものは信じないと言うのなら、形に見えない心根は存在しないことになります。それはつまり、人間そのものの否定です。愛だって見えない形ではないですか……」 そう言って、掌凸は再び顔を赤らめた。それを見て、菊さんもほんのり紅に頬染めた。
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