玄関のチャイムが何度も鳴ったので夫と私はベッドから降りた。寝室に掛かった黒縁取りの円形時計を見たら夜中の二時だった。こんな夜中にいったい誰だろうかと玄関灯のスイッチを入れながらどなたですかと言ってみた。背後に不服そうな顔をして夫が立っている。 「松田です、松田です……」お隣のご主人だった。 「どうなされたのですか」夫が肩ごしに言った。 「き、きてください……」 私たちはパジャマ姿をいささか気にしながら松田さんの後に着いて行った。家に上がってリビングに入った途端、裏庭の光景が目に飛びこんできた。庭のほぼ中央に植えられた百日紅が深紅の花をたわわせ月明りに浮いている。 「家内が……」頸を絞められた絶命寸前の鶏のような声で松田さんが言った。 百日紅に松田さんの奥さんがぶら下がっていたのだ。 寝巻きがはだけて胸の谷間が露だ。意外と豊満な胸。裾が乱れて太腿まで覗いている。厭だな……こんなの見せないで。恨めしい。 「どうすればいいんでしょう……」 「そう言われましても」夫が眠そうな声で鼻の頭を掻いている。 「降ろしてあげたほうがいいのでしょうか……」 「いや、それはまずいでしょう」 「どうしてなんですか!」素頓狂な松田さん。 「よくご覧なさい。お辛いでしょうが……」 松田さんは頸だけ伸ばして百日紅を五秒ほど見つめ、 「さあ? なにが?」と、怪訝な表情で夫に言った。 「おかしいですよ。奥さんの足が地面に届いています。ほら、膝が少しばかり曲がってるじゃないですか」 風が吹いたのか、奥さんの長い髪がゆらっと揺れた。 「自殺ではなく、他殺かも知れない。下手に動かしてはまずいと思いますよ」 なるほど。夫の説明で厭だけれど私も裏庭の出来事をこまかに観察した。 当初は夜目に百日紅の深紅と相まって妖しい一服の絵のように思えた。時間が経つにつれ、よくよく見えて、なんだか醜悪でみっともない。お隣さんだからって事情なんか知る由もないし、ぶら下がっていることだけしか解らない。奥さん、なかなか美人だった。歳のわりにスタイルもよかった。でも……。粗相したのか綺麗な太腿が汚れてる。気がふれたみたいに口が歪んで涎が出てる。 「まず警察でしょうね」結局あたりまえのことを言う夫。 生臭い。夏の夜に奥さんはもう腐り始めたのかしらん。ああ、厭だ。
で、私は首吊りを急遽中止してオフェリア方式に変更した。 今、私は阿寒湖の底で毬藻と一緒に沈んでいる。
読者からいただいた感想(勝手に掲示板からの引用)
「毬藻になりましょ」感想/越冬こあらさん
読者は二回読む(読まされる?) じっくりと読み返すことがないにしても、読後、反芻せざるを得ない。最終パラグラフによって、それまで狂言回し的存在に収まっていた主人公が、文字通りの主役に躍り出てしまうからだ。 湖底に毬藻と遊ぶ死体の映像が、裏庭の百日紅にぶら下がった死体を押し退けて、強烈な残像となる。そこで読者は、新たに定義された視点(自殺者としての視点)からの再読(と検証?)を余儀なくされる。しかし、伏線は皆無だ。「タイトルに書いてあるじゃないの」とうそぶく作者が見え隠れする。
ふたつの死 さて、夜中の二時に裏庭の百日紅がリビングから見えるということは、それなりの照明が施してあり、松田さんの世間知らずぶりから推し量っても、松田家はかなり裕福である事が窺われる。つまり、事件は高級住宅街で起きており、主人公夫婦もそれなりの生活を送っていると推察される。 従って、松田夫人の自殺の原因も生活苦ではないはずだ。では「松田夫人及び主人公を自殺に向かわせた原因」は何かと思い巡らせたところで、読者はまたも驚愕する。この作品には【死しか描かれていない】ことを思い知らされるからだ。『動機』も『アリバイ』も『手口』も『下手人』もない。風景としての『死』があり(それは、自殺か他殺かも曖昧で……)それを見つめる三人の大人がいる、そんな午前二時なのだ。 死は、果てであり、多くの場合突然であり、儚くあり、そこに様々な感慨やドラマを伴い、生み出す。そのようなドロドロした物語の種を内在させているのだが、そして、だからこそ死を風景として見つめる。そんな『百日紅』と『毬藻』……二枚の絵。
Conclusion或いは蛇足 「……結論はこうです。松田夫人殺害の犯人は百日紅。嫉妬に狂った百日紅が松田夫人を扼殺したのです。犯行時刻は午前零時。犯行から二時間、松田夫人の遺体を空中に維持し続けた百日紅は、過度の疲労の為、遺体を支えきれなくなり、故に発見当時松田夫人の足は地に付いていたのです。そして、続く阿寒湖の嘱託殺人の主犯は毬藻だったのです。時間と空間を共有していないふたつの事件は……」 |