年代 | ジョルジョ・ヴァザーリ | イル・パルミジァニーノ | ヤーコポ・ポントルモ | ミケランジェロ | 出来事 | マニエリスム | 日本 |
| ●1475 | ジョルジョ・ヴァザーリ | イル・パルミジァニーノ | ヤーコポ・ポントルモ | 1475年、生まれる。 | 出来事 | 日本 |
| ●1493 | ジョルジョ・ヴァザーリ | イル・パルミジァニーノ | 1493年、フィレンツエ郊外のポントルメ村に生まれる(没年1557)。 | マニエリスム | 出来事 | 日本 |
| ●1499 | ジョルジョ・ヴァザーリ | イル・パルミジァニーノ | 1499年、画家の父親バルトローメオが死去したため、ポントルモは母方祖母ブリジーダにポントルモの地に引き取られ、読み書きと初歩ラテン語文法などを習わされた。 | マニエリスム | 出来事 | 日本 |
| ●1500 | ジョルジョ・ヴァザーリ | イル・パルミジァニーノ | ヤーコポ・ポントルモ | マニエリスム | 1500年、ベンヴェヌート・チェルリーニ生まれる。没年1571。 | 日本 |
| ●1501 | ジョルジョ・ヴァザーリ | イル・パルミジァニーノ | ヤーコポ・ポントルモ | マニエリスム | 1501年、レオナルド「聖アンナと聖母子」カルトン。ミケランジェロ「ダヴィデ」(-04)。ヴェスプッチ、ブラジル海岸調査(-02)。 | 日本 |
| ●1503 | ジョルジョ・ヴァザーリ | イル・パルミジァニーノ | ヤーコポ・ポントルモ | マニエリスム | 1503年、レオナルド「モナ・リザ」(-06)「アンギアリの戦い」(-05)。ユリウス二世(-13)、ローマにルネサンス様式を開く。 | 日本 |
| ●1504 | ジョルジョ・ヴァザーリ | 1504年、パルマに生まれる。 | 1504年、母親アレッサンドラ死去。 | マニエリスム | 1504年、ミケランジェロ「ドーニ家のマドンナ」「カッシナの戦い」下絵。この両作がマニエリストに大きな影響。w.m495年表。 | 日本 |
| ●1505 | ジョルジョ・ヴァザーリ | 1505年、画家であった父親フィリッポ・マッツォーラ死去。 | ヤーコポ・ポントルモ | マニエリスム | デューラー、イタリア滞在(-07)。 | 日本 |
| ●1506 | ジョルジョ・ヴァザーリ | イル・パルミジァニーノ | 1506年、祖父死去。 ポントルモ13歳(フィレンツェの生活になる)。孤児院に入るためフィレンツェの靴屋の親戚に預けられ、妹は祖母と伴にポントルモの地に帰る。間もなく祖母ブリジーダ死去したので、ポントルモは妹をフィレンツェの親戚ニッコライオに預ける。 | マニエリスム | ブラマンテ、サン・ピエトロ大聖堂の再建計画。ベンボ『アーゾロの人々』 | 日本 |
| ●1507 | ジョルジョ・ヴァザーリ | イル・パルミジァニーノ | レオナルド・ダ・ヴィンチの徒弟になる。マリオット・アルベルティネルリの徒弟時代、処女作は受胎告知図(友人の仕立師のために描いたが完成前に友人は死去)。ピエーロ・ディ・コージモの徒弟になる。 | マニエリスム | 出来事 | 日本 |
| ●1508 | ジョルジョ・ヴァザーリ | イル・パルミジァニーノ | ヤーコポ・ポントルモ | マニエリスム | ミケランジェロ、「システィーナ礼拝堂」天井画に着手(-12)。コロンブス没。 | 日本 |
| ●1510 | ジョルジョ・ヴァザーリ | イル・パルミジァニーノ | ヤーコポ・ポントルモ | マニエリスム | ラッファエッロ「セニャトゥーラの間」(-12)。ボッティチェルリ没(1444/5-)。 | 日本 |
| ●1511 | 1511年、生まれる。没年1574。 | イル・パルミジァニーノ | ヤーコポ・ポントルモ | マニエリスム | 出来事 | 日本 |
| ●1512 | ジョルジョ・ヴァザーリ | イル・パルミジァニーノ | 1512年、妹死去。ポントルモ19歳。マリオがフィレンツェを去ったので、ポントルモは一人でアンドレーア・デル・サルトをたずねて徒弟になる。 | マニエリスム | 出来事 | 日本 |
| ●1513 | ジョルジョ・ヴァザーリ | イル・パルミジァニーノ | 1513年、セルヴィ派のアヌンツィアータ寺院の表玄関の装飾を依頼されたアンドレ・ディ・コージモは、サルトの助手をしていた19歳のポントルモに描かせようとする。怖じ気づいていたポントルモだったが、フィレンツェのサン・アントーニオに篭り全力で下絵を描く。出来栄を見に来たサルトに絶賛されるが、その後ポントルモはサルトのアトリエに戻るのだが、使い走りの小僧に門前払いを食い、アトリエから完全に追い出されてしまう。 | マニエリスム | 1513年5月11日、メディチ家のジョヴァンニが法王レオ十世となる。 | 日本 |
| ●1574 | 1574年6月27日、日曜日夕刻にサンタ・クローチェ界隈の自宅にて10日間の病床の後に死去。享年64歳。サンタ・マリーア・ヌオーヴァ病院で死体解剖。箱詰めされた内臓はフィレンツェに留まり、遺体は生誕地アレッツォに黒いビロードの布に包まれた棺で送られた。病因は定かでないが、長年の疲労によるものだろうと思われている。g.b580 | イル・パルミジァニーノ | ヤーコポ・ポントルモ | マニエリスム | 出来事 | 日本 |