ところどころ黒く窪んだ果実が、座席の隅に転がっていた。腐り始めた洋梨だった。それとは知れぬほどに微かな甘い香りが、座席の隅に漂っている。汽車は、煤を放ちながら重く走っていた。
周囲を大きな木々に囲まれたそこは、深い森の中から突然抜け出したような開けた空間だった。地面は幾つもの小さな起伏のまま無造作に固くかたまり、時折繰り返す蝉の鳴き声は夏の終わりが近づいていることを告げていた。 僕はその真ん中に立ち、幼い掌に熟れた果実を一つ持っていた。広場の奥隅に小さく見える民家が申し訳程度のよろず屋を開いていたから、僕は汗た掌に握った五円硬貨でそれを買った。 「兄ちゃんね、会いたい会いたいって、ずっと待ってたんだよ」 そう言ったのは、男だったか女だったか。 「だからね、あんたの顔を見せてあげるまでね、目を伏せてあげなかったんだよ」 若い母はさめざめと泣いていた。祖母も傍らで小さく座っていた。僕は、布団の中に横たわって大きく見開いているぎょろ目を、きちんと正座をして見ていた。動かない眼球が不思議で面白かった。 掌の上にかざした果実は、まるで大きな尻をした猫が姿勢よく座っているような安定感で、ふっくらとした黄褐色の肌を見せていた。高く陽に照らすと、透けて骨が見えると思えるほど、その肌はガラスのように透明感を増した。 なだらかなカーブを人さし指でなぞる。指は窪みに落ちて、外側へと流れる。再び内側へ落ちて果実の底に達する。外観に比べ、果実は確かな豊満さで僕の掌の上にあった。
「あの人、死んじゃったの? おばあちゃん」 「そうだよ」 「ふうん、腐っちゃうんだ」 汽車は、煤を放ち、夏のけだるい陽の中をどこまでも重く走る。 「間に合わなかったね…」 母は誰に言うでもなく、つぶやく。虚ろな視線に車窓の風景が流れていく。鉄橋にさしかかり、僕は窓から身を乗り出して風に髪を乱す。 「この子は、まったく」祖母は慌てて僕を引き寄せる。 母は、僕の額の汗を白いハンカチで拭うと、乱れた髪を何度も何度もなでつけた。
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