キトラの冒険
作:ごんぱち
その118『カンヅメをあけよう』


 大根、人参、サトイモ、ジャガイモ、しいたけ、エリンギ、トリ肉。シチューの材料がお鍋でぐつぐつ煮えています。
「さあて、そろそろホワイトソースを作ろうかしら」
 キトラのお母さんのアスタさんは、冷蔵庫を開けます。バターと牛乳、それからシンクの下の収納から小麦粉を取り出すと、フライパンを火にかけます。
「ふんふふーんふん、ふふふんふふーん……」
 鼻歌を歌い始めた時です。
 とぅるるるるる、とぅるるるるる、とぅるるるるる……。
 電話が鳴りました。
「あらあらあら」
 アスタさんは火を消して電話に出ます。
「はい? あら、ヨシナガさん、え? 今? 晩の仕度を――あらあらあらあら! いけない、今日だったかしら! い、いいえ、忘れなんかないわよ、ちょっと時間を勘違いしてただけ! 玄関の外に出て待ってるから!」
 電話を切って、アスタさんは二階の自分たちの部屋へ駆け上がります。
「キトラ、タウラ! ちょっといい!?」

「――と、言うワケで」
 キトラと妹のタウラは、ダイニングのテーブルで差し向かいに座ります。
「お母さんはお友達とコンサートに行ってしまいました」
「はい、兄ちゃん」
 タウラが手を上げます。
「なんだね、タウラ君」
「お父さんは?」
「うむ。お父さんは、会社の忘年会で遅くなる」
「むせきにんな親だな? こういうのを、にぐれくとって言うんだぞ」
「お母さんがうっかりしちゃっただけだよ。お父さんの方も、忘年会に行かないなんて事になったら、出世にひびくんだぞ?」
「お父さんはまどぎわぞくだぞ? むかしやった、ナイブコクハツのせいで、フトウなアツカイをうけているけど、それはそれで気楽だって」
「……意味が分からない言葉を音のままくりかえさない方が良いと思うよ」
 キトラはぐっと身を乗り出します。
「細かい事情は大人にまかせておけば良い。ぼくたちにとって大事なのは、晩ごはんだ!」
「なるほど、イショクタリテレイセツヲシルというヤツだな?」
「あんまり外れてないのがかえってイラッとするなぁ」
 キトラは立ち上がって台所に行きます。タウラもついて来ます。
「まず、手持ちのリソースを確認しよう」
 コンロに、大きい鍋と小さい鍋がかかっています。
 キトラが大きい鍋のフタをとると、中には煮た野菜が入っていました。
「兄ちゃん、なんだこれ?」
 踏み台に乗ったタウラがたずねます。
「クリームシチューになる前のものだ」
「なるほど、海砂利水魚か」
「……ムツゴロウと畑正憲ぐらい違うよ」
 キトラとタウラはシチューのスープをお椀にちょっとだけとって飲んでみます。
 何の味付けもされていません。
「うむーー」
「味がないな?」
「いや、味がないと言うのは、間違っていると思うよ。ちゃんと野菜と肉の味はあるもの。味付けがまだ、ってぐらいだよ」
「言われてみるとそうだな。ラグヤの入れ知恵か?」
「……そうだよ」
「やっぱりな、ふふっ」
 タウラはなんだか嬉しそうです。
「まあやっぱりこれは作りかけた。食べられないよ」
「おかんをよべ?」
「呼べたら何も問題ないんだけどね。えーと、で、こっちを食べなさいと言ってたけど……」
 小さい鍋を開けます。
 中には、オクラと厚揚げの煮物が入っていました。
 それからキトラは、冷蔵庫を開けます。
「スカスカだな?」
「ええと、タクアンと、からし明太子、らっきょう、バターにとうふ、みそ、卵」
「からしめんたいことラッキョウはからくてダメだな」
「そだね。えーと、電子レンジ以外は使っちゃダメだし……このまま食べられるのはタクアンぐらいか。卵かけごはんは出来るけど、あれはおかずって感じじゃないし」
「兄ちゃん、ゆでたまごが食べたいぞ!」
「……却下だ!」
 キトラはタクアンを出して、冷蔵庫を閉めます。
「足りなかったらカンヅメを食べろって言ってたけど」
「まちがいなく足りないな?」
「そうだね」
 食器棚の下を開けると、中にはカンヅメがいくつか入っていました。
「カニにホタテにトマトにホワイトアスパラ……」
「そのまま食べられる物がほとんどないぞ」
「確かめる間もなかったんじゃないかな――これはちょっとホコリかぶってるけど……」
 キトラは、奥の方のカンヅメを出します。
 ラベルには「サバ味噌煮」と描かれています。
「やった! これだ!」
「ついにタウラたちは、うずもれた財宝『サバミソーニ』を手に入れた!」
「ひゃっほう!」
 二人はお腹が空いていて、妙なテンションでした。

 テーブルにオクラととうふの煮物と、タクアン、ごはん、それからサバの味噌煮のカンヅメが並びます。
「じゃあ、カンヅメを開けよう」
「あけるぞ!」
 キトラはカンヅメを見ます。
 5秒ほどして、反対側を見ます。
 更に10秒ほどして、もう反対側を見ます。反対の反対ですから、最初の面です。
「どうした兄ちゃん、早く開けてくれ」
「ええと……タウラ、よろしく」
 キトラはカンヅメをタウラに渡します。
「なんだ、ものぐさだな。ものぐさタロウは、ブレスレットに頼ったらもっとものぐさができた」
 タウラはカンヅメをうけとり、ひっくり返して、またひっくり返します。
「……兄ちゃん」
「なんだい」
「一つだけ教えてくれないか」
「な……なんだい」
「これ、どうやって開けるんだ?」
 そうなのです。
 このカンヅメには、裏にも表にも指を引っかけるところがないのです。
「残念だな、兄ちゃんにもそれは分からない。他のことなら、何でも教えてやれるのに!」
「だったら、つごもりってどういう意味だ?」
「それはつごが漏るのさ」
「じゃあ、千早ふる神代も聞かず竜田川唐紅に水くぐるとは、って句は?」
「それは(略)それは千早の本名だった」
「じゃあ、冷蔵庫はどうして冷たくなるんだ?」
「水とかは温めると蒸気になって大きくふくらむだろう? これを反対に、水とかを力で無理矢理ふくらませると冷たくなるんだよ」
「で……このカンヅメの開け方は?」
「兄ちゃん、それは分かんないなー」
 ふたりは黙り込みます。
「……どうする、兄ちゃん」
「開けられないワケはないんだ。そもそも遠い昔、どっかでこういうカンヅメを開けるシーンを見た気がするんだ」
「思い出せ! 急いで!」
「思い出そうとしてるよ! んん……」
 キトラは首をぐいっとひねります。ひねって、ひねってひねって、頭がひっくり返って、そのまま寝転がって。
「ぐぅ」
「ねるなーー!」
「よし、ボケたぞ」
「やりとげた顔をしてるけど、何もすすんでないぞ兄ちゃん。思い出せたのか?」
「いや……全然」
「これだから年寄りは」
「アラフォーが聞いたら闇討ちされるぞ」
 しません。
「アラフォーにかぎらなくても良いんじゃないか?」
「老いを受け入れられないのがアラフォーだからね」
 老いって言うな。
「兄ちゃん、お母さんのパソコンで調べたらどうだ?」
「仕事に使うものだから勝手に触ったらダメだよ」
「でも、背に腹はかえられないって言うぞ? おしりと顔の皮はかえられるが」
「もう少し考えれば良いんだよ」
 キトラは台所の引き出しを開けます。
 中にはナイフやフォーク、箸や何かがごっちゃに入っています。
「お母さんとお父さんは、食べ物じゃなくてセトモノじゃないものは、大体ここにつっこむクセがある。とすれば、この中で使い方が分からないものが缶を開ける道具って事さ!」
「まわりくどいな、兄ちゃん」
「納得したら調べる調べる!」
 キトラとタウラは調べ始めました。

 テーブルの上で広げられた食器が分けられていきます。
「ええと、これはフォーク、ナイフ、フォーク、箸……」
 どんどん分けられていきます。
「これは……良く分かんない、これは箸置き」
「兄ちゃん、これなんだ?」
「マドラーだね」
「ああ、はとばの」
「それはマドラスだけど、よくそんなの知ってるな?」
「そうだ、兄ちゃんに聞きたいと思ってたけど、はとばってなんだ? なにのトバなんだ?」
「シャケじゃない事は確かだと思うよ……」
 そうして、よく分かるものとあり得ないものと、そうでないものにすっかり分けられました。
「やったぞ、兄ちゃん!」
「うん、すっかり分けられたね」
「いやー、良かった。じゃあ、ご飯にするぞ」
「ひと仕事した後は気分が……って、カンヅメ開いてないよ!」
 キトラは分けたものを見ます。
「ええと、これは尖ってるからそれっぽい、この青いのは確かビールのセンを抜くヤツ、これはワインのコルクを抜の」
「これがいいんじゃないか、兄ちゃん? とんがってドリルみたいだし」
 タウラがワインのコルク抜きを手渡します。
「よし」
 キトラは缶にワインのコルク抜きを当て、ぐるぐる回し始めます。
 ぐるぐるぐるぐる……。
「刺さらないな」
「がんばろう、兄ちゃん!」
 力を入れます。
「ぬぬぬぬぬぬ!」
 ぎりぎりぎりぎりぎりぎり……。
 けれどやっぱり刺さりません。
「ふんぎぎゃぐぐっぎゃああああああ!」
 きぃぃいいいいいいいいい!
 金属同士のこすれる甲高い音が鳴り響きました。
「うぅぅ、嫌な音だぁ……」
「なにをするんだ、兄ちゃん……」
 それでもやっぱり缶は開きません。
「これじゃ、ないみたいだね」
「そう、だな」
 今度は、青いビールの栓抜きを取ります。
 後ろがちょっと尖った形になっていて、前の方が瓶に引っかかる形です。
「よし、これで……」
 キトラは缶のはしっこに栓抜きを引っかけ、ビールの栓を開けるようにぐいっと。
「む」
 更に力を上げてぐいっと。
「ぎ」
 もっともっと力を入れてぐいぐいぐいっ。
「ダメだ、開かない……」
 やっぱり開きません。
「これじゃないみたいだね」
「そうだな」
 最後の尖ったちっちゃいのを手に取ります。
「これがダメだったら……どうしよう?」
「やるまえからあきらめたらダメだぞ」
「最悪を想定しないで物事を進める方が害悪だよ」
 尖ったちっちゃいのは、手のひらにのるぐらいの大きさで、先が尖って「→」みたいな形をしています。
「んーと……あっ」
 キトラはふと気付きます。
「この尖ったのの根元のとこ、ちょっとビールの栓抜きと似てるぞ」
 それは、缶のフチに上手い具合に引っかかりました。
「よおし、そいや!」
 ぐいっっ!
 ぶしっ!
「やったぞ、兄ちゃん!」
 先の尖ったところが缶に突き刺さりました。「やった!」
 尖ったちっちゃいのを外すと、三角に穴が開いています。
「あっ! これ、見たことある!」
「そうなのか?」
 キトラはコンロのわきの収納を開けます。そこには、油の缶がありました。缶には三角の穴が二つ開いています。
「そうか、これが缶を開けるものだったんだ!」
「でも兄ちゃん、こんなちっちゃな穴じゃ、汁しか出ないぞ」
「それはそうだけど……そうだ! 箸を突っ込んで中を砕いたら!」
「……なんかおかしくないか?」
「でも……あっ、なんだ、そういう事だ!」
「ん?」
 キトラは、カンヅメに開けた穴の隣りに、少しずらしてまた穴を開けます。それからもう一つ、更にもう一つ、またまた一つ。
 どんどん穴は増えて行きそして……。
 か、こん。
「やったぁああああ!」
「開いたぞ、兄ちゃん、開いたぞ!」
 缶のフタは開きました。
「よおおし、やった! ついにやった! 食べるよ、タウラ!」
「おう! がってんしょうちだぞ、兄ちゃん!」

 次の日。
「昨日はごめんね」
 アスタさんが晩ごはんを作っています。
「どうって事ないさ、カンヅメもすごくおいしかったし」
 ランドセルを置きながら、キトラは笑います。
「そう? そう言ってくれると少し気が楽だわ。もうすっかりお兄ちゃんね、頼りにしてるんだから」
「えへへ、何でも言ってよ」
 キトラはちょと自慢気です。
「じゃ、ホワイトアスパラ出してくれる。カンヅメの」
「まかせといて」
 戸棚の下から、キトラはホワイトアスパラを出します。昨日見つけたので、アッという間です。
「開けとくよ」
「そう? じゃあ、お願い。はい、缶切り」
 アスタさんは缶切りをキトラに手渡します。
「え?」
 キトラは不思議そうな顔をします。
 昨日使ったものと違います。
「これ、栓抜きだよね?」
 そう。昨日使えなかった、青いビールの栓抜きなのです。
「あらあらあら、そうだったわ。キトラは缶はイージーオープン缶しか開けた事なかったっけ。覚えておいた方が良いわね」
 アスタさんは、キトラから缶を受け取ると、青いビールの栓抜きを引っかけました。
「え?」
 昨日キトラが試したのと、反対側を。
「それで、こうやってたおして行けば切れるわよ。やってみて?」
 キトラは言われるままに、缶と栓抜きを受け取り、引っかけます。確かにしっかり引っかかって、一方向にだけ力がかけられそうです。
「そしたら、向こう側に力を入れてたおすの。ぐいっと」
 かしゅっ。
「あ……刺さった」
「そしたら少しづつずらして切り続けるのよ」
 かし、かし、きこ、きこ、きこ……。
「うん、綺麗に開いたわね。ありがとう」
 缶は、昨日開けたよりもずっとまん丸で綺麗にフタが外れていました。
「こんなにキレイに……うむぅ……」
 キトラはもう、唸るしかありませんでした。
「さ、そろそろタウラを読んでらっしゃい。ご飯にしましょ。予定よりしっかり煮込めたから、シチューもおいしいわよ、きっと」
 アスタさんはシチューの鍋のフタを取ります。
 ふわり、と、良い香りと湯気が漂って来ました。


【おしまい】