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◇┳新世紀バトル全感想8-投稿者:棗樹(そうじゅ)(2/13-02:28)No.695
 ┣┳エントリ34: 霜月 剣さん 『手のひらのガラスケース』-投稿者:棗樹(そうじゅ)(2/13-02:32)No.696
 ┃┣━続きです-投稿者:棗樹(2/13-02:35)No.697
 ┃┗┳Re:エントリ34: 霜月より愛を込めて(笑)-投稿者:霜月(2/13-15:39)No.702
 ┃ ┗━愛の3倍返し!!-投稿者:棗樹(2/15-13:48)No.714
 ┣┳とことんやったれー!-投稿者:AMORE(2/13-02:58)No.698
 ┃┗┳愛の10倍返しーーー!!-投稿者:棗樹(2/15-13:54)No.715
 ┃ ┗┳とっといてね-投稿者:AMOR(2/15-19:13)No.717
 ┃  ┗━はあい!-投稿者:棗樹(2/17-20:40)No.720
 ┣━エントリ35: 天雅カケルさん 『綾乃』-投稿者:棗樹(2/17-20:19)No.719
 ┣━エントリ36: 越冬こあらさん 『小骨直列返魂之術顛末』-投稿者:棗樹(2/23-02:34)No.738
 ┣┳エントリ37: 灰汁さん 『黒街』-投稿者:棗樹(2/25-01:33)No.746
 ┃┗┳Re:エントリ37: 灰汁さん 『黒街』-投稿者:灰汁(3/2-15:53)No.765
 ┃ ┗━返信ありがとうございます!-投稿者:棗樹(3/3-03:40)No.771
 ┗┳エントリ39: るるるぶ☆どっぐちゃんさん 『シルクスクリーン』-投稿者:棗樹(3/3-01:58)No.768
  ┗━続きです-投稿者:棗樹(3/3-02:00)No.769


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695新世紀バトル全感想8棗樹(そうじゅ) E-mail 2/13-02:28

棗樹こと川谷珠子です。川谷珠子こと棗樹です。どっちが正しいんでしょう?
性懲りもなくまだやってます。終わるまでやります。二月中にはなんとかしたいものですねえ!(悲鳴>>>)

エントリ1−7の感想は「作者と読者の掲示板 part1」に在ります。
8−33は[次の10ツリー]のボタンをどんどん押してご覧ください。

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696エントリ34: 霜月 剣さん 『手のひらのガラスケース』棗樹(そうじゅ) E-mail 2/13-02:32
記事番号695へのコメント
 何度読み返しても面白いなあ、これ!中身がないと言えばないけれど、ディテールでこれだけ読ませてるんだから、お釣りがきます。文章も上手いですし。ただ、この構成は読み手に結構な負担を強いているのではないでしょうか。「現在」にサンドイッチされた回想部分は長いし、「現在」そのものは、あちこち移動し過ぎです。


●構成について
冒頭場面から回想に移るところは、スムーズでうまいと思いました。が、回想部分が長すぎて、終盤で再び卒業式前日の「現在」に戻ってきたとき、どういう場面だったか完全に忘れていたため、混乱しました。

また、一年生の時の回想から図書館の場面へと転換する部分では、卒業式前日の「現在」に戻っているのかと思ったら、後のあかねの登場で二年生の時のエピソードだとわかります。回想がいきなり一年飛んで、しかも、

(「おなじ学校で彼氏をつくりたくないの、なんとなく」/あの言葉を聞いた日は、なぜか、ひとけのない図書室の一番奥で暗くなるのを待っていた。/何度ページをめくっても、神様の絵や文字でさえも、六月の雨に湿った気持ちの上をつるつると滑っていく。何を読んでいるのかさっぱりわからないから、読み進めるのに時間が掛かる。当番で家庭科室をふたりで掃除させられていた、さっきのやりとりが頭の中でぐるぐるまわる。…)

とありますが、(あの言葉を聞いた日)っていつなのでしょう?多分、告白するたびに言われている言葉なので、回想の中の「現在」である六月の(さっきのやりとり)にあっけらかんと繋げられているのだろうと思うのですが、読み手はつっかえながら、どうにか付いてくる感じです。さらに、

(あかねちゃんとは、あの後なんとなく気まずくて、ほとんど話をしていない。)

 「あの後」がいつのことなのかわかりにくいです。(いつの間にか、あかねちゃんと同じクラスのいかにも遊び人風の男が「カレシ」を名乗っていた)頃を指すのでしょうか。
それは置いておくとしても、その後、数行で一年半が経過し、回想のスタート地点だったラーメン屋を一瞬で通過して、再び三角公園→卒業式後の教室、という流れは詰め込みすぎのような気がします。

 また、細かいですが、(なくしたと思っていたシャーペン)のエピソードも回想に出てきていたら、プレゼントの場面はもっと締まったと思います。ついでながら、「僕」とあかねが米屋の前で待ち合わせる場面でも、いきなり雨が降っていることになったような印象があります。キズの少ない文章ですが、その二箇所だけは読み流してしまうことが出来なかったので、お伝えしておきます。


●人物について
 「僕」の目を通して描かれる八重ちゃんは、とても魅力的です。「僕」というフィルターを通しているからこそ、の輝きだとは思いますが、でもその輝きには自分でも驚くほど惹かれました。

(「もう、おなかいっぱい」/「まだ半分ぐらいあるじゃん」/「ぜんぶたべたら、ふとるもん」)

 上のように、そんな女どついたれよ!と思う部分もたくさんあるのですが(笑)。あかねについても、巨乳で勝手に好きになってくれてすぐにやらせてくれて、別れるときも騒ぎ立てることのない、えらく都合のいい女として描かれていますが、これは所謂「男のロマン」なのかもしれませんね…。
 理想の「恋人にしたい女の子」像と「セックスだけしてたい女の子」像がこれでもかと具現化されているのに、読んでいて嫌な気分にならないのは、作者が、例えば、

(「あたしのことみて、わらうの」)

という、女同士ならではの冷やっこいやりとりを掬い上げていたり、

( 手をうしろに組んで、僕を見上げてにやにやしている。僕に一票だけ入っていた学級委員の投票が八重ちゃんのしわざだったのがバレた時と同じ顔をしていた。/「はやしくん、かのじょがほしいんでしょ?」/こめかみの奥でカチンと音がした。自分の顔から笑みが揮発して無表情になり、見せたこともない目付きで八重ちゃんを見据えている自分を感じた。)

にあらわされているような、八重ちゃんの幼さ残酷さを、きっちり拾っているからだと思います。このような作者の鋭い視線と、作品の随所に現われたユーモアが小説世界を支え、恋愛シュミレーションゲームの焼き直しになってしまいそうなこの物語を、「陳腐さ」から遠ざけているのですね。

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697続きです棗樹 E-mail 2/13-02:35
記事番号696へのコメント
 「僕」については、どうしてそんなにモテモテなのかよくわかりませんが、一歩引いた場所からクラスを眺めているのがクールに見えたり、”八重ちゃん命”でありながらチンコの反応には正直だという、そのわかりやすい性格が可愛く見えたりするのかもしれませんね。実際、読んでいて楽しいキャラクターです。が、八重ちゃんに振り向いてもらえないつらさや葛藤については、もっと踏み込んだ方が、”人物”の奥行きがでたと思います。


●性関連のことについて
 描写凄いなあ面白いなあ以外言うべきことはありませんて!

(でも、はだかで、抱き合って、セックスしている。セックスしている。チンコがまんこに入っている。チンコがまんこに。そう考えただけで、動いていなくても、気持ちまでとんでもなく気持ち良くなってしまった。)

ああ、もうこの幻想がセックスの基本で、すべてよね、と思ってしまいましたし、

(「ほら、やっぱりおとこはえっちだ」/「ごめん、でも、おとこはエッチだよ、やっぱり」)

この会話も素敵だなあ、と思います。ただ、

(はぁ、と八重ちゃんがため息をつく。あたしだって。え、なに? あたしだって。/「あたしだって、はやしくんと、したかった」)

ラストで八重ちゃんにこう言わせるなら、八重ちゃんが「僕」に欲情しているのが思いがけず露わになり、そうと悟った「僕」がどぎまぎするようなシーンが欲しかったなあ、と思いました。八重ちゃんの”人物”にも奥行きが出たと思います。女の子は”お人形”じゃないですからね(笑)。


●タイトル・主題について
 「手のひら」「ガラスケース」と儚げな言葉に惹かれて読み始めると、どえらいものにぶちあたってしまう、騙し討ちのようなタイトルですね(笑)。それは冗談ですが、でもやはり、読み終わったあとに違和感が残るのは、繊細な主題と突き抜けた性描写のあいだに、「距離」があるせいでしょうか。

 作品中の性描写は素敵です。”性”のしょうもない部分を含めて、見事に描ききっていると思います。一方、二人の関係に”性”という関係を持ち込みたくない、今の関係を壊したくないという、八重ちゃんの思いも共感できるものです。
 でも、八重ちゃんの口から語られる「真意」は、頭でっかちというか、どこか地に足が着いていない印象があります。「僕」が体感する”性”を含めた身体感覚に比べると、存在感の薄いことは明らかで、このバランスの悪さが、読了後の居心地悪さに繋がっているような気がします。ハッピーエンドの予感のするラストの、甘いムードに、作者は流されてしまったのかなあ、とも思いましたが、どうでしょうか。

(騒がしい教室で、八重ちゃんの声だけが僕の耳に届いていた。使いなよ、ばかはやし。八重ちゃんがちいさな身体を震わせて、声を押し殺そうとする。気持ちのすごく深いところが熱くて、何かが、あふれ出してくる。)

こういうところは、すごく好きなんですけどね。

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702Re:エントリ34: 霜月より愛を込めて(笑)霜月 E-mail 2/13-15:39
記事番号696へのコメント
キタ━━━━(゜∀゜)━━━━ッ!!

……失礼しました。
素敵な感想をありがとうございます。何度も読み返してニタニタしました。
前にMAOさんの感想への返信で書いたような覚えがありますが、
「中身はないけど面白いね、これ」って言ってもらえるものを書きたかったのです。だから
>  何度読み返しても面白いなあ、これ!中身がないと言えばないけれど、
というのは、とてもうれしいです。
(なぜ「中身のないものを書きたいと思ったのかは、自分でもよくわからなかったりして)

ええと、アレで、自分でもっとも気になっていたのが、時間や場所がとっちらかっていたことでした。
そこのところ、きちんと説明してくださって、僕は、いったいいくら授業料をお支払いすればよいのか
とすら思うほど、感謝しています。

せっかくですので、念のため、いくつかの疑問におこたえしておきます。

「あの言葉を聞いた日」っていうのは、本文では、そのちょっと上にある
    第一巻を読んだのは一年の一学期の期末試験が終わった日、二巻は文化祭の前の日。
    三巻目は八重ちゃんの誕生日、去年の十一月。
のくだりと対応します。
ふられる(=あの言葉を聞く)たびに『火の鳥』を読んでいた、ということなんですが、これはちと
わかりにくかったかもしれません。

>  「あの後」がいつのことなのか
というのは、
    いつの間にか、あかねちゃんと同じクラスのいかにも遊び人風の男が「カレシ」を名乗っていた
    頃を指すのでしょうか。
その通りです。
これもわかりにくかったですね、やっぱり。

>  理想の「恋人にしたい女の子」像と「セックスだけしてたい女の子」像
これは声を出して笑ってしまいました。特に後者。図星でした(笑)。

それから、以下のご指摘、
・「僕」とあかねが米屋の前で待ち合わせる場面でも、いきなり雨が降っていることになったような印象
・八重ちゃんに振り向いてもらえないつらさや葛藤については、もっと踏み込んだ方が、”人物”の奥行きがでた
・八重ちゃんが「僕」に欲情しているのが思いがけず露わになり、そうと悟った「僕」がどぎまぎするようなシーンが欲しかった
なるほどおおおおお。
と思いました。いまから書き直そうかな(笑)。

> ●性関連のことについて
>  描写凄いなあ面白いなあ以外言うべきことはありませんて!

ありがとうございます。
自分自身では、もうちょっと濃い描写を書きたくてしょうがなかったんですが、
「これはエロ小説じゃないこれはエロ小説じゃないこれはエロ小説じゃないこれはエロ小説じゃない」
と念じながら、書きました。
なので個人的には、やや消化不良(笑)。


>  でも、八重ちゃんの口から語られる「真意」は、頭でっかちというか、どこか地に足が着いていない印象があります。「僕」が体感する”性”を含めた身体感覚に比べると、存在感の薄いことは明らかで、このバランスの悪さが、読了後の居心地悪さに繋がっているような気がします。ハッピーエンドの予感のするラストの、甘いムードに、作者は流されてしまったのかなあ、とも思いましたが、どうでしょうか。

初稿には、八重ちゃんが学校内に恋人を作ろうとしない理由を語らせた箇所があったんですが、
これが説明的すぎる上に、ちーっとも面白くない。なのでばっさり削除してしまったんです。
でもそれがあったら、バランスの悪さ、居心地の悪さが、少しは緩和されたかもしれないなあと
思わなくもないですね。

あと、お察しの通り「ハッピーエンドの予感のするラストの、甘いムードに、作者は流されてしまった」
という箇所を読んで、背中にイヤな汗をかいてしまいました。

アレはアレで、もう手を加えてどうこうするものではないので、ガラスケースにしまっておいて、
いただいた感想は以後の文章に活かせるように、がんばってみます。

どうもありがとうございました!!!

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714愛の3倍返し!!棗樹 2/15-13:48
記事番号702へのコメント
感想読んでいただいてありがとうございました。
質問にも答えていただいて、すっきり爽快ハレバレな気分です。
なんで、こんなにねちっこい感想を書いているかといったら、「わからないことをスッキリさせたいー!!」その一言に尽きるのですもの。

> 自分自身では、もうちょっと濃い描写を書きたくてしょうがなかったんですが、
> 「これはエロ小説じゃないこれはエロ小説じゃないこれはエロ小説じゃないこれはエロ小説じゃない」
> と念じながら、書きました。
> なので個人的には、やや消化不良(笑)。

ええ、今回はエロ小説ではないから(笑)、あんまり濃ゆ〜い描写をすると、話がちがってきちゃいます。あれはあれでよかった。すごくよかったと思っていますよ。

> アレはアレで、もう手を加えてどうこうするものではないので、ガラスケースにしまっておいて、

それはもったいないと思いますが、ガラスケースにしまっておきたいものってありますよね。。。(遠い目)
どうぞ、新作を書きまくって、また読ませてくださいねー!!


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698とことんやったれー!AMORE E-mail 2/13-02:58
記事番号695へのコメント
> 性懲りもなくまだやってます。終わるまでやります。二月中にはなんとかしたいものですねえ!(悲鳴>>>)

ええ根性してなはる。惚れた!

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715愛の10倍返しーーー!!棗樹 2/15-13:54
記事番号698へのコメント
> ええ根性してなはる。惚れた!

いつもありがとうございます(号泣)がんばりまーす!!

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717とっといてねAMOR E-mail 2/15-19:13
記事番号715へのコメント
全感想書いたものちゃんと保存しておいてね。
それで終了したらまとめてQにください。
一括してページにします。宜しくお願いします。
隣の庭は大きく見える(笑)。ぼくちゃんにもよろしくー。

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720はあい!棗樹 E-mail URL2/17-20:40
記事番号717へのコメント
ちゃんと(多分)保存してあります。
全部揃ったら送ります。

> 隣の庭は大きく見える(笑)。ぼくちゃんにもよろしくー。

もいっこのパーツはそれなりなんですが(笑)。
今日も元気でなによりな二人組ですー。

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719エントリ35: 天雅カケルさん 『綾乃』棗樹 E-mail 2/17-20:19
記事番号695へのコメント
 発想そのものは面白いと思いますが、この作品には、「メタ・フィクション」の看板を掲げながら、物語の向こうから立ち上がってくるほどの”力”はないと思いました。どれほど仕掛けに凝っても、読み手の思考や想像力を凌駕するものがなければ、読み流されてしまう。まさにそのことを考えさせられた作品です。

●構成などについて
 「付記」があって助かった、と思いつつ、(古き良き時代の「探偵小説」というものを「メタフィクション」で再現させた)って、わかるようなわからないような…。
 おそらく、探偵がいるから事件は起きる、という探偵小説の”定理”を逆手に取った作品なのですね。語り手の頭の中で拵えられた”事件”でも、事件があれば、探偵小説は成立するのだ、と。

(綾乃は消された。/綾乃は殺された。/綾乃は抹消されたのだっ!?/……ぼくの手で、このぼくの独自の判断によってである。/もう一度、言っておく――綾乃は消されてしまうのだ。/それも、このぼく自身の手で葬りさられてしまう運命なのだ。)

 ”語り手”は探偵の役目を読者に振って、「綾乃消失」の謎を解くことを求めます。犯人は自分だ、と告げるおまけつきです。そして(風変わりな)謎解きが始まります。

 若き日の語り手=「ぼく」は好奇心が強いものの、行動の伴わない、夢想家タイプの青年のようですが、綾乃との出会いにより、「ぼく」の(隠れた加虐性)が引きずりだされ、それが物語を引っ張ります。加えて、強姦犯は「ぼく」だと言い張る、綾乃の不可解な行動や、隠れていた店に押し入り銃を乱射する男。場末の売春宿での綾乃との再会と、公園でのレイプの意外な理由。”事実”が歪曲されたラジオ・ニュース。激しい性交と殺害。そして、警官の気配に逃走を図り転落死、という”悪夢”さながらの展開は、ありがちなところはあるものの、面白いと思いました。

 しかし、”語り手”は、それらが、友人・吉田が情婦の綾乃達と企てた(プラクティカル・ジョーク)であり、綾乃は気を失っていただけで、死んだはずの「ぼく」は、公園のベンチに座って「回想」を語り終えている、と告げます。読者に謎解きを求めておきながら、”語り手”は自ら謎を解き明かし、以下のような念押しまで行うのです。

(ぼくがこの物語を頭のなかで想い描き、考え始めた時点で、綾乃という人物が生を得た。けれども、ぼくがこの夢想を終えると同時に、綾乃の存在も消えてしまう。)

 「ぼく」が絞殺したはずの綾乃について(綾乃は気絶しただけ)という”訂正”をいれたのも、綾乃を殺したのは”語り手”であることを強調したかったためなのでしょうか。これについては、他の意図がある気もするのですが、作品全体を通じて、上記のような念押しが何度も出てくるのを興ざめに思いましたし、あまりに明快な”真相”にも物足りなさを感じました。

 あるいは、”語り手”=作者は、「ぼく」の語る回想を土台に、もうひとつの謎解きを仕掛けているのかもしれません。
 冒頭の(ぼくの好奇心から高じた詮索癖――悪く言えば覗き趣味というやつ)が終盤では、(常日頃、暇にまかせて覗き見や少女へのイタズラをしていたぼく)にすり替わっていたり、ラストで語り手の老人が、(慣れない松葉づえをつきながら折れた左脚を引きずり)家路に向かうと描写されるあたりには、”語られなかったもうひとつの妄想or現実”という「仕掛け」の匂いを感じるのです。先に述べた、綾乃も「ぼく」も死んではいなかった、という”訂正”部分にも、同じ気配を感じます。
 今回の文章だけでは、はっきりしないのが残念ですが、そういう狙いがあるとしたら、また別の面白さが加わりそうです。

●文章について
 凝った言葉を使っているものの、凝りすぎてかえって回りくどくなったり、言い回しがこなれてなかったりする印象です。例えば、

(そのまま、ぼくは裏通りの○○町という、寂れた繁華街に身を委ねた。それも、遠い昔に栄えた同じ建物が連なる遊郭――タイムスリップしたような最低の売春宿が並ぶ、いかがわしい一画だった。)

(退屈な実生活が待ち受ける、綾乃の面影すら浮かばない家路へと向かった。)

など。また、細かいですが、(面目のない表情で言った)(店内をあれこれと洞察した末)(テーブルに就いた)等々、言葉の使い方の気になるところもたくさんあったことをお伝えしておきます。

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738エントリ36: 越冬こあらさん 『小骨直列返魂之術顛末』棗樹 E-mail 2/23-02:34
記事番号695へのコメント
 ずいぶんわかりきった「笑い」を狙ったコメディだと思いました。「ベタだ…」と思いながら、つい笑ってしまう。読み手のそんな反応を、作者は求めたのかもしれません。
 構成には、意識して緩急をつけているのにもかかわらず、単調で間延びした印象があります。冒頭の平山和美、加東山、アイコそれぞれについての記述が長すぎるせいでしょうか。「緩急」の”急”の部分を手短にまとめすぎて、細切れの”説明”になってしまっていることにも原因はありそうです。

(その日のうちにアイコと親しくなった平山は、アイコの話から、加東山課長が相当に重症であることを悟った。原因や手法は定かではないが、何らかの悪霊が亡妻を思う課長の心の隙につけ込んで課長を取り殺そうとしていることは明白だった。)

(何かと理由をつけて出席を渋っていた加東山課長は、乾杯が終わって小一時間すると退席を告げた。そのただならぬ様子に疑惑を持った平山は、二次会の席でアイコ以外の課員の飲料に薬を入れて皆を眠らすと、ほろ酔いアイコの手を引いて地下鉄で課長の自宅の駅に急いだ。)

 手続的な部分をあえて単純化することで、コメディ色を強めようとしたのかもしれませんが、それならもう一捻り欲しかったと思います。

 「返魂之術」の謎解きの場面については、

(平山は、アイコの小振りの体を課長に向かって投げつけた。トランジスタグラマーなアイコの体は、片仮名、長音付きでポヨヨーンと課長にぶつかった。)

(「ああ、猫ちゃん。猫ちゃんね。助けにきてくれたのね」/<にゃー>/<じゃなくて、加東山重定。好き勝手に暮らして、先祖に顔向け出来なくなり、あの世にも行けずにこの狭間に留まって、即席返魂法で息子夫婦をたぶらかした上、アイコちゃんをも連れ去ろうたあ、立派な了見だ。今すぐ地獄に落としてくれらあ>/「きゃあ、猫ちゃん。カッコいい」/<にゃー>)

といった”小技”にくすくす笑わせられるものの、思いもよらない出来事が次々と投げつけられるので、筋を追ってゆくのが精一杯で、作者の仕掛けた笑いのタイミングは逃してしまった気がします。また、蘇った妻の”人物”がはっきりしないせいで、素直に笑ってよいのかどうか、困惑した部分もありました。

 こあらさんは、QBOOKSではおなじみの作者であり、その印象的な作風が私の頭には染みこんでいるので、いつもと違う「笑い」の種類やタイミングに、乗り切れなかったという気もします。例えば、

(まず、箪笥の奥に隠しておいた桐の箱から、小指の三本の骨、基節骨、中節骨、末節骨を取り出し、布団の丁度右手に当たる位置に、順番通り直列に並べた。それに、昨晩から煎じた秘薬を注ぎ、程よい湿り気を与えたところで、布団を掛け、加東山家伝来の香を焚く)

 この人を喰った描写には笑わされ、また、

(その夜、帰宅すると久方ぶりに妻が迎えてくれた。生前同様無口な妻は、着替えを手伝い、晩酌の相手をして、夕餉の給仕をしてくれた。掃除や洗濯も帰宅前に済ませておいてくれたようだ。/翌朝になると三本の骨は、桐の箱に戻っていた。/毎月の満月が待ちきれなくなった。)

 淡々としながら静かな喜びが滲むこの描写にも唸らされ、ああ、いつもの「こあら節」だわ、と思い、この小説は「返魂」というちょっと変わった方法を介した、死んだ妻と夫の愛情物語なのかな、と思いかけたところ、平山和美の霊能力により物静かな妻は燃え上がり、アイコの足首を掴んで道連れにしようとするので、よくわからなくなるのです。

 そこは置いておくにしても、

(そして、あっけなく全てが終わった。)

 ラストのこの言葉通り、大騒ぎした割にはあっけない”真相”と結末に、物足りなさも感じました。焦点が絞り切れてなかったかな、という気もしましたが、どうでしょう。

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746エントリ37: 灰汁さん 『黒街』棗樹 E-mail 2/25-01:33
記事番号695へのコメント
 閉ざされた、未来のない空間を丁寧に描いています。冒頭の、(闇が、綿を押し込んだように溜まっている)巨大な穴の描写とそれに続く文章により、小説の世界観がきちんと示されているので、特殊な設定を無理なく受け入れることができました。

(世界は闇に包まれているが、それを確かめるすべすらない、自分の目がおかしいのか、それとも世界がおかしいのか、それとも、なにもかもが正常なのか。)

 構成もよく練られ、冒頭に現われた「闇」は、終盤、主人公の分身らしき「彼」の行く手にも広がっており、闇の深さ濃さはますます密度を高めます。
 自分と他者の境さえわからなくなる、閉塞した狂気の世界。「彼」が自分自身なら、殺人者は自分であり、自ら「追放者」となって闇に彷徨い出るのも、また自分。白紙の書類を配らせる役人の狂気と、白紙とわかって配り続ける主人公の狂気は重なり、登場人物はみな、合わせ鏡に映る主人公の分身のようです。名前さえわからない被害者も、その死体の痕跡を眺めた浮浪者さえ、ひょっとしたら、主人公自身かもしれない。その狂気と空虚が、寒々しいほど淡々と伝えられます。

 姉も白マヤもまた、主人公自身かもしれないし、そうではないのかもしれません。

(正しいこととはなんだろう。/それは、本質とか魂とかじゃなくて、正しい事をすることじゃないのか。たとえ、腐りきって街に飲み込まれた歯車みたいな存在になったとしても、正しい心とは正しいことをすることなんだろう。)

 けれど、ラストの、主人公とこの二人の女性との対話からは、自己の存在の揺るぎなさを実感できる、温かさが立ち上ります。人を好きになるという心。誰かが幸くあれと願う心。通い合う心。咲くかどうかわからない花を育てる、その行為に含まれた確かなもの、等々。他は全部まやかしで構わないから、そこだけは”真実”であって欲しいと願わずにいられない切なさと、微かな希望のにじむラストは素敵です。ただ、しばしば挿入される以下のような主人公の自問自答は、

(では、「彼」は追放者なのだろうか。/そうだとしても、誰が追放と決めるのか。猫が、死期を感じ自らの躯を隠そうとするように、「彼」もまた、自分の中の何かの死を感じ取ったのだろうか。/そして、その何かを守るために、殺したのか。/しかし、それは。)

(「彼」は誰なのだろう。誰の心の中にもいる正しい心の姿なのだろうか。「彼」は本当は実存ではなく、「彼」は自分自身なのだろうか。)

少々理に落ちすぎた印象ですし、閉塞した環境が影響するのか、語り手である主人公には、視野の狭さも感じます。過去も未来もない「今」だけを綿々と綴る”語り”には、正直、息苦しさを覚えました。読ませる文章、共感できる内容ではあるけれど、今ひとつ物語に入り込めなかったのは、そのあたりが原因のような気がします。

***************

 せっかくなので、気になったことを。

 作者の意図から逸れているとは思いますが、私は「浮浪者」の存在がとても気になりました。辞書の定義通り、「定職や住居を持たずにさまよい歩く人」なのでしょうか。でも、この、物資が乏しく人口も少なそうな世界において、仕事がない家がないということは、それほど特殊なことではない気がするのです。ゴーストタウンと化した商店街の一室で暮らし、さほど役に立つとも思えない仕事をしている主人公や姉、白マヤも、内実は、浮浪者と同じなのではないでしょうか。
 この世界において「浮浪者」とそうでない人とを隔てるのは、”人間らしい暮らしを続ける”意志があるかどうかに尽きるのかもしれません。ぐるりを闇に取り囲まれ、”人間らしい”という言葉の持つ意味や価値が、そもそも崩壊している世界において、人間らしさを装い続ける。そんな主人公達の、心許ない立ち位置をあぶり出すための存在が「浮浪者」なのかな、と思いました。

 あと、細かいですが、「先生」のキャラクターが「彼」と重なってみえ、印象が薄くなっていると思いました。また、「白紙」の事件の描写は、もっと鮮明で感覚的なものにした方がよかったのでは、とも思いました。狂気に絡め取られかけている自分とそれを認識する自分とのあいだに生じる”綻び”は、この物語の要ですから、ここだけは、違和感を生じさせるくらい文章を変えてよかった気がします。

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765Re:エントリ37: 灰汁さん 『黒街』灰汁 E-mail 3/2-15:53
記事番号746へのコメント
 はじめまして棗樹さん。600の方でお世話になっている灰汁です。
 大変丁寧な感想、本当にありがとうございます。いささか感動の体でございます。

 自分でも、どんなの書いたか良く覚えてなくて、そちらの感想文を読みながらも、「そういえば、そんな事書いたか」と思い返しながらでした。推敲の時間が足らなくて、文章がガタガタだと言う事は覚えているのですが。ま、その割には、結構気に入ってる作品です。(確か一票も入らなかったけれどネ)

 ぶっちゃけちゃうと、この作品は殆ど何も考えないで書く、という目標を置いてました。何も考えない、というのはちょっと語弊があるけれど、つまりはこの登場人物達が、どんな風に暮らしたり、どんな風に育ったりとか。社会制度はどうなってるか、どのような思想教育がなされるか、経済は、貨幣制度は? という分野です。私はホントはSF書きで、ある世界を作る場合は上記のような設定を事細かに作るのですが。今回は逆に全く作らず。そこに、ぼん、と人を置いてみたらどうなるか、という感じに話を作りました。

 あんまり自分について話すのは好きじゃないのですが、私が書くテーマの一つが人間の本質という奴でして。私は人間の本質というのは、それ以外の全てが剥ぎ取られたときに表に出る。と考えてます。その一つが戦争で、およそ戦場では、その人のそれまでの人生や社会性や道徳性などを全てを捨てる事を要求されます。が、その中で、まだ人間が人間らしく振る舞うとき、それが何と言えば分かりませんが人の魂のようなものだと思ってます。この作品も、生きる以外のすべてを剥ぎ取られた世界で、それでも人が人らしく振る舞う事、というのをテーマにしてるつもりです。

 棗樹さんの感想文で上記のような事について、受け取って貰えた感もあったので本当に嬉しかったです。良かった通じた、って感じでした。
>「浮浪者」の存在がとても気になりました
 恐らく棗樹さんの解釈が正しいのだと思います(自分で書いたのに)、人はやはり他者をある程度カテゴライズしないと認識できない、とかそんな感じだと思います。
>「先生」のキャラクターが「彼」と重なってみえ、印象が薄くなっていると思いました
 あれは、随分悩みましたし、失敗です。もともと枚数の上限が決まっていた所為もあってじっくり書けなかったのもありますが。「彼」も最初は普通の登場人物だったのですが、名前を決めるのが面倒くさくて(ぉぃ)放って置いてるうちに影みたいな存在になっちゃいましたね。そこは間違ってない気はするけど、少なくとも「先生」を出したのは失敗だったと思います。

 凄く長くなってます、すいません。ティプトリー先生みたいに、あとがき書くのは嫌いなのに。最後に、この作品の次章を書きました、文藝600の自由投稿のところにアップされてます。字数制限ないので、じっくり書いてますが、更に面白くない出来になってますw
 1章みたいなストーリー制もないし、なによりダラダラした作品を書こうという腐った目標で書いたからです。いま、3章を書いてて、「先生」を主人公にして書くつもりですが、あの人が全然つかめないで困ってます。読んでくださると、嬉しいです。それでは、

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771返信ありがとうございます!棗樹 E-mail 3/3-03:40
記事番号765へのコメント
 こちらこそ、はじめまして。実は、バトカメや矮星賞をときどきのぞき見して、灰汁さんの作品もいくつか読ませていただいていますので、「初めて」な感じはしないのですが(笑)
 長文のうえ、遅すぎた感想でしたが、読んでくださってありがとございました。灰汁さんに知らせてくださったMAOさんにも感謝です!気の利かない女でスミマセン。

>私が書くテーマの一つが人間の本質という奴でして。私は人間の本質というのは、それ以外の全てが剥ぎ取られたときに表に出る。と考えてます。その一つが戦争で、およそ戦場では、その人のそれまでの人生や社会性や道徳性などを全てを捨てる事を要求されます。が、その中で、まだ人間が人間らしく振る舞うとき、それが何と言えば分かりませんが人の魂のようなものだと思ってます。この作品も、生きる以外のすべてを剥ぎ取られた世界で、それでも人が人らしく振る舞う事、というのをテーマにしてるつもりです。

 私も、そういう考え方に惹かれる質です。”限定された空間に生きる”というシチュエーションを突き詰めたくて、QBOOKSの1000字バトルに、地下のドームの中で植物を育てる話を出したこともあります。
 
> 棗樹さんの感想文で上記のような事について、受け取って貰えた感もあったので本当に嬉しかったです。良かった通じた、って感じでした。

 よかった、頓珍漢な読みとりをしていたわけではなかったのですね!このように言っていただけると、私もうれしいです。とても励みになります。

> >「先生」のキャラクターが「彼」と重なってみえ、印象が薄くなっていると思いました
>  あれは、随分悩みましたし、失敗です。もともと枚数の上限が決まっていた所為もあってじっくり書けなかったのもありますが。「彼」も最初は普通の登場人物だったのですが、名前を決めるのが面倒くさくて(ぉぃ)放って置いてるうちに影みたいな存在になっちゃいましたね。そこは間違ってない気はするけど、少なくとも「先生」を出したのは失敗だったと思います。

 「先生」の存在がなくては、「姉」と主人公の思いやりに溢れた対話も成り立たないので、出して正解だったと思いますよ。私は勝手に、「先生」は共通の幻想みたいなもので、通常の”思考回路”とは、別のところに存在したりするのかなあ、それが「闇」を開く鍵になったりするのかなあ、などと考えていたのですが、第3章では主役なのですね。実在の人物かあ!

 第2章はざっとですが、読ませていただきました。川の描写に磨きがかかっていますね!全感想を終えることが、今の一番の目標なので、終わったらまた、改めて読ませていただくと思います。第3章も楽しみにしていますよ!

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768エントリ39: るるるぶ☆どっぐちゃんさん 『シルクスクリーン』棗樹 E-mail 3/3-01:58
記事番号695へのコメント
 QBOOKSでおなじみの作者さんです。今回は枚数に余裕があるせいか、前半の描写はたっぷり見せてくれます。性や暴力の描写も倒錯も、かなり突っ込んだところまで描いているのですが、目を背けたくなるような情景の中に、天使が舞っていると思える瞬間があります。むごたらしく、卑猥で、悪趣味すれすれの描写に「美しさ」を感じさせるのは、作者の秀でた感性と筆力の成せる技だと思いました。


●文章について
 文章は無駄がなく、映像的です。場面の転換、視点の移り変わりなども、映画の文法そのもののように思えます。文字を追っているのに、カメラのフレームに切り取られ、誰かの手で繋ぎ直された”映像”を見ているような気がします。その映画さながらの文章の中で、映画が語られ、映画を撮ることが語られる。映画が何重にも横たわる構造が面白いのです。
 殊に、二人の女優が「おじさま」についてお喋りする映画には、倒錯的な性のシーンがうまく溶け込んで、可愛らしくも淫靡な、独特な空気を醸しているのが素敵でした。


●構成その他について
 (目の見えない姉と、その恋人の弟。そして弟と同じ顔を持つ、弟の友人)という三人の奇妙な暮らしは、出口の見えない関係ながら軽やかで、狂気と紙一重のその陽気さが胸を打ちます。けれど、残念ながら、この三人が撮ろうとしている映画については、よくわかりませんでした。
 作者にはもともと、これこれこういう映画を撮っているとこと細かに説明するつもりはなく、謎めいた部分はそのまま”謎めいたもの”として受け取るなり、読み手が自らの想像力で補完するなりして、自由に”創る”ことが許されているのだと思いますが、手がかりが少ないのと、「座長」の存在がしっくりこないせいで、仕掛けを仕掛けとして楽しむことができませんでした。

 直後の、死に瀕した座長を見舞う場面も、つながりがぎこちない印象です。座長は、冒頭では、謎めいた不思議な空気をまとって登場するのですが、面会の場面では、その空気は消え去っています。また、

(「目が見えなくなったのは、幸いだよ」/ リンゴを沢山持って面会に行くと、彼はそう言った。/「薬の副作用でね。青一色だよ。視界は、青一色だ。それしか見えない」)

 この言葉は、目の見えない姉に”見えて”いるものと繋がっているのでしょうが、ちょっとピンときませんでした。さらに、このあたりから文章も展開も緊張感を欠いていると思いました。姉の出産とそれに続くラストシーンは、作品前半の濃密な描写に比べ、明らかに失速しています。

(病院は陰気な灰色の壁で、これが映画のラストシーンだったらなかなか良いな、と思う。だがこれがラストシーンでは無いのだ。こんなところでは終わらない。こんなところで映画は、終わることは出来無い。)

 十分に練り込まれ、書き込まれたラストが待ち受けているのなら、この文章は生きたと思います。けれど、

(「治療上、どうしても、母子共に健康に生かすために、どうしても必要な処置だったもので」/医師は手袋を付けたまま彼女の顔を指差した。/彼女の瞼の傷跡は、縦の一文字に横の一本を加えていた。/彼女は、二つの十字架を手に入れていた。)

 残酷とも思えるほどの痛々しい、この”救済”は、

(「深い傷跡だろう。大きな傷跡だろう。愛していたんだね。深く嫉妬していたんだね。ねえ、大きな傷跡だろう」/「そうだね」/「そしてこんなに大きな傷跡なのに、姉さんは美しいままさ。僕の姉さんは美しいんだ。こんなに大きな傷跡なのにね。こんなに大きな傷跡なのに、十字架の形を成していないんだ。ねえ、姉さんは美しいだろう?」)

という、弟の言葉に呼応させたものなのでしょうが、その悲惨さが「希望」や「慈愛」といったものを際立たせるはずのラストは、不自然な「処置」と医師の言葉のせいで、後味の悪さだけを残した気がします。
 読み手によって、受け取り方はいろいろかもしれません。でも、この”着地”の仕方は、私には納得できないのです。

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769続きです棗樹 E-mail 3/3-02:00
記事番号768へのコメント
 そもそも、この作者の書くものの魅力は、

(カメラの向こうに、触れられそうなところにそれはある。すぐ近く、本当に鼻先に、それはある。そしてそれには触れずに、再会するだけにまかせて、撮影は進んでいく。触れてしまったら、その次点で映画では無くなってしまう。)

と御自身で綴られた通り、決して対象に踏み込まず、美しいもの醜いもの希望も絶望も等しく作者の感性というレンズに濾され、言葉というフィルムに焼き付けられていることにあると思います。
 作品に明快な筋や主張があるわけではありませんが、読み手は、その言葉に”出会う”だけで、自分の内側に響くものを得ます。るるるぶ☆どっぐちゃんさんの作品を読む「幸福」は、このことに尽きると思っています。が、響かないとすれば、この作品のラストの数行には、私には”見えていない”ものが存在するためかもしれません。