キトラの冒険
作:ごんぱち
その114『たったひとつで冴えない海パン』



 セミの鳴き声が町中にあふれ、じりじりと太陽の光が地面を焼きます。
「あっづーー……」
 キトラ、ラグヤ、サリス、ノクタの四人は、自転車で走ります。
 前のカゴには、水泳の袋が入っています。
「はぁ……あづいねぇ……」
「……光化学スモッグ警報、出るかもね、ふぅ」
 会話もはずみません。
 何しろ、空気が熱くて、どんなにハアハアやっても、息を吸った気がしないのです。
 キトラ達は住宅地を走り抜けます。
 どこかの家の軒先で、南部鉄の風鈴がリーンと大きく澄んだ音を立てています。
 家の門から少し入ったところの陰で、猫がだらりとのびて寝ています。
 上を全部ぬいだおじいさんが、お巡りさんと言い合いをしています。
 水をまいているおばさんがいますが、こんな暑いさなかでまくものだから、湯気でものすごい事になっています。
 リンゴの売り声を上げている、リンゴを持っていない人がいます。
 1.5リットルのペットボトルを持った、ものすごく太った人が飲むのと同じ早さで汗を流すので、通った後がぬれていて、まるでナメクジみたいです。
 通り過ぎるサラリーマンは、日陰で寝ているホームレスの人を見つけて、とても嬉しそうにネクタイをしめなおし、元気いっぱいで三歩歩いてから倒れ、ホームレスの人の通報で救急車ではこばれていきました。
「――もうなんか、色々ぐちゃぐちゃだなぁ」
 住宅地をぬけ、工場の前を通り、大きな建物が見えて来ました。

「ふーっ、ぬいだだけでも、ちょっと涼しいぜ!」
 サリスがTシャツをぬいで、ロッカーにつっこみます。
 市民プールの更衣室には、コインロッカーがずらりとならんでいます。
 プールの方から、色んな声が聞こえています。
 サリスはズボンをぬぎます。下に水着を着ているのでこれで準備完了、ロッカーにつっこむと、帽子とタオルを取って鍵をかけます。
「おれ一番!」
 サリスはプールへ出て行きます。
「ノクタが二番だぞ」
 ノクタがサリスの後に続きます。
 行こうとするラグヤは振り向きます。
「……キトラ?」
 キトラは水着を持ってじぃっとしています。
「ああ、うん、先行ってて!」
「……分かった」
 ラグヤも出て行きました。

「これ……どうなんだろ」
 キトラはつぶやきます。
 水着は赤っぽいトランクス型で、ヒモがついているほかは、短パンみたいな形です。
 ただ。
「ヒモが……」
 そう。
 ヒモが右の穴からしか出ていません。つまり、ヒモが右の端から引っぱられて、左の端が穴の奥に入り込んでしまっているのです。
 キトラは水着の布の上からヒモにさわります。
 ヒモが入っているところが、ちょっとでっぱっています。
 布をひっかいてヒモを動かそうとします。
 でも、靴の上から足をかくようなもの。やわらかいヒモはくにゃくにゃするだけで、全然動きません。
 ヒモの出ていた穴に、指を突っ込んで引っぱり出そうとしてみます。
 けれど、穴は小さくて指一本がやっと。指先にヒモのはしっこはさわれますが、つまむ事が出来ません。
「ううむ……」
 キトラはとりあえず水着をはいてみます。
 水着のゴムがお腹にはまります。
「ん? 普通のパンツぐらいはしっかりしてるじゃないか」
 キトラは笑います。
「これならどって事ないや」
 ヒモをむすばない水着を着たキトラは、身体を洗ってプールに出ます。

 プールは、水の中もプールサイドもひとがいっぱいで、どこにラグヤ達がいるのかも分かりません。
 みんなを見つけるのは後回しにして、キトラは準備体操をして、プールに入ります。
「うわぁ、冷たい」
 中まで熱くなっていた身体を、プールの水はやさしく冷まします。
「よおし」
 キトラはひとの隙間を見つけて、クロールでひとかき。
 ずる。
「ん」
 キトラは泳ぐのを止めて、立ちます。
 水着がずれています。
 ずれた水着を引き上げて、もう一度。
 ずるずる。
「っとお!」
 危ないところでした。
 キトラはまた水着を引き上げて、クロール。
 ずるずるる。
 泳ぎながら、ぬげそうになる水着を両手でおさえます。もちろん、頭の方からしずんでいきます。
「うぉ、うわわっ!」
 あわてて立ちます。
「ぬぅ……ダメだ、こりゃ」

 キトラは更衣室に戻ります。
「水の摩擦がこれほどとは……」
 パンツにはきかえて、また、水着のヒモを出そうといじります。
「ふんぬっ!」
 けれど、どんなにひっぱっても押してたたいても、ヒモはちっとも動きません。
「……なんか、さっきよりも動かない気がする」
 濡れたヒモや布はひっかかりやすいのです。お風呂上がりに靴下がはきにくいのと同じです。
「ふんっ、ふんっ、ふんっっ、ふんっ、ふんっ、ふんぬっ!」
 何とかヒモを動かそうと爪でひっかきますが、布の目がちょっと動くだけです。
「もおおおお!」
 ずぼっ。
「あっ」
 いらだちまぎれに振り上げた腕に、右から出ていたヒモがからまって、全部ぬけてしまいました。
「あ、あ、あああああああ!」
 ほんの何センチかが進まなかったのに、水着の胴回り全部となれば、もう通る訳がありません。
「ううっ……今日はもう、入れないかな」
 キトラは大きくためいきをつきます。
「ああああ、泳ぎたかった、なのに」
 水着とヒモを握り締めます。
 しみこんでいた水がぼたぼたとこぼれます。
「……水につかるだけつかろうか? いや……そんなのみじめすぎる。少し動いたらずれるし」
 キトラはロッカーからTシャツを出して、そでを通します。
「あーあ……もう」
 靴下をはきます。
 しめっている足は、靴下がひっかかります。
「もおおお!」
 キトラがキレ気味に靴下をひっこぬいて、床に投げつけます。
 それを拾おうとした時。
 ロッカーと床の角のところに、ぴったりとかくれるように。
「針金……いや、ヘアピン?」
 ヘアピンが落ちていました。鉄を曲げた、かざりけのないデザインです。
「ヘアピン……ヘアピン、ピン……ひょっとして……」
 キトラはヘアピンのはしっこにヒモを引っかけます。
 それから、そっと水着の穴に押し込みます。
 固いヘアピンは、水着の布ごしでもよく形がわかり、押すのはむずかしくありません。ヘアピンを進ませて、進ませて、進ませて、そして反対側の穴から先が姿を見せます。
 キトラはそれをそっとつまんで、きゅぅっと引っぱります。
 ず、ず、ずる、ずるり!
 ヘアピンが全部出て、しかもヒモははさまったままです。
「いゃ、ぃゃ、やったあああああああ!」

「サリスーー! 競争しよう、競争!」
「がははは、返り討ちにしてやる!」
 キトラとサリスは、ひとの間をぬって泳ぎます。
 ぶつかったりひっくり返ったり鼻に水が入ったりうっかり水を飲んじゃったり。
 キトラはものすごい笑顔で遊び続けました。
 遊びながらふと、考えました。
(……でも、なんで、男子更衣室にヘアピンなんかあったんだろ?)
 さあ、何ででしょうね?


【おしまい】