キトラの冒険
作:ごんぱち
その103『花火を9月に』


「いやー、抜いた抜いた、いっぱい抜いたぞぉ」
 キトラは満足げな顔で、ダイニングに入って来ます。
「おつかれさま、キトラ。手を洗ってらっしゃい」
 お母さんのアスタさんが、お皿に盛った桃を持って来ながら、サッシごしに庭を見ます。
「あらあらあらあら、すっかりキレイになってるわ!」
「えへへ。まあね」
 キトラは洗面所で手を洗います。
 草の汁がしみついて、まっ黒になっていた手がどんどんキレイになります。
「草むしりの事だったら、ぼくにまかせてよ。全国草むしり同好会の会長なんだからね」
「小さいサークルは、メンバー対立が起きやすから気をつけてね。まあ、そういう時は、自分が抜けるか相手を抜けさせるかした方が良いわ。当初はもめるけど、ずっと楽よ」
「……いや、冗談にそういう生々しい助言しないで」
「あらあら、お母さん早とちりだわ」
 アスタさんは笑って、自分の頭を小突きます。
 キトラはテーブルにつきます。アスタさんも、お茶を持って来て座ります。
「じゃ、いただきます」
「いただきまーす」
 ほどよく冷やされて、甘くて胸のすっとする香りがする桃の、やわらかくてつまった果肉をかじると、果汁があふれてきます。
 いっぱい出すぎて、口のはしからこぼれそうになる果汁を飲み飲み、桃をかみくだき、のみこみます。
「んーー、おいしい!」
「あらあらあら、本当。当たりね、これは。おいしいわ」
 キトラとアスタさんは、あっという間に桃を食べつくしました。
「桃ももう終わりねー」
 しみじみとアスタさんは言います。
「もう1個なかったっけ……あ、お父さんとタウラの分かな?」
「あはは、そうじゃなくて、季節の事よ」
 アスタさんはお茶を一口飲みます。
「秋になって、桃の季節も終わったな、って」
「あ、ああ、そういうこと」
 そのまま席を立ち、キトラは空いたお皿を流し台に持って行きます。
 水を張った洗い桶の中にお皿を置いて、ダイニングにもどろうとしたキトラでしたが。
「ん?」
 流し台の上にある収納、いわゆるウォールキャビネットの扉が開いていることに気づきました。
「お母さんもだらしないなぁ」
 キトラが背伸びして、扉を閉めようとした時です。
「ん?」
 収納の隅に見えたのは、花火セットを入れたビニール袋でした。

 赤、むらさき、金、銀、黄色。
 テーブルに置かれた花火セットには、ハデな色のついた花火が、何本か入っています。
 ビニール袋は、食品保存用でガッチリしたチャックがついているので、湿気てはいなさそうです。
「……忘れてた、忘れてたよ。いつだかに見つけて、それっきりだったよ」
「あるって知ってたら、この前花火やった時に、一緒にやれば良かったわね」
「そうだね、でもまあ、まだ平気な時期だよね?」
 アスタさんは、ちらりとカレンダーを見ます。
「そうね、9月なら、まだ『あら、あそこのお宅、こんな時期に花火をやって、ちょっとおかしいんじゃないかしら』なんて思われなくてすむわ」
「……ご近所付き合い、辛いの?」
「あらあらあら、優しいのね。キトラがそう言ってくれるなら、わたしは地上にある地獄と呼ばれるありとあらゆる苦しみにだって耐えられるわ!」
「重いよ!」
「ふふっ、冗談よ。世間体を気にしてるのは本当」
「……世間体の方を冗談にしようよ」

「花火かぁ」
 部屋に戻ったキトラは、カレンダーを見ます。
 花火は、来週の土曜日にやる事になったのです。
「土曜……天気どうかな」
 キトラは携帯電話をひらいて、週間天気予報を見ます。
「おおっ、見事にピーカンだ!」
 ピーカンというのは、晴れの事です。キトラは精神年齢が三十路なので、難しい事を知っているのです。
「ふんふふん、ふふん、ふふん、ふふん」
「どうした、にいちゃん、鼻づまりか?」
 妹のタウラが部屋に入って来るなりたずねます。
「鼻歌だよ! うれしくて歌ってるだけだよ!」
「それにしちゃあ、ずいぶんとヘタだ。どうきいても、『青い山脈』にはきこえないぞ」
「そんな渋いチョイスしないよ! 『ジングルベル』だよ!」
「それで鼻づまりのにいちゃんは、何がそんなにうれしいんだ? お医者さんにでも行くのか?」
「鼻歌歌うほど医者に行くのがうれしいひとが、この地球にいるとは思えないけどね」
「じゃあなんだ?」
 タウラはスチールのゴミ箱にひょいと腰かけます。
「花火をやるんだよ、今度の土曜に」
「なんだ」
 タウラは肩をすくめてためいきをつきます。
「にいちゃん、今いくつだ? たかだか花火で、そんなにうかれトンチキになるなんて、まだまだまだ子供だな」
「……顔中笑顔で言われても説得力がないよ」
「タウラはまだ子供だからいいんだ。でもにいちゃんは、ジョウキュウセイとしてのジカクを持たなきゃならない」
「小学生のうちは上級だろうが下級だろうが100パーセント子供だよ」
 キトラはカレンダーに丸を付けます。
「土曜、土曜、今度の土曜っと」

 あっという間に金曜日の晩になりました。
「おかわりどうだい?」
 お父さんのナラキさんが、声をかけます。
「はい、おねがい」
 キトラは茶碗を出します。
 ナラキさんは、たっぷり栗ごはんを注ぎます。
「はい」
「ありがとう」
(お父さんの栗ごはんが一番おいしいなぁ)
 栗ごはんに焼きナス、水菜のサラダに豆腐の味噌汁、漬け物、それから昨日の残りの野菜の煮転がし。テーブルの上はいっぱいです。
(よそで食べるのは、栗が甘くって。甘いのとご飯って、あんまり合わないと思うんだけど)
「ごちそうさま」
 アスタさんが箸を置いて、そのまま部屋に戻ります。疲れた顔をしていました。
「……お母さん、仕事、まだ終わらないの?」
「そうみたいだよ」
「お母さん、なんかこわいぞ」
「疲れてると、そんなもんだよ」
 ナラキさんはサラダを食べます。
「今回は向こうの都合で納品日がいきなり切り上がったらしいからね」
「ふうん」
「そうなのか」
 キトラとタウラは分かったような分からないような返事をしました。大人の仕事の話は、よく分からないのです。
「だから、来週の月曜までは、ちょっと晩ごはんが遅くなるけど、いいね?」
「月曜……かぁ」
「お父さん! だったら、土曜の花火はどうなる?」
「出来るワケないでしょ、タウラ。空気読みなよ」
「にいちゃん、そのニッポンのフウチョウが、ニッポンジンをダメにするんだぞ」
「何にでもくっつくような批判も結構だけどね」
 キトラは栗ごはんを食べます。
「今一番辛いのは、お母さんなんだ。聞き分けなさい、タウラ」
「ふん、いい子ちゃんぶって。そうやってガマンをかさねると、どうなるかわからないぞ、にいちゃん」
「一歩間違えるとまっ黒なネタになるような事言ってんじゃないよ」
 その時、ダイニングのドアが開いて、アスタさんが顔を出します。
「言い忘れてたわ」
 申し訳なさそうにアスタさんはキトラとタウラを見ます。
「花火、できなくてごめんね。来週は、絶対やるから」
「ぜんっっっっっっっぜん気にしなくていいぞ、お母さん、にいちゃんはどうだか知らないけど、タウラはガマンの出来る子だ!」
「タウラよりガマンの出来る子、それがぼく、キトラだよ!」
「ありがとうね」
 アスタさんは自分の部屋へ戻って行きました。
「……結局のところ、実に良い子だね君たちは」
 ナラキさんは、キトラとタウラの頭をなでました。

 次の週の水曜日。
「あ……えっと」
 朝ごはんを食べながら、ナラキさんがカレンダーを二度見します。
「今度の土曜って、花火……だっけ?」
「忘れてたの? ナラキさん」
 アスタさんが、食後のコーヒーを淹れながら聞きかえします。
「アスタさんこそ、忘れてるでしょ? 日曜日」
「え……あ。ナラキさんの会社の運動会?」
「そうだよ。家族参加だから、前日にキトラたちが疲れるような事はムリだし……」
「そうね……ごめんね、キトラ、タウラ」
「いや……いいよ。運動会は楽しみだし」
「そうだぞ、たのしみだ」
 キトラとタウラは、元気のない顔で笑って、同じ動きで生卵をかきまぜました。

 その次の週の金曜日。
「キターーーー! キタキタキタ!」
 夕刊を取って来たキトラが、リビングに入って来るなり怒鳴ります。
「どうしたにいちゃん、どこかのおどりのコウケイシャにでもなったか?」
 レゴブロックで遊んでいたタウラがたずねます。
「これだよ」
 キトラは夕刊の天気予報を見せます。
「大変速度が遅く、超大型の台風14号が、関東地方に明日の夜上陸するってさ!」
「カントン?」
「ちなみにここ月兎町は、東京都神奈川の間に挟まれる藍川県内にあるから、混じりけなしの関東地方さ!」
「来るのか、台風が? 14号っていうことは、前の13号よりも強いのか?」
「決まってるさ。その強さの差たるや、20号とセルぐらいちがうよ! もう雨も風もすごいことになる。当然、花火なんてできゃしないさ!」
「やっぱりか! そういうオチか!」
「そうらしいね! 来週は10月だ! 10月に花火なんかやってたら、流石にアレなひとだ! もうどうにでもなれ!」
「ばんざい、ばんざい! 花火ばんざい! 中止だ、中止だ、とりやめだ!」
「花火なんてみんな水に浸かっちゃえばいいんだ!」
「はなびぃーがなくともー、たいふうがー、くるぅさぁー!」
「たいふう、いっかだぁー、だい、かぞぉくうー!」
 キトラとタウラは、よく分からない歌を歌いながら踊り続けました。
 ずいぶん長い間踊った後。
「――ふぅ」
「はぁ……」
 ふたりは座り込みます。
 そして、おたがいの背中に寄り掛かります。
「花火……やりたかったね」
「そうだな……にいちゃん」
「今度、夢の国に、来なよ。ものすごい宇宙花火、フツヌシにこしらえさせるからさ」
「タウラは、行けたことないぞ。にいちゃんのモウソウだろ?」
「……毎度、記憶以外の物を持って帰ってるんだよ、キミは」
「そのルール、なんとかなんないのか?」
「ちょっとだけ欲張りな心を抑えるだけじゃないか……」
 ふたりはそんな事を話しながら、いつの間にか眠っていました。

 窓の外では、ごうごうと風が吹き始めましたが、タウラさんに起こされるまで、ふたりは眠り続けていました。

【おしまい】