マニエリストQのストゥディオーロ其の十四夏の浮影第1部 ━1マニエリストQ


 男は失った美貌を連れだち一人儚く逝った。星月夜、イル・パルミジァニーノ、三六歳の夏――せめてそのように、パルミジァニーノの死を、僅かな安らぎと少しばかりの美しさで飾る。そしていま一人、パルミジァニーノと同様にミケランジェロになれなかった孤独な男、ヤコポ・ダ・ポントルモにも、等しく思いを馳せる。のちに、グスタフ・ルネ・ホッケはポントルモを狷介であると言った。狷介孤高の人と言葉をつなげばその意味もいくらかは違ってくる。けれども、ホッケの評は恨事残懐正しくて、言い返す言葉も見みつからない。だからこそか、かの二人死してのちの悠久の時を経てもなまじいに、いつまでも心寄せてその尽きぬ魅力に惑わされている私がいる。あの不安、あの孤独、あの寂しさは、まるで自分の姿かたちを鏡に写すかのようで、ならばいっそのこと、私はその鏡にすりより、溶けた鉛のごとく、鏡の硝子を通りぬけてみよう。鏡の奥に這い入ってみよう。たとえそこが晦渋に満ちた迷宮であったとしても、数多の星がさざめき、蒼い月が冷たく輝く夜に、一人ぬけい出て、このしがなくも未練怏々な男の眼に、二人の生きざまを、マニエリストの姿を、留めんと。

 サルトが死んだ。
 私がそのことを知ったのは、街の粗末な飯屋で一人、遅い午後の食事をとっているときだった。耳障りのする重く軋む音をたてて扉が開くと、一人の男が店に入ってきた。男の落ち着きのない視線は何かに怯えているかのように見えた。もてあましぎみのひょろ長い背が窮屈そうに丸まっている。男は私を見つけると、まるで悪さをした幼子が叱られでもするかのように、卓の向い側に小さく腰をかけた。救ってくれと言わんばかりに、その顔はいまにも泣きだしそうにしている。
 「食事が終わるまで待ってるから……」
 男はかすれたかぼそい声で言うなり、うつむいて黙ってしまった。
 「あなたがこんなところに顔を出すなんて、何かありましたか?」
 私は食事の手を休めて男の様子を窺った。ところが男は華奢で細長い首をうなだれたまま、いっこうにその重い口を開こうとはしない。伏せた顔のなかで少しばかり張り出した眼球がぐりっぐりっと忙しなく動きまわっているのが見える。私は残りの皿を慌ただしくかたづけると、店の親爺に茶を二つたのんだ。
 「いったいどうしたんです。顔色が悪いですよ。ヤコポ」
 「……ジォルジォ。サルト親方が死んだよ。セルヴィの教会に埋められた」
 「それはいつのことです」私は声を潜めた。
 「一昨日の朝だ」
 「それで、あなたは葬儀に出たのですか」
 「ま、まさか!」
 男は大袈裟に見開いた眼で、それでも圧し殺した声でつづけた。
 「同信会の一人から聞いたんだ。黒死病だったらしい……」
 筋張った肩がますます尖ったように見えた。
 フィレンツェの街は伝染病に縮みあがっていた。すべてが死の縁で陰気に生きていた。それは私も同じだった。けれども、男の怯えかたは尋常ではない。その怯えた素振りは、見ているこちらがはらはらするほどだった。
 「ヤコポ、ゆっくり話を聞かせてください」
 私は卓に置かれた茶をかつて兄弟子にあたる男の掌に包ませた。男のつまんだスプーンがカップのなかでカチカチと鳴っている。
 「親方はなんて馬鹿な人なんだろう……おかみさんは逃げてしまったよ。ひどい女だ」
 眼を赤く潤ませて男は苦々しく下唇を噛んだ。一回りも、さらにもっと年上に違いない男が臆面もなく、十九歳になったばかりの私に、その泣き顔を晒している。  その男の名は、ヤコポ・ダ・ポントルモといった。生まれついての悲嘆。遥か昔日からの悲痛。ヤコポはいつでも死とともに生きていた。そしてまたもや、かつての親方、アンドレーア・デル・サルトが死んだのだ。それはサルトが四十三歳でむかえた死だった。
 「……死人だらけだ」
 絞り出すような声がヤコポの口から漏れた。自身の腹の底に巣食う得体の知れない何かを吐き出すかのようだ。忌々しい、忌々しい……ヤコポの暗い眸がそう叫んでいた。
 私がサルトの工房に徒弟として入門した時、ヤコポはすでに工房を去って久しかった。人伝えの噂によれば、ヤコポがサルトの工房にいたのはほんの僅かな期間であったらしい。もっとも、ヤコポはどこの工房も長くいたためしがなく、その起因が工房やあるいはその親方にあるのか、またはヤコポ自身によるものなのか、判然としなかった。けれども、眼前のヤコポを見るにつけ、原因はヤコポそのものにあるのではと、ごく自然な道理で思えてくる。偏屈な性格を通りこして、一種異常な、病的なものを彼に覚えるからだ。それはまさに、ヤコポの〈死〉そのものへの極端な畏怖であったと思う。ヤコポは常に〈死〉の外套を纏って生きていた。それは彼にとって否応なしのお仕着せではなかったろうか。
 こんなことがあった。あれは私がサルトの徒弟となってまだ浅い日のことだ。年末恒例の工房同士の寄合のようなものがあり、サルト親方の指示で、私と兄弟子の一人が顔を出していた。その時すでに別の工房の徒弟になっていたヤコポも、親方に命じられてのことなのだろう、顔を見せていた。親方たちは参加せず徒弟だけの寄合だったので、それは単に呑み食いだけの集まりになっていた。


 

MEMO
●1522年フィレンツェにペスト発生。
●サルトの死はヴァザーリの「ルネサンス画人伝(白水社刊)」のなかのラテン語墓碑銘によると1530年没となっている。若桑みどり著「マニエリスム芸術論」の巻末年譜では1531年。

 
写真上段左から▲ヴァザーリ/ポントルモ/パルミジァニーノ



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