慶子の乳首を貪っている自分に気づいた。意識が戻るほどに慶子のからだの質量を感じて、ますます執拗に乳首を吸った。慶子が無言のまま必死に拒んでいるのがわかった。キスをしようと毛布から顔を出し、慶子の頬を両の掌で挟んだら、傍らで俯せて寝ている若い女の横顔が覚束ない目に入った。ほつれた髪が耳元から流れて頬にかかり、黒髪が色白の頬をさらに際立たせている。すでに朝が明けたのか、薄い陽がカーテンを透かして忍びこんでいた。 俺はきっと酔い潰れたのだ。だがどういう経過でここにいるのか、記憶がすっかり飛んでいる。まだ酔っているのだろう。抱いているのは慶子に違いないし、この家にほかの女がいるわけがない。 厭がる慶子を無視して強引に迫っていた。途中、再び傍らに目をやると、女がやはり寝ていた。軽い寝息が慶子の押し殺した呻きの合間に聞こえてくる。どこかで見覚えのある顔だった。慶子を一回り小粒にしたような堅い面立ちだ。すぐに気づいた。それは初めてあったときの慶子の面影だった。私は思わず女の頬に手をあてていた。肉感の薄い冷え冷えとした肌に、慶子とは違うからだを感じた。その瞬間、私は果てていた。 慶子のからだからようやく離れると、横たわったまま私は熱い息を一息、天井に向って吐いた。すると、いきなり頬を叩かれた。蒲団の上に半身を起こした慶子が、はだけた胸を毛布で被って、無言で私を睨んでいる。その向こうで、何事もなかったかのように、女が気持ちよさそうにいつまでも眠っていた。
久し振りの酒に浮かれた。真夜中の三時を過ぎたというのに、呑み会の勢いは一向に納まる様子がなく、総勢十人の酩酊者たちは飽きることなく大量の酒を胃袋に流しこんでいた。誰も普段はこんな呑み方はしないのだろうが、今夜に限って、彼等は箍をはずしていた。大学を卒業して十年、音頭をとった奇特な奴がいて、懐かしがった十人の閑人が、土曜日の午後、ここ新宿にある呑み屋に集まったのだ。その一人に私がいた。卒業したての中学や高校のクラス会ならまだしも、大学を卒業して十年、よほど巧くいっているかその反対か、そんな人間しかクラス会などという気恥ずかしいものに顔など出さない。私にしてからが、回復しはじめた仕事のわりに、それまでの辛苦が後遺症になったのか、半ば鬱状態が続いて晴れない気分のままだった。酔いはじめのうちに取り交わした会話では仲間もほぼ似たような状況で、今回の音頭とりの人間だけが辛うじて真っ当らしく、しきりに会を盛り立てていた。けれどもそいつでさえ、傍から見れば少々はしゃぎ過ぎていて、躁状態なのではと思えた。つまり、壊れている人間だけが、のこのこと集まったのが、今回の呑み会だったのだ。 終電が終えてしまえばそれが合図で、全員がもう呑み明かすしかないという呑み助根性になっていた。新宿の呑み屋を転々と梯子して回った。落ち着きがないのも壊れた証拠だった。救われていたのは、欲求不満が陰に籠らず、誰もが陽気な酒であることだった。 私たちは、簡単な間仕切りのある座敷きで、思い思いの格好でへべれけになって呑んでいた。四時近くになって、突然立ち上がった一人が、饗宴だ、饗宴だ、と喚いた。 「なんだい饗宴って。ただの宴会だろうが」誰かがからかった。 「だからきみたちは駄目なんだ。シュンポシオンを知らんのか」 「プラトンだろう」誰かが答えた。 「その通り。今夜はプラトンの饗宴なのさ」 「お前が得意げに言ったからって何なんだ」私も混ぜ返す。 「俺は今夜、悟ったのだ。俺たちの不満についてさ。プラトンは饗宴で何を語ったか。ソクラテスに何を語らせたか」 Aは、こいつを便宜上Aとしておくが、Aはいささか興奮気味にほとんど目を潤ませて語る。 「それはエロスだ。つまり普遍の愛のことなのだ」 「フヘンの愛って、そりゃあいったい何者だい?」 「お前たちのなかで、いま恋をしている人間は絶対的に皆無だ。俺は自信をもってそれをここに断言する」 「テキにって、カイムって、なんで酔っぱらいが修辞的演説せにゃならんの。それにお前が偉そうに断言したからって、人間であるところの、一個人としての、日常に埋没する平々凡々な俺に、いったいどんな事象の変化をもたらすと言うの?」 ほとんど舌をもつらせてBが反論した。その間も空になったお銚子が何本も卓の上に転がっていく。 「つまりな、俺たちは大学を卒業して十年、それなりにつつがなく生きてきた。世の中の苦労はみな同じようなもんだ。切ないのはお前も俺も一緒。みいんな痛い時代なんだ。仕事があるだけ儲けもんと思え。ところがな、人間という生き物は、それだけじゃ駄目なんだ。わかっていても駄目なんだ」 「だから何が駄目だって言うんだよ」 Dが急き立てるように言った。Cはひたすら呑んでいる。 「わからんのか。いま俺たちに必要なのは、恋。つまり恋愛なのだ。たしかに俺たちは結婚してるのもいるし同棲中というのもいる。しかし、それはすでに恋愛ではない。心踊るわくわくするような恋ではない。この悶々とした日常の欲求不満を乗り切るために、我々はいま、恋をしろお!」 「なんだい。お前のはちっとも哲学してないじゃない。プラトンなんて持ち出すから何事かと思えば、結局ただの不倫の勧めじゃないか。恋をすりゃあ世の中が改善されるんなら、さかりのついた餓鬼ども政治家にすりゃあ万々歳だ。ソフィストケーションもへったくれもねえもんだ」 そう吐き捨ててEはコップの酒を一気に呷った。 「しかし、そうとも一概に言えんよなあ」 Hが訳知り顔で呟いた。FとGは抱き合って少年愛について語り合っている。世界は二人だけのものだった。 「世の中ここまで複雑になると、理屈や理論がかえって邪魔になっているのかも知れない。一つの答えってのはそれこそ絶対的に出た試しはないんだからなあ。哲学にしたって経済学にしたって、これだけ進歩したというのに、結局一つの答えに絞られないでいる。俺たちは生まれ落ちた状況のなかで当然のごとく生きているに過ぎない。ま、組み込まれているってことだね。番号までついてるし。じゃあせめて自分自身のオリジナリティが欲しい。それはひょっとしたら、恋愛をするってことかも知れないなあ。仕事が巧くいっても、どこか何かが欠けているし、不満みたいのがいつでも燻っているんだから」 そう言って、Hは私のグラスにビールを注いだ。溢れたビールが卓に流れて畳にこぼれていく。 プラトンだの饗宴だのと、私には縁のない哲学の話は面白くも可笑しくもなかった。誰かが言っていた、世の中の発明には二種類あって、一つは役に立つ発明、もう一つは役に立たない発明。その役に立たない発明が哲学だくらいにしか思っていなかった。学生時代にしかたなく読んだアリストテレスの形而上学も冒頭の一語を読んで諦めた。人間には生まれついて知る欲求がある。そうかも知れない。だからこそ人間は文明や文化を培ってきたのだろう。多分、役に立つものだけを追ってきたのならば、人間は遠に滅びていたに違いない。欲求というものが満たされなければ、それは人間として成立しないのだし、成り立たない人間に文化も文明も鼻からあり得る道理がない。 Aが言いたかったのは、きっとこうだ。 俺たちはみんな役に立ってきた。役に立とうと生きてきた。家族のため、人のため、世の中のため、理由は人それぞれだ。しかし、何故か不満感がつきまとう。それはきっと、無益という本来もっている人間の欲求を、抑えるか、我慢するかで生きてきた皺寄せではなかろうか。エロスが第二番目に生まれた神であり、そうではないという見解もあるにはあるが、とにかくだ、エロスが欲望の原点であるとするならば、いまだからこそエロスに再び俺たちは目覚めなければならない。欲望の原点として、恋を取り戻さねばならない。組み込まれた番号制を攪乱するためにも、理屈の通用しない恋をしなければならない。恋だけが人間のオリジナリティなのだ、と。 「恋愛至上主義」 Jが、なくなりそうに目を細めて、にこにこと言った。 ひよっとして。 「お前、恋愛中か」Aが叫んだ。 「Jに乾杯! 我らがプラトンの恋に!」 そして、Aはそのまま倒れて寝てしまった。 「やれやれ、今度は与謝野晶子かい」 誰かがぽつりと呟くのを、私は酔いと睡魔で虚ろになっていく意識の中で聞いた。その後、私の記憶は行方不明となって、きれいさっぱり消えていた。
トーストの香ばしい匂いがキッチンに漂っていた。食卓を挟んで目の前に澄ました顔で紅茶を飲んでいる慶子の雛形が座っていた。隣では慶子がこれまた乙に気取ってトーストにバターを塗っている。初夏の風がレースのカーテンを波立たせ、時々私の背に触れた。私は乱れた髪を所在なく掻き揚げると煙草の煙を天井に向って吹いた。砂糖を入れてくれない珈琲が苦い。 「この人、どなた?」 私はとぼけて誰にともなく訊いた。ふん、という鼻を鳴らす音を横に聞いたような気がする。 「お兄さんたち結婚しないんですか?」いきなりきた。 「お世話様」 喉が昨日から吸い続けの煙草でいがらっぽい。脂の付着した目を向けると壁の時計は昼を過ぎていた。 「あそこまで酔うことあるかしら」 慶子がいやらしく言った。それにしても、バター塗り過ぎじゃない。肥えるよ。 「しばらくお世話になりますのでよろしくお願いします」 女は立ち上がって丁寧に頭を下げたが、俯いた顔には人を小馬鹿にしたような微かな笑みが窺えた。額に落ちた女の髪にふいに今朝のことを思い出して私は少しばかり戸惑った。 「末の妹の優子ですのよ。まだ十九のいたって子供ですので、私からも一つよろしくお願いいたしますわね」 わざとらしい慶子の物言いが意味深長に聞こえた。あの瞬間、私が優子の頬に触れたことを慶子は知らないはずだ。優子のほうは気づいていたのだろうか。だとすれば、随分ととぼけた小娘だ。が、そんなはずはないだろう、ほんの少し触れたか触れなかったのことなのだから、と自分に言い聞かせた。それにしても、眠いし疲れた。 あいつらは皆どうしたろう。ほとんど気絶状態の奴もいた。しかし、心配するような奴らでもないだろうと、すぐにその危惧は消えてしまった。ところが、後半の哲学ぶった話を思い出したら頭痛がしてきた。何がプラトンの恋だ。恋なんかで不満が解消するならば、この世は恋だらけだ。けれども、よくよく考えてみると、それもいいなと思えてきた。何もいがみ合うばかりの必要はない。それこそ、すべてが薔薇色なら、それはそれでいいではないかと思えたのだ。ただし、いいことはいつまでも続くわけがないから、いずれ終えてしまう。その時は人類滅亡の時なんだろうな。と、いつか取り留めなく阿呆な考えになっていた。 「寝直すわ」 「私たちこれからちょっと出かけるわね」 そうしてくれ。俺はゆっくり寝たい。明日からまた面倒な仕事が始まる。羽目をはずした分を回復しておかねばならないのだ。煩い奴らはとっとと消えてくれ。 寝室に戻ると蒲団は昨夜のままだった。ごろんと横になると瞼が容赦なく落ちてくる。暫く慶子と優子の何やらはしゃぐ声が聞こえていたが、いつの間にかその声もなくなり、私はいつしか深い眠りに落ちていた。
慶子と出会ったのは三年前のことだ。その時、六つ年下だった慶子は二十三になる寸前だったように思う。すでになっていたかも知れない。三年前のことだのに記憶はすでに曖昧だ。どちらにしても、二人姉妹で十九の優子は随分と歳の開いた妹だ。両親は故郷で健在だというが、いまだに私は会ったことがない。慶子も会うことを敢えて強いなかったので、そのままになっていた。だからというわけではないが、私の両親にも慶子を紹介していない。果して、私の両親は慶子の存在すら知っていないのではないか。そんなことだから、妹の優子のことなど、いつか聞いたことがあったかなかったかで、今度が初めての対面だった。 熟睡したのか、四時間程寝たら目が覚めた。俯せになって蒲団のなかで苦い煙草を喫みながらぼんやりしていた。 初対面で跋の悪い思いをしてしまったと、多少の悔いを感じていた。別段、妹なんぞに点数を稼ぐ必要などなかったが、ふと優子の頬の冷めた感触が蘇って、俄に胸騒ぎが起きてくる。出会ったころの慶子を思い出すからだろうか。ということは、それだけ慶子が老けたということなのか。たった三年でそんなに変化するものだろうか。慶子の容貌が褪せたわけではない。相変わらず人目をひく美人であることに変わりない。けれど、十九の優子とは違っている。まるきり他人の十九の娘とだったら、こんな比較は起きないだろう。けれど、慶子の三年前の面影に瓜二つの優子を目の前にすると、どうしても比較が生じてしまう。脂が乗り始めた慶子と、まだ堅さを抜け切らない少女然とした優子では、違っているのが当然なのであって、比較するのが酷なことなのか。 それにしても、間が悪かった。優子の頬の感触で果てた事実が私の気持ちを複雑にする。今になって慶子に対する後ろめたさみたいな妙な感覚が湧いてきた。慶子に飽いているのではない。ますます肉づきのよくなってきた慶子のからだは私は好きだ。スタイルばかりを気にしてがりがりに痩せた女など一つも魅力を感じない。無駄があってこそ、融通が効いてこそ、いい女なのだ。ところがどうしたことか、未熟な果実に私は果ててしまった。素直に告白するが、ショックだ。プラトンの話が潜在的な欲求不満に作用したのだろうか。となれば、いかに単純であろうかなの私は、まんまとAの罠に嵌ってしまったのではないか。恋の願望、不満を乗り切るハウツー、組み込まれへの微々た反抗、ああ何とどんくさい、まるで中年の厭らしさ。恋は十代だからこそ恋と言えるので、三十を過ぎれば、それはただの助平だ。一歩間違えれば淫行だ。プラトンの美学にまるで適っていない。 けれど、冷めた頬は、私を唆す。 プラトンは饗宴で決して精神的な愛だけを説いたわけではない。より崇高な美として、精神性を説いたのであって、肉欲を否定したのではなかろう。シャワーを浴びながら、いい加減な拙い知識をぼんやりと思い巡らせたが、どこか言い訳臭い。慶子以外に女を知らなかったわけではないのに、こだわっていた。 バスタオルを腰に一枚、キッチンのテーブルで冷えたビールの向い酒をやった。そろそろクーラーを使おうか。去年の夏に使いっきりで掃除もしていなかったが、風が吹き出してしまえばそれなりに動くのだろうと、リモコンを見つけてスイッチを入れたら埃っぽい空気がキッチンに流れた。かまわずビールを呑んでいたら、いつの間にか気持ちのいい冷気になっていた。こんなものだろうと、どこか投げ遺りなところがおっとりとして心地よかった。 テレビをつけるわけでもない。ラジオから音楽が流れているわけでもない。しんとして、自分が立てる音しかなく、ビールを呑みこむ喉越しの音や、グラスをテーブルに置く音や、煙草の灰を落とす指の小さな音だけが、クーラーから流れる冷気に混じって聞こえていた。このような静謐を反動として生むのならば、久しぶりの馬鹿騒ぎも無駄ではないと、都合のいい解釈で、グラスに注ぐビールの音も健やかに響いた。 日常の生活にドラマなど起きないほうがいい。穏やかであってほしい。余計な胸騒ぎなどあってはならないのだ。俺は慶子を愛しているのだし、いまさらわくわくすることなど求めてはいない。元々社会的なことには消極的だった上、学生運動らしきものにも無関心だったし、サークル活動も熱心な部員ではなかった。精々、今回集まった呑み会の奴らと、学食でいつまでも無為にたむろしていたのが関の山だった。なるほど、Aの奴ではないが、いまこの歳になって、意味知れぬ不満が、朧ではあるが曖昧な姿で見え隠れしている。一歩間違えると、何もかも打棄ってしまいたいような無気力に駆られてしまいそうで、どこか柔で腑甲斐無い。仕事にしてからが、しゃかりきになることはなかった。確かに苦労はした。けれど、いつでも辞められる気持ちの準備は用意されていて無駄がない。老成。──だから、つまらないのだ。それが正体不明の不満なのかも知れない。波風の立つのを怖れていながら、別の部分で何か逸脱したものを欲求している。何と子供じみていることか。何と平和なことか。なんたる矛盾か。 二本目のビールが空くころ再び眠くなったので、寝室に戻ってバスタオルのまま寝てしまった。 どのくらい寝たのだろう。頬に冷やりとした感触がして目が覚めた。薄明りの中で、優子が覗きこむようにして私の頬に掌を当てていた。近づけた顔が目の前にあった。 「慶子は?」優子を下から見上げながら訊いた。 「姉さん、別に用事があるんですって。遅くなるって」 優子の掌はまだも私の頬を撫で続けている。 「姉さんのこと、好き? ……兄さん」 兄さんという言葉が妙にくすぐったかった。こんなに浮いた言葉は初めて聞いた。嘘兄さん。優子はそう言っていた。あなたは兄さんなんかじゃない、ただの他人、知らないよその人、ほかの男と変わらないただの……牡。 「姉さんに言っちゃおうかな」 「何を」 「とぼけちゃって」 優子の細く長い指先が素肌の胸を這っていく。 「気づいてたのか。悪趣味だな」 「なにがあ」 一筋縄ではいきそうもない。この子はすでに女なのだと感じた。 「兄さん。姉さんのどこが好き?」 「どうしてそんなこと聞くの」 「言って」 「美人だからさ」 優子は落ちていた長い髪を空いた手で掻き揚げたが、それは再び片方の白い首筋に落ちて流れた。 「じゃ、わたしも美人だわ。わたしね、姉さんが十九のときにそっくりなの。兄さんもそう思うでしょ」 「俺が慶子を知ったのは、あいつもう二十歳過ぎてたよ」 「そお……」 優子の指が調度、臍の上で止まった。視線が、もう十分に隠しきれなくなったバスタオルの膨らみに向いている。この小娘はいったい何なんだ。慶子でさえ、こんなに阿婆擦れてはいなかった。こんな屈辱的な翻弄があるか。この子は裸の男を玩具にして遊んでいるのだ。出だしから計算づくだ。慶子の帰りが遅くなると、私の頭にしっかり環境設定を布いているではないか。小悪魔のような魅力に、わくわくするどころか、私はいささか不安になってきた。この子を抱いてしまうのは簡単なことだ。十九といえば近頃では立派な女であったし、本人がその気であるならば、どんな遠慮があろう。 けれど、私は横たわったまま、金縛りにあったかのごとく、身を起こせないでいた。この子を抱いているのは気持ちばかりであった。 「兄さん。わたしを抱けないわ。絶対に」 そう言って、優子は立ち上がると、薄手のワンピースを素早く頭から脱いで、下着も蒲団の上に無造作に脱ぎ捨てた。白く細く華奢な堅い裸身が薄闇に浮いた。 美しかった。惚れ惚れするほど美しかった。 「優子。廻ってごらん。背中も、お尻も、優子のすべてを見せてごらん」 優子は言われた通り、素直にゆっくりと廻転した。 背筋が腰にすっと延びている。邪魔するものが何もない。そこから始まる臀部は、掌に納まってしまうかに思えるほど小さな二つの円みだ。薄闇の中でさえ、その肌の細やかさがわかった。白い彫像のようだ。その肉体は、少女であり、少年であった。 萎えている自分に気づいた。私の快楽は別の地にあった。寝室のすべての空気を攪乱するように、それは真空になって、中心を失っていった。魚眼のごとく光景が膨らみ、鳥眼図のごとく視点が一気に宙に飛ぶ。狭い立方体の空間に、気持ちよく蜉蝣する私がいた。 「ただいまあ」 廊下に賑やかなスリッパの音がした。 「早かったわね。わたしシャワー浴びるとこだったの。姉さんも一緒に浴びよお」 「そうね。で、冷えたビールでいっぱいやるか」 薔薇色のような笑い声が寝室まで響いてきた。 私は、身ぐるみ剥がされて、間の抜けた裸身で天井を見つめていた。
読者からいただいた感想(QBOOKS掲示板から引用)
『プラトン日記』伊勢さんのコメント さて、プラトン。僕はQさんとはあまり個人的交流がないので(オフも行ってないし)正確なことは分かりませんが、作品群に見える年輪と掲示板上の噂(!?)から察するに結構年輩の方だと思うのですが、今回の主人公の年齢は作者であるQさんの半分くらいなのではないのでしょうか?(違ってたらごめんなさい。そんなじじいじゃねぇー!なんて言われるかも) 今回の主人公は若い(23+6+3で32?大卒十年ですし)のですが前作のような「逃れられない若さに捕われたままの年輩」に対して「どうしようもないくらいの年齢的疲れに侵食された若者」という感じがします。しかも時間的に俯瞰から見ているわけではないのでなんか歳をとって見えます。ああいう悩みというか感覚は確かに迷う世代であるものは全てその奥に持ってはいるのでしょうがあれ程に雰囲気をまとうまでになると主人公の辛さに僕も悲しくなってきます。世の中にはあそこで迷いもなく抱き合う二人が溢れてそうな気もしますしね。
でもあの「やりばのない」という雰囲気はなかなか出せないですよね。うまい。やはり年輪の為せるものなんですかねぇ。
年輪といえば、今回も漢字には悩まされました。 勉強します。
「『プラトン日記』読ませてもらいました。」森田英一さんのコメント やはりQさんの詩よりも小説の方が好きです。なんだろう、最後まで読ませるテクニックとアングラな雰囲気が好き。伊勢さんの感想と同様に、僕も主人公は30代よりも年に見えました。それと雰囲気が(僕の勝手な想像ですが)学生運動の気運が高まっていた時代のような、混沌とした、しかし激情があり、迷いがあり、といった感じがするんですよね。ええ、ほんとに僕の勝手なイメージなんですけど。 文章は平易ではないんですけど、どんどん読み進めさせてくれる吸引力があります。「恋」に対しての捉え方やアプローチもQさんらしいですよね。すごくオリジナリティーを感じます。すごい。
ちょっと思ったんですけど、昔の作品にくらべて、最近のQさんのは(変な言い方ですが)ちょっと一般レベルまで歩み寄っているような気がします。取り上げるテーマも主題もなんですけど。あんまり難しいことがわからない僕なんかは、その点、すごく取っつきやすくなった感じがします。ぼくにとっては「調度良い湯加減」なんです。はい。 僕もQさんみたいな小説が書きたいです。 |