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キトラの冒険
作:ごんぱち
その116『あつくておもくて大変だ』
すぅっ、すぅっ、ぼはああああ!
「ふうむ」
すーー、すっ、ぶしゅぅうう。
「ふふっ、キレイになったわ」
お母さんのアスタさんは、アイロンをかけ終わったズボンを持ち上げます。
シワがピンとのびて、買ったばかりみたいです。
「ねえ、お母さん」
それを見ていた――別の言い方をすると、ただぼんやりしていた――キトラが、たずねます。
「アイロンって、どうしてシワがのびるの?」
「そうね、理由は二つあるわ」
お母さんは考え考え説明します。
「アイロンは重いでしょ?」
「そうかなぁ」
「……手よりは重いでしょ」
「ああ、まあ、そういう事なら」
「シワを広げて、重くて平らな物で、ぎゅーーーっと押さえてたらどうなる?」
「平らになる……かなぁ」
キトラはいつだかに学校の授業で作った押し花を思い出します。
「ご名答! それが理由の一つよ」
「でも、そういうのばし方よりも、ずっとピンとなってるよね、アイロンって」
「それがもう一つよ」
お母さんはズボンをたたみます。
「固いものと柔らかいもの、どっちが押さえた時にシワが伸びやすいと思う?」
「柔らかい物の方がいくらかマシだと思うけど」
「その通り。じゃあつぎは、バターを考えてみて。柔らかくするにはどうする?」
「ええと、パンと一緒に焼いたらとけるよ」
「そう。つまり温めれば良いの。それじゃ、カチカチのヒモノを柔らかくするにはどうする?」
「水につけるかな」
「正解! つまり、蒸気で水を足しながら、熱くした鉄でギュウギュウ押さえるからシワが伸びるのよ」
「ああそうか。なるほど」
キトラも納得です。
「色んな事を一つでやってると考えると、これはなかなか大した機械だなぁ」
「そうでしょう」
「よく知ってるね、さすがお母さん」
「ふふっ、こういう無駄な事をどれだけ知っているかが、人間の厚みなのよ」
キトラはじぃっとアイロンを見つめます。
白いボディに水色の水タンク、布を押す鉄の部分には蒸気が出る穴がいっぱいあいています。
「ねえ、お母さん」
「なに?」
「ちょっと、ぼくにもかけさせてもらって良い?」
かちっ。
アイロンが小さい音を立てて、ランプが消えます。
アイロンが充分熱くなった合図です。
「がんばって、キトラ」
アイロンの使い方を教えたお母さんは、隣でシャツのボタン付けをしながら応援します。もちろん、キトラの手を見ているので、ボタン付けの作業なんか進んではいません。お母さんというのはそういうものですが、キトラがそれに気付くのはもう十年ほど後の話です。
「よし」
キトラは、アイロン台の上に、自分のハンカチを置きます。
アニメのキャラクタの絵が入った、小さいハンカチです。アニメのタイトルが何であるかは、皆さんの心が感じたままが正解です。
ハンカチを手でおおよそのところ伸ばして、アイロンを手に取ります。
ずしり、と、重みのあるアイロンは、鉄の所から、熱気が伝わってきます。
「すみっこから、すみっこから……」
キトラはアイロンの角をハンカチの角に当てようと、アイロンをかたむけます。
じゅぶぶぶぶしゅううううううう、ごおおおおお!
「うわっ!」
すごい音がして、アイロンの穴から蒸気が出ました。
お母さんは何か言おうとしますが、あえて黙ります。全部やってあげる事が優しいワケではないのです。この辺のところは、キトラも分かっています。
「ふ、ふふっ、イキが良いじゃないか」
キトラは笑います。
もちろん強がりです。
キトラはハンカチにアイロンをゆっくり近づけます。
しゅうううう。
蒸気を出しながらアイロンがハンカチに近付いていく様子は、まるで蒸気機関車のよう。
「……例えとしてちっとも上手くないよ」
アイロンがついにハンカチにふれました。
「ぬぅううううう!」
キトラはアイロンをぐっと押して、ハンカチをなぞります。ものすごい力です。ムダな力です。
シワの寄っていたハンカチは、はしから平らになって、アイロン台にはりついたみたいに真っ直ぐです。
キトラは慎重にアイロンを動かし続け、そして、とうとうハンカチ全部を平らにしました。
「すごいすごい、ぺったんこだ! 昔のカートゥーンみたいだ!」
アイロンのかけ終わったハンカチを、キトラは手に取ります。
ホカホカに温かくて、シワはなく、ピンと伸びています。
「えへへ」
ハンカチを折ります。
「よーし、どんどんやっちゃうぞ」
次、その次、と、キトラはハンカチにアイロンをかけていきます。
アイロンをかけ終わったハンカチが十二枚出来上がりました。
「ふー、出来た!」
「上手に出来たわねキトラ。助かったわ、ありがとう」
お母さんはワイシャツをハンガーから外します。
「あ、ワイシャツもアイロンかけるの?」
「ええ」
「そうなんだ」
キトラはアイロンを置きました。
『ぼくにやらせて』
その一言が口から出る事はありませんでした。
正直、十二枚もハンカチをアイロンがけして、もうすっかりあきていたのです。
その上、ワイシャツの形を見たら、ゴチャゴチャしていて、何をどうすれば良いのかさっぱり分からなかったのです。
キトラのそういうところが、大物になれない向上心のなさなのですが、それがまた、等身大のヒーローとも言えるのです。
「うるさいよ! ひとの心をそこまで説明しなくていいよ!」
「あらあら、キトラ、また毒電波?」
「ちっがうよ! 何にも聞こえてないよ!」
「そうなの」
お母さんはワイシャツにアイロンをかけはじめます。
えりとそでを伸ばしてから、あわせ、ボタンのところ、背中。どんどんワイシャツがピンとのびていきます。
(……やっぱりちがうなぁ。まあ、キャリアがちがうから当たり前だけど)
「キトラ、まだ何枚かシャツあったと思うから、お父さんとお母さんの部屋見て来て」
「はーい」
キトラは立ち上がります。
ぶしゅううう!
「ひっ!」
またアイロンから、大きな音がしました。
(何となくだけど、アイロンとは相性が悪い、気がするなぁ……)
【おしまい】