マニエリストQのストゥディオーロ其の十九
マニエラ
マニエリストQ 400字詰原稿用紙100枚。感想などいただければ幸いです。


 城跡公園の小さな池に厚い氷が張っていた。よくよく見ると、氷の下に鯉がいた。氷にとじこめられて凍死したわけではないだろうに、鯉はいつまでたっても動かなかった。
 それから数か月後、氷の上を枯枝やゴミがよごしていた池は、澄んだ水面になり、睡蓮の群生におおわれていた。鯉はどうしたろう。わたしは池の水を眼で探った。しばらくすると、睡蓮が落とした黒い葉映の中から、ゆらゆらと尾を揺らす一尾の鯉があらわれた。そしてゆっくりと、わたしの足下にちかよって来たのだった。
 くりかえす無為な日々。ますます無縁になっていく仕事。季節だけがあたりまえのようにすぎていく。夏。
「アルバイトなんて見つからないですよ」妻はそれが癖で、眉間に小さな皺を寄せて言った。
 灰皿のシケモクをつまんだら、さらに、
「煙草もやめてね。そんなお金はないですから」と、追い撃ちをかける。このまま顔をつきあわせていては、みじめな喧嘩になる。どうせ貧しい食卓なのだ。わたしは朝食をさっさと切りあげて、二階の仕事部屋に上がった。
 仕事部屋は蒸していた。それにしても、やることがない。パソコンは迷惑メールばかりで、仕事のメールはまったくなかった。サーバー代も、電話の基本料金も、迷惑メールのために支払っているようなものだった。
 重いからだをもてあまして畳の上にゴロリと寝ころがる。ことごとく退屈。うんざりとした退屈。退屈について考察する哲学時間だけは山のようにある。これは思いようによっては、ずいぶんと幸福なことだ。哲学もどきに時間をつぶせる人間なんて、そうはいないだろう……とは思ったものの、哲学もどきは、すぐにしらけた。家賃の滞納が三月目になっているのを思いだしたからだ。直接やって来たのか、アパートのドアにはさんであった大家の催促の手紙がもう何通にもなっている。そろそろあぶない。このままではまちがいなくホームレスになってしまう。
 二階にはクーラーがない。去年の夏にスーパーマーケットで買った安物の扇風機がまわっている。退屈と危機。扇風機は二つのぬるい空気を部屋の中でかきまぜている。二つとも、わたしがひきいれた招かざる客だ。もうずいぶんと長く我が家に居座っている。さっさとどこかへ消えてくれと願うが、それは、どこか消えて行く場所というものがあればのことだ。はたして、あるのか。それは今のわたしにとって、なによりも考えたくない、考え疲れた問題だった。窮状からの脱出という、ただ一つにすぎない問題が、山のように大きく苦々しい。
 苦笑がわたしの顔を歪める。この見苦しい顔を鏡で見たなら、わたしは死んでしまいたいと、安易に感じることだろう。そのような感情の一直線で、実際に死んでしまう人間が年に三万人もいるという。が、わたしはただ感じているだけだ。いや、感じていることさえあやしいものだ。鈍感なのである。その鈍感さこそが、現状の難題をかかえてしまった原因でもあるし、わたしをいまだに長らえている理由にちがいない。
 ……自分にもメディチ家のようなパトロンがほしい。
 ここのところ、らちもない馬鹿げた願望が浮かんでは消えていた。しかし、わたしの現状はパトロンどころではない。わたしには、階下で苦虫をつぶしてふてくされている妻がいるだけなのだった。
 迷惑メールの削除、SSN、掲示板、行きつけのサイト。時間つぶしに見てまわるが、何もあるはずがない。仕事がないのだから、QuarkXPressも、Photoshopも、Illustratorも、ここのところ使うことがない。パソコンは退屈をひたすら助長するだけだ。わたしはすっかりひきこもりになっている。中国ウイグル自治区ウルムチの暴動、都議選、衆議院解散……テレビの中で世間はそれなりに動いていた。ああ、それにしても煙草がほしい。
 メディチ家には、コージモ大公にもっとも恩恵をうけた美術家、ジョルジョ・ヴァザーリがいた。
 工学者で美術解析学者のセラチーニ博士は、レオナルド・ダ・ビンチの未完のフレスコ画『アンギアリの戦い』が現存すると発表した。パラッツォ・ヴェッキオ宮殿の大会議室、五百人の間に飾られたヴァザーリの大壁画『シエナ攻防戦』の裏に厚さ十三センチのレンガ壁があり、その奥に縦五メートル、横六メートル、厚み二センチほどの隙間があるというのだ。
 博士は、天井画の旗の図像の一つに描きこまれた「cerca trova(探せよされば見つからん)」というメッセージを見つけ、レーダー波で絵の裏を探査したのだ。発見した隙間に特殊電磁波を照射して絵の具の有無を検出し、その色素をレオナルド・ダ・ビンチの絵の具リストと照合するということらしい。
 レオナルド・ダ・ビンチの『アンギアリの戦い』は、十六世紀半ばに行なわれた宮殿の改装の際に、ヴァザーリによって破壊されたと伝えられている。ダ・ビンチの絵の上に自分の絵を描いたヴァザーリの暴挙。けれども、『アンギアリの戦い』が実際に発見されれば、この乱暴な行為の濡衣が晴れる。
 わたしは、そのヴァザーリを妬ましいと思う。メディチ家に庇護されたヴァザーリが羨ましかった。
 陽が少し翳ってきた。近所をうろつくには都合がいい。妻に声をかけることもなく、わたしは外に出た。
 川沿いの道を歩いた。川の流れに鴨や名前の知らない鳥たちが遊んでいる。川は底まで透けて見えた。そういえば、鯉の死骸を見たことがあった。いつだったか、朽ちた腹を晒した鯉が、川面に突き出た石にひっかかっていたのだ。まばらになった鱗に陽があたり、キラキラと輝いていた。今日のところは死んでいる鯉は見あたらない。みな生きていた。
 道ばたに長めのシケモクを見つけた。ひろって百円ライターで火をつけた。シケモクをひろうのは、ここのところの習慣だ。そこまでして煙草を吸いたいのかというと、吸いたい。頭の中でいつでも、煙草だ煙草だと煙草がわめいている。街ではますます居場所をなくしていく煙草好きたち。煙草の煙りとともに自分の居所も消えていく。まちがいなく、わたしは川沿いを歩くニコチン中毒者だった。
 カタクリ橋、時田大橋、そして風原橋を通り過ぎ、城跡公園に出た。公園の中は時々歩くが、公園の丘に登ったことはなかった。城跡は丘の頂上にある。どうせわたしの時間はありあまっている。丘はそれほど高くない。わたしは丘を登ることにした。
 紅花橡、山桜、楠、榎、山桃、油瀝青、榧、一葉たごのなんじゃもんじゃ。名札がなければわからない木ばかりだ。夏草がきつい匂いを漂わせている。踏みしめる土は日陰になっていて冷たい。蜘蛛の糸が顔にからむ。蛇に出くわしそうだ。白い蛇なら縁起がよいのだが。からだが重い。足を運ぶたびに言い知れぬ渇望が満ちていく夏の森。わたしは頂きをめざした。
 わたしの思惑は完璧にうらぎられた。眼下に遠く広がるはずの風景がなかったからだ。青い芝生で広がった頂きからの眺望は、高度を同じくした野菜畑がつづいているだけだった。わたしは頂きに向かって登っていたのではなく、底から抜け出たにすぎなかったのだ。
 青い芝生がまぶしい。背中にべたつくおびただしい汗を気にしながら、わたしは地の底へともどった。

 スポンサーを失ったのは実に簡単なことだった。
「仕事のまわしかたがちょっとばかし気になるんだよね……」
 しめきりに追われて徹夜がつづいていた日の午後のこと、一本の電話が入った。仕事をまわしてくれていた担当の上司からだった。
「変なやりとりしてんじゃないの?」
 それは担当への心づけのことを指摘していた。担当をうまく抱きこみ、たぶらかしているのではというものだ。
「ずいぶんなことを言うね」
「彼に経理のほうでちょっと問題があってね……」
「それとわたしがどんな関係があるんだい」
「なにもなければそれでいいんだけどさ」
 わたしは徹夜の疲れが出ていたのかもしれない。あるいは、その上司とは朝方まで飲みあうつきあいの仲だったから、気を許してしまったのかもしれない。わたしはいつになくむきになっていた。
「むしろ、こちらとしてはデザイン料をもらってない仕事があるくらいだ」
「そんな報告は彼から聞いてないが……」
 その夜、担当からかかってきた電話で、よけいなことを言うなと怒鳴られた。それ以後ばったりと、担当からの仕事はなくなった。それからというもの、ほかにもいくつかあったスポンサーも、知らず知らずに減少していった。わたしは油断したのだった。

 今日も気休めの扇風機がまわっている。おまけに眠気がうっとうしくまとわりついている。本は二ページ読むとまぶたが落ちた。パソコンの画面がかすんだ。焦燥感さえも消え去って、まったく底をついている。それならば、昔のように、また這い上がればいい……あたりまえすぎて笑える。今さら這い上がることなんて妄想だ。けれども、妄想と自虐と自慰は、半分眠りながらがふさわしい。
 夏の白い陽が窓にあたり、パソコンのiTunesからテイクファイブがちょうしのよいリズムで流れている。歌の途中で時々中断してしまういかれたiTunes。こんどはミセスロビンソンが流れる。それから知らない歌へとつづく。
 昨夜は寝なかった。何事も思考しない漫然とした夜明かしをしてしまった。思考しなかったのではなく、できなかったのだ。考えることに飽きていた。これまでに考えることといえば、仕事の企画ばかりだった。報酬を得るまでに長期間を要する企画の仕事。そのつらさを思いだすと、もうたくさんだと、あらゆる考えごとに嫌気がさしていた。思考する体力は、そうやって少しずつ失っていくのだろう。
「寝なかったのね」妻がとがめた。眉間に皺を寄せて。
「眠れなかった」わたしはいいわけがましく小声で答えた。
 テレビのニュースが脳死について伝えている。
 暑熱によるめまいなのか。わけのわからない妄想が蛆のように不眠の脳に涌いた。
 ……わたしは、脳だ。臓腑を失った脳だ。子供のころには鼻血で失神し、今や神経症で頭の禿げあがったチビの脳だ。脳は希求している。菜園で安楽にすごす日々、自然の中の孤独と瞑想、腐臭の漂う街から静寂の街へ逃げたい、と。脳が叫ぶ。奪われた臓腑をとりもどせ、部屋を飾ることはもうやめろ、レプリカや絵画や古代のマスクの蒐集もおわりにしろ、と。臓腑を奪われ、墓さえ今はない。あの数々の栄誉はどこに消えてしまったのか。空洞になったからだの内側で、滑稽な音が鳴っている。ボー、ボー。己の臓腑を探す脳。離れていても臓腑に施された防腐剤の匂いがわかる脳。脳と臓腑。二人のわたしが別々のところで蠢いている。脳のわたしと臓腑のわたし。それはどちらもわたしの生命だ。わたしは臓腑で生き、脳で生きている……。
 それは、ヴァザーリの妄想だった。パトロンほしさに、ヴァザーリの亡霊にとりつかれたか。わたしに少しでも他人より抜きん出た才能があったのなら、メディチ家とはいわないまでも、それなりのパトロンがついていたはずだ。パトロンを求める願望こそが、そもそも才能のない証しではないか。生活のすべを失った人間の願望。それはもはや、立派な妄想と言える。幸い、その妄想時間だけは、ありあまるほどある。そして、ヴァザーリについては、怠惰な学生時代に多少はかじっていた。わたしの妄想は、いつだって準備万端なのだった。

 手にぶら下げたビニール袋の中身は、風原橋を通り越し、城跡公園をぬけて国道を渡った、駅前のスーパーマーケットで買ったわずかな食糧だ。わたしは五世紀も昔のことをとりとめもなく思いめぐらせ、川沿いの夜道を歩いていた。明日からの食卓を何とかしなければならないというのに、どんな役にも立たないヴァザーリを考えながら歩いていた。
 フィレンツェの街に咲く花々の芳香が街路に漂う夏のはじめ、ヴァザーリの屍体は六十四歳で二つにわけられた。内臓は箱詰めにされ、中身のない骸は黒いビロードにおおわれた棺に入れられた。それらはそれぞれ別の地に納められた。ヴァザーリを解剖した医師の名は知らない。死因もわからない。ただ疲れただけだともいう。ほんとうは何もわかってはいないのだ。知られているのは、解剖を行なった病院名だけなのだ。
 ヴァザーリは、死ぬまでメディチ家で働いた画家であり、建築家であり、宮廷人であり、芸術家評伝を著した美術史家であった。しかし、画家というよりも、ルネサンスの芸術家たちを評したこの芸術家評伝でこそ、ヴァザーリの名が存在しているのではないか。ルネサンスの意味をもつ《rinascita(再生)》の言葉を用いたのもヴァザーリだったという。けれども、画家としての人気は、ラファエロにも、ミケランジェロにも、そしてダ・ヴィンチにも、はるかおよばない。
 それにしても、どうしてヴァザーリの内臓は屍体からとりだされて骸とわけられたのだろう。フィレンツェとヴァザーリの故郷アレッツォの二つの街でヴァザーリの屍体を奪いあったのだろうか。ところが今にしてみれば、内臓と骸がわけられたのはヴァザーリにとって幸運だったのではないか。ヴァザーリの墓は後に掘りおこされ、ヴァザーリ家の棺が他家の棺と混合してしまったからだ。棺の見分けがつかなくなり、ヴァザーリの遺骨は行方不明になってしまったのだ。
 しかし、内臓自体の状態はどうあれ、それを納めた箱はきっと今でも存在するのではないだろうか。それは深く赤味を帯びた厚い木材で組まれた、金箔でおおわれた重厚な箱かもしれない。それとも、アレクサンドロスがダレイオスから手に入れた、茴香の豪華なナルテコスの小筐のようであったかもしれない。ルネサンスを封じこめた《内臓箱》は、必ず存在するのではないか……。
 ヴァザーリはあまりにも働きすぎたのだ。一日中、年がら年中、昼も夜も狂ったように働いたのだ。眠気さましにランプの油で眼をこすり、それが習慣となって失明しそうにまでなったという。ほんとうかどうか、いかにも胡散臭い《ジョーヴィオ師の医学的治療》なる方法で回復はしたらしいのだが。それほどだから、ヴァザーリの死は、過労死と言えるのではないか。
 わたしはパソコン疲れで目薬をさすが、ランプの油はどうしたって使わない。そんなものをもっているはずもないし、そんなことまでして仕事をする気概もない。が、けっして怠け者ではないと自分では思っている。ヴァザーリほど過激ではないが、連日の徹夜仕事で体調を崩し、納品を急遽、妻に頼んだことだってある。もっとも、それは今までにただ一度のことだ。基本的に妻はわたしの仕事を手伝わない。いや、原稿のコピーを手伝ってもらったことがあった。妻は原稿の多さに、しまいに音をあげたが、まあその程度のことだ。妻が気にするのは仕事の報酬の額であって、日々やりくりに頭を痛めているのも妻のほうなのだった。
 それに、自分が立派な経営者だとも、口がさけても言えない。融資の返済が滞った取引銀行の行員に、経営者の資格がないとたしなめられたことだってあった。思えば、多方面にずいぶんとたしなめられてきた。そのつど何とか切りぬけてきた。が、妻の嫌味からはいまだに切りぬけられない。
 二つの疑問が浮かんだ。
 ヴァザーリは、とんでもない仕掛けをしたのではないか。あのときのヴァザーリの死は、ほんとうだったのだろうか。あれは自分自身のための、ヴァザーリの最後のアッパラート企画ではなかったか。
 アッパラートとはつまり、生誕、結婚、葬式、レセプションなど、儀式での街の飾りつけとパレードのことだ。メディチ家は、その威光と財力を示すために、ときには財政をおびやかしてまでも莫大な費用でこのアッパラートをたびたび行なってきた。
 ヴァザーリは従順に仕えてきた過酷な宮仕えの最後に、そのアッパラートで自分自身を飾りつけてみたかったのではなかろうか。ダ・ビンチの絵を「探せよされば見つからん」と謎にかけ、何世紀も人類を騙しつづけてきたかのように、秘密裏にだ。ヴァザーリの自己顕示欲と、しぶとさからしても、その可能性は考えられるのではないか。それでこそ、まさしく、驚きとしてのマニエリスムとなるのではなかったか。でなければ、ヴァザーリの人生は、あまりにも陳腐でつまらないものになってしまうのだから。ところが、メディチ家が獲得したのは脳のある骸ではなく、ヴァザーリの内臓のほうだった。
 もう一つの疑問。ヴァザーリはメディチ家宮廷内の美術家を仕切った実権者だったはずだ。メディチ家がほしがるのは脳のほうが妥当で、内臓では不自然に感じる。脳は骸のほうにあるのだ。それとも、脳も心臓しだいだというのだろうか。
 当時、医学の水流は宗教の拘束を解かれたルネサンス医学へと流れていた。十六世紀イギリスの医師ウィリアム・ハーヴェイの内臓循環構造は「人間の血は、心臓から心臓へ」なのだった。医学の潮流は宮廷の予感ともなって、メディチ家に遺されたのは、やはり内臓のほうだったのか。
 水の流れがいずれ、遠く見えない海へとつながる小さな川。ボーボーと得体の知れない啼き声がひそむ川。結城座のあやつり人形たちが夜ごとに水上を行進する川。川底は暗闇に黒く沈んでいた。気がつくと、いつの間にか、わたしはカタクリ橋の上に立っていた。

 街はいよい衆議院解散選挙に突入していた。与党も野党も勝ち負けに夢中だから、経済も雇用状況も、そしてわたしの仕事や生活も、改善がみられるのは当分おぼつかない。貧しい食卓事情はまだまだつづく。これでは妻の不機嫌がつのるばかりではないか。
 そういえば、べラスケスもまたヴァザーリと同様に過労死だった。宮仕えの良き従僕として死んだのだった。たしかに、二人は優れた美術家として、めざすゴールにたどりつけたのかもしれない。けれども、それぞれ迷宮の迷路を行きつもどりつ、死ぬまでさまよっていたのではなかったか。はたして思惑どおりのゴールにたどりつけたのだろうか。
 ヴァザーリの内臓を探す。
 それは、すべてに行きづまったわたしの、唐突な思いつきだった。
 わたしはヴァザーリの内臓を探そう。注文一つなくなったデザインの仕事ととおさらばしよう。今日から、わたしの商売は内臓探索屋だ。メディチ家の演出者ヴァザーリの失われた内臓探しをしよう。停滞よ、さようならだ。
 パトロン願望から突拍子に湧いてでた思いつきが愉快だった。ただの思いつきにすぎず、漠然としていたから、なおさらワクワクした。目先の閉塞したわたしにとって、それは大きな明りに見えた。独りよがりのブレーンストーミングは気ままでよい。思いはどこに行こうと、どうブレようと、誰にもとがめられることがない。この素敵な妄想は、これから日々くりかえしつづき、迷惑メールの削除にとってかわる日課としよう。自由で奔放な妄想時間。川沿いの散歩にも、スーパーマーケットの買物にも、わたしはヴァザーリの内臓探しを考えながら歩こう。もちろん、妻には内緒にする。妄想の話など、妻のヒステリーを招くだけだから。
 では、ヴァザーリの内臓の《売り》とは何だろう。ヴァザーリは、まさしくサラリーマンとして、メディチ家企業を経営した一人だった。ところが、ミケランジェロの後継者とも目されていたにもかかわらず、今日において芸術家としての人気はいまいちだ。本音のところ、わたしもヴァザーリの絵は、それほど好きではない。あの独特のマニエリスム特有の面白味に欠ける。デッサンを重んじた技術的器用さのせいか、理屈っぽいだけに感じてしまうのだ。なにしろ、常々自慢しているように、ヴァザーリの仕事はとてつもなく速かったのだ……。
 あれこれと思いめぐらしているうちに、なんだか意に反して気がめいってきた。愉快な思いつきが、よくよく考えてみると、かなり重い。内臓探しなどとは不謹慎にも思える。妻どころか、他人に話せることではない。妄想は妄想のうちで妄想しなければならない。それこそが妄想なのではないか。もっとも、今のわたしに、妄想を言い聞かせる友も知人もいない。どこまでも、わたしの中だけの妄想にすぎなく、これはたった独り、わたしだけのことなのだった。
 ひどい暑さのせいか、難聴ぎみの左の鼓膜に圧迫感がある。嫌な感じだ。鼻をつまんで耳ぬきをしてみたがスッキリしない。すぐに治るだろうと気にするのをやめたが、からだのガタは耳だけではなかった。そこらじゅうにきている。それでも歩くのは達者で、バス代の倹約になるからと、どこまでも歩く。実際、バス代がないときもある。ぐずぐずと坂道を登るわたしを尻目に、バスが通りすぎていくことだってしょっちゅうだ。バスに乗れば二十分ですむものを、数倍の時間をかけて駅に行く。家へと帰る。歩きながら妄想を抱くこともてあるから、わたしの妄想時間は山のように尽きることがない。
 残り少ないインスタントコーヒーは、あと二、三杯分といったところだ。ひさしく吸えないまともな煙草とともに、いよいよ飲めなくなるコーヒーがうらめしい。しかたがない。無駄とは知りつつ、ハローワークに出かけることにしよう。パソコンでも求人検索はできるが、階下でさびしくしている妻の気配が息苦しかったのだ。

 戸外は陽照りのわりに熱気が強かった。昼下がりの城跡公園の横を通りかかると、森の奥で蝉が啼いていた。乾いて赤茶けたオオトがアスファルトの上に潰れていた。硬直した野鳥が仰向けにころがっていた。
 間もなく、国道沿いのなだらかな登り坂に出た。道の奥にひっそりとかくれているような京王線の駅は、知らぬうちに通りすぎてしまった。途中ごくまれに人とすれちがうが、輪郭がかすんではっきりしない。坂を登り切って横断歩道を渡ると、街までつづく坂道を下りはじめる。たいした坂ではないのに、ころがるような歩調を制御できない。まるで落ちていくようだ。鼓膜がふたたび痛みはじめる。
 ハローワークは求職者であふれていた。皆いちように深刻で疲れた顔をしている。求職データを閲覧するパソコンも満席だ。職員が人々の隙間を忙しなく動きまわっているのを見て、ここがどこよりも景気のよい会社に思えた。
 このままでは立ち行かないと、自分の仕事とはかけはなれたアルバイトやパートタイマーの面接を受けてきた。が、どれも思うようにならなかった。
 一つは、若い女社長の経営するIT会社だった。
 女社長は面接の終盤にかかって「その歳で重い作品をもって歩きまわるなんて、わたしも心してかからなきゃならないわ」と言った。まったくそのとおりだ。たしかに、作品は重くてかさばっていたのだ。
 一つは、パソコン入力のパートタイマーだった。
 総勢六名の面接官を相手にした面接で、感触がよかったと感じてはみたものの、面接日から半月後の電話での結果回答は「不合格です、履歴書を返すからとりに来てください」だった。どうして今さら交通費と時間を費やしてそんなものをとりもどしに行かねばならないのか。郵便で送りかえせばいいだろうに。いったいどれだけの人数が面接に来たのかは知らないが、郵便代節約はたしかに立派な経営だ。それでも、「そっちで破棄してください」と鄭重にお願いしたら、まちがいなくシュレッターにかけておくと言われた。なあに、わざわざとりに来ることなどあり得ないと、はじめからその気でいたのだろう。結局は無駄な時間をつぶされ、貴重な交通費を失っただけのことだった。
 牛乳屋の募集にも行った。
 仕事は早朝の仕分け作業だった。面接担当者が、わたしの履歴書を眺めながら、ルーブル美術展を観てきたと言う。それから、趣味は何だと聞くから、絵を観ることだと答えておいた。牛乳の仕分けに趣味が役立つなら、ほかにもいくつか言おうと思ったが、そんなことはないだろうと、やめておいた。あんのじょう、ここも落ちた。仕事にあぶれた人間がわんさとおしよせれば、としよりではなく若い人間を採るのがあたりまえの話だ。文句はない。
 パソコンに向かって十五分ほど求人データを検索した。
 年齢不問のパートやアルバイトの求人データは意外とあった。しかし、年齢不問は、つまり若くてもよいのだから、高齢者には狭き門だ。年齢不問とする意味がない。データをくくるたびに諦観と疲労が積みかさなっていく。
 いいかげん億劫になってきた。適当なデータをプリントしてパソコンから離れた。
「もう無駄よ」
 妻の愚痴が思い浮かんだ。
「募集は女です」
 だったら、はじめからそう明記してください。
 返事すらくれない会社だってあった。
 妻の言うとおりだ。ろくでもない。
 コイヘルプスの鯉が見つかったのは平成十六年の五月だと城跡公園の池の看板にある。人間には感染しないらしいが、あのぬぼーっとした沼の鯉の顔に、誰が食べる気になるだろう。しかし、鯉の洗いというのがあるから、好きな人は食べるがいい。鯉料理は夏の旬でもあるのだし……日々見物している鯉。偶然に選ばれた沼に偶然に放たれ、偶然に生きている鯉。死ぬときも偶然。わたしも妻も、出会いが偶然であったように、いつか偶然に死ぬだろう。そして、ヴァザーリのとりだされた内臓も偶然だ。偶然を感じる感触があるだけだ。わたしはただ、ヴァザーリの内臓を手に入れたいと感じただけだ。そのように感じたのも偶然だ。今日もまた、求職をあきらめた。

 道が陽炎で揺れている。ぶりかえした陽照りが全身をおおい、まるでレンジの中で焼かれているような気分だ。ほかの人間もこんなに暑く感じているのだろうか。からだじゅうから汗が吹き出し、ぬるった顔面が気持ち悪い。鼓膜がひどく痛む。我慢できない。痛い。街道を走る車のクラックションが、わたしのいかれた鼓膜を鋭く一撃した。
 キナ臭い。鼻に打撃を喰らったときに嗅ぐ火薬のような匂いだ。いや、ちがう。何か果実か。熟しきった甘い匂いのようでもある。果実の腐りかけた匂いが鼻先で蠢いている。。たぶんそれは、記憶と呼ばれているものだ。サガンに言わせると「今は存在しないものを思いださせる」不意打ちの匂いだ。しかし、わたしにとって「今は存在しないもの」は、不意打ちなどの匂いではない。容赦なく継続する後悔と、わたしそのものを忘却してしまうという不安の匂いだ。もっと気になるのは、妻にとっての匂いだ。どのようなものであったのか……おびただしい汗がこめかみにつたわる。耳鳴り……イルマン、イルマン、イルマン……耳の奥で意味不明な言葉がくりかえしている……イルマン、イルマン、イルマン……。
「わたしの内臓にはご利益がある。帳簿もしっかりつけていたからね。もともと工房の職人なので金銭の出納をきちっとやっていたのだよ」
 足下の白い石畳。
「内臓の売り言葉は、年金を抜け目なくいただくヴァザーリ効力、とでもしておくといい。老後の備えに最適ではないか」
 なだらかにつづく下り坂。
「わたしがどんな人間だったかを知れば、若い人にとって、きっとこれからの人生に役立つはずだ。なにしろ、わたしの幸運も要領も、わたしが歳をとってから気づいた偶然だったのだからね。それを若いうちに知ることができるのだ。人生の危機と幸運を見逃さずにすむというものだ」
 糸杉の先端が風に揺れている丘陵。
 ※わたしのモットー
 繊細であること。注意深いこと。用心深いこと。優しいこと。自己弁護と攻撃はユーモアをもって行なうこと。つねに高名な人々とつきあうこと。いかなる疲労、困難、徹夜、窮乏にも負けないこと。自分自身をよく知ること。うぬぼれないこと。時間を浪費しないこと。安易なことに流されないこと。軽薄なことにかかわらないこと。まきぞえをくらう危険を冒さないこと。手紙やコミュニケーションの話題は、あたりさわりのないものを選ぶこと。長いものには巻かれること。阿諛追従とおべっかのすべに長けること。意見はころころ変えること。敵対者には立ち向かうこと。何事も邪魔されないこと。家族を思うこと。厳格。寛容。気弱。かたくな。リベラル。保守主義。律儀。反省思慮。意地悪をしない。そして、孤独を愛すること。
 ※わたしの教養
 人文主義。実利的頭脳。コレクション趣味。ソネット、散文、そして詩人であることの文学的素養。そしてもっともたいせつなのは、模倣の論理。
 ※わたしの金銭感覚
 けちであること。貪欲であること。こまめであること。支払いの保証をかならずとる。契約は黙殺する。値上げ要求をする。交渉人を活用する。権利を直接交渉する。前貸しの交渉をする。支援の交渉を行なう。その反面で、支払いのよさ、気前よさ、出し惜しみしない、浪費家、借金あり、文無しだが金持ちで大地主。あさましいの一語。
 ※わたしの結婚観
 恋心の禁止。慎重な打算。結婚条件は値切る。多額の持参金をもってこさせる。結婚から二年間を嫁の実家に留め置き、食事代、衣服費など生活費は嫁側に払わせる。そして、花嫁を些細、とるにたりない、重要ではない、と思うこと。
「自分でいうのも何だが、ずいぶん矛盾していて言葉のパズルのようだ。できるだけ客観的に自分を観察してみたが、これが正直なわたしだ。わたしがめざしたのは、家族の安泰だ。つまりそれは、安定した食卓のことだ。仕事はそのための手段だからこそ、あんなにも速かったのだ。つぎからつぎと仕事を請負っていたのもそのせいだ。モットーにもう一つくわえておくことにしよう……仕事は腐るほど請負っておけ」
 かすかにつたわる鐘楼の音は、サン・フランチェスコ教会か、あるいはグランデ広場のビエーヴェ・ディ・サンタ・マリア教会のものか。ルーカ・シニョレッリの『受胎告知』があるのはどちらの教会だったろう。蒼空にはいくつもの白く巨大な雲が浮いていた。
「金は人間の命だ。血は再生するが、金がなくなれば命を失う。だから日々の食卓は命の象徴といえる。人間は金をかせいで人間となり、金の後から幸運がやってくる。これが、十六歳で明日の糧を保証しなければならなかったわたしの、金にこだわる理由だ。わかってもらえるかね」……。

 坂を登っていくバスを見送りながら歩いていた。足下は灰色のアスファルトだった。白い石畳はどこにもない。
 ふくらはぎがはり、重いからだは前方に傾斜して、下着がべったりと肌にはりついている。かすむ視界。渇く口腔。治まらない耳鳴り。聞こえなくなった役立たずの左耳。それは形だけの耳だ。寝るときは左耳を枕にあててから眠る。右耳をあてると物音が聞けず不安になるからだ。寝るのに物音など聞こえなくていいものを。どうせ眠りについてしまえば、どちらの耳が下になるかはわからないのだ。物音の気がかりはその程度でしかない。寝耳は何も聞いてはいないのだ。耳は死んだように眠る。
 朦朧としていた。はたして、歩いているのか寝ているのか、はっきりしない。たぶん、気絶する前には家にたどりつけるのだろう。気にすることはない。それに、ヴァザーリとの《契約》も成立したのだと思う。あとはヴァザーリの内臓を手にいれればよいのである。それにはヴァザーリの内臓箱を探すことだ。ヴァザーリはそれには触れずしまいだったが、わたしもなぜか訊けなかった。しかし、時間だけはたっぷりある。
 そして、わたしには《踊る人》がいる。踊る人はわたしに万能の自信を与えてくれる。ところがうっかり油断をすると、うんざりする退屈をもたらすやっかいな代物だ。ヴァザーリにならって用心深くいなければならない。あのダイダロスのように、息子イカロスの墜落を目撃するハメに陥らないためにもだ。街は今、ダイダロスの家族であふれているではないか。迷路にはまった三万人が日ごと失墜しているのではなかったか。
 ところで、三万人とは「軍隊の一小隊が四十人とすれば七百五十もの小隊が毎年壊滅していることになる」といった数字ならば、某国をだしに軍備拡大をもくろむ政治家も多少は政策のまずさを省みるのではないか。それとも、七百五十小隊など、ものの数ではないというのだろうか。それではいったい三百十万人ならば何小隊になるのか。小隊も、国も、たった一人の人間からはじまる。そのたった一人を無視するならば、その人間は実は国のためなどとは思っていない。正体はただの白痴か、別のものを期待しているのだ。軍上層部にとっては、零戦だけが特攻なのではなかった。すべての兵隊と国民が特攻隊だったのだ。はなから生還をないがしろにし、いの一番に逃げだす軍上層部に、戦争に勝てる道理はない。
 赤紙召集に、悲しさをおしかくした紋付袴で万歳をするのは、誰が考案したのか。死出がめでたいことだと誰がうえつけたのか。若者たちを万歳で送りだし、遺骨で迎える葬列のつらさに、いったい誰が責任をとったのか。……たかが人間一人の失墜。DNA鑑定だってそこそこに死刑執行せよ。犯罪はワイドショーのごとく裁け。守らなければならないのは役人様だと頭に叩きこめ……夏は大虐殺の季節だ。人間が生きたまま大量に焼き殺されたサマータイムだ。
 それでも、街ではたくましく進行する祭りの準備。明日から燃えるような夏祭りがはじまろうとしていた。

 大家との交渉がかろうじてうまくいった。これでとりあえずホームレスは、しばしの猶予を得た。しかし、妻には食卓の保証が残っている。食卓はいつだって眼の前にあるのだ。このままでは、二人が墜落するのは時間の問題だ。ひょっとすると、墜落の場所と方法を、ダイダロスのごとくみずから考案しなければならなくなる。それだけは勘弁してほしい。氷の下の鯉のごとく、わたしはしぶとくなければならない。ぐずぐず愚痴ってはいられないのだ。
  ふいに動きが麻痺し、運行が疲れるとき、
  そのときにだけ一瞬すみやかに風情が変わる。
  驚嘆すべき測地術によって
  踊り手たちはそのふたしかにさまようのみだった足の輪をゆるやかにひらく
 ジャムバッティスタ・マリノの詩『踊る人』だ。出だしのところがそれらしく思い、詩の題をパソコンの名前にもらった。メモリー不足もあるが、時々疲れてフリーズしてしまうからだ。クラシックになった機種だから、それもしかたない。今のわたしには踊る人だけが頼りなのだ。たとえ日々、迷惑メールに侵略されようと、それはたいした欠陥ではない。踊る人はダイダロスが創作したアリアードネのためのダンスを、わたしのために踊るだろう。
 と、アリアードネの糸鞠はアルゴーの一党、テーセウスに贈られたもので、ダイダロス親子にではなかった。
 いきなりの足踏みだ。アリアードネは喩えでの期待だったが、まったくがっかりだ。わたしはあっけなく頓挫の水巴に溺れていた。

 祭りの山車が白粉の子どもたちに曳かれている街道*神輿*空に舞う囃子の音*灼熱の部屋*安物の扇風機*残り少ないインスタントコーヒー*ピカドンの、夏の日。
 踊る人が、ヴァザーリの内臓箱を探しつづけた。ヴァザーリを検索しつづけた。それはまるで、ダ・ビンチの描く緻密な唐草模様をなぞるようだ。ロラン・ル・モレでさえ、その著書にヴァザーリの内臓の行方を記してはいないのだ。二千十一年はヴァザーリの生誕五百年だ。何かあってもいいはずなのに何もない。ヴァザーリの人気からすれば、それもありなのか。
 今のところ、踊る人は酷使に愚痴を言わないが、いずれフリーズするだろう。フリーズなら再始動ですむけれど、無理がたたってあの世に逝ってしまうことだってある。買いかえなんて夢のまた夢だ。とんでもないわと妻は言うだろう。踊る人の無事を願うが、願ってばかりで情けなくなる。わびしくなる。
 あの日あの時もそうだった……。妻の母が逝ってからすぐの、夏もそろそろおわろうとするころだった。住宅金融公庫の借り入れを滞納した二百万円を払いきれず、三十代で建てた家を競売にかけられた。用立ててくれと実家に頼みに行ったが、夜中までねばってはみたものの、無理だとことわられた。サラリーマンだった父に余裕の財力はなかった。それではと実家をかたに金をつくってもらっても、わたしの困窮はつづいたのだろうから、しまいには実家まで失うことになったはずだ。結局、滞納金は期限に間にあわせることができなかった。
 引っ越しの日、前夜から降りはじめた激しい雨が朝にはもやった霧雨に変わっていた。雨は屈強な引っ越し屋の作業服を重く濡らしていた。
 段ボールがつぎつぎとトラックにつみこまれていった。妻は徹夜の荷造りに疲れきっていた。つみきれずに残していく植木鉢や傘立てに使っていたギリシャ風の壺を心なく見つめていた。それにくらべ、わたしの気分は妙に高ぶっていたように思う。競売で落札した業者、引っ越しの手配を頼んでもいたのだが、五十がらみの男とどうでもよい世間話をしているのだった。
 昼ちかくになって、家財道具をぎりぎりまでつみこんだトラックは、住み慣れた家から半日かけて、妻とわたしを見知らぬ街へとつれ去ったのだった。
 それが、六十歳を過ぎた再び、多少なりとも回復をみせていた仕事がまた落ちこんだ。世間は世界同時金融危機といわれる百年に一度の不況の真っただ中に陥っていたのだ。そんな百年を避けられず、見事に苦境にはまってしまった自身の策のなさが、つくずく情けなかった。もっとも、団塊の世代みんなが同じなのだから、わたしだけがはまったわけではなかろう。と、妻には愚にもつかぬ理屈でいいわけをしている。わびしい思いをさせている妻には、なぐさめの言葉さえ見つけられずにいた。
 街の祭りがおえた翌日、ひさしぶりに、ほんとうにひさしぶりに、仕事が入った。注文は午前中に確認したメールに入っていた。商店街からの小さな仕事だった。これでとりあえず米代が稼げるとありがたかった。
「仕事が入ったよ」階下に下りて妻に告げた。
「そお、よかったわね……」喜んでいるのかよくわからない妻の返事だった。妻はもう疲れきっていたのだろう。
 商店街の仕事は納品しだいの支払いだったので、急いで仕上げることにした。まるでヴァザーリのような早業でだ。妻はそんな安い仕事と愚痴るだろうが、少しでも食卓が潤えば手のひらをかえしたように喜ぶはずなのだ。料理をする者にとって具材の多寡は大きな問題だと、このわたしでもわかっている。料理好きの妻を喜ばせてあげたいとつくずく思う。「仕事は腐るほど請負っておけ」。小さな仕事でもいい。もっともっとほしかった。
 徹夜で仕上げた仕事をメールで商店街に送った。問題がなければ二、三日でデザイン料が口座に振りこまれる。そのことを妻につたえ、わたしは二階にもどって布団に横たわった。
 寝苦しい。なんども寝ついては眼がさめた。寝汗とともに疲れが出た。しばらくすると、耳の遠くに音楽のようなものが聞こえた。やがてそれは遠のき、ようやく完璧な眠りへと滑りこんでいった。

 他人のアッパラートを仕切るのは、もうあきた。もはや宮仕えにも疲れ、忠実なだけの従僕ではないことを証明したい。わたしは神聖ミケランジェロを継ぐ人間だ。わたしはミケランジェロと同様の《神》になることを望んでいる。それには、自身のアッパラートを自身の眼で目撃し、確認することだ。サンタ・マリーア・ヌオーヴァ病院の解剖医も、わたしの遺体を納める棺をつくる木工職人も、さらにはアッパラートを芸術指揮する人間も、すべて秘密裏に話をつけなければならない。そのために必要な口止めの金は、パトロンであるコージモ大公から、ぬけめなくひきださねばならない。
 もっとも重要なことは、このくわだてが宮廷の人間たちに知られてはならないことだ。もしもくわだてが暴露されれば、わたしは宮廷審問にかけられ、宮廷への背徳とコージモ大公に対するうらぎりとして、死罪になるのは必定だ。大公の《ポルヴェリー法》なるものが布かれていたからだ。一切合切を隠匿しなければならない。
「今日の屍体は?」
 サンタ・マリーア・ヌオーヴァ病院の午後の解剖室は、ひっそりと静まりかえっていた。拭いきれない血が生臭く匂っている。わたしはいつになっても、解剖室に慣れることができないでいた。
「宗教裁判の受刑者です」わたしの気分をさとったのか、老年の解剖医が皮肉な笑みを浮かべて言った。解剖台には若い女の屍体が裸で横たわっていた。これはいつもの勉強だ。絵画にはデッサンがもっとも重要なのだ。人間の骨格や筋肉を誰よりも知らねばならない。
 宗教裁判は日常の出来事だったから解剖用の屍体に事欠かなかったが、拷問によるからだの損傷が不満でもある。しかし、病人の屍体よりはましなので我慢する。
 解剖医は、切り裂いた部位の名称や機能を説きながら、慣れた手さばきでメスを入れていく。
「ところで、どうだね……」わたしは、女の腕にむき出た緻密な筋肉をデッサンしながら、解剖医に訊ねた。
「姿かたちがあなたに似た屍体を用意するのは、なかなかむずかしいです。黒死病患者でもよろしいですか?」解剖医は意地悪く言った。
「それは駄目だ。まあ、待つことにしよう」と、わたしは言った。
 アッパラートのタイミングは、この屍体にかかっている。いつ調達されてもいいように、すべての段取りをつけておかなければならないのだ。
 書き割り用の古代ローマを模した騙し絵の元図は、仕事の合間に描きためてある。わたしにとって、ひそやかではあったが、この時間がもっとも幸せだったように思う。アッパラートの構想や絵の構図に、誰の口出しも、邪魔もされなかったからだ。遺体を納める棺は、早いうちに一人の大工につくらせてある。早めであれば、それだけ不明な事になるだろうと思えたからだ。棺はアッパラートのときに黒いビロードでおおうため、つくった大工にはわからなくなるが、念のために誰の棺に使うかは知らせていない。その棺は今、病院の一室にひっそりと隠し置かれている。内臓を納める箱と松明を入れる箱のほうは、すでにわたしがつくって、工房の地下室にしまってある。この地下室の所在は、わたしだけが知る場所だ。
 腕の解剖がおえると、解剖医のメスは女の左足へと移った。過酷な刑具で責められたのだろう、屍体の足指は両足ともすべて失っている。これは官吏や刑吏といった役人の仕業だ。その根源となるのは、国家というものと、宗教だ。拷問の恐怖は、わたしとて例外ではない。宗教裁判、または異端審問は、すべての人間にしかけられる平等だ。人間は絶望的に救いがたい。他人の凄惨な死を無情にデッサンするわたしもまた、その人間の一人だ。女はただ、わたしのデッサンのためにだけ、解剖されている。
 アッパラートの芸術指揮を誰にゆだねるか。これを決めるのが一番の難事だ。最後の仕事をみごとに完成させ、あきあきとした宮廷を後にしたい。芸術指揮者こそ、その夢をかなえてくれる。それには、腕がたしかで、信用できる人間でなければならない。
 わたしは仕事を大きなチームで遂行するシステムをつくった人間だ。工房には優秀な人間が何人もいる。ひと声かければ、いつだって駆けつける美術家もいる。世間で彼らは一流の芸術家とみなされてはいないが、皆たしかな力をもっている。しかし、彼らはどこまでわたしの秘密事につきあってくれるだろうか。彼らとて、秘密が漏洩すれば、ただではすまない。わたしと同様に、死罪を覚悟しなければならないのだ。このことは、くわだてにかかわる、すべての人間にいえることだ。できるかぎり最小限の人間に留めておく必要がある。はたしてそんな人間がいるものなのか。わたしは決めかねている。そして何よりも重荷に思うことは、くわだてに最後のしまつをつけることだ。こればかりは、わたしがやるしかない。
 そして気がかりは、やはり宮廷の動き、とくに注意しなければならないのは宮廷内の同業者である。
「君の本に書かれた美術家たちは、君ほど多くの好意をコージモ大公から得られなかった」師と仰ぐミケランジェロ先生からの手紙の一つだ。師はメシアがつかわれた芸術の模範だ。それにくらべ、わたしは器用で仕事が速いだけの何でも屋だ。そのわたしに彫刻をやりなさいと薦めてくれたのも師だった。わたしは師の逝去にあたり、「師は愛によってわたしの父です」、とお悔やみ状に書いた。それほどに、師はわたしを愛してくれた。わたしは師を尊敬し、多くのアドバイスを求めたものだった。
 性格がまるで正反対だった二人の関係を疑問に思う人間がいる。たしかに、わたしは気やすい生活者であり、師は禁欲的な真の芸術家だった。だからこそ、二人にしか通じない思いがあったのだ。師は人間嫌いだったとも言われたが、師のほんとうの姿は、二十五年来の師の召し使いウルビーノの死を哀しんだ、わたしに届いた手紙でわかる。手元にあるので紹介しておく。
「ウルビーノが死にました。ウルビーノの死は私にとっては、神の恵みであり同時に大きな損失で、限りない苦しみでした。そのことは御存知でしょう。恵みというのは彼は生きていた間は、私を生き生きとさせ、死ぬ際には私に死に方を教えてくれたからです。ですから悲しみをもってではなく、死への望みを持たせてくれました。私はウルビーノを金持ちにさせました。また彼を私の老年期の杖とも休息のよすがとも思い、あてにしていました。それなのにそうしたいま彼は私を見放し、また彼とは天国で再会できるという期待しか持てなくなってしまったのです……。私という人間の大部分が彼とともにどこかへ行ってしまった。そして残ったのは限りないみじめさだけです」
 コージモ大公が支払う給料は、誰よりもわたしが多かった。気をつけなければならないのは、同業者の嫉妬だ

「入金はまだなのかしら」妻は苛立っていた。
「午後にまた確認してくるよ」わたしは言った。
 あてにしている入金が予定をすぎても確認できないでいたのだ。もうなんどもコンビニのATMにかよっていた。そのつど、虚しい結果に妻は気をもんだ。
「冷蔵庫がからっぽよ。もうやりようがないわ」妻が言った。
「なんとかするさ」と、わたしが言った。
「そればっかしですね……」
 妻の気持ちは、苛立ちからさびしさに移っていた。
「入ってたらスーパーで買ってくるものはどうする」
「入ってればいいですけど……」
 買物のメモを小さな鉛筆で書く妻。あてにできない買物と、そして不確かな食卓。
「金は人間の命だ。血は再生するが、金がなくなれば命を失う……」ヴァザーリの言葉に身がつまされた。もはや、わたしたち二人の血は再生する力さえ薄らいでいるのではないか。メモをとる妻の手が小さく見える。
「すまないね……」わたしが言った。
「どうして、こんなになったんでしょう。なんででしょう……」妻はメモを見つめながらつぶやいた。わたしは、ただ黙っているだけだった。

 コージモ大公にとって、祭りは政治としてのもくろみ、つまり政策の一つだった。大公は、あらゆる祭りで人民の感情をコントロールし、それを掌握した。日常の様相を美しく一変し、現実と非現実を錯綜させ、感覚のめまいを人々に楽しませた。大公はそのための出費を惜しまなかった。街の人々がそうであったように、政策とあらば、大公にとっては祭りの名目などどうでもよかったのだ。機会さえあれば、祭りを執り行なったのである。
「わたしも歳をとりました。先はそう長くないでしょう。どうかそのときには、わたしの葬儀も盛大に執り行なわれますよう、お願い申しあげます」わたしは言った。
「あいかわらずだな。それ相応の給料だけでは満足せず、葬儀までねだるのか」コージモ大公はあきれ顔で、それでも笑った眼で言った。
 わたしは誰よりも美術家として大公に愛されている。そのためにこそ長い間、わたしは追従とおべっかを大公に労してきたのだ。ましてわたしは、宮廷画家たちをとりまとめ、彼らの給金を決めることさえできる地位にあるのだ。ここで大公の快諾を得られれば、わたしのくわだては大幅に楽になる。
「長生きして、いつまでもわたしのよき友でいてくれ」
 大公の約束をとりつけた。わたしは、宮廷の財務官にその旨をつたえ、文書を作成させた。大公はわたしより十歳近く若かったにもかかわらず、すでに健康を害していたからだ。大公との約束を絶対的な公約として残しておく必要があった。
 さっそく、わたしはくわだてを修正した。葬儀の構想が公にできるようになったのだから、芸術指揮者もおおっぴらに決められるわけだ。とがめられる理由は何もない。棺や他の箱についてもかくしておく必要がなくなった。となれば秘密は、わたしの死を偽装する解剖医だけ、ということになる。もちろん、葬儀の偽装そのものは最後の最後まで絶対の秘密だ。

 いよいよになって、商店街に支払いの確認をした。何ということはない。事務的ないきちがいがあったそうな。それで明日の午後、やっとの思いで金をひきだせることになった。
 翌日、わたしの頭の中は、やっと吸える煙草でいっぱいだった。出かけに「煙草は買わないでね」と妻に釘をさされたが、それは無理な注文だ。いの一番に、わたしはコンビニでゴールデンバットを買うだろう。安い煙草なのは、せめてもの妻への遠慮だ。妄想の毎日はニコチン中毒の禁断症状のあらわれなのだから許せ妻よ、と自分にいいわけをしながら歩く。仕事がうまくいっているときには、二箱も三箱も吸った煙草だった。もっとたいせつに吸っていればよかったと無意味な後悔は、煙草には素直になれた。道のシケモクを拾う気にもならない。つくづく勝手だ。
 コンビニはスーパーマーケットの隣にある。ATMで金をひきだし、まずはレジでゴールデンバットを二つ買った。なぜかタスポをもつのが嫌だったから煙草はここで買うしかないのだが、煙草が吸えればどこで売っていようがどうでもいい。煙草を受けとると、すぐに封をあけてコンビニの玄関前に置いてある灰皿で吸った。情けないことに、吸ったとたんに、くらっとめまいがした。吸いおえて歩きだしたら、からだがふわふわと浮いた。空腹で軽くなったのか、それとも煙草でなのか、わからないからだの軽さだった。
 ひさしぶりのスーパーマーケットの店内は明るかった。まるで子供がお菓子の家を見つけたかのように、スーパーマーケットの食品の数々に眼をうばわれた。それでも買うものはかぎられていた。妻は料理に必要な最低限の品数をメモしていたのだ。よけいなものを買うことはできない。むろん、コーヒーは買えない。
 帰り道、手に下げた二つのビニール袋が重かった。キャベツがかさばっている。今夜の食卓は野菜炒めだろうと勝手に想像した。
 途中、城跡公園のベンチで休んだ。街灯の少ない公園はひっそりと、もう夕方の暗さになっていた。ちらほらと蝙蝠が飛びかっている。煙草に火をつけて深々とひと息のんだ。吐いた煙りが、ひとかたまり白く浮き、薄闇に散って消えた。めまいは、なかった。わたしは、ベンチに腰かけたわたしの姿を、他人の眼で見ているような気がした。背を丸め、両切りの煙草を吹かしているわたしは、すっかり老人だった。力のついえた老さらばえだ。
 公園内に点在する彫像が、じっと黒く立ちすくんでいる。昼間には何かと語りかけてくる彫像が、どれもかたくなに口を閉ざして黙している。それはただの黒い塊にすぎなかった。
 荒涼とした虚しさがこみあげた。妻が首を長くして食材を待っている。わたしはふたたび、わが家へと歩きはじめたのだった。
 
 おそれていたことがおきた。宮廷関係者の一人が露骨な嫉妬をみせはじめたのだ。それはまず、あの《ポルヴェリー法》の密告者という形であらわれた。
「この時間にどのような御用ですか」
 夜中の九時をすぎたころだった。馬上のわたしを訊問したのは、いかにも市井の職人風といった男だった。ご大層に捕縛用の腰縄までぶらさげている。不躾に向けられた燭籠の灯がまぶしい。
「わたしを誰か知らんのか」と、わたしは言った。
「大公様の御触でございます」男が上目遣いで言った。
「いかにも。それはわたしもじゅうぶん承知している」と、わたしは言った。
 ポルヴェリー法は、国家と専制君主コージモ大公に対する犯罪の罰則として公布された。陰謀、悪心、たんなる嫌疑や犯罪の意図があるだけで厳しく罰せられた。その密告者たちは、多額の褒章金によって、街の隅々まで監視の眼を光らせていた。事を知りながら密告を怠ったものでも、死罪を科せられた。あるものは、市民の眼前で高い建物の窓格子に吊るされ、今でもその惨い屍を晒されている。コージモ大公は、多くのスパイをかかえ、こうした密告を毎日確認しているのだ。
「それでは、お答えください」男が言った。
「サンタ・マリーア・ヌオーヴァ病院からの帰途だ」
「病院にどのような御用です」
「公務について君に答える必要はない。それとも何か特別な事情でもあるのか」
 男の執念深さに役目以上のものを感じて、わたしは馬を下りた。そして、男をねめつけた。
「これ以上の無礼は君にとってこまることになるぞ。大公に報告せねばならなくなる……」
 大公には大公なのだ。男の顔色が燭籠の灯の中でも蒼白になったのが見てとれた。わたしは畳みこんだ。
「それとも、誰かのさしがねなのか。正直に話してくれれば今夜のことはなかったことにしておこう」
 男がおびえているのが手にとるようにわかった。それほどポルヴェリー法はおそろしかったのだ。
「まあ、君しだいだが」わたしはやさしく笑んでみせた。
 すると男は安堵の顔をとりもどしたようだった。わたしは、すかさず懐から財布をとりだすと、いくばくかの金貨を男の手ににぎらせた。男は素早い手つきでその金を懐にねじこみ、あっさりと口を割った。あまりのあっけなさにあきれた。ポルヴェリー法というよりも、大公のおそろしさを、あらためて感じさせられた。
「彫刻家のチェルリーニ様があなたを監視しろと……」
「それでいくらの金を手にしたのかね」
 意地悪く訊くと、男は首をうなだれて黙ってしまった。男は悪人ではない。おそろしいポルヴェリー法の下で戦々兢々と生きる一市民にすぎないのだ。
「安心しなさい。大公には内緒にしておきます。そのかわりに、チェルリーニ殿の様子を逐一わたしに報告しなさい。いいな。わたしをうらぎれば、こんどは君に御触がまわってくるよ。先日の首吊り刑を知っているだろう。何とも惨いことだ」
 脅しは徹底させる。脅した相手はとりこむ。
 わたしを探らせたチェルリーニの意図は、いずれわかることだろう。それまでは静かにしておくことが得策だ。何よりも、騒ぎたて、めだってはならないのだ。男は忌わしい障気から逃れるかのように、駆け足で闇の奥に逃げていった。ひょっとしたら、これ幸いと男は二度とわたしの前にあらわれないのではと思えた。それでも構わない。あれだけ臆病な善人に何もできようはずがないのだ。警戒しなければならないのは、彫刻家チェルリーニなのだ。

 キャベツだけではなく、キュウリも、トマトも、カレールーも、食材はどれも重かった。妻にはもっともっと重いことなのだろう。
 妻がわたしの腕を組んで歩かなくなったのは、いつのころからだったか。以前はわたしの腕にぶら下がるようにして歩いていたのに、いつのまにか妻は一人で歩くようになっていた。歳がいもなく肩寄せあって歩く気はないが、別の意味で、妻とわたしの歩く距離の変化に、何やら感じるものがあった。そう思うと若い昔の時間が思いだされるが、それは懐かしいというよりもみじめな思いになる。駆け落ち同然に二人して走りぬけた時間は今、泡影となって消えかけている。
「夕食はカレーにするね」と妻が言った。
 野菜炒めではなかった。わたしの予想はあえなく崩れた。
「何がおかしいの?」妻はいぶかしげにわたしを見たが、視線はすぐにカレールーのパッケージに向けられた。ひさしぶりの食材に妻はおだやかだった。
 冷気が気持ちいい。わたしはクーラーのきいた階下で、テレビのニュースを見ながら夕飯のできるのを待った。
 衆議院選挙が迫っていた。一途に政策を訴えればいいものをと思うが、そうもいかないのだろう。どの政党もうんざりするけなしあいで終始していた。それは市井の感情を知らないのではなく、政党が政党といわれるところなのかもしれない。問題が眼の前にあるにもかかわらず、公約は五年、十年先のことだった。
「また仕事が入るといいですね」カレーを食べながら妻がぽつりと言った。 
「ああ、そうだね……」カレーが辛かった。

 かつてチェルリーニは、友人の一人だった。
 わたしはデッサンを何よりも優先しているが、彫刻をけなす気持ちはない。ところが、彫刻家のチェルリーニは誤解した。彫刻よりも絵画が上級だと、わたしが彫刻をけなしていると思いこんでしまったのだ。しかし、決定的なチェルリーニの憎悪は、わが師ミケランジェロの葬儀にあったのではと、わたしは推測している。
 数年前、師ミケランジェロの葬儀で遺体のうばいあいになった。ローマで死んだ師の遺体をローマがほしがり、フィレンツェは師の希望のとおりフィレンツェに置き留めたかった。生前の師は、フィレンツェにある父上の墓の隣に埋葬を希望していた。それをかなえたのが、レオナルド・ダ・ビンチだった。彼の決断は素早かった。師の遺体をまるで何かの商品でもあるかのように梱包し、ひそかにフィレンツェへと送ってしまったのだ。そして、フィレンツェで聖人ミケランジェロの葬儀を指揮したのがほかでもない、わたしだった。その際に、チェルリーニがつくった棺台の模型を、わたしは却下していたのだ。さらにこじれたのは、絵画を棺の右に、彫刻を左に飾ったことだった。右側が名誉ある位置だったので、チェルリーニはそれを彫刻に対する侮辱と受けとめたのだ。激怒したチェルリーニは病気を理由に師の葬儀に出ることはなかった。わたしは内心、チェルリーニとの衝突を面倒に感じていたので、ほっと安堵したのがそのときの正直な気持ちだった。
 わたしにとって、チェルリーニは礼儀知らずで、いつも罵詈雑言をあびせる乱暴者だった。それに、チェルリーニの話はつねに辟易させられる自慢話ばかりだった。それでも彼には叙事詩的な作品で彫刻鋳造に成功した功績があった。互いにライバル意識が強かったのも事実だ。ついでながらつけくわえると、わたしの給金はチェルリーニの三倍だった。それらのことが今回のあだとなってしまったのか。時間がたつとともに、チェルリーニの怒りは憎悪と恨みになってしまったのだろう。
 それにしてもこの時期、チェルリーニの妙な動きは気がかりだ。何かを嗅ぎつけたのだろうか。この件にかかわっているのは、棺をつくった大工と、身がわりの遺体探しを頼んでいる解剖医の二人だ。どちらかが何らかの情報をチェルリーニに流したのだろうか。それともチェルリーニは、コージモ大公か、あるいは宮廷の財務官から、わたしの葬儀の話を聞いて、あらぬ想像をめぐらせたのかもしれぬ。
こういうことには勘のいいチェルリーニなのだ。
 それから数日後、弟子たちが働く午後の工房に一人の来訪者があった。それは病院からの帰路でからんできたあの密告人だった。ちょうどサンタ・マリーア・デル・フィオーレ寺から依頼された円天井のフレスコの準備中のときだった。
 わたしは密告人をアトリエの奥にある個室に招き入れた。個室は長い廊下を鍵付きの二つの扉で塞いだ位置にあった。聞き耳を立てられることはない。
「先日は大変ご無礼をいたしました」と、密告人が言った。
 密告人は恐縮していた。まだ三十歳代なのだろうか、おびえているわりには強健で敏捷に見えた。
「君はどのような仕事をしているのだ」と、わたしは言った。
「大工です……」
 わたしは、はっとした。
「何をつくっている?」わたしは問うた。
「棺桶ですけども……」密告人が答えた。
 秘密の漏洩は、こ奴からだと直感した。たぶん、わたしが棺を頼んだ大工の仲間なのだろう。情報は、そ奴からこ奴に。そして何かのひょうしでチェルリーニに流れた。勘のいいチェルリーニは、あてのない棺をつくらせたわたしに、同業者の直感で何らかの疑惑をいだいたのだ。それで、この密告人に銭貨をあたえ、わたしを探らせた。チェルリーニの執念深い積年の恨みを感じた。
「コージモ大公様に忠実であることをお察しください」
 密告人は先日のわたしの脅しをおそれていた。それでチェルリーニからわたしに鞍がえしたのだろう。
「チェルリーニ様は、あなた様がなぜ誰のであるかわからないような棺をつくらせたのか、わたしに探るように命じられたのです。わたしにもいろいろ事情がありまして、逆らえませんでした……」
「それで、チェルリーニ殿はどうしたのかね」
「あいつめ、いや、あなた様はどうして生きているうちから自分の葬儀のパレードを大公に申し入れなければならんのだと、たいそうご不満の様子でした。うぬぼれるな、ともおっしゃっておりました。いや、まことにすみません……」
「君があやまることではない」れいによって、わたしは優しい顔を密告人につくってみせた。
 チェルリーニは、わたしの葬儀の件をすでに知っているのだ。情報の入手は大公からでも書類をつくらせた宮廷の財務官でも、それはどうでもよいことだ。わたしの葬儀の本質を彼はわかってはいないのだから。
「これらのことは誰にも口外してはならない」
 わたしは、密告人に多額と思える金子をあたえ、ひきとるようにと言った。密告人は、しつこく身の保証を懇願した後、工房から出ていった。
 そしていよいよ、コージモ大公の容態は、もはや最悪の状態に陥っていたのだった。

 ひと息つけたのは、つかのまだった。わずかな食糧は一週間ももたなかった。あっというまに消えた。それはわかっていたことだ。わかってはいたが、手をこまねいて何もできなかった。もちろん、仕事はいくつか探してみた。面接でどれも落ちた。踊る人に入る仕事のメールも皆無だ。わたしは何をしたいのだろう。わたしは何になりたいのだろう。妻はわたしに何を期待しているのだろう。ついの住まいと決めた家は奪われ、天職と思いこんでいた仕事は失業した。妻とわたしに残されているものは、二人という、ただそれだけだ。城跡公園で、螢の小さな燈がふわふわと螺旋上昇していくのを見た。それから後、たびたび蝉の死骸に出あうようになった。歩く先をつがった塩辛蜻蛉が飛びかうようにもなった。

 コージモ大公が死んだ。
 事態は逼迫していた。大公が死んだことで、大公との約束が宮廷によって反故にされるおそれがある。くわだての実行を急がなければならない。後の世間では、わたしが大公の死に大きな精神的打撃を受けて葬儀にも出られなかったとされているが、実は自分自身の葬儀の偽装工作でおおわらわだったのだ。大公への裏切りは、すでにはじまっていたのである。
 わたしはアッパラートの指揮者をボルギーニと決めた。すでに大公の公認をとりつけてあったのだから、彼がとがめられることはない。それに何よりも、コージモ大公の葬儀の式典を組んだのがボルギーニだった。考えるまでもなく、彼が適任者なのだ。ただし、ボルギーニは死骸の偽装を知らされない。彼は、わたしとはちがう、まったく別人の葬儀を指揮監督することになる。
 ボルギーニは、わたしのもっとも心うちとけた親友だ。今までに彼の原案と貴重な意見で、どれだけ多くの絵を描いてきたことだろう。仕事でも、私生活でも、彼のアドバイスは愛情にあふれていた。きっと彼なら、わたしの葬儀の構想を理解し、適切に対応してくれるはずだ。それには、わたしの死が自然であることをボルギーニに思わせることだ。それからというもの、わたしは多くの手紙をボルギーニに書いて送った。
 ※ボルギーニ宛の手紙
「親愛なるわが友、ボルギーニくん。大公の葬儀では式典の運営という大役ご苦労さまでした。たいへんみごとな式典であったと聞きおよんでいます。わたしは大公のご逝去にひどく落胆して体調を崩したため、葬儀に出席できませんでした。実にくやしい思いでいっぱいです。わたしは長らく大公にお仕えしてきました。その大公がお亡くなりになってみると、あらためてわたし自身の健康に思いやられるのです。わたしはたいへん疲れています。そういったこともあり、ボルギーニさんは驚かれるでしょうが、わたしはわたし自身の葬儀について生前の大公から約束をとりつけてあります。そこで、もしものときは、ぜひ親愛なるボルギーニくんにその総指揮をとってほしいのです。ボルギーニくん以外に信頼して任せられる適任者をわたしは知りません。葬儀の構想や図案などすべての資料を別の便に梱包して送ります。どうか心よりお願いいたします」
「今わたしは風をひいてしまい熱があります。腹が下ってさしこみがつらいです。わたしもそろそろ歳なのですね。そう長くは生きられそうもありません」
「もう富も名声もいりません。気がかりになるようなことはもう結構です。わたしはほんとうに疲れています」
「アレッツォにもどって休養します。わたしはすっかり消耗してしまいました」
「ボルギーニくん。どうか健康に気をつけてください。そのほかのことはどうでもよいのです。とにかく健康が一番なのですよ」
「わたしは長くありません。大公の死はわたしにとってあまりにも重すぎました」
「人間は死を免れることはできません。忙しく動きまわったり、あちこち行くことで死期が早まらないようにしています」
 ボルギーニに送った手紙は、わたしの容態がいつどうなってもおかしくない状況を暗示にかけるものであった。そして一日も早くアッパラートの準備にかかるように指示した。
 遺言も忘れてはならなかった。わたしは十五頁の長文による遺書に付属書を添えたものを用意した。ところが、この遺言書は後々妻のコジーナに遺産相続で面倒をかけてしまった。妻にとって有利なものではなかったのだ。しかし、わたしの夢の実現のためなら、この程度のことは許してもらえたことだろう。
 五月二十日、午後。
 もはや憂慮している時間はない。大公の葬儀の指揮監督ができなかったわたしをチェルリーニがうるさく騒ぎたてていることが、ふたたびやって来た密告人の知らせでわかった。こまったことに、大公ととりきめたわたしの葬儀についてまでも疑問を投げているという。
 五月二十五日、夕刻。
 病院に来てほしいとの解剖医からの知らせがサンタ・クローチェの自宅に届いた。
 石畳の街、暗闇の辻々に密告人たちが立ちはじめる時間、わたしは馬を駆って解剖医のいる病院に向かった。途中、辻に立っていた一人の男に、後から病院に来るようにと指示し、また馬を奔らせた。
「彼のほかにはもう見つからないでしょう」ところどころ血痕が黒くしみた解剖台の前に立って、解剖医はゆっくりと低い声で言った。
「屍体では無理なのか。どうやらあきらめるしかないようだな」 
 チェルリーニがこれ以上騒げば宮廷は必ず動く。そうなれば、わたしのくわだては何もかもおしまいになる。
「身よりの気配はありません。身がわりにはうってつけです」解剖医は、さあどうするのだとばかり、語気を少し強めた。
 そうこうするうちに、辻にいた男が解剖室にあらわれた。あの密告人だ。
 わたしたち三人は、ひっそりと病院を後にした。
 停車場の広場に着くと、解剖医はわたしたちを広場の片隅に導いた。そこに、汚れた毛布の上に不潔なからだを横たえる一人の浮浪者がいた。周囲に人影はない。解剖医が燭籠の灯を浮浪者の顔にあてた。わたしは唖然とした。まぶし気に眉をひそめた浮浪者の顔は、わたしと双児と見まがうほどだった。背丈や体躯も驚くほどよく似ている。解剖医がわたしの腹を探るかのように鋭い視線を向けた。わたしは大きくうなずいた。
 翌日から、密告人は浮浪者をこっそりと見張った。浮浪者が停車場の広場から離れそうになると、さり気なく金銭や食べ物をあたえてそれを防いだ。見張りは、六月二十六日、土曜日の真夜中までつづけられた。
 ボルギーニとの手紙のやりとりは、その後も頻繁に行なった。もちろん、日ごとに健康が悪化していく様子をつねに手紙のおわりに書くことを怠らなかった。
「わたしはあなたに恋しています。アッパラートの準備は順調に進んでいます」ボルギーニの返信には、そうしたためてあった。
 そして六月十七日、木曜日。わたしは、サンタ・クローチェの自宅に、いよいよ寝こむことにした。誰の眼にも、わたしはそう長くないと見せつけた。それからというもの、多くの美術家や宮廷人が見舞いに訪れた。もちろん、ボルギーニも駆けつけた。中でも、チェルリーニが見舞いに来たのには驚かされた。チェルリーニこそ具合が悪いのではと思われるほど、その顔色は蒼く元気をなくしていた。眼球が落ちこみ、白眼が赤く濁っていた。見舞いの声が泣いていた。その姿に、チェルリーニがかけがえのないわたしのライバルであったことを知らしめられた。
 六月二十六日、土曜日。寝こんでから十日目。密告人にあたえたわたしの指示が動きだした。誰もが寝静まった深夜、サンタ・マリーア・ヌオーヴァ病院の解剖台に、あの停車場の浮浪者の屍体があった。浮浪者は密告人によって拉致され、解剖医によって殺された。その屍体を、解剖医と密告人が清潔に浄め、病床に寝こんでいるわたしの姿同様に、かねて用意していた寝巻きなどで整えた。それから人目を盗んでサンタ・クローチェのわたしの自宅に運ばれると、わたしとすりかえられた。夜明け前になっていた。
 六月二十七日、日曜日。大公の死から約二ヶ月後に、わたしはいよいよ死んだ。まさしく、大公を慕って後を追った、みごとな死となった。その夕刻、フィレンツェの石畳を何頭もの早馬が駆けぬけ、ジョルジョ・ヴァザーリの訃報が各方面へと届けられた。
 訃報を受けたボルギーニがただちに指揮をとりはじめた。
 サンタ・マリーア・ヌオーヴァ病院に運ばれたわたしの遺体は、解剖医によって内臓をとりだされ、骸と分けられた。それは解剖医にとって、かつて知った死骸だ。浮浪者は、自分の知らぬまに病院とわたしの家を行き来し、そしてわたしになった。とりだされた内臓はかねて用意されていた内臓箱に納められ、骸のほうは棺に納められた。遺体が分けられたのには、実はコージモ大公ととりかわした事情があったからだ。
「故郷アレッツォのピエーヴェ寺に父母のお骨があります。わたしの疲れた骨も父母のそばで永の休息につきたいと願っております」わたしは心からの願いをコージモ大公にのべた。
 すると、
「きみはフィレンツェのものだ。墓はフィレンツェでなければならない」
 そのように大公が言われたので、
「心臓があって人間はあります。フィレンツェにはわたしの心臓を留めます。アレッツォにはからっぽの骸を送ります」と、わたしは大公に食い下がった。それがコージモ大公ととりかわした約束であった。わたしはどうしても故郷で眠りたかった。
 防腐材を施したわたしのからっぽの骸は、それから三日間、市民に公開され後、ただちにアレッツォに送られた。フィレンツェには内臓が留め置かれた。

 そもそも妄想とは自己欺瞞の最たるものではないか。自己からの逃避に最適な元手のかからぬ精神旅行とも思える。妄想はストレスの解消にもなるだろう。けれど、それはその妄想からきちっとぬけだせた場合だ。妄想がそのままつづくのであれば、精神に病が宿ったことになる。わたしはそのどちらなのだろう。
 内臓箱は、まだ見つからない。
 わたしの心は内臓箱でいっぱいだ。いっぱいにできるものは、ほかにない。もう何もない。
 与党がひどく惨敗し、政権が交代した。野党に下った元与党寄りの解説者たちが未練がましい。そもそも選挙に勝てない対策のまずさと、その組織としての実力であっては、どんな立派な公約も通用しなくて当然だ。惨敗はただその結果にすぎない。せめたてる相手ほどにも政治手腕がないということになる。テレビがはしゃがない勝者たちに不満を漏らしているが、当選に万歳は不要だ。何もおめでたくはないのだ。すべてがこれからなのだから。
 小選挙区制で落選した大物議員は、比例代表制で失職を免れた。彼らはとことん職を失う辛酸を舐めることがない。わたしたちとは、ちがうのだ。そして「官僚あって国家なし」は、いつまでつづくのだろう。
 川沿いにコスモスが咲きはじめた。いずれコスモス観察会が近くの小学校で催されるだろう。たくさんの子供や老人たちが来て、寄せあつめられた縫いぐるみや茶碗を売る小さなバザーが川沿いの広場で開かれる。つくりたての焼そばが振る舞われ、おいしそうなソースの匂いが川沿いにひろがる。焼そばを二つもらおう。それを一つずつ妻と楽しく食べよう。コスモスは、もうすぐ満開に咲く……内臓はヴェッキオ宮殿に在る! 一瞬、脳裡に閃光が走りぬけた。
 コージモ大公はヴァザーリの内臓をコレクションの一つにしたいと望んだのではなかったか。大公には小書斎が、つまりストゥディオーロなるものが、ヴェッキオ宮殿の片隅にあった。それは大公の趣味を反映した《がらくた》を人目から隠しておくための小さな博物館だった。それはまさしく、ボルギーニが図案を担当し、ヴァザーリがつくったものなのだ。
 ※コージモ大公の蒐集品
 高価な薬品。一角獣の角。十三の自分の顔が映る鏡。七つの銀の石がついた包帯。魚拓のついた石が二つ。ひからびたカメレオン。珊瑚。毒殺用の油が入った硝子瓶が二本。等々。古代や近代的な像、肖像画なども集めていた。
 わたしは確信する。大公は、ヴァザーリの葬儀を確約した後、そのときにはヴァザーリの内臓を自分の書斎に飾るようにと家臣の誰かに指示した。きっとそうだ。それこそが大公の《精神》なのだから。

 マドンナリリーの甘い匂いがアッパラートの幻想的な雰囲気をいや増し、楽隊の音楽が荘厳なパレードに賑やかな明るさを添えている。小人や妖し気な仮面をつけた女たちと巨漢どもが山車の上ではしゃぎ、思い思いに古代風の衣装をまとった街の人々が山車のまわりで踊っている。それはまさに、わたしの葬送だ。
 葬列が進む。
 華やかな山車が行く。
 仮装行列がつづく。
 いくつもの旗やのぼりがはためき、パステルカラーのようなやわらかい色彩を七月の青い空にまき散らしている。あらゆる建造物が、理想都市の古代ローマを模した彩色で施された板や布でおおわれている。まるで劇場の舞台でもあるかのように美しく幻想的に塗りかえられ、通りも広場も街全体が変貌している。人々はたとえそれがつかのまの書き割りの街と知りつつも、いつもとはまったく変わってしまった空間に驚愕し、つらい日常から逃れた。書き割りの人工の街に酔った。
 思えば、過去のアッパラートではずいぶん苦労した。
「ちびの若僧に何ができるものか」
 あるアッパラートのときには、名誉ある芸術顧問に嫉妬と羨望をむきだしにして邪魔をされた。画家や職人たちが思うように働こうとはしなかった。それで、ラッファエッロにはストライキに参加しないよう執拗に頼みこんだものだった。今ではそれも懐かしい思い出となった。
 わたしの葬儀やパレードは、コージモ大公とほぼ同様の形だ。それはとりもなおさず、師ミケランジェロの葬儀とも同じ形だ。遺体と称した内臓は、まずサン・ロレンツォ寺に運ばれ、シニョリーア広場で追悼式が催される。ウフィツィの中庭で組まれた葬列は、シニョリーア広場を出発し、フィレンツェの主だった道順をパレードして、サン・ロレンツォ寺へとおもむく。大広場に張りめぐらされた黒幕。黒布でおおわれた教会。ことごとくが、黒く染められている。ピラミッド状に飾られた蝋燭の灯は、夜の大葬儀をことさらのように幻想的に浮きだすことだろう。
 そのころ、サンタ・マリーア・ヌオーヴァ病院の解剖室では、今やわたしの忠実な配下となった密告人によって、くわだての仕上げがひそかに行なわれていた。
 以下は、その後に密告人から聞いた報告である。
 ※密告人の報告
「誰にも気づかれないように様子をうかがい病院に入りました。そのまま解剖室に忍びこみますと、解剖医がやはりいつものように屍体を解剖している最中でした。わたしを見て少し驚いたようですが、主人からたいせつな言付けを言いつかったと申しますと、気を許したのでしょう。このわたしに屍体の説明などされました。解剖の手はつづけて動いていましたので、解剖医の眼はずっと屍体に向けられていました。おかげさまで、仕事は実に簡単でした。わたしは解剖医の背後に何気なくまわりこみ、すかさず用意してあった荒縄で力いっぱい首を締めたのです。解剖医はあっけなく死にました。それからわたしは、解剖台にあった屍体を隣の屍体廃棄室にうち捨て、そのかわりに解剖医を丸裸にして台に寝かせました。そのままでは人殺しがわかってしまいますので、解剖医の使っていた道具で、さきほどの屍体に見習って解剖医のからだを切りきざみました。とくに顔は念入りにきざみました。さらに用心のため、解剖医の屍体を屍体廃棄室のほかの屍体といっしょに並べておきました。解剖医の衣服は途中の水路にこまかく破り捨てました」
 フィレンツェのアッパラートは、そうやって終了すると、すべての飾りつけが破壊されて灰燼に帰された。街は何ごともなかったかのように、また市民の夢は、いやおうなしに現実へとひきもどされた。陶酔の街は一瞬にして消えていった。
 そして今、からっぽの骸はアレッツォにあった。
「妻よ。長い間あなたにはさびしい思いをさせてしまった。せめて、あなたの夫がこのように盛大に送葬される人間であったことを喜んではくれないか。このアッパラートは、あなたに贈るものなのだ」
 しかしこれは、ほとんどの日々をアレッツォに独りさびしく残したままにして、まったく省みなかった妻コジーナへのつぐないなどではない。わたしは、師ミケランジェロのように、わたしの伝説をつくりたかった。人はこれをコンプレックスと言うだろう。ミケランジェロになれなかった男と言うだろう。しかし、せめてわたしの死だけは師ミケランジェロに倣いたかったのだ。それゆえに、すべてを秘密にしなければならない。
 華やかな葬列が故郷アレッツォの街を行進した。それはフィレンツェの葬列ほどではなかったが立派なものだ。アレッツォの住民はこぞって故郷の英雄を敬意と歓喜で迎え入れた。わたしは心より親友ボルギーニに感謝する。けれども、彼は真実を知らない。わたしは、生きている。
 妻とわたしは、街の一角で隠れるようにして、ひっそりとパレードを見守った。もちろん、姿は二人とも一庶民に変えている。
「これからは、いつでもあなたのそばにいて、二人っきりで誰も知らない新しい家に住み、毎日おだやかに暮そう。わたしは好きな菜園で時間をすごし、あなたはおいしい料理で食卓を楽しませてくれないか。わたしはそのために、あなたが受けとる年金の約束を大公にしてもらったのだ」
 その気持ちは嘘ではなかった。
 妻は小さく笑むと、もう若くはない眼を濡らした。
 新しい家は、アレッツォに先回りしていた密告人が、誰にも知られずにこっそりと手配していた。
 密告人は誰よりも忠実だった。うらぎろうと思えば、いつでもわたしを密告できたのだし、人殺しなどしないですんだはずだ。それにもかかわらず、彼は最後までわたしのたくらみにつきあった。その理由は報酬が多額だったせいなのか、あるいは独り身の自由さによる気まぐれだったのか。答えは、密告人が使用人としてこれからともにわたしと生きていくうちに、いずれわかってくることだ。わたし自身でさえ、解剖医よりも密告人を選んだ理由がわかっていないのだ。それはなりゆきという偶然にすぎなかったのかもしれない。彼はわたしの菜園を気持ちよく手伝ってくれるだろう。わたしにかわって世間や近所の煩雑事をうまく処理してくれるだろう。そうやって、わたしと妻はぬかりなく隠居生活をすごすことになる。わたしの思いは、もはや夢の実現となる菜園へと馳せているのだ……けれども、彼はチェルリーニをうらぎった人間だ。わたしをうらぎらない保証は何もない。人とは条件しだいだ。優位な条件に、いとも簡単に流される。わたしは、密告人のうらぎりの気配に、つねに不安をいだいて生きることになるだろう。もしも彼が道をはずせば、そのときこそわたしは、わたし自身の手で最後の仕上げをしなければならない。わたしにとって夢の実現とは、殺意とともに生きることなのだ。

 昨夜から雨が降りつづいている。
 スーパーマーケットの帰り道。わたしは足を止めて川の流れを見つめている。川は濁って激しく流れていた。それはまるで川の遠くまっすぐ先に見える富士山からの水流のように思えた。川の鯉はどうしているだろう。濁流に流されたか。あるいは、しぶとく川の草薮に隠れているのだろうか。
 ヴァザーリとわたしの共通点は、二人とも子供がいないこと、そしてミケランジェロにはなれなかったことだ。わたしはその世界の入口にすらちかづくことができなかった。しかし、わたしがヴァザーリの妄想で夢みたことは、そのような壮大なことではない。ひたすら食卓の安定を求めているだけだ。それなりに食材がある妻のためのキッチンを望み、失った仕事をとりもどしたいと願っている。わたしはそのためにヴァザーリの人生をつごうよく改竄し妄想している。その妄想はヴァザーリにかこつけたわたしのアッパラートだ。どうまちがえてもヴェッキオ宮殿に旅することはない。そのわたしの自葬だ。
 ビニール傘に強い雨があたっている。濡れた肩が冷たい。もう半袖の季節はおわったのだ。家に帰ったら、洗ったきりで放ってある長袖のシャツにアイロンをかけよう。ほこりをかぶったままの汚れた革靴もみがこう。川の段差にはまったサッカーボールが、激しい濁流で勢いよく空まわりしている。このボールは濁流の段差から逃れられるだろうか。それとも、段差のコンクリートにすりきれパンクしてしまうのか。降りしきる雨の中、ボールはクルクルクルクル、いつまでもまわっているのだった。 
「買ってきたよ」
 キャベツが一つ入ったビニール袋を妻に手渡す。
「あら、いいキャベツだわ。野菜炒めにでもするわね」妻が言った。
「家庭菜園をやろうか」わたしが言った。
「とつぜんどうしたの」と、妻はいったん上げた腰を落としなおして不思議そうに言った。
「インゲンとかトマトとか、できるんだろう」
「種しだいですけど。時季があるんですよ」と妻が言う。
「これからだと何がいいのかな」
「そうね、今時季だけとはかぎらないけれど……」妻はそう言って、野菜の名前をあげはじめる。
「ええと、玉葱に葱でしょ。二十日大根、蕪、それとチンゲンサイ。インゲンは寒さに弱いのよね。あと、春菊にニンニク。そうね、バジルなんかもあるわよ」
「よく知ってるねえ」と、わたしは感心する。
「それって、女の常識なのよ」と、妻が言った。
 たぶん、二人は家庭菜園をやらないだろう。いつだってそうだ。わたしたちの話は、いつでも話だけだ。そうして、話のおわりには、かならず口喧嘩になる。長い長い無駄話のくりかえしだ。
 だからこそ、
「種を買ってくる。おまえも手伝ってくれるか」と、わたしは自分に言い聞かせるように言った。
「いいわよ。楽しみにしてるわ」
 妻は鼻で小さく笑って台所に立った。わたしは妻にからかわれているような気がしたが、その理由は家庭菜園のことではない。わたしの中の日々の妄想に、わたし自身が嘲笑しているのかもしれない。
《いかにしてミケランジェロのように描くか》。美術におけるそれがルネサンスにつづくマニエリスムでありマニエラだった。ヴァザーリは、このマニエラ、つまり《模倣の技術》を説いた。わたしはこのマニエラに、生きるすべを真似ようと願ったのだ。ヴァザーリの内臓にあやかろうと妄想したのだ。ヴァザーリが《神》になることを願ったように、わたしは安定した食卓をヴァザーリの方法に真似ようと妄想したのだ。しかし、妄想は妄想のうちにおわるのが宿命だ。けれども、一つの妄想がおえたなら、またつぎの妄想を紡げばよい。そうやって明日へとしのいでいく。氷に閉じこめられた睡蓮の池の鯉のように、濁流をしのぐ川の鯉のごとく、ぬぼーっと、しぶとく生きればいい。
 やがてコスモス観察会の季節がやって来る。きっとわたしは妻と出かけるだろう。
「焼そば、おいしいね」と、妻は言う。
「これでビールがあると最高だな」と、わたしは言う。
「煙草は買うのやめてね」聞きたくないことを妻は言う。
 コスモスは川沿いにどこまでも咲く。鴨も、鯉も、子供も、としよりも、みんな生きている。稲荷橋。釜土橋。大橋。白旗橋。船橋。椚橋。境橋。田中橋……その先をどこまでも、わたしと妻は行く。遠く先に富士山の白い頂きが見える。わたしはつねに独りで歩いていたような気がする。長い時間と日々。妻はただ無意識にわたしと歩いてきた。それはこれからも同じにちがいない。もはや妻にはそれしか方法がない。そのようにしたのはわたしだ。それこそが、これからも犯しつづける、わたしの罪だ。
 眼の前でいい匂いがした。
「お米、これでおしまい」と、妻が言う。
「そうか……」と、わたしが言う。
 今夜の食卓は大皿に盛られたキャベツの野菜炒めだ。妻もわたしもよく食べた。互いの食べっぷりがおかしくて、二人していつまでも笑った。わたしたちの食卓にはパンもなくワインもない。食卓に並んだ二人だけが在る。それはこれからもつづく、妻とわたしの最後の晩餐だ。それが今に在るわたしたちの生活だ。それが二人の匂いだ。


 と、……イルマン、イルマン……またもや、あの囁きが左耳に聞こえた。すると一瞬、それが合図でもあるかのように、わたしのからだはやわらかく伸びて、するりと何かにもぐりこんだ。


2009年9月10日木曜日了

※参考文献
メディチ家の演出者『ジョルジョ・ヴァザーリ』ロラン・モレ著/平川祐弘・平川恵子訳(白水社刊)
ヴァザーリ『続ルネサンス画人伝』平川祐弘・仙北谷茅戸・小谷年司訳(白水社刊)
『香水』F・サガン G・アノトー著/鷲見洋一訳(新潮社刊)
『マニエリスム芸術論』若桑みどり著(ちくま書房刊)
『迷宮としての世界』マニエリスム美術 グスタフ・ルネ・ホッケ著/種村季弘・矢川澄子訳(美術出版社刊)
『文学におけるマニエリスムI』『文学におけるマニエリスムII』グスタフ・ルネ・ホッケ著/種村季弘訳(現代思潮社刊)
『壺中天奇聞』種村季弘作家論 種村季弘著(青土社刊)
『世界拷問史』ブライアン・インズ著/本園正興訳(青土社刊)
『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』上下/杉浦明平訳(岩波書店刊)
『ギリシア・ローマ神話』付インド・北欧神話 ブルフィンチ作/野上弥生子訳(岩波書店刊)

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