キトラの冒険
作:ごんぱち
その131『大人になったら 後編』


「クリーニングに出してたぬいぐるみが、見当たらなくなっちゃったみたいなのよ」
「え……」
 キトラはびっくりした顔でお母さんのアスタさんを見ます。
「お母さん」
「なに?」
「どうして、同じ事を二回言ったの?」
「大事な事だからよ」
 一回目は前編で言ってます。
(ゲンさんのぬいぐるみがなくなった……だから、夢の世界に行けなかったのか)
 キトラは電話のそばに置いてあるクリーニング屋さんの伝票を見ます。
「『クリーニングさとう』月兎店……いつものあそこか!」
 キトラはダイニングから飛び出します。
「ちょっと出かけて来る!」
「ぬいぐるみの事は任せておいて、クリーニング屋さんに迷惑が……」
「行って来ます!」

 キトラは自転車でクリーニング屋さんに向かいます。
(ゲンさんが……ゲンさんが)
 ペダルをふみこみ、住宅の中を走ります。
 交差点では止まって右左を見て、それからまた全力で走ります。急いでいる時こそ、交通ルールは守らなければいけません。急いでいる時の人の注意力は、三歳児のそれとかわらないのです。また、スピードがでている時、人は前の一点しか見ることができずに、横から出て来る車や人に気づきにくくなります。今は昼間だからまだマシですが、夜だったらもっとずっと危なくなります。けれど、本当に危ないのは夕暮れ時で。
「交通安全の話じゃないよ!」
「……キトラ、今日も電波にツッコミ?」
 キトラが五つ目の交差点で一時停止したところで、声をかけられました。
「ラグヤ」
 右の道から自転車に乗ってやって来たのは、ラグヤでした。
「おう、キトラ、汗だくだぞ」
「そうだそうだ、汗だくだな」
 サリスとノクタも一緒です。
「ごめん、急いでるから!」
 キトラは横断歩道を渡ります。
「……で、どうしたの」
「なんで付いて来るのさ」
 ラグヤはキトラの隣り、サリスとノクタはその後ろを走ります。
「がははは、友達が困った顔をして走ってるのを放っておけるか! ヒマだったしな!」
「そうだそうだ、放っておけないぞ。ヒマだしな!」
「……公園が工事中でヒマだったしね」
「そのヒマだからって、照れ隠しとかじゃないよね。理由のうちの最も大きな部分を占めるものだよね」
 キトラは呆れながらも、何だかちょっとホッとした顔で笑ってから、事情を話し始めました。

 「クリーニングさとう」は、住宅地の中でも少し外れた畑のいくらかあるブロックにあります。
「いらっしゃ……おや、先生のところの若旦那じゃないですか」
 店番をしていたクリーニング屋さんのおばさんが、新聞を折り畳みながらノクタに声をかけます。
「こんにちは、サトウのお姉ちゃん」
 ノクタが頭を下げます。クリーニング屋のおばさんはおばさんですが、ノクタが初めて会った頃はお姉ちゃんだったのです。
「今日はお手伝いですか、若旦那?」
 クリーニング屋さんはにこにこしながらたずねます。仕事だから、という感じではなくて、ノクタの事をよく知っているのです。
「違う、友達が大変らしいんだぞ」
 ノクタはキトラに目配せします。
「あ、えと、うん」
「ああ、あなた」
 クリーニング屋さんはキトラの顔を見て、まゆを寄せます。
「ナラキさんとこの子ですね。ごめんね、ぬいぐるみのこと」
「いやいやいやいや、おばさん! なんか終わった感じにしないで下さい!」
「もう一回調べてるから、待っててね」
「おばさん、なんか分からねえのか」
 サリスが口をはさみます。
「どこに行ったとか、誰に渡したかも、とか!」
「お願いします、お姉ちゃん」
「そうですね、他ならない若旦那の頼みだし、できることは全部してあげたいんだけど、もう工場から店から配達先まですっかり調べたんですよ」
 クリーニング屋さんは困り顔です。
「……工場や店はしっかり確認出来てるとすると」
 ラグヤが首をひねります。
「……ゲンさんのぬいぐるみは、間違って配達されたどこかの人が」
「ネコババしたってことか、ラグヤ?」
「いやまあ、そんな風に思うのはいけないと思いますよ?」
 そう言いながらも、おばさんの声が小さくなっています。
「お姉さん、配達先ってどこ?」
 ノクタがたずねます。
「若旦那、お客さんの事をしゃべるワケにはいかないですよ」
「ヘンな事なんかしないから、教えてくれよ、おばさん!」
「お願いします、おばさん!」
「……キトラ」
 ラグヤがキトラの肩をたたきます。
「……あんまり困らせちゃダメだ」

 キトラたちはクリーニング屋さんの外に出ます。
「あああ! なんてこった!」
 サリスが落ちていた石をけとばします。
「もう少しねばればどうにかなったかも知れないのに! ラグヤ! お前がよけいなこと言うから!」
「ラグヤは悪くないよ」
「そうだ、でも、もう少しどうにかなったかもだぞ」
 ラグヤは返事をしません。返事をしないで、バッグから出したノートに、何か書いています。
「おいラグヤ、何とか言えよ!」
「……なんとか」
 それだけ言ってラグヤはまたノートに向かいます。
「ねえラグヤ、本当に何を書いて……」
 キトラが横からラグヤのノートを覗き込みます。
 そこには。
「名前……と、電話番号と、住所?」
「……気付かなかったかい」
 ようやく手を止めたラグヤが、にっと笑います。
「え?」
「……クリーニング屋さんのレジの脇に、配達の伝票が置かれてたんだ」
「ええっ!?」
「……キトラのぬいぐるみがなくなった日付のデータが、これだよ」
 ノートには、名前と電話番号と住所が、10件ほど並んでいました。

 キトラたちは、自転車で町の外れの、家と畑が入り交じった場所まで来ました。
「……あの家だ」
 塀の近くまでやって来ます。隣の家とのさかいめには、カキの木が植えてあります。
「でもどうする? クリーニングのおばさんが電話で聞いてもないって言ってたんだろ?」
「かってに入ったらドロボウだぞ」
「……ここじゃないみたいだ」
「え? 分かるの?」
 ラグヤは自転車を停めずにそのまま通り過ぎました。
「家の外しかみてねえのに分かるワケないだろ。ラグヤ、上手い手が思いうかばなかったなら、ムリしなくても良いんだぜ?」
「そうだそうだ、良いんだぞ」
「……家のさかいめの柿の木の枝、見た?」
「枝?」
「……よく伸びていたけど、おとなりの庭には一本もかかってなかった。自分と相手をきっちり分けられる人が、ぬいぐるみをネコババなんかしない」

「……これで7件目」
 ラグヤがノートの住所にバツ印をつけます。
「……庭の池に置かれた人形に、カエルや何かはあるけど、定番のカメがない。カメ嫌いがゲンさんをネコババはしない」
 キトラはラグヤの言葉を聞いてから、空を見上げます。
 もうお日さまはかたむき始めています。
「ね、みんな?」
「もうあきらめよう、だったら聞かねえぜ」
「そうだそうだ、そんな顔で言われてもダメだぞ」
「……もう一息だし」
「先回りして言われたら、こっちは何も言えないじゃないか……」
 キトラはぐっと自転車のペダルをふみこみました。

 8件目の家は、団地でした。
「ええと104号室……あれかぁ」
 キトラは団地の駐車場から、部屋を見ます。
 入り口の前には小さい子が遊ぶための車のオモチャや自転車、それから植木鉢なんかが置かれていて、お隣の勝手口の窓にかかっています。
「おい、ラグヤ、あれはあやしいんじゃないか?」
「そうだそうだ、さかいめを全然気にしてなくて、だらしないぞ」
「……早合点は禁物」
 ラグヤは駐車場から出て、団地の建物の反対側へまわります。キトラたちもそれに付いて来ます。
 反対側は1階には物干し台がおかれて、上の階はベランダになっています。
 104号室は1階です。
「あ」
「あった」
「あったぞ」
 サッシのガラスごしに、部屋の中が見えます。テーブルに置かれているのは、間違いなくゲンさんのぬいぐるみでした。
「ドロボウめ! かくごしろ!」
 サリスがそのまま真っ直ぐ走って、サッシに手をかけます。
 カギがかかっていなかったので、そのまま開きました。
「それはキトラのだ! かえせ、ドロボウめ!」
 サリスがものすごい声で怒鳴ります。
「そうだったの?」
 静かな、声がしました。
「ちょっと、サリス! 乱暴だよ」
 サリスに注意しようとしていたキトラですが――。
「ゲンさんっ!」
 ゲンさんのぬいぐるみが見えると、たまらずに駆け寄っていました。
「ゲンさん! ゲンさんゲンさん!!」
 キトラはゲンさんのぬいぐるみをぎゅうううっと抱きしめます。
「あああ、ゲンさんだ、良かったぁああ……」
「それ、きみのだったんだね」
 キトラはゲンさんのぬいぐるみから顔を上げます。
 ゲンさんの置かれていたテーブルの横には、ベッドが置かれていて、女の子がひとり、横になっていました。やせているせいか、すごく目が大きく見えます。
「ごめんなさい、すぐに返そうと思ってたんだけど、あんまりきれいで」
 女の子は、キトラが抱えているゲンさんのぬいぐるみに目を向けます。
「せめて、手術の日まで……ダメかな」
 ベッドの棚には、薬の袋が置かれています。
「ごめん!」
 謝ったのは、キトラでした。
「会う前に、キミはゲンさんをぬすんだ悪いヤツだって思ってた。でも、分かるよ、ぼくだって、ゲンさんみたいにすごいぬいぐるみが目の前にあったら、自分のにしたいって、思う」
「分かってくれる?」
「……でも、すぐに思い直して返すのが、キトラだ。あんたとはちがう」
 ラグヤが言います。
「ちょっ、ラグヤ! 空気読んで!」
「そ、そうだぞ、ラグヤ、お前、こういう時は!」
「いや、空気の前に、これを読むべきだぞ」
 ノクタが薬の袋を取ります。
「あっ! こら!」
 女の子が起き上がって、ノクタの手から薬の袋を取ろうとしますが、ノクタはさっと手を引っ込めて下がります。
「解熱剤と咳止めと胃薬、これは、カゼに出す薬だぞ」
「か、風邪の何が悪いの。病気の時は不安でしょう!」
「……今も風邪、ならね」
「この薬、一ヶ月も前ので、袋だけだぞ」
「なんでもいいでしょ、そのぬいぐるみは、あたしのなの! あんたが持ってたのと似てたとしても、ちがうものなの! ずぅっと昔から持ってた、本当に大事なものなの!」
 女の子は起き上がって、キトラの手からぬいぐるみを引ったくろうとします。
「なら」
 ぼそり、とキトラが言います。
 静かな声です。
「ゲンさんの歯は何本あるか、言ってみなよ」
「は? なにそれ? そんなのわざわざ覚えてるワケないでしょ」
「上は右が7本、左が8本、下が右が8本、左は8本。ちなみにコウラは、38個に分かれてる。そして」
 キトラはゲンさんのぬいぐるみのコウラのつぎめに指を突っ込みます。つぎめにはチャックが付いていて、開けると中から綿と丸めた布がでて来ました。
「あんまりぼくが乗って遊ぶからつぶれて来て、それをなおすためにお父さんが入れてくれた布だ!」
 布を広げると、それはすり切れたシャツで、すその方に「キトラ」の名前がはっきり書かれていました。

 帰り道、キトラは自転車のカゴに突っ込まれたゲンさんを眺めます。
「欲しくなるのはわかるけど……とっちゃうのはやっぱりちがうよ」
「なんだ、キトラ。まだ気にしてるのか? 自分の物を取り返して何が悪い」
「そうだそうだ、当たり前だぞ」
「でも、あの子はぼくの事をぬいぐるみを取ったヤツって思って、それでまたどっかで人のものを取ったりして嫌われて。それって、悲しい気がするなぁ」
「……そこまで考えるなんて、大人だね」
「気になるだけだよ」
 キトラは大きく深呼吸をします。
「まあ、大人らしく知らないフリでもしようか!」
「それでいいだろ。ゲンさんは戻って来たんだ」
「そうだそうだ、それが一番だぞ」

「何だか疲れたよ、ゲンさん」
 キトラはゲンさんのぬいぐるみと一緒に布団に入ります。
「一緒に洞窟同好会の活動でもしようか。水晶の洞窟は心がすっきりするからなぁ」
 目を閉じます。
 そして。
 夢の世界へ。

 翌朝、キトラは目を醒ましました。
「ん、んぁああ、ふぁあああ」
 目をこすりながら、身体を起こします。
「なんでだ? ゲンさんが戻って来たのに」
 あくびをもう一つ。
「なんで、夢の世界に行けないんだ?」
 キトラはかたわらのゲンさんのぬいぐるみを抱えます。
「考えてみれば」
 キトラの頭がようやく醒めて来ます。
「ゲンさんのぬいぐるみって、別に近くになくても夢の世界にいけたじゃないか」
 学校で居眠りして行った事もあるので、それは確かです。
「ってことは」
 キトラはゲンさんのぬいぐるみの顔をまっすぐ見つめます。
「本当に、夢の世界に行けなくなった?」
 どうやらそういう事みたいです。
「大人になった……から?」
 キトラの問いかけに、ゲンさんのぬいぐるみは、何にも答えてはくれませんでした。


【おしまい】