マニエリストQのストゥディオーロ其の一背負う鍵マニエリストQ●感想などいただければ幸いです。


「パルミジアニーノくん」
 午後の柔らかな陽が天窓から差し込むアトリエに、低くかすれた声が静かに響いた。
 三月も終わろうとしているのに、煉瓦に蔽われ、ところどころ朽ちかけ始めたアトリエの内部には、ひんやりとした塩気のある空気が漂っていた。長方形の小さな窓には、深い緑の海が地平線を湾曲して臨んでいる。眼下はそのまま、鋭く削られた崖だった。
「君、それ何とかならんものかね」微かに笑む老マスターの顔は、白く豊かな髭で包まれていた。
「はあ…」背中を指差されたパルミジアニーノは、気の無い声を漏らす。思い通りのスカーレットレーキが出ないでいた。朝から、もうかなりの量の油と顔料が、パルミジアニーノのパレットの上で混合されては消えていったはずだ。
「どんな格好をしていても構わんが。しかし、いかにも煩わしい」「これ、僕の鍵なんです…」真っ赤な顔料をナイフでこねくり回しながら、パルミジアニーノはか細い声でつぶやいた。ふっくらとしたしなやかな白い指は、顔料で真っ赤に染まっている。
「鍵か」マスターは豊かな髭をゆっくりとしごきながらつぶやいた。
 友人は、そこまで話すと、深く呑み込んだクレーパイプの煙りをゆっくりと自分の顔の周囲にくゆらせた。
「背中にしょってる鍵って何だい!」僕はじれた。
「鍵は、鍵さ。部屋に入るためのキーだよ」
「背中にしょるほど馬鹿でかい鍵かあ!」
「キーはドアの鍵穴だけにあるのものじゃないというこを、おまえに知ってほしかった。俺は見たんだ」
 暗闇に浮かぶ建物の上部から、たった一つ、灯されたままの灯りが漏れていた。それは小さな明り窓だった。それ以外、建物から漏れる灯りは一切、無い。
「パルミジアニーノがその明り窓から入っていくのを見たんだよ」
「そうか! パルミジアニーノって奴は梯子を背中にしょってたんだ。そして、上がり切ったら梯子も部屋に上げてしまう。まさしく鍵だ」
 しかし、パルミジアニーノは…どうして。
「おっと、約束があった。続きはまたの機会。これ、本当の話だぜ」

 その夜、僕は凸面鏡の中で梯子を背負って呻いている夢を見た。