絶望の門は享楽によって開かれる――
不安の時代の芸術家は、ほかならぬ人間の肉体が、あらゆるものに変化する可能性のあることを信じていた──と、澁澤龍彦は『メタモルフォシス アルチンボルドを中心に』で書いている。Giuseppe Arcimboldoは、連作『四季』のはじめの肖像画を息苦しいほどの花々で造形し、冬の肖像画はわずかな葉を残したグロテスクな老木へと変貌させている。肖像画を献上された皇帝たちは、『四季』を目の前にし、どのような思いをめぐらせたのだろう。
森の中は、すでに春だった。ほんの数日前まで冷たかった土の上に、早朝のやわらかな木洩れ陽が幾筋も落ち、街では見かけることのない色あざやかな蝶たちが木々のあいだを飛びかっていた。叢には、迷路の壁にぶつかっては方向転換をくりかえす間抜けな探検家のように、名前の知れない大きな虫が這っていた。あわてた蜥蜴が銀色の尻尾を斬り落とされまいと一目散に逃げていく。小川で魚が跳ねた。川面がキラキラと硝子のかけらのように輝いた。巨大なネプチューンは相変わらず無口な老人でいるのだった。
佐竹と啓子が〈聖なる森〉の別荘に二人だけで来たのは昨日のことだ。道中、佐竹は車を運転する啓子の横で、後方に倒した背もたれに疲労したからだをあずけて眠りつづけた。寝顔にはいくらかの安堵があったが、落ちた頬の不精ひげに啓子は得体のしれない戸惑いを感じた。それは、佐竹のいまあるに自分が加担しているという、いわば共犯者の意識があったからか。佐竹がなにかに恐れているなら、なにかは自分をも対象にしている。啓子は、いまここにきてようやく、そう感じはじめたのだ。
旅館のような別荘。いまでは啓子がパーティに使用するだけの、普段は廃屋のように、ひっそりと、深い森の中にうち捨てられているかのような〈聖なる森〉の別荘。パーティでも使わない部屋がほとんどの、過去を隠した元の知れない隠れ家。まさしく、swinging会場にふさわしい場所と言えた。
啓子は、佐竹を離れに残し、いくつもの襖に仕切られた、もっとも奥まった母屋の一室にいた。床の間に活けられた一輪挿しの微かな香りが、清楚でひかえめな匂いをあるかなしに漂わせている。襖をとりはらえば、そこはパーティの広い会場となった。いまはまだ黒くほどこされてはいない。青い畳が清潔なのは、別荘の管理人として、双子があたっていたからだ。ここは、双子のアジトでもあった。
古風な文机に置いたパーティの準備表を、床の間を背にした啓子が、つぶさに点検していた。やわらかな春光が森の梢を映して回り廊下の障子に揺れている。
「どうですか」
啓子の前に双子の二人が姿勢よく正座していた。そろって腿の上に置いた拳がいかにも厳つい。
「ドレスは余分に用意しておいたほうがいいわ。気にいらない人が出るから。飾りつけはいつもと同じでかまわないけれど、暖房はそのままにしておいて。まだ夜は冷えるでしょうから。それと、料理とワインは三日分ね……まあ、こんなところかな」
「演出は、どうします」
「軍服を用意できる?」
「日本兵ですか」
「親衛隊……」
「ナチですね」
啓子は、曜子と亜紀子のビデオ撮影のアイデアを借りることにしていた。それは咄嗟の思いつきではない。曜子たちにギロチンを頼まれたとき、すでに決めていたことだ。ギロチンは双子がつくり、スタジオにこっそりと運びいれたものだった。そのギロチンはいま、やはり双子によって森に帰し、バラされて、別荘のどこかで秘かに眠っている。棺の中で真っ赤な血を夢見るDracula、しかも、そのモデルはシェークスピア劇の俳優だとする、新説の吸血鬼のように──またしてもShakespeareだ。
「磯城さんにだけは、あなたがここに来ていること伝えておくわ」
「しかたないな。よけいな心配をされてもこまる。よろしく言っておいてくれ」
その日、啓子は一人、佐竹を残して別荘をあとにした。
離れの部屋に陽ざしはなかった。棺の闇の中に眠るのはドラキュラにあらず佐竹だった。別荘に来てから、佐竹はだらだらと眠りつづけていた。にわかに解かれた緊張と、ささやかな安堵の感が、佐竹をだらしなく睡魔の闇に落としていた。
それから三日がすぎた夕方、啓子は、曜子と亜紀子、それに今回は鷹子もつれて森へともどってきた。そのときすでに、会場はダ・ヴィンチの葬儀場へと黒く変容し、パーティのためのすべてがすっかり準備されていたのだった。
「磯城はなにか言ってたか」佐竹は布団の中で言った。
「予定にまにあえさえすれば問題ないって」かたわらに座っていた啓子が言った。
「ふん。それはわかっている。どうしてかは訊かれなかったのか」
「気分転換したいからと言っておいた。磯城さんはそれほど気にしてなかったわ」
「パーティは明日からだな。俺もそろそろ仕事をはじめるよ」
「そうして。こっちも、スタッフみんなで頑張ってるんですから」
そう言い残して啓子はスタッフのところにもどっていった。
佐竹は、どことなくそっけない素振りで部屋を出ていった啓子に不安を感じた。なにかあったのだろうか。だとしても、いまは自分のことで手がいっぱいだ。馬鹿げた状況をやりすごさなければならない。それには啓子を頼るしかない。佐竹は自分がいっそうみじめになっていくのを感じた。いつでも逃亡者であることに、どうしてこうなるのかと嘆いた。パーティに、あの女は来るだろうか。自分を殺すだろうか。
殺されるくらいなら、殺してしまいたい──佐竹は混乱した。
痴態の数々がくりひろげられていた。黒々とした絨毯の上で、脱ぎすてた華やかなドレスが百花繚乱に狂い咲き、女たちの白い肌がことごとく淡い桃色に輝いていた。男たちの果てしない欲望が女たちのからだを漁る。女たちの貪欲な色情が男たちをむさぼり喰う。淫靡な仮面舞踏会がつづくダ・ヴィンチの葬儀場。朧月夜、聖なる森に棲む怪人たちが、歓喜の呻きを地に這わせた。
佐竹は、落ちつかなかった。パーティが気になった。あの女を、この目で見たい。そうすれば、俺のつまらない恐怖心は薄らぐのではないか、曖昧であることが俺をこの森に追いこめている、見たい、佐竹は部屋の中をいらいらと歩きまわった。気を落ちつけようとパソコンに向かってみたが、うわのそらだ。たまらず煙草のチェーンスモーキングになる。一口吸ってはもみ消した。灰皿で灰色の煙が細く昇った。けれども、自分の後悔の炎は消えるどころか、ますます大きくなっている。あとおしをした啓子を怨んだ。誘った磯城が恨めしい。もっと惨めな思いは、収拾がつかない混乱と、とりみだす自分の姿だった。
森の木々は建てかえや修繕のための植林なのか。書院風造りとおぼしき会場の天井は、ずいぶんと高くにあった。その天井も黒布に遮られて木目が見えない。おそらく、会場の側面には、つらねた襖が隠されている。和風のあつらえを、ひたすら黒ずくめにし、それらしい小道具や大道具で粉飾しても、しょせんルネサンスもどきでしかない。そのくらいのことは、啓子にだってわかっている。わかるが、ワクワクした気持ちでパーティにやって来るスウィンガーたちに、少しでも応えてあげたい。ビジネスではあるけれど、ワクワクする気持ちは啓子だって同じだ。日常を離れて、いつもとちがう空間と時間。新鮮な出会いとセックス。それは、だれよりも、啓子が求めていることだ。女優をあきらめた未練からかもしれない。まるで舞台の演劇のように、脚本から配役まで、啓子はパーティを演出した。
なんとかして女をじかに見たいと、佐竹は真夜中の森に出ていた。シャツのボタンを掛けちがえ、ベルトの端をだらりとズボンの股上にぶら下げている。月夜の足どりがまるで夢遊病者のようだ。さんざん惰眠を貪ったのに、いまだに眠気がしつこく残っていた。どうしたらいいか、まともな思考ができない。佐竹は自身の曖昧さに不安になった。それでも、女をじかに見たかった。見ることで、少しでも恐怖心が晴れることを期待した。
母屋が目の前にあらわれた。ところどころに淡い明かりを灯した母屋が、暗闇の中に大きく聳えている。二階を見あげたら、夜空に呑みこまれそうな眩暈を覚えた。思わず、こりかたまった肩をすぼめ、首を回した。首の骨がゴキゴキと鳴った。母屋の中に、あの女がいる。自分を見つけたら、女はどのように反応するだろうか。しらをきって無反応でいるだろうか……と、いきなり、心臓が早鐘のように激しく鳴った。
そうだ、俺もパーティに参加すればいい。そうすれば、じかに女の反応を確認できる。
佐竹は自分の思いつきに昂ぶった。啓子に連絡しようと携帯電話を探ったが、離れに置いてきたことに気づく。しかし、パーティの最中なのだ、きっと啓子も携帯電話を手もとから放しているだろう。佐竹は興奮と苛立ちで母屋の灯りを見つめた。痩せ細ったからだが黒いシルエットとなって、淡い月光の中でゆらゆらと揺れた。黒々と広がる森陰に、輪郭の曖昧な母屋が、古い幻燈機の映像のように浮いている。森のすべてが幻覚に思えた。
佐竹は、よろけるように、灯りの一つに足を向けた。
会場にLouis Hector Berliozの『幻想交響曲』第四楽章「断頭台への行進」が小さく流れていた。ベルリオーズの片思いがつくらしめた交響曲だ。片思いの相手は、シェイクスピア劇『ロミオとジュリエット』のジュリエットと、『ハムレット』のオフィーリアを演じたアイルランド人の人気女優、Harriet Smithsonだ。どこまでもシェイクスピアがつきまとう。ハリエットは、当時はまだ無名だったベルリオーズの想いを無視した。相手にされない二十八歳のベルリオーズはハリエットを憎んだ。その憎しみで、ベルリオーズはハリエットをヒロインにした『幻想交響曲』を作曲した。そして、その交響曲でベルリオーズの想いはむくわれ、ハリエットと結ばれたのだった。けれども、ベルリオーズの憎悪は、無意識のうちに、ハリエットにたいする復讐心としていつづけていたのではなかったか。なぜなら、ハリエットは馬車から落ちて重傷を負ったこともあり、結婚して四年で別居、それから十四年後に死ぬが、ベルリオーズは歌手の女と再婚している。ハリエットの生前から同棲していた女と。
断頭台への行進がはじまった。
あのギロチンが、もの言わず鎮座していた。ここに幻想交響曲の愛憎は無い。痴情だけがあふれていた。ギロチン好きのイギリス人のように、スウィンガーたちはギロチンの品定めを楽しみ、自らが〈オーブンに入れられる〉ことを望んだ。つまり、断頭台に乗せられることを。さらには、首枷にはめられることさえも。嘘ではない。かつて、オーブン入りをねだったイギリス人少女さえいたのだ。死刑執行人で医師でもあったSanson 家6代目当主に、「娘が望むなら、やってくれ」と、両親は答えている。実演が見たくて山羊を買おうとした人間もいた。自分の仔犬をつれてきたイギリス人もいる。ギロチンなど冗談だ。ジョークでしかない。落ちるのは、ほかでもない、きみの首だから。
行進曲はクライマックスにさしかかった。ギロチンの刃が落下する音、籠に落ちる胴から離れた首、狂喜にどよめく観衆たち。当人のベルリオーズさえ三十倍恐ろしいと恐怖した、激しく華やかに、かつ厳かに奏でられる、阿片と、恋人殺しの夢と、死の断頭台へのマーチ。
会場の人間は、すべてが刑執行人であり善良な観衆だった。男はだれもが頭に被った黒頭巾に双眸を輝かせて、女たちは華麗なヴェネチアマスクで顔を隠している。すでに四人の刑執行人が断頭台の上で待ちかまえていた。無作為に選ばれた、白マントで全身を覆った犠牲者の女が、断頭台へとひきたてられていく。ひきたてている四人は、裸身にアルゲマイネスSS親衛隊の白い上着を羽織っている。腕に鉤十字の赤い腕章を巻き、はだけた胸には豊満な乳房の谷間が見えた。黒い制帽に、鷲と髑髏をあしらった銀色の帽章が、鈍く輝いている。それは言ってみれば、映画『愛の嵐』に登場する、ナチの制帽と乳房もあらわなサスペーンダー姿で歌う、Charlotte Ramplingの演じるルチアだ。それと異なるのは、貧弱なからだのルチアとはおおちがいの、黒縁のサングラスで顔を隠した、啓子、亜紀子、曜子、そして鷹子の四人のスタッフであったことだ。
女がオーブンに入れられると、善良な観衆から盛大な歓声と卑猥な野次が沸いた。女をとりかこんだ刑執行人たちは、女のマントとペルシャ猫を模したヴェネチアマスクを剥ぎとり、その場に乱暴に跪かせた。素顔を晒され、全裸にされた女は、紐で足を括られ、縄で後ろ手に縛りつけられた。女は恍惚に輝く黒い瞳を苦痛に濡らしている。刑を急かして観衆が煽った。
啓子の演出は上々だ。啓子は嬉々として親衛隊の役を楽しんだでいる。スウィンガーたちはみな、ギロチン物語の非日常を善良な観衆役で遊んでいる。彼らは、置き去りにされた胴体から噴きだす血しぶきを、いまかいまかと待っている。その時が、彼らのエクスタシーの瞬間なのだ。だれも死なない。だれも殺さない。ただ、切断された首が断頭台の籠に落ちるだけだ。ヨハネの首を前にして踊るサロメを美しいと感じるように、聖セバスチャンの痛々しい殉教の姿を三島由紀夫が愛でたように、彼らはグロテスクな美と官能を愛している。それは稚拙だ、とあえて言おう。倉橋由美子が『死刑執行人』でしたように、彼らには考察がない、と人は言うだろう。ではなぜ、倉橋はギロチンや生首をわざわざ小説の題材に選んでいるのか。作品は後づけだ。初歩的に、ただただ倉橋は生首が好き、ギロチンが好き、ということなのだ。倉橋の作品に倫理観は無い。あるのは、美だけだ。稚拙=無垢、だ。美は、無垢でなければならない。
女の首が首枷に嵌められ蓋をされた。そして、刃が落ちた。喜悦の呻きがダ・ヴィンチの葬儀場に満ちた。
佐竹は、いつか啓子に話したことを思いだしていた。
「Swingingパーティは、特別なことでもなく、非常識なことでもない。平和な〈個人〉だ。だれかが、好きなスポーツを選んで、それを趣味とするように、その趣味はだれにも危害をくわえたりしない。けれど、たとえば人ごみの中でゴルフのクラブを振ったら、それは他人の自由を妨害することになる。パーティも同じだ。同意のうちに行なわれるなら、また表現においても、もっとも人間に許された〈自由〉だ。絶対としての個人なんだ。権力も宗教も、その口だしは僭越で、はきちがえている。権力と宗教が〈性と死〉を持ち出したら、その時は戦争へと向かう時になる。俺たちはその時、逃げなくてはならない。ついていっちゃいけないのだ」……。
佐竹は会場に紛れこんでいた。別の部屋で見つけた黒頭巾を被り、ガウンを素肌に羽織ると、こっそりとダ・ヴィンチの葬儀場に潜りこんだのだ。ほかのスウィンガーたちと同じく、ギロチンの光景を楽しむかのようにワインを呑みながら女を探った。パーティの様子を見ているうちに、がらにもなく啓子に話したことが、ふとよぎったのだった。不本意な状態でSwinging本をつくっていたときのことだから、不満が愚痴になったのだろうと佐竹は思った。
ほとんどの女たちがマスクを着けたままで、目当ての女を見つけられない。佐竹にとって啓子の演出はよくわかっていることだから、もうすこしスウィンガーたちが乱れるのを待とうと考えた。そうなれば、淫らになった女たちはマスクをはずしはじめるはずだ。それに今回は、会員からの申し出で写真撮影がない、と啓子から聞いている。学校がはじまったせいもあるが、写真担当の翔がパーティに来ていないのは、そのためでもあったのだ。女たちは、かなりの開放感で乱れるにちがいない。
それにしてもワインが異様に効いた。睡魔がふたたびやってきた。視線のさきに白いナチ服が霞んで見えた。

参考資料:澁澤龍彦『幻想の画廊から』美術出版社刊/ダニエル・ジェルールド著・金澤智訳『ギロチン』死と革命のフォークロア(青弓社刊)
写真:雨鹿(PHOTO ST)
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