キトラの冒険
作:ごんぱち
その44『注射はぜんぜんこわくない』

 キトラのばんがまわって来ました。
 ぷすり。
 きゅぅぅぅぅぅぅ。
(いたくない、いたくないっ、いたくないっ)
 キトラは、うでにささる注射器をずっとみつめます。
 しっかり見ていると、いたいのがいつ来るかわかるので、びっくりはしないし、こわくもないのです。
(いたくないっ!)
 すいっと注射の針がぬかれ、ぬれた白いだっしめんがあてられます。
 うでがまだジンジンしますが……。
(これぐらい、冒険でぶつけたりころんだりするのとくらべたら、どうってことないもんね)
 なみだ目になりながら、キトラはうでをおさえました。
 キトラは、おいしゃさんに頭を下げて――。
「ありがとうございました」
「おお、まだ小さいのにえらいね。おだいじに」
 おいしゃさんは、にっこりわらって、うけつけの紙にポンとハンコをおしました。
 まあ、キトラだっていたくないわけでも、こわくないわけでもないのです。
 でも……。
「ぎゃあああっ、いたいっ、いたいっ」
 キトラのあとで注射をされた子が、なきさけんでいます。
(あれはみっともない、うん、ああはなりたくないなぁ)
 キトラはみえっぱりなのです。
「……ガマンできたのはほんとうじゃないか」

 保健センターのロビーで、キトラは注射のあとをおさえながら、お父さんのナラキさんをまちます。
 ロビーは人がいっぱいです。
(おとうさんも、注射するみたいだけど、お父さんはないたりしないんだろうなぁ)
 あたりまえです。
(まあ、大人はおっきいから、注射の針なんかささってもへいきなんだろうなぁ)
 そんなワケはありません。
「……キトラもきてたのか」
 ふいにこえをかけられました。
「あ、ラグヤ」
 ラグヤも注射をおえたみたいで、うでをだっしめんでおさえています。
「ラグヤもおわったの?」
「……うん」
「いたかった?」
「……さあ?」
「さあって。注射したんでしょ?」
「……円周率をあんしょうしてたら、おわった」
「えんしゅう、りつ……?」
(よくわかんないけど、そのあたりもふくめて、ラグヤらしいなぁ)
「おう、キトラ! なきごえがこっちまできこえて来たぞ」
「そうだそうだ、きこえ――ん? きこえなかったぞ、サリス? ウソはよくない」
 サリスとノクタもやって来ました。二人とも、だっしめんでうでをおさえています。
「サリスこそ、ないたんじゃないの?」
「そんなワケないだろ。ぐっとこう、おくばをかみしめてガマンすれば、なみだなんてひっこんぢまう」
「なきそうにはなったんだ」
「なにを?」
 キトラとサリスはにらみあいます。
「オレは、ぜんぜんだいじょうぶだったぞ。あと十本うったってなくもんか」
「へへんだ、ぼくなんか、あと百本うってもだいじょうぶだよ」
「……そんなにうったら、たぶんわるい病気になる」
「ちゅうしゃはひつようなりょうだけうたないと、あぶないぞ」
「ぐはっ、味方からツッコミがっ!」

「……じゃあ、また」
「つぎはなくんじゃないぞ、キトラ」
「またな、またな、キトラ」
 ラグヤとサリスとノクタは、かえっていきました。
「またね」
 キトラはまた、ロビーでお父さんをまちます。
「たいくつだなぁ」
 おいしゃさんなら、絵本の一冊もあるのですが、保健センターのロビーには、しんぶんがおいてあるばかり。
 ひとがいっぱいいますから、あちこちあるいていると、まいごになりそうです。
「おとうさん、おそいなぁ……」
 おとなの注射のれつは、ずいぶんながくて、なかなかすすみそうにありません。
「あーあ」
 キトラは、おさえっぱなしだっただっしめんをとります。
 もう、血もかたまっていました。
「やれやれ」
 ぬれただっしめんは、へんなにおいがします。
 キトラはだっしめんで、手をちょっとふいてみます。
 すぅっ。
 すぅっとして、ひんやりして、なんだかきもちがいいです。
「水とちがうんだよね」
 なんどもなんども手をふきます。
 すぅ。
 すぅぅ。
 すうぅぅぅ。
「夏に体をふいたら、きもちよさそうだなぁ」
 それからしばらくキトラは手をふいていましたが――。
「……さすがに、これ一つでじかんはつぶれないなぁ」
 キトラはイスからたちあがります。
「トイレでもいこう」

 『トイレ』と、大きくかかれたあんないばんのさきに、トイレはありました。
 古くてカベにはヒビが入っていましたが、トイレはトイレです。
 おしっこ用のべんきがふたつ、こしつがひとつ、そうじようぐ入れがひとつ。
 キトラがおしっこをしていると――。
 がた。
 なにか、うしろで音がしました。
「ん?」
 チャックをあげながら、キトラはふりむきます。
 ところが、こしつはドアがあいたまま、だれも入っていません。
 がたがた。
「え? だ、だれ?」
 がたがたがたがた!!
「うひゃあああっ!」
 ものおとといっしょに、そうじようぐ入れから、小さな男の子がころげ出て来ました。
「な、なんだ、びっくりした」
 キトラよりもちいさい、ようちえんの子みたいです。
「こんなとこであそんじゃダメでしょ」
 キトラがいいましたが、男の子は――。
 どたどたどたっ。
 また、そうじようぐ入れに入ってしまいました。
「あそぶとこじゃないってば」
 キトラはドアをあけます。
「ぼく、いないよ」
 男の子はカオをかくして、言いました。
「いるじゃない」
「いないの!」
「いるかいないかは、じぶんじゃなくて、ほかの人がきめるものだよ」
「??」
「って、カソが言ってたんだけど」
「じゃあ、いてもいいから、だれにも言わないで!」
 男の子はなきそうです。
「ははぁ」
 キトラはわらいます。
「キミ、ちゅうしゃがこわくてかくれてるな?」
「か、かんけいないでしょ」
「ひとは、どこかしらでかんけいがあるものだよ。袖触れ合うも他生の縁っていうでしょ」
「そで?」
「まあ、イミはぼくもしらないんだけど」
 キトラは男の子のうでをつかみます。
「さあ、いかないとお父さんかお母さんがしんぱいしてるよ」
「やだーーーー!」
 男の子はなきだします。
「注射なんて、ちょっとのことじゃないか」
「いたいのイヤだよ!」
「あんなのがいたいって? ぼくはいままで、いろんなぼうけんをして来たけどね、注射よりもずぅぅぅぅぅぅぅっといたいことも、こわいこともあったよ。そんなのとくらべればどうってことないね」
「ぼうけん?」
「ゆめの世界でだけど、ほんとうのことなんだよ。ほら、ツキト町にきょうりゅうが出たことあったでしょ? あれも、ぼくがかいけつしたんだ」
「えええっ! ほんとうに? あれはたしか、どこかのけんきゅうじょからにげたって」
「ぜんぜんちがうんだよ。じつはね――」
 キトラは男の子に、いままでのぼうけんのうちの、ほんのいちぶぶんを話して聞かせました。
「――うわぁ、すごいんだね……」
「いやぁ、それほどでもあるけどね。ちょっとしたえいゆうだから、へへへ」
「じゃあ、ちゅうしゃなんてぜんぜんこわくないの?」
「もちろんだよ」
「だったらさ、かわりにしてきてよ」
 男の子は、うけつけの紙をさしだします。
「え?」
「ちゅうしゃ」
「そ、それはよくないよ。そういうことじゃないでしょ」
「おねがいだよ、いたいのイヤなんだよ。こわいよー」
 男の子はなみだをながしながら、頭をさげます。
「ねえ、おねがいだからさぁ」
 なんども頭をさげられるうちに、キトラはなんだか男の子がかわいそうになってきました。
「……よし、わかった」
 キトラは、どんとじぶんのむねをたたきました。
「かわりにうけてあげる」
「ありがとう! ええと……なまえは?」
「キトラだよ」
「ありがとう、キトラ!」

 キトラは子どもの注射のれつにならびます。
(……二回目だったら、どうってことないや)
 前のほうでは、泣いている子がいます。
(へへん、みんなぼくがうけてあげてもいいんだよ)
 すこしづつ、れつが前にすすんでいきます。
(いたいのは、ちょっとだけだもん)
 また、べつな子がなきだしました。
(ちょっと……だけ)
 にげようとする子もいます。
「……やっぱり、二回もやるのは、イヤだなぁ」
 なんだか、きゅうに足がガクガクふるえてきました。
(ぼうけんしてたって、いたいものはいたいんだよ。じょうだんじゃない)
 でも、にげだそうとすると――男の子のなきがおがうかんできます。
(そうだ、ぼくは、あの子のためにやってるんだ。えらいんだ、だから)
 とうとう、キトラのじゅんばんがまわって来ました。
 キトラはおいしゃさんのカオを見ないようにして、うけつけの紙を出して、それから腕を――。
「ん? キミはさっきうけただろう?」
 おいしゃさんは、言いました。
「なっ、なんでそれを!」
「うでに注射のあとがあるじゃないか」
 それから、おいしゃさんは、うけつけの紙も見せます。
「年も三才じゃあないだろう?」
「う……」
「カオにも見おぼえがある」
「そ、それは……」
 おとなはそんなにあまくありませんでした。

「もうしわけありません」
「いえ、こちらこそ、もうしわけありません」
 キトラのお父さんと、男の子のお父さんが、たがいに頭を下げます。
「キトラ、注射がだいじなものだってしっていただろう? かわってあげられるようなものじゃないって、しっているだろう?」
 いつになく、お父さんは本気でおこっていました。
「う……」
「こういうときは、お兄さんのキトラがきちんとおしえるべきなんだ。もしも、この子が注射をうけられなくて、インフルエンザにかかったら、どうするつもりだったんだい」
「ごめんなさい」
(うー、いいと思ってやったのに)
 キトラも、わるいことをしたとは分かっていますが――。
(こんなにしかられるとはおもわなかったよー)
「小さい子がまちがっていることをしたら、なおしてあげるのが大きい子のやくめなんだよ、わかってるかいキトラ!」
「ごめんなさぃ」
(うー、だれか、しかられるの、かわってーーー)

【おしまい】