まことに大きなお世話だが、北京オリンピックが気に入らない。気に入らないというより心配でならない。次々と湧き上がってくるあれもこれもの疑問の粒を、ぽんと爆発させて、ぎゅっと固めた「ぽん菓子」のようで、どこからどう見ても心配の塊に見える。 アメリカとロシアの関係が心配だった頃には、かくもあっさりボイコットしちゃったくせに(モスクワオリンピックのボイコットおぼえていますかあ? 槙子の兄はあの時、五輪行きを逃したので、とくに印象深いです)、今回の北京で最も危険にさらされるのは選手そのもの。公害都市の真ん中でマラソン? あの国の建築物って本当に大丈夫? 食べ物は安全? プールの水はきれい? テロ対策は? 伝染病は? 国内での民族をめぐる紛争はどうなったの? オリンピックに出るために、選手は純粋に頑張って力の限りを尽くしていることに、昔も今も変わりない。と思っていたのだが、あの水着問題の勃発で、私のスポーツ不審は決定的になってしまったのだった。結局、メーカー代理のアスリートってわけね? 「泳ぐのは俺だ」と、本当に心から私は思ってるんだけどね。人間の肉体の限界を純粋に追い求めるところに「神技」が発揮され、それを見たくてスポーツを見るのが大好きだったのに、とすっかりしらけてしまった。水泳着ばかりでなく、着るだけでタイムが良くなるマラソンスーツや飛距離の出るゴルフ着、ジャンプ力の良くなるパンツなど、ガンガン開発されてるそうで、がっくりガッカリの連続である。純粋だと信じていたスポーツすべてそうならば、いっそ競馬を見る方が面白いかも。馬は裸だし。 さる会合で「全種目ユニフォーム着用禁止」という案を出したところ、「そんな背泳は見たくない」と瞬く間に却下された。人類はもう純粋に肉体の美しさを求めてなんていないのだ。スポーツすらお金になればそれでいい。メタボ全盛もうなずけるというものだ。
さすがにカレーの世界からは中華な世界は縁遠いとお思いだろうが、カレーあんかけ中華おこげという商品を食べた。懐の深さ広さでカレーと中華は両巨頭だといえるだろう。しかしねえ? 中華なカレーか、カレーな中華か。やれば出来ないことなどない。制作したのはわが国ニッポン。人類が勝手に引いた国境ごとに異国扱いされてはいるが、地球はひとつだと改めて思い知る。ガウナンカレーや上海カレー、中華なカレーを食べながら、世界の民族問題に思いをはせる。そして、なるほど。頭で思うほど上手くいかないものだとも思う。
 写真:大久保謡子 裸で生まれて裸で死ぬ。虫も人も同じ命だ、なんて思う。 |