左さんのカレーなるいつもの日



第35回全種目ユニフォーム着用禁止!?
左槙子□□

 まことに大きなお世話だが、北京オリンピックが気に入らない。気に入らないというより心配でならない。次々と湧き上がってくるあれもこれもの疑問の粒を、ぽんと爆発させて、ぎゅっと固めた「ぽん菓子」のようで、どこからどう見ても心配の塊に見える。
 アメリカとロシアの関係が心配だった頃には、かくもあっさりボイコットしちゃったくせに(モスクワオリンピックのボイコットおぼえていますかあ? 槙子の兄はあの時、五輪行きを逃したので、とくに印象深いです)、今回の北京で最も危険にさらされるのは選手そのもの。公害都市の真ん中でマラソン? あの国の建築物って本当に大丈夫? 食べ物は安全? プールの水はきれい? テロ対策は? 伝染病は? 国内での民族をめぐる紛争はどうなったの?
 オリンピックに出るために、選手は純粋に頑張って力の限りを尽くしていることに、昔も今も変わりない。と思っていたのだが、あの水着問題の勃発で、私のスポーツ不審は決定的になってしまったのだった。結局、メーカー代理のアスリートってわけね? 「泳ぐのは俺だ」と、本当に心から私は思ってるんだけどね。人間の肉体の限界を純粋に追い求めるところに「神技」が発揮され、それを見たくてスポーツを見るのが大好きだったのに、とすっかりしらけてしまった。水泳着ばかりでなく、着るだけでタイムが良くなるマラソンスーツや飛距離の出るゴルフ着、ジャンプ力の良くなるパンツなど、ガンガン開発されてるそうで、がっくりガッカリの連続である。純粋だと信じていたスポーツすべてそうならば、いっそ競馬を見る方が面白いかも。馬は裸だし。
 さる会合で「全種目ユニフォーム着用禁止」という案を出したところ、「そんな背泳は見たくない」と瞬く間に却下された。人類はもう純粋に肉体の美しさを求めてなんていないのだ。スポーツすらお金になればそれでいい。メタボ全盛もうなずけるというものだ。

 さすがにカレーの世界からは中華な世界は縁遠いとお思いだろうが、カレーあんかけ中華おこげという商品を食べた。懐の深さ広さでカレーと中華は両巨頭だといえるだろう。しかしねえ? 中華なカレーか、カレーな中華か。やれば出来ないことなどない。制作したのはわが国ニッポン。人類が勝手に引いた国境ごとに異国扱いされてはいるが、地球はひとつだと改めて思い知る。ガウナンカレーや上海カレー、中華なカレーを食べながら、世界の民族問題に思いをはせる。そして、なるほど。頭で思うほど上手くいかないものだとも思う。


写真:大久保謡子
裸で生まれて裸で死ぬ。虫も人も同じ命だ、なんて思う。


連載エッセイ●34
貼り紙せよ! の奨め

 連日、おのれの目や耳や頭まで疑いたくなるニュースばかりの今日この頃です。社会が悪い、親が悪い、学校が悪い、あれも悪いこれも悪い、貧乏が悪い、裕福が悪い、孤独が悪い、過保護が悪い、前世が悪い、夢見が悪いetc。どうにもこうにも、全体的に責任転嫁体質とでもいえるような、とにかく誰かがなんだか悪い、らしい。

「世の中が面白くないからと他人を殺してはいけません」と教えなかった学校が悪い、「切り刻んだ人間を流してはいけません」と貼り紙していなかったトイレが悪い、「生意気な妹をバラバラにしてはいけません」と教えなかった親が悪い、「マンションでは隣人を殺さないで下さい」と契約時に約束しなかった不動産屋が悪い、「ホームから人を突き落とす目的で入場してはいけません」と切符を売るとき注意しなかった駅員が悪い、「いかなるときにも酒瓶で殴り殺したりしないと誓うか」と挙式時に誓約させなかった牧師が悪い、「歩行者天国に突入する目的では貸せません」と確認しなかったレンタカー屋が悪い、止めてくれなかったお前らが悪い、という理屈が堂々とまかり通る今、されたら困ることを徹底的に書き出して貼り紙することくらいしか防衛策はない、と思う。
 秋葉原では歩行者天国が早々となくなったそうだが、そんなことより何よりも、「無差別殺人禁止」の貼り紙で、まず「禁止」が、いの一番に大事です。指示待ち症候群といわれる「言われたことしかしない」子たちが、言われなかったことを自らしようと目覚めた時、なんだかとんでもなく変な事を思い切ってやっちゃうからね。「ダメだよ」と言っておけば、言われたとおりやらない子たちもいる(かもしれない)。いずれの事件も犯人だけが悪いと言いきれないと思えば、親も教師も牧師も坊主も政治家もマスコミも、それぞれの立場で一人一人が反省したり、関係ないと切捨てないで、自分も一因かもねと思うこと。すれば、びっくりニュースにも反面教師的価値が出る。

 秋葉原で大人気のおでんカレーを食べました。パッケージはピンク色。「召し上がれお兄ちゃん」とメイドさんの絵が描いてあります。そう言われてみれば、おでんをカレーに入れてはいけません、という貼り紙は見たことないし、いいんだおでんがカレーでも。もちろん、私にだって文句はないです。だけど、見た目はカレーっぽいルーなのだが、味がものすごくおでんであって、口にした全員が、ぶははと笑って言葉を失う程の変な物でした。とだけは言っておきます。


左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。

写真:猫がどかないから原稿が書けない。と、槙子が言うのを何度か聞いたことがある。責任転嫁のお手本的発言である。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)

左槙子のカレーてんこ盛りページ:レトルトカレーを極める会食品庫エッセイに登場した名誉あるカレー様達。遊びに来てね。


連載エッセイ●33
営業疑惑

 新学期の子供たちには身体測定や健康診断が無料で有り、誠にありがたい事ではあるが、なんだかどうも腑に落ちない。歯科、眼科、耳鼻科と三人の子供がそれぞれあちこちなんだかんだと、病院にかかって下さいという書類を持って来る。
 娘が持ち帰った眼科検診の結果、内反症と診断されて、内反症って何? 手元の国語辞書で調べると、内反症は載ってないが、内反足=足が内側に変形した云々とある。とすると、目が内側に曲がっている? ええっ? すわ一大事と眼科に連れて行ったところ「さかさまつげですね、このまま様子見てください」だとぉ? 処置なし、目薬が処方され、1980円。ふんだくられた気持ちでいっぱいである。
 息子が持ち帰った耳鼻科に行って下さいの診断結果を手に、耳鼻科で1時間待って診断5秒「耳垢ですね」処置3秒で1980円。
 娘二人が持ち帰った歯科検診の結果を持って、歯科で2時間半「乳歯の虫歯は様子見」ハミガキ指導で1人1980円。完全にぼったくりだ。そのうえ「虫歯より噛み合わせの方が問題です。矯正しませんか?」。おのれ、我が家が国内有数の金持ちで、今月は人もうらやむ多額ボーナス月なの知って言っているのだな?「はぁそうですねえ、女優になるかもしれないですからね、考えときます」とお返事したら、それ以上のセールスを控えられた。慇懃無礼な歯科医だ。 全くどいつもこいつもぐるだなぁっ! だいたい学校に診察に来るお医者さんも普段は開業の先生なのだから完全に組織化された営業活動? 本当に医者に行った方がいいか様子見なのか、判ってるはずですよね? な〜んだかなあ。毎年まんまと引っ掛かってるんだ。騙されやすいお人よしなのです私。

 レトルトカレーもどれだけ手間隙かけてるか、高級材料使ってるか、それはそれなりなのだろうが、ぼったくりかなあ? と思えてしまう高級カレーをたくさん食べた。一方で高価なりに美味くて満足なものもたくさん食べた。だけどやっぱり、美味くて安い、ええっ? これで100えん? とかいうのに出会うと一番うれしい。
 こっそり教えよう。箱もはぶいた、レトルト袋のまま売られているニチレイのカレーは、どれもおいしかった。どこかの酒屋系のスーパーで購入した知人からの頂き物で、私自身は売り場で見かけたことがないので幻のカレーとあがめている。レストラン用と書いてあるから、食堂などで提供されているのだろう。きっとその食堂の人気メニューだろうと想像している。


左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。

写真:あまりのぼったくられに目の玉飛び出しましてございますの図。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)

左槙子のカレーてんこ盛りページ:レトルトカレーを極める会食品庫エッセイに登場した名誉あるカレー様達。遊びに来てね。


連載エッセイ●32
わがまま税
 横断歩道を渡る人並みを真横に横切り、あつかましくも悠々と、好き勝手な方向へ走り去る自転車乗りを最近良く見かける。分別のついていない若者ではなく、分別盛りの年配であったり、サイクリングの装備をきっちり固めヘルメット姿も颯爽と決めた青年だったりで、横断歩道を渡りながら自転車にひっかけられそうになるなんて、無防備な歩行者としては開いた口がふさがらない。
 そんな走行は、みんなの迷惑だし、とっても危ない。何と言っても、人様の目前を挨拶もなしに横切るとは、無礼な行為で許せない。歩行者と同じ方向を向いて行くのでも、人ごみでは自転車から降りて歩くのがマナーではないのだろうか? 迷惑駐輪に加え、人ごみでの自転車乗り達のマナーの無さに世も末感(世も末だなと絶望する感覚*槙子造語)も強まって、無礼で危険な自転車乗りは逮捕されりゃいいのに、と願う。
 自転車乗りのマナーが悪化し、規則で規制しなければならなくなれば、取締りの警官が増えることになり、規則を教えなおす教習所とかも必要になり、いろいろあれこれ、つまりは税金がかかる事となり、税金が引き上げられる。
 自転車乗りのマナーの悪さを例に取ったが、世の中全般、わがまま・自己中心・傍若無人・どこでも居間・自分の世界etc、多すぎるなあと思う。特に決め事としていなくても、相手をおもんばかって、それぞれみんな生きてるのが社会だろう。「ちょっと譲る」や「お先にどうぞ」という、ちょっとしたマナーが守られずルールに変わるとき、税金が増えると思ってみてはどうだろう?
 自転車乗りのマナーの悪さはもうじき法で規制されることになり、自転車税の導入は必須だろうと思っている。歩行者もあまりにわがままが過る今のまま増長し続けた末の世には、「歩行者税」「わがまま税」の導入もありだよなあと憂いている。

 レトルトカレーの世界でも、カレーだけでは物足りずオムレツ付やらハンバーグ入りやらを要求するわがままなお客さんにこたえるべくサービスを尽くしたカレーが多々ある。「ダダこねバーグわがままカレー」という長い名前のカレーを食べた。ズバリ、カレーもハンバーグもというお客さんに、「わがまま」と言い放つとは勇気がある。その心意気には感動したが、残念なことに、お味のほうはハンバーグもカレーもイマイチだった。おしい。
 というように、せっかくのカレーにイマイチだなどとわがままな感想を言う私も、わがまま税の徴収対象となる日が近いのかもしれない。

左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。

写真:何もかも100円でと、わがままなお客様ばかりの100円ショップでは、老眼鏡まで手に入る。庶民のわがままは留まる所を知らない。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)

左槙子のカレーてんこ盛りページ:レトルトカレーを極める会食品庫エッセイに登場した名誉あるカレー様達。遊びに来てね。


連載エッセイ●31
カラスの勝手
 家の前の路地の北の端と南の端に、ゴミ集積所がある。南北の集積所には、ご近所のご老人がひとりずつ、ゴミを猫やカラスに荒らされないように、いつも気を配ってくださっていた。
 2箇所の集積所をカラスが荒す頻度はかなりのもので、それこそ毎日のようにゴミの棚から生ゴミ入りの袋を引きずり出してはめちゃくちゃに散らかす。ゴミ置き場のすぐ前に住む私も、散らかされたゴミを見れば知らん顔もできなくて、他人様の生ゴミを掃き集め、袋につめなおしては棚に戻す作業をしたことがあるが、それは臭いし、汚いし、たいへんなことで、食べ残しを捨てないように暮らすことを心がけたり、残飯の捨て方は厳重にするとか、自分ちのゴミをカラスに散らかされないよう各々少し気を配ってくれればと、恨みがましく思ったりしながら過ごしていた。
 たまに見かけたときにしか片付けた事のない私でもそんな気持ちになるのだから、毎日箒を振り上げカラスを追い払っておられたご老人の心中はいかばかりだったか。そのお二人がほぼ同時期に体調を崩され、見張り続けていただいたゴミ置き場は急に無人になった。
 カラスの天下がやってきた(と誰もが思ったに違いない)。そこで、毎日暇で暇でしょうがない専業主婦である私が「カラス番二代目」の名乗りを上げねばなるまいか、と腹をくくりかけた。が、ご老人お二人がご健在でカラス追いをしてくださっていた頃にはあれほどにぎやかだったゴミ置き場から、一斉にカラスも消えた。不思議でならない。人々のゴミの出し方は相変わらずなのに、カラスに荒される事は無くなり、収集車の来る夕方まで安心して過ごせる当たり前の日々を、現在私達は過ごしている。カラスとご老人達との間にあったのは、傍目には敵対関係に見えても、実は友情だったのか? いずれにしても、カラスに散らかされることの無くなったゴミ置き場は、理由はなんであれ、うれしい。


 みんなが大好きなレトルトカレー。おいしければうれしいし、おいしくなければうれしくない。全部おいしければ悩みなんて無いのに、なんだかさっぱりわからないカレーがたくさんある。飛びぬけてわからなかったのがさくらんぼカレー。さくらんぼとカレーは傍目には無関係に見えても、実は互いに求め合うものだったのか?
 カレーは黄色いと思い込んでいた私の狭い見解を、ピンクのさくらんぼカレーはあざ笑うかのように裏切って、おいしいのかおいしくないのか、カレーなのか何なのか? いまだに謎である。

左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。

写真:カラス天狗が住むという高尾山の木。木は歩かないという見解を裏切り、「これは歩く」と思われる。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)

左槙子のカレーてんこ盛りページ:レトルトカレーを極める会食品庫エッセイに登場した名誉あるカレー様達。遊びに来てね。


連載エッセイ●30
らしさについて
 駅前のスーパーへ買い物に行く歩いて10分くらいの時間には、夕飯の献立についてとか野菜の値段について考えていればよかったのだが、この日は「坊主頭」について考えていた。
 一昔前は坊主頭の不良なんていなかった。不良やヤクザにはそれらしい髪型があり、たいへんわかりやすかった(ような気がする。しませんか?)。それがなんだかこの頃はたいへんにわかりにくい。不良だかスポーツ少年だか、ヤクザだか坊主だか不動産屋だか、チーママだかヤンママだか、ロリコンだか教師だか、看護師だかコスプレだか、キャバクラだか保育士だか区別がつかない。ヤクザに仁義がなくなり、不良につっぱりがなくなり、母親に母性、父親に父性、教師に教養、坊主に徳、医者に良心……それぞれらしさを失って、ひとごみで前から歩いてくる人がいったい何者だかさっぱりわからない。
 と、まあ、そんなこと考えながらついたスーパーで、私も主婦らしさをすっかり無くしていたには違いないのだが、「こんにちは」と近所の奥さんから声をかけられて我に返り「あら、お買い物?」と間抜けな返答をする私に、スーパーの制服の胸を張り「働いてるのよ。生活の為に一生懸命なの。私のお給料になるんだからいっぱい買ってね」って、売り場で店員が客に言うセリフだろうか? 返す言葉も見つからず支離滅裂なままレジを済ませ、肝心の緑茶を買い忘れていることに気がつくが、買いなおしに戻る気も失せたまま名店で馬鹿高い高級茶を購入する羽目となった。
 店員からプロ意識が失われ、主婦から損得勘定がなくなって、いよいよ出鱈目が王道を行く時代になったと、つくづく思う。


 レトルトカレーもいろいろ食べたが、中には出鱈目な物もいっぱいあり、日本のカレーのストライクゾーンの広さには目を見張るばかりだ。
 先日、缶詰のカレーうどんを食べた。秋葉原で人気だというそれは、恐ろしく不味いものだった。うどんが小麦粉ではなく、こんにゃく麺となった時、それでも「うどんである」というこのあつかましさは、どこから湧いて来るのだろう? そして、ここまでうどん離れしたカレーうどん缶を、うどんであると思って食べても怒らずにニコニコしている私たちお客さんの心の守備範囲は、海より深く山より高い。誰から何をされても、いつも静かに笑っている。この国の国民らしさは未だしっかり健在なのだな。カレーうどん缶に「なんじゃこりゃ」と驚いて、結局ニコニコ笑っている私は、日本人らしい……らしい。

左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。

写真:ダイコンもらしさを失い、ついには真っ赤になった。なんじゃこりゃ? と驚愕し、ニコニコ美味しくいただくのだ。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)

左槙子のカレーてんこ盛りページ:レトルトカレーを極める会食品庫エッセイに登場した名誉あるカレー様達。遊びに来てね。


連載エッセイ●29
弁当考
 春休みや夏休みの長い休みになると、学校給食のありがたさが身にしみる。子供が幼稚園に通っていた7年の間、弁当を毎日作り持たせた。
 学校給食のおかげで弁当作りから開放されたのも束の間、中学進学と共に毎日弁当の日々がまた始まった。幼稚園生の小さい弁当箱にワンパターンのおかず、毎日同じでも一度も文句を言われたことなどなかったので、それでいいんだと思っていたら、「どうせ家は……」みたいな声が聞こえてきた。幼稚園時代の弁当になにか不満でもあったのだろうか?
 改めて尋ねると「タコさんウインナー入れてくれないし」。あ然である。「タコウインナー入れて欲しかったの?」と驚く私に、息子は黙ってうなずいている。確かにタコウインナーもカニウインナーも一度も作ったこと無いし、流行のデコ弁的なことも、目に美しい冷凍食品も使わなかった。
 何年も気づかず申し訳なかったと、初めてタコウインナーを作ってみた。8本の足をちぎれないように丸く広げて焼き上げるには技術を要するが、かさばる形の出来上がりは、中学生の大きな弁当箱には都合がよいことがわかった。これを機に冷凍食品売り場も覗けば安価で色とりどり、レンジで揚げ物が1つだけできるというのはなるほど便利かもと、弁当のおかずに取り入れた。これが大好評で、毎日「おいしかったよ」と褒められるのだが、なぜか心は傷ついた。部活で早朝に出て行く息子の弁当が冷凍食品だらけだと罪悪感までわいて来て「ごめんね」と持たせれば、「グラタン最高!」とか喜ばれて、密かにへこむ日々が続いた。
 ま、そんなことには負けておけば良いのかもしれないが、見かけによらず負けず嫌いな私なのだ。出来合いの均一な味に飽きの来る頃を見計らい、しょうが焼き等の手作りおかずを増やして行き、「やっぱ手作り美味いなあ」と言わせちゃったもんね、やったあ。


 息子のクラスでは三段式のジャー弁当箱でカレーを持って来る人もいるそうで、さすがカレーの国ニッポンの弁当です。あっぱれです。我が家では意外やいまだ弁当にカレーを持たせたことは無いのだが、スーパーのカレー売り場で「ちょい食べカレー」という商品を見つけ、購入した。30グラムという、ちょこっとした量のカレーが4袋入っていた。早速子供の弁当にふりかけ代わりに持たせたら、案の定たいへん好評だった。レトルトカレーとは言いがたいが、新し物好きな私も早速試してみると、確かにカレーっぽくてカレーといえばカレーだが、実に不思議な物だった。

左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。

写真:蛸といわれりゃタコである。西洋で生まれたウインナソーセージ、まさか日本でタコにされるとは思いも寄らぬことだろう。合掌。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)

左槙子のカレーてんこ盛りページ:レトルトカレーを極める会食品庫エッセイに登場した名誉あるカレー様達。遊びに来てね。


連載エッセイ●28
なぐさめ係
 三人の子供がそれぞれのクラスから持ち帰るお知らせ類にじっくり目通ししている余裕がないことは先にも書いたが、懇談会の日付もうろ覚えで気がついたら終わっていたり、子供から「今日は懇談会だったらしくて、ちゃんと言わなくてごめんなさい」などと困った顔で謝られたりして、返す言葉も立つ瀬もない。
 それほどにいい加減な保護者なのだから、「あんたから言われたくない」とお叱りをうけるやもしれないが、クラスの様子を知らせる学級通信の係活動への取り組み「…おたすけ係、なぐさめ係が、転んだ子供に走り寄ってはなぐさめる様子がほほえましい…」を読んで、ぎょぎょっとした。
 これはたいへんな時代がついにやって来てしまった。困っている人を助けたり、泣いている人を慰めたりを係の活動として行うとなれば、それは係の仕事として「自分は係ではないし」とか「係でもないくせに、でしゃばりが私の仕事を取った」などの揉め事がおこるだろう。
 この子達が大きくなって社会の働き手となる頃には、弱者をいたわり慰めるのは係の仕事という意識があたりまえとなり、おたすけ庁やなぐさめ省によるお役人仕事として、人々は慰めの言葉を役所からもらうために書類審査をうけ、早くて2週間ほどで電話連絡の後、係の者がお宅をご訪問いたします、なんて嫌だなあと天を仰いで暗い気持ちになってしまった。
 この文を書くにあたって、係活動のその後を娘に尋ねると、お助け係は先生の手助けをする係、なぐさめ係は無くなったとのことで、心からほっとした。「係の私がなぐさめてるんだから、口出さないで」と喧嘩の仲直りに係が介入し、話がややこしくなるという問題が頻発した……らしい。大人社会でも警察は民事に介入しないのと同じだ。結果、いい学びができました、と報告されているのであろうが。親としては疑問符がいくつも残ってるんだ、いまだにね。


 レトルトカレーは何も無くて困ったときのおたすけ食だ。ご飯があればそれだけで食事になる。このごろはご飯付のカレーも多く出回っており、これがどれもおいしいので、ご飯すらないときにはとてもありがたい。特に長米とタイカレーなどは、両方のよいところが存分に味わえてうれしい。
 レトルトタイカレーのために長米を炊いた事は無いが、長米とタイカレーの組み合わせが抜群なのはいうまでもない。レンジでチンして、その組み合わせを味わえるなんて、便利な世の中に生きているなと各方面に感謝の気持ちでいっぱいになる。

左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。

写真:いけばなの柳から新芽が出た。黙って示される生命の力に、なぐさめられることは多い。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)

左槙子のカレーてんこ盛りページ:レトルトカレーを極める会食品庫エッセイに登場した名誉あるカレー様達。遊びに来てね。


連載エッセイ●27
公平について
 小学5年生の娘の身体測定記録表を見ていたら、見覚えのある数値に目が止まった。146センチ35キログラム。娘はクラスで特に大きくも小さくも太っているほうでもない。標準的に明るく楽しい小学生であるが、これと同じ身長体重で20代だった私は、当時けっこういろいろな意味でつらかった。文字通り、今ほど太くなく、吹く風とすらも日々戦い、完璧にいっちょまえのつもりだったが、娘の体つきからあの頃の私を思うと、我ながらなんと生意気なバケモノだったことよと、思い出すだに暗くなる。幸い、あの頃に比べたら体重も神経の太さも相当に増量し、当時の知り合いに道であっても気づかれることも無いと思うので、安心して町も歩ける。
 それにしても、小学生より小柄な私なのに、電車やバスの料金をどうして彼らの倍額とられるのか。ここ数十年その不公平を嘆いている。飛行機の料金となると、もっと納得いかない。あの巨体アメリカ人と小学生より小さい私がどうして同額なのだろう? あの巨体アメリカ人と、この小柄な私の荷物がちょっと重いのと、どちらを見咎めるべきかわかんないんだろうか飛行機会社。アメリカで乗った小型機の、私を除く全員が巨大なアメリカ人だったとき、「この機は重くて飛べないんじゃない?」と心配しながら、まんまと気流が乱れたときの恐怖は、とても言葉では表現しきれない。まるで疑心暗鬼を絵に描いたような、それは壮大な恐怖だった。
 かくのごとく、不公平とは人の心を疑り深く波立たせ、全くろくなものではない。だからといって、私はいまでも私をお子様扱いしてほしいとか強く希望しているわけではなく、年齢で区切るべきものと大きさで測るべきものと、あるんじゃないの? と思うのだ。薬の量とか、コニシキと私は同量でいいの?


 レトルトカレーのお子様カレーは、カレーみたいな何物かであって、味はほとんどカレーではない。親達が美味しいカレーを食べるとき、同じようにカレーを食べたいが、親と同じ辛いカレーは食べられない子供のためのカレーみたいに見える、なんだかよくわからない食べ物、ちょっとカレーっぽい感じの味。公平の為に生み出された、カレーによく似た物。飲み物でも、子供ビールなど、ビールによく似たビールで無い物がある。その場の公平感のために、子供には偽物を与えて、平和に暮らすのは容易だが、「大人になったらな」ってきっぱり線引きもかっこいいな。子供からみた「おとなばっかり」という不公平感は、いいんじゃない? なんて思う。

左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。

写真:アボガドを2つ購入し、タネの大きさがこれだけ違うと、おおらかな私も不公平だとブーたれたくなる。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)

左槙子のカレーてんこ盛りページ:レトルトカレーを極める会食品庫エッセイに登場した名誉あるカレー様達。遊びに来てね。


連載エッセイ●26
省エネ考
 読みたくて手に入れて、読み始めて読みきれなかったり、読み始めるまでも行かずに積んである、本に囲まれて暮らしている。自分の書き散らした文章をよく読みなおしもしないで、その書き間違いにも気づかずに、のほほんと暮らしているくらいなので、子供達が学校から持ち帰るたくさんのプリント類を熟読している余裕はとても無い。よほどの事がなければ、テストの答案をみせられても「あっそう」くらいの事しか言えない。
 息子の友人は、一科目につき一時間ほどの説教をされるので、親に答案を見せる日を嘘をつきつつ先延ばしにしているという。「家じゃ、『は〜い、次はがんばりなぁ』、だもんなぁ。説教なんて考えられない」と言う息子に、「もし、彼の家庭がうらやましいなら、説教くらいしてやれないこともないが」ともちかけたら、「それにはおよばぬ」と断られた。かまってやれなくて本当に申し訳ないと思う。
 他人ごとながら、テストの結果をネタに1時間の説教が出来るエネルギーとはどれ程のものか、一度体験してみたい。見学希望欲求でむらむらする。どの科目がどのくらいの点数で、それは始まるのだろう? 興に乗れば暴力も有りなのだろうか? そして盛り上がった説教は、どこへどんな角度で着地し、芽を出し根をはり、次に咲く花の準備をするのだろう? 結果に対して延々とたれる1時間の説教に値するエネルギーを、テスト前の勉強をするように仕向ける事へと変換できないだろうか。もし、そっちもやってるのに、その結果だから説教が出るのなら、全体を見直す必要があるのだろう。エネルギーの使い様を効率良くと見直すことは、地球にも子供にも大切なことだと、私は思う。


 レトルトカレーも省エネに着目してか(ちがうか?)、低カロリーを売りにしているカレーを見かけるようになってきた。これらはなるほど、さっぱりして軽い。しかし、別にダイエットを考えてない人が食べた場合、なんだか物足りなくて、トンカツやクリームコロッケなど、こってりした副菜を添えたくなる。結果、お財布的にもカロリー的にも結構オーバーな物となる。ま、こういう文句は全く「お客様の自己責任」なのだね、という具合に自分で突っ込みをいれてしまうと、何が言いたかったか解らなくなる。
 だいたい、元々カロリーオーバーなんてインドだったらないはずなのに、日本でたっぷりの油や、肉や、砂糖やらでカロリー増やして、で? またカロリー減を試みる。省エネで地球全体足並みそろえるって、口で言うほど簡単じゃないと、カレー食べながら思ったりした。

左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。

写真:桜咲く。桜自身の咲くための知恵と、桜咲けよという人の心や愛情をたくさん吸い上げて、毎年みごとに咲くのだろう。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)

左槙子のカレーてんこ盛りページ:レトルトカレーを極める会食品庫エッセイに登場した名誉あるカレー様達。遊びに来てね。


連載エッセイ●25
免許について
 だいたい自転車にも乗らない私なのだから、自動車の運転をしたいと思うことも無い。歩くのでさえ、人がたくさんいるとルールに沿って歩けなくてドキドキする。
 普段は歩く事のほかに、いろいろな考えに集中しており、その影響で急に立ち止まったり、曲がったり、ジグザグやスキップ、鼻歌に独り言と、均一な歩幅でまっすぐに歩いている事なんてめったにない。
 そんなはた迷惑な歩き方の私から四の五の言われたくないかもしれないが、歩きながら運転手をみていると、意外とよく見えるもので、その表情から、怒ってる人、笑ってる人、しゃべっている人、歌っている人、携帯で話してる人、メールしてる人、ハンドルに雑誌広げて読んでる人、弁当食べてる人、そりゃもうなんでもありなのには本当に驚かされる。特に携帯電話中の人の目は、必ず何処も見ていない。あんなになんでもやり放題ならば、免許なんてあっても無くても同じじゃないか?
 ダンプカーなら、人や自転車とぶつかっても自分は大丈夫にちがい無く、なんでもありもうなずける。そこで一つ、ダンプカーの運転席を地上近くまで降ろし、作りもぺこぺこのトタン張りにしたら、少しは横柄な運転も少なくなるのではなかろうか?
 自転車の前にも後ろにも子供を積み込んで、ぶりぶり怒りながら早く早くと行くママは、小さい子供とゆっくり歩くゆとりや楽しさ忘れてませんか? 大人にはつまらない道草も子供には大切な体験だし、手をつないで歩く時期なんて本当に短い。それに、子供は荷物じゃないし。命と引きかえてまで自転車に乗って急ぐ用事とは何だろう? また、お年寄の自転車が目の前で転倒するのを何度も見かけて、もし自動車が脇を通れば大事故だ。乗らなきゃいいのにと心から思う。


 運転しながらあれもこれもと欲張りな人が多い日本では、カレーにまつわるあれもこれもな食べ物がたくさんある。
 イカチョコカレー(サキイカにカレー味のチョコをコーティングしてある)・牛乳カレーラーメン(ラーメンスープが牛乳カレー味)・カレー醤油(カレー味の醤油)・カレードレッシング(カレー味のドレッシング)・カレーカシューナッツ・カレーせんべい・カレーうどん・カレー納豆(たれがカレー味)・カレーソフトクリーム・カレーラムネ・カレーかき氷シロップ・カレーカステラ・カレーマドレーヌ。
 どうです? そろそろうんざりですか? 極めつけは、カレー練り消し(カレーの香りの練り消しゴム、食用ではありません)。授業中にカレーの香り、いかがでしょう。

左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。

写真:カレー練り消しの実物映像。香りは間違いなくカレーなのです。よく消えるとかは問題でない、らしい。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)

左槙子のカレーてんこ盛りページ:レトルトカレーを極める会食品庫エッセイに登場した名誉あるカレー様達。遊びに来てね。


連載エッセイ●24
虚像(巨象)について
 だいたいすべてにおいてこんな私なので、試験の前日に、
「浸透圧について、ぜんぜんわかんないんだ」
 などと告白されても、一緒に泣くくらいのことしか出来ない。
「今日になってそんなことジタバタするくらいなら、いっそ気持ちを切り替えて、早く寝るのが得策だよ」
 と、ありうべからざる指示をして、先に寝てしまったりする。それでいて、そんなこんなの結果通りに点数が悪ければ、不機嫌な顔を見せたりもする。実に困った私であるのは自覚している。全世界中の子供が指摘するとおり、大人は自分の事は棚にあげ、子供にばかり無理難題をおしつける。
 さる会合の余談の時間に、
「子供の徹夜勉強につきあっちゃいました」
 という父親の発言に、ぶったまげたのは私一人で、
「あなたもですか、私もよ」とか、「まあ、ご立派」等、賛辞な意見がその場をべっとり支配して、むっと息が詰まったまま危うく窒息死しかけたことがある。徹夜で子供に付き添っているのは小学生の親で、変でしょう? それは、虐待をカムフラージュした自己愛の、お前の為とは口先だけの、欺瞞に満ちた金色の、めくるめく体罰でしょう? 万歩譲っても、愛でない事だけは確かだ。と、そのオヤジの顔を張り倒し、警察に突き出してやりたかったが、どうせ警察は民事には介入しないだろうと思って止めた。


 ま、“レンズ”を勉強中の子に、「その結ぶ像をな、巨象と書けばうけるぞ、書け」とか、XやYを使って一人分の映画鑑賞料金を導き出そうともがく子に、「料金は窓口で聞くのが人間社会のルールのはずだ」とかばっかり言っている私も、親としてのろくでもなさは目糞鼻糞であるのだろうが、幸い我が家には、そんな私の暴走・暴言にさるぐつわをかませる辣腕の常識圏内の騎士的夫が一人いて、家庭は社会から逸脱もせず、運行されている。
 欺瞞あふれる世の中で、あちこちお詫びだらけである。カレー界にもそろそろ大きなお詫びが出る頃では? と楽しみにしている私であるが、ここまで加工品だと、偽も煮詰めれば真と成ってたりしてなあ。元来混沌とした食べ物なのだ。
 レトルトカレーばかりでなく、カレー味の○○というものが市場にあふれていて楽しい。「根室のまごころ・さんまカレー煮」という缶詰を食べた。缶詰のさんまは醤油味ときめてかかってはいけないのだ。ところが頭の固いわが子達は「カレー味が余計だ」とブーたれた。私はいけると思ったのに。この子達の頭の固さ、一体誰のせいなんだ? 頭が痛い。

左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。

写真:これは柿の種の虚像である。では真なる柿の種とは一体どこにあるのだろうか。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)

左槙子のカレーてんこ盛りページ:レトルトカレーを極める会食品庫エッセイに登場した名誉あるカレー様達。遊びに来てね。


連載エッセイ●23
思い込みの賜物
 多かれ少なかれ世の中は、たくさんの人々のそれぞれ勝手な勘違いとか思い込みから成り立っているのではあるまいか。娘が幼かった頃、私の実家に一人でお泊りして帰宅したときのこと、大きな目をキラキラと輝かせ「おかあさん、あのね、おばあちゃん、足の指あったよ、ちゃんと5本あったのよ」と言う。何の話かわからない「お風呂に一緒に入ったら、指、全部あったのよ」と大発見らしいのだが、母の足指はもともと5本ずつあったはず。よくよく聞けば、年中和服の足袋の足しか見たことがなかった娘は、その日まで「おばあちゃんは2本指」と思い込んでおり、お風呂で裸足を見てはじめてそっくりそろった足指に子供心にもほっとしたというわけで、無垢な者の思い込みは時には美しく、家族にとって忘れがたい宝物になったりする。
 一方、無知なる物の思い違いもまた、生涯にわたる笑いの宝物であったりする。私は25歳までデリバリーとは出張を「出り・張り」と気取って読んだ日本語だと思っていた。これで会社員が務まっていたのだから、会社員なんてちょろいものである(ま、良い機会ですので、この場をお借りして当時の会社の皆様、こんな槙子で本当にどうもすみませんでした)。そんなこんなで、個人的勘違いをあげただけで もきりのない、それぞれが縦糸横糸に勘違いを織り重ね、地域的、国家的、地球的勘違いとなって累々と人類は歴史を積み重ねてきているのだな、と、崇高なる悟りに至ってしまったりする。さ程に勘違いとはたいしたものだと槙子は思う。


 我が愛すべきレトルトカレーも大いなる勘違いの産物で、それらを食べつくそうだなどと試 みているカレーの会とは、輪をかけた壮大な阿呆である。ブラボーと喝采のうちにとっとと止めときゃよかったのに更なる勘違いが雪だるまとなり、800食を食べ超えてしまった今、もうどおにも止まらない。押し寄せてくるレトルトカレーと延々と対話する、寝てもさめても、カレー袋は少しも減らない。80歳になっても、800歳になっても……ある日目覚めたら、カレーの会なんてやったことない私だったら、いっそ幸せかもしれない。
 食べてるだけの私にすらもこれほどの苦悩をもたらすとはなんとも御しがたき偉大なるレトルトカレー群なのだから、製作者の苦悩たるやさぞやとおもんばかられる「夢で見たカレー」というカレーを食べた。このカ レーが製作者の方の夢に出た……らしい。凄い話だ。感嘆せずにはおられない。

左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。

写真:槙子の足袋靴下コレクションの一部。いつか母のように誰かをたぶらかすべく槙子も足袋愛好者らしい。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)

左槙子のカレーてんこ盛りページ:レトルトカレーを極める会食品庫エッセイに登場した名誉あるカレー様達。遊びに来てね。


連載エッセイ●22
僅差比べ
 2泊3日の林間学校から子どもが帰宅する日の夕方、町内を歩いていたら子供の同級生の母親達から「何してるの? 学校行かないの?」と声をかけられた。学校? 何しにいくんだろう。さっぱりわからないまま、家で子供の帰宅を待った。
 家に着くまでが遠足である。2泊3日にしては大げさなバスタオルだの替えの靴まで詰め込んだリュックは、小学生には大きくて見るからに重たそうだが、それを担いで行って、ちゃんと家まで帰ってくる。そこら辺りに林間学校の意味はあるのだと思っている。ところがだ、聞いて驚いた。バスの到着地にはあまたの親が出迎えに立ち、重いリュックを肩代わりして各々家路についたそうで、うぴぴぴ……あきれて脳が壊れた音までしてきた。
 この子達が幼稚園のときの1泊おとまり保育の見送り時、バスが見えなくなるまで手を振って涙する人や、帰ってきたわが子を見て号泣する夫妻など、他人事ながら、ゆく先に漠然とした不安を感じたものだったが、あれから6年やっぱりな、というか、あのままなんだこの人たちはと思うと、なんだかぞくっと寒気が走る。中学の入学説明会で「準備品は先走って買わずに、鉛筆や消しゴム等くらいにしておいてください」とおっしゃった先生に、挙手してマイクを握り「先ほど鉛筆とおっしゃいましたが、シャーペンは?」大喜利なら座布団もらえそうな(取られそうなかぁ?)質問が大真面目にどしどし出る。親の馬鹿化はとどまるところを知らぬかのように怒涛の如く大波小波なのである。
 かくいう私も、我が子には目がない親馬鹿である。しかし、親馬鹿と馬鹿親は、ちがうのだ。人類の100%は馬鹿で、知能が低い馬鹿と知能が普通の馬鹿と知能が高い馬鹿の3種に分類できる、とする馬鹿の定義にもあるように、どのみち誰もが何らかの馬鹿である事実は避けられない。僅差の比較、微妙なちがいを、なんとするものか。なにをかいわんや、なのではあるがね。


 最近のブランド牛が売りのカレーについても、近江も松坂も熊野も朝霧高原も赤毛も黒毛も「牛」だろう? パッケージには素敵なお肉の写真が使われているが、こんなに良い肉、カレーに入れるかぁ? ちょっと眉唾感ありです。良い肉はステーキか生ですよね。やっぱ、カレーはカレーなんだから、馬鹿高い上等の肉使わんでよ ろしいではないかと思うのだ。その牛が何処産の牛かというよりも、牛のどこを使ったかのほうが気になるし、やっぱソースのおいしさが勝負どころだと思うんですけど、どうでしょう?

左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。

写真:一人ひとりの人間がそれぞれ違う、この世に同じ葉っぱなど一枚もないように、僅差でも差がある。同じではない。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)

左槙子のカレーてんこ盛りページ:レトルトカレーを極める会食品庫エッセイに登場した名誉あるカレー様達。遊びに来てね。


連載エッセイ●21
分際と分別
 娘が40度の高熱を出し病院へ行った、おりしもインフルエンザが猛威を振るっており、近所の医院は娘と同様につらそうな子供と、それに寄り添う親とで混雑していた。感染症の疑いのある患者を同じ待合室に待たせるわけにもいかない医院には、個室の待合室もあるが、それも足りずに診察室内に区切られて置いてあるベットで診察の順番を待つことになった。
 横になった娘は頭痛がつらく目に涙をためて耐えている。本来ならドアに区切られて聞こえないはずの診察室での話も自然と耳に入って来るといういたしかたない状況の中で、やたらと元気な声が響いていた。「ちょっと咳が出るので一応来て見た」そうである。そして、「じゃあ一応」インフルエンザの検査をしたら、まんまとひっかかってしまった。
 その親子のそれからが凄かった。「いったい誰にうつされたのか、A君かB君か、Cの奴そういえば咳してたなあ」と聞くに堪えない実名での犯人探しが始まった。そんなに元気でもインフルエンザと分かれば出席停止と知るや「ママ〜すぐにツタヤに行ってビデオ借りてきて!」そんな息子をたしなめもせず「あら〜じゃ、ママこれから学校に行って先生にお話して来なきゃ」欠席届にわざわざ学校まで行くつもりらしいのには開いた口がふさがらない。先生は仕事中だとは思ったこともないのだろう。犯人探しに出てきた実名は全員うちの息子の同級生。カーテンかきわけて怒鳴りつけたらどれだけすっとしただろう。
 近頃話題になっているモンスター保護者は身近にいるのだ。このてのモンスターはいたってまともなつもりでPTAとかもちゃんとこなしているのだが、自宅の居間と公の場との識別がたまに出来なくなるらしく、家と外がごたまぜになっている様子を公園や通学路などでよく見かける。親の顔が見たいを通り越し、親の親の顔も見たいと思う。きっとそっくりなのだろう。


 ごたまぜ、なんでもありな世の中で、最もなんでもありな食べ物なのでは? と思われるレトルトカレーをたくさん食べてきた私である。何が入ろうと、何味だろうと、もうあまり驚かないのだが、「それとこれとの区別はしようよ、出来るんだからさ」と思いたくなるカレーのその名もハヤシカレー。ハヤシとカレーどちらも昔から日本人が大好きな、ご飯にとろりとかけて食べる物。見た目は似てるが、ちがう料理だ、まぜるなよ。と思いつつ、家庭でお母さんがやったごたまぜが、大手にかかって売られてるのかな? 時代だなあと、哲学した。

左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。

写真:その日槙子が着ていたのがこのシャツらしい。どいつもこいつも非常識な町だとは医院のお医者の心かもしれない。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)

左槙子のカレーてんこ盛りページ:レトルトカレーを極める会食品庫エッセイに登場した名誉あるカレー様達。遊びに来てね。


連載エッセイ●20
見えない私と知らないカレー
 自動ドアが開閉するメカニズムには何通りもあるのだろうが、スイッチとなるマットを踏むとかセンサー前を横切るとか、私もちゃんとやってるはずなのにドアが開かないという経験が何度かある。中でも忘れられない思い出は、渋谷の東急ハンズ前に昔あった大きな喫茶店ルノアールでのこと。
 数人の男の人が店から出てくるのと入れ違いに、入ろうとした私をドアは見逃したらしく、私におかまいなしにガラガラと閉まってきて、大きなガラスドアに首を挟まれてしまった。首は店内、身体は店外となり、足はマットの上なので、とにかくこれを踏めば何とかなりそうと、じたばたと踏んだが大きなドアは動かなかった。入り口すぐのレジ前には丁度ボーイが立っていたが、彼ものんきな性格なのか、あまりの出来事に見とれたのか、呆然と眺めて助けようとしてくれない。そのままではなにしろ恥ずかしかったので、「はさまっちゃったのよ」と声をかけたとたん、はっと我にかえった様子で足だけ伸ばしてマットを踏んでくれた。おかげでドアは「開く」という方向に動き、何事も無かったように私は待ち合わせの席に着いたのだが、今になってあの出来事を思い出すと、ちょっとぞっとする。あの時ボーイが踏んだスイッチが「閉まる」のスイッチだったら首は切られたのかもしれないし、あの大ガラスだもの、タイミングや勢いによっても首は飛んでいたかもしれない。だだっ広いだけでおいしいコーヒーを飲ませるわけでもない店だったが、閉店して久しい今も忘れられない店なのだ。


 昔を懐かしむ企画物カレーが次々と発売されるレトルトカレーのなかで、給食のカレーというカレーを食べた。給食のカレーについては最もよく知っているだろう現役小学生と一緒に食べたところ、一口食べて「給食のカレーだ」と全員口を揃えて言ったので、そのとおりなのだろうお見事である。ここでこっそり告白すると、私が小学生時代の給食の主食はパンで、たまに焼きソバやソフト麺、献立にカレーシチューはあったが、カレーライスは実は食べたこと無いのである(年が知れるなあ)。だけどこのカレー、お昼近くに給食室から漂うあのなんともいえない「給食調理中の香り」がする。微妙に水っぽくて、それでいておいしい。食べたことなくてもたしかにこれは給食のカレーだと思わされた。知らないくせになつかしいって変だなあとは思いつつ、廊下に満ちるあの給食室の香りをまざまざとおもいだし、懐かしさにひたってしまった私だった。

左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。

写真:見えない誰かが必ずや住んでいる。と、思われる穴、手を入れるといきなり閉まる、かもしれない。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)

左槙子のカレーてんこ盛りページ:レトルトカレーを極める会食品庫エッセイに登場した名誉あるカレー様達。遊びに来てね。


連載エッセイ●19
平等について
 近くを流れる川に沿った舗装道を行くと駅がある。通勤通学時間にはたくさんの人が自転車でその道を行く。大体が普通の人達なのだが、たまにフリフリ透け透けのお嬢様な服で太い太腿も露わに自転車をもりもりとこいで行くお嬢様みたいな人や、タイトなミニスカートスーツで太い太腿ははなから露わな上に、自転車に跨るのでパンツまで丸見えの就職活動らしいお嬢様みたいな人等も通るので、ぼんやりしてばかりもおられない。
 地域では警察から公開される保護者へ向けての不審者通報情報が、やれ露出魔だ、痴漢だ、連れ去り未遂だ、と引きもきらずに流されて、それらのすべてが男性の仕業である。私がしばしば目撃する古典に出て来る物狂い女のごとき太腿あらわに髪振り乱して自転車をこぐお姉さんなどは、どういうわけかこの地域では通報されないらしい。通学路をパンツ丸出しの男が自転車に乗っていたら恐らく通報されるだろうに、パンツ丸出しお姉さんは何で通報されないのか、時代は男女平等だの同権だのではいまだないのか? 不思議でならない。

 わが夫が家事にはなはだしく協力的なことは先に書いたが、学校から帰った娘が興奮気味に「家庭科で家の仕事調べがあって、お茶碗洗いも洗濯も風呂やトイレの掃除まで全部お父さんがやっているのはうちだけだったよ」とな。オオマイゴッド! さすがの私も青ざめた、うかつだった、彼が会社に行き彼女が学校に行っている平日の全部はいわれてみれば彼女からは見えない、見えないものは「無い」と思われても仕方ない。
 それにしてもショックだ。「ご飯しか作らない奴だ」と10年も思われていたのかと、いじけたくもなるのだが、夫の土日の家事参入に制限をかけようとは思わない。やりたいことを自由にしながら不平等を感じない、それが平等だと思う。学校の先生からなんと思われようといいじゃない、言い訳しに行く事でもないしと、また一枚、面の皮を厚くした私である。


 大きな肉や、丸ごと野菜がセールスポイントのカレーは一人で食べるのが良い。カレーの会の様に数人で分けて食べるときに、具を平等にと思うと、難しいことになる。それで喧嘩したことは一度もないが、感想を書くとき「肉どうだった?」と食べた人に聞かねばならないことはたまにある。そんな視点から、ひき肉、野菜はみじん切り、豆など入ったりするキーマカレーは平等感的に最高である。味も良いのが多いので平等とはカレーにとって良い事なのかもしれない。

左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。

写真:平等とは固い決め事ではなく、自由自在な心でこそ成り立つもの。少年少女よ、そんなに固くてはいけない。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)

左槙子のカレーてんこ盛りページ:レトルトカレーを極める会食品庫エッセイに登場した名誉あるカレー様達。遊びに来てね。


連載エッセイ●18
黒い疑惑
 娘が学校から帰って言うことには「校長先生がカラスに頭を突かれたので赤白帽をかぶって登校してください」とのことだそうで、赤白帽とは体育時にかぶる全国的にたぶん布製のあれである。おもわず「いったいなんのおまじない?」とうなってしまった。

 頭の良い里の鳥であるカラスが人を襲うには、近くに子育て中の巣があり、子を守ろうとの母性からする場合が多いが、まれにひどいことをした特定個人を忘れずにその本人や、それに似た人を襲う場合もあると聞く。今回先生を襲ったカラスに直接聞いたわけではないので状況からの憶測になってしまうが、通学路を通行中の先生に襲いかかり、逃げる先生を4車線道路の横断歩道を渡った向こう岸まで追いかけて頭を突いた、とのことである。先生としては立場上、生徒への「赤白帽着用」という指示を出されたのであろうがどうみても、個人的にこのカラスと和解するか、陰陽師への式神返しの祈祷を依頼するのが先決で、役所へのカラス対策依頼や生徒への赤白帽着用指示など二の次だろう? と、私には思われた。そんな私独自のオカルト的視点からの見解はナンセンスだとお叱りをうけることも覚悟の上で、さる会合にてそう発言したところ「あれはリモコンカラスを誰かが操った仕業にちがいない」というもの「かつら疑惑の真相を暴く使者に違いない」等々、科学的見解からの発言が多数寄せられ、奇しくもこの地域での校長先生像が浮き彫りになった。しかもその像は私が思ってるよりはるかに黒く暗いものだったのだ。赤白帽のご利益もあったのか、生徒達にも町の人にもその後のカラス被害は無かったのは幸いであったが、襲ったカラスの動機は杳として知れることなくいまだ黒いままである。


 一体何が入っているのだろうと疑惑を持ち始めたら、きりのない色とりどりのレトルトカレーの中で、食べるたびに何度でもびっくりしてしまうのが「黒いカレー」である。こんなに黒いもの「海苔の佃煮」以来である。黒いカレーには味にも色にも慣れる事がいまだ出来ない。そもそもこれの一体どこがカレーなのか? と考え始めると、どんどん分からなくなって行く。それぞれの黒いカレーにそれはそれはいろいろな物が入っていて、黒ゴマ、ココア、黒砂糖、イカ墨、もちろんカレーなので肉や野菜も入っているが、実に不思議な食べ物である。なんでもありなレトルトカレーとは重々承知の私だが、こんなのありかい? と思ってしまうのも事実である。

左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。

写真:この真っ黒い物を美味しそうと思う、あなたも私も日本人なのだ。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)

左槙子のカレーてんこ盛りページ:レトルトカレーを極める会食品庫エッセイに登場した名誉あるカレー様達。遊びに来てね。


連載エッセイ●17
必殺戸締りの訳
 こういう話を公にするのは防犯上よろしくないとは思うが、実家では玄関に鍵をかける習慣がなく、いつもあけっぱなしだった。共働き家庭の子供が首から鍵をぶら下げていることから「かぎっこ」という語が出来はじめた時代だったが、家に誰も居ないことの多い家庭だったにも関わらず、自分をかぎっ子と思ったことはなかった、鍵そのものがなかったのだ。
 結婚して住んだアパートで、ドアに鍵を掛けると逃げ場を失ったようで、かえって緊張したのを覚えている。現在は、自慢できたことではないが、空き巣、ひったくり、露出魔等の情報が頻繁に公開され、平和そうにみえても実はかなり物騒な地域に住んでいる。少しの外出にも施錠は必須、開けっ放しはもってのほかである。
 全くなかった施錠の習慣はやっと身についてきたが、身支度を済ませ、さあでかけようとするときに、鍵がない。あわててそこら中ひっくり返すが見つからない。困りに困って大きな犬を玄関につなぎ、泥棒が来たときの心得を良く言い聞かせ外出した事も少なからず、ある。先の帰宅時から今の外出時までの未使用時に紛失してしまうのだ。一体どこへなくすのか、そんな問題を抱えつつスティーヴン・キング原作のシークレットウインドウを見ていてびびっと閃いた。キーボックスがないのが原因だ。そうに違いないと早速設置してすべての問題は解決した。たまにキーボックスにもキーがなく、慌てる日もあり「意味ないじゃん」との批判も耳に入っては来るが、あまり気にしない。何事も器が大事と思っている。


 レトルトカレーを極める会も、友人と集まって食べるだけだったら今日まで続いてなかったかもしれない。ホームページという大きな器に食べたカレーを並べ続けて、気がつけば700食を越していた。100食を過ぎた頃に思い切ってサイトを立ち上げたが、メールと掲示板への書き込みくらいしかした事のないパソコン音痴のど素人。今でも本当の仕組みはさっぱり分かってないのだが、めくら蛇に怖じず、やりたいことの前に道は開けると信じている。基本の勉強もしないまま、よくまあここまで来たものだ。思い描く像を持つ者は強いのだ。
 それにしても、この国のレトルトカレーという食文化、なんだか知らないが凄すぎる。食べても食べてもなくならない。新商品は出し続けられ、底なし沼、頂上のない山、うんざりだけど止められない出口のない森を旅している。巨大な風車に挑むドン・キホーテが、たまに自分とだぶる私である。

左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。

写真:この犬が玄関に居たら「留守です」と言うことらしい。実にデンジャラスである。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)

左槙子のカレーてんこ盛りページ:レトルトカレーを極める会食品庫エッセイに登場した名誉あるカレー様達。遊びに来てね。


連載エッセイ●16
ジベタリアンの秘密
 登下校途中の子供が事件や事故に巻き込まれる耳を疑うような事が頻繁に起こるこのごろである。子供が安心して歩けない国になってきていることは重々承知の私であるが、「行ってきます」と出かけ、「だだいま」と帰ってくる、この繰り返しが子供を成長させると思っている。一歩家を出たらそこは社会なのだ。学校までの道を一人で歩き、先生という大人や友達などたくさんの人から学び、町内という社会を歩いて家まで帰る。その繰り返しのうちに社会へ出て行く訓練が積まれ、自立への準備もされていく。1年生に上がりたての3日間位は、通学路の途中まで迎えに出るのもほほえましいこととしても、高学年になるまで毎日迎えに行くのはどうかと思う。

 重い荷物を持ち、懸命に家まで帰って、「ただいま」とほっと荷を降ろすのが、「おかえり」と迎えてくれる「家」である。緊張と安堵の繰り返しから、うちと外のちがいを学ぶ。それは口で教えられるものではなく、社会に出てからでは誰も注意してくれない。出来ていなければ陰でこっそり笑われるのだ。食事作法と同じである。通学途中が心配だからと、校門前まで迎えにいく人のそれは、保護者としての愛かもしれないが、友達としゃべりながら帰る道から子供が経験するかけがえのないものを奪う偏愛であると私は思う。ママが校門前にいることによって、子供は本来自宅玄関で言うべき「ただいま」を、校門前で言うことになる。どこでも玄関、または道の居間化である。
 コンビニ前の地べたにべったり座るジベタリアンや、電車内で髪をとかし化粧する美人。道の居間化の産物だと私は思う。近頃は道でする犬の大小便にも町中で目くじらをたてられ、やたら神経を使わされる。家の玄関が前にせり出し、道が居間化しているのだ。誰だって余所の犬が居間に粗相したら怒る。当たり前である。

 話が下まで落ちたところでカレーの話もどうかと思うが、はばかりながらこれはカレーエッセイである。ジベタリアン御用達かどうか知らないが、カップカレーとうい商品がある。お湯に入れて温めるレトルトカレーよりぐっとスナック菓子に近く、パンと食べるとなかなかおいしい。フリーズドライの具にお湯をかけ、ぐるぐるかきまわす。カップラーメンで慣れているはずなのに、それでカレーが出来ると、おおっ! と、感動なのである。いくつになっても感動はうれしくありがたい。冒険心もむくっと湧いたが、コンビニ前の地べたで食べる程の勇気はいつまでたっても私には持てないかもしれない。

左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。

写真:野外で食べる弁当は格別である、敷物を敷き、場を作るのである、レディはベンチに座るにもハンカチを広げるものだ、知っていて欲しい。――by大久保謡子(おおくぼ・ようこ)

左槙子のカレーてんこ盛りページ:レトルトカレーを極める会食品庫エッセイに登場した名誉あるカレー様達。遊びに来てね。



連載エッセイ●15
固い話
 ヨガ教室に通ってはいるが、目指している柔軟な身体、引き締まった腹や腕とはいまだ程遠い私である。結跏趺坐で瞑想する基本ポーズもまだ出来ない。有名人ではお釈迦様そこらの人でも出来る人は出来る、あぐらのように左の足甲を右腿に右の足甲を左腿に組んだ形である。
 片足をもう片方に乗せるまでは容易だが、下の足がどうにも上がらない。無理をすれば相当に痛い。足の長さや太さを考慮すれば私の場合物理的に無理なのではないかといつも思う。それが顔に出るのだろう、先生の「短足だから、足が太いから出来ないという人がいますが、そういう問題は全くこのポーズには関係ありません。股関節が柔らかければ短くても組めるのです」と私に目線をあわせて言われるからには、「おまえのことだ」とおっしゃってられるにちがいない。
 静かに足を組み、香をたき、ゆったりとした呼吸で自己を内観し、日本のこと、地球のこと、宇宙のことについて考えたい。そのためにはまず股関節を柔らかくする必要がある……らしい。今の私の様に固い身体で瞑想すると、夕食の献立、買い物リスト、クリーニングの受け取り、税金の支払い期限、家の戸締りやたまっているアイロンかけなど、身辺雑事からせいぜい隣の駅くらいまでしか思考は飛ばない。すべて股関節が固いからに相違あるまい。

 いつも食べているレトルトカレーは、この狭い島国日本から、実に自在に世界へと飛んでいる。欧風、タイ風、英国風、ジャワ風、バリ風、メキシコ風、セイロン風、マレーシア風、タヒチ風と数え上げたらきりがない。それぞれ薀蓄ははてしなく膨大にあるのだろうが、日本で生まれ育った私である。タヒチ風といわれても、何がなんだかわからないのが本音である。カレーといえばインドなのだと思いがちだが、どっこいそう単純なものではないらしい(詳しくはカレー研究の本を読んでください)。インドに行ったこともない私でも、肉類たっぷりのカレーがインドの家庭料理のはずがないと想像できるし、南米でカレーライスとは不思議と思う。○○風という日本語表現力の豊かさと、スパイスと具の組み合わせで無限のバリエーションが可能なカレーが出会い、この数え切れないほどのレトルトカレーを次々と生み出している。何処風だろうと日本人が日本人の好みに合わせて作るのだ。全部「和風」じゃないのか? と無粋なことを思いもするが、そんな固いこと言ってはつまらない。なにしろ、ヨガの本場インド出身のカレーである。柔軟性も無限なのだ。

左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。

写真:ご主人から送られたTシャツを心からうれしそうに着る友。固い愛に結ばれた美しい夫婦の像である。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)

左槙子のカレーてんこ盛りページ:レトルトカレーを極める会食品庫エッセイに登場した名誉あるカレー様達。遊びに来てね。



連載エッセイ●14
平和について
 「土・日・休日は、そこに座って石の様に動かないねえ」と、この頃言われる。確かにそのとおりなので返す言葉もない。ゴールデンウィークや正月などの長い休みとなると、休日あけの暮らしが思い描けないほど身体がなまる。平日は朝早くから夜遅くまで会社にいて家にいない夫は、休日だからと朝寝するとか、昼寝するとか、早寝するとか、世間でよく言われる「だらだらしたおとうさん」の様子は一切見せない。家族の誰よりも早く起き、犬の散歩〜朝のコーヒーをいれて〜朝食にホットケーキを焼き〜食べ終わる頃には洗濯機から洗いあがりの音がする〜食器はさっと片付け〜洗濯物を干し〜天気がよければ布団も干す〜2人の子供のピアノの練習をみてあげて、ここらで午前8時半くらいである。

 休日だもの弁当もつくらなくていいし、犬の散歩もゆっくりで、と思っている私の出る幕はないのである。ここで、同じ女性として、妻として、よその奥さんを愚か者呼ばわりすることは控えるが、賢い私としては「休日くらい洗濯しなくても、服が足りないわけじゃなし」「食器なんて夕方までためてまとめて洗えば? 茶碗が足りないわけじゃなし」「お父さんの作ったチャーハンなんてまずい」「私がしますから手を出さないで下さい」などとは絶対に言わない。

 休日だもの、動きたいように好き勝手にやりたい放題してもらうだけである。夫の意に染まない物も事も我が家にはひとつもないのである。朝7時に出かける予定があるとすると6時台から洗濯をはじめ、大雨でも干す。出かける間際まで本を読んでいたりする私が、本を閉じてさあ出かけようとするとき「ちょっとまって、これだけは干して行きたいなあ」というのが夫である。「こんな雨の日に慌てて干さなくたって」という私に「こんな天気だから早く干さなきゃ」というのである。しかし、私たちはそんなことで言い争った事など一度もない。「なるほど、そう考えるのか」と自分ひとりでは思いも寄らなかった考え方に驚き合う。元々自分とは違う世界を持った人と一緒になって自分の世界を広げたい、と、思って選んだ相手である。違えば違うほど不思議な味が出るのである。
 違う文化のもの同士「和」する心で接すれば武力の出る幕ないではないか? ねばねばの納豆をカレーに入れて「これが噂の納豆カレー」。不思議極まる異文化の交流を賞味しながら、平和とはこんな感じ? 喧嘩する気も失せるって偉大と、熱く思う私である。

左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。

写真:華奢な美猫の面影はもうないが平和なのだ、違いない。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)

左槙子のカレーてんこ盛りページ:レトルトカレーを極める会食品庫エッセイに登場した名誉あるカレー様達。遊びに来てね。



連載エッセイ●13
「だった」者達
 私は気楽な専業主婦なので、毎日何時までにどこかへ行かなければならない用など無い。だいたい午前中、夕方には、2〜3日うち、春頃までに、とても緩い時間で動いている。犬が催促すれば散歩の時間、猫が擦り寄ってくれば雨戸を閉めて夜なのである。
 たまに待ち合わせしても、移動時間の配分が出来にくい体質になってしまっているらしく、待ち合わせ時間まであと5分なのに着替え中だったり、通夜の会場に3時間も前、ご遺体より先に駆けつけたこともある。 昔からそういう性格だったのではない。子供の頃は成長も危ぶまれるほど、神経質で心配性の子供であり、外出しても同行者全員の荷物や切符や財布の中身まで心配で、どこへ遊びに行っても容易に楽しめなかった。翌日の朝から夜寝るまでを頭の中で思い描き、不安なことを見つけ出しては心配で寝付かれない。屈託の無い子供たちがたくさんいる幼稚園なんて大嫌いだったし、その場しのぎのお世辞やごまかしを言う大人も軽蔑しており、思えば育てにくい子供だったに違いない。
 目覚まし時計をセットして寝ても、鳴るまで寝ていた事は一度も無い。鳴る前に自力で起きれるのなら目覚まし時計はいらないだろうに、枕元の時計がなければ心配で眠れない。
 そんな私が結婚し、子供を産んで、あの繊細だった神経も、寄る年波に脂肪のついた体形同様、図太くなったということらしい。私の日常の行いに対して批判めいたことを言うことの無い夫も、激変した体形に関してはたまに「騙された」的なことをちらりともらすが、「何不自由なく暮らさせていただいて、おかげさまで幸せ太り」と謝礼の言葉を返すことにしている。容姿の変化はお互い様であるのはいうまでもない。

 このように、元はさぞかし○○だったろうに、なんとこんなに変わり果て、気の毒にすらなってしまうような事。カレーにも、そんなカレーがいくつかある。「ら・ふらんすカレー」「マンゴーカレー」「びわカレー」いずれも、どう考えても生で食べたほうが美味しそうな果物である。
 カレーには並外れた包容力がある事を重々わかってはいても、わざわざ入れるかラ・フランス? と思うのだが、それぞれそつなくフルーツ味のカレーに仕上がっているには驚く。ラ・フランスとおぼしき果肉片、マンゴーの面影を残す物体、びわはどこに行ったのか確認できず残念だが、フレッシュ「だった」にこだわりすぎては未来がない。カレーの要は包容力だ。またひとつカレーの秘密を掴んだ私である。

左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。

写真:「だった」と書き加えてこそ校庭に置く意味がある。と、思われる「だった」切り株。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)

左槙子のカレーてんこ盛りページ:レトルトカレーを極める会食品庫エッセイに登場した名誉あるカレー様達。遊びに来てね。



連載エッセイ●12
曲げて伸ばして逆廻り
 歯医者で歯型取りマウスピースを噛み、診察台で仰向けの姿勢から、ふと上半身を持ち上げ気味に動かした。ほんの少し首を持ち上げただけの動きだったが、一瞬にガツンと胃袋の辺りがつってしまい、口いっぱいにマウスピースを噛んだまま一人静かに悶絶的痛みを味わい、文字通り死ぬかと思った。犬の散歩で朝夕歩いてはいても、運動らしい運動もせず怠惰に過ごしていたわが身に警鐘が鳴ったというわけだ。
 歯医者で腹がつって死ぬなんてイヤだと思った。その程度の動きで腹のつらない身体にならなければいけない。お金を払ってでも運動しなくてはいけないのだ、と近所のカルチャーセンターの講座を調べると、ちょうど開講間近の健康ヨガ講座があり、渡りに船と即決した。どうしてヨガだったのか、今となっては理由も思い出せないが、なまりきった身体には良い選択だった。
 いつもながら即決を外したことの無い私である。とはいうものの、習い始めはつらかった。曲げるも伸ばすも思うようにはならない上に、正座するだけで足裏がつる程なまりきった身体、翌日は筋肉痛で歩けない有様。しかし前納した月謝3ヶ月。休んだら損だから、毎週通ううちに硬い身体なりに週一のヨガが楽しくなってきて、今日まで続けている。毎度先生の号令に従って、皆さんと同じに曲げたり伸ばしたりしているつもりが、はたと気づくと、私一人ほかの皆さんと全く逆向きに寝ていたり起き上がったりすることがある。どこかで逆まわりしているらしいのだが、どこで違えているのか見当もつかない。先生もよく吹き出しもせずたんたんと号令しておられるものだと毎度感心。「槙子さん、号令どおり、逆廻り」なのだ。
 こんな風に、私だけみんなと違う事で人知れずわくわくしたりということが、お菓子を食べても実はある。海軍カレーの街として名を馳せている横須賀のお土産で、「どらカレー」なるお菓子をいただいた時、てっきりどら焼きの餡子の部分がカレーだと思い込み、かなり複雑な、ほとんど怒っているような気持ちでかぶりついたら、何のことは無い。餡は普通に餡子で、じゃあどこがカレー?かといえば、餡を挟んでいるカステラがカレー味。「なんだい、こんなに当たり前じゃつまらない」と憤っても、餡がカレーとははじめから誰も言ってなかった。意外な物や変な物が大好きだとは自他共に認める私でも、どら焼きをカレーに入れて「どらカレー」なんて、想像するだにまずいので、作ったり売ったりしないで下さいね。出たら一度は買いますけど。

左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。

写真:いかつい顔しても身体はなまってるに違いないライオンにヨガ講座をお奨めしたい。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)

左槙子のカレーてんこ盛りページ:レトルトカレーを極める会食品庫エッセイに登場した名誉あるカレー様達。遊びに来てね。



連載エッセイ●11
豆腐の角に愛である
 家族とレストランで食事していたときのこと、若いウエイトレスに「(子供用の)匙をください」とお願いしたら「?」と彼女は止まってしまい、こちらも「?」であったが、「??」のままに「スプーンを」と言い直したら、「あ、はいっ!」とにこやかに動き始めた。「匙」という単語が理解不能だったようだ。「匙をなげる」「匙加減」「匙」、そんなに難しい単語だったろうか? 接客マニュアルのどこにも「匙」という字がなかったのだろうが、ちょっとショックな出来事だった。
 私の高校の国語教師は、不出来な生徒に、「3階の窓から飛び降りなさい」とよくおっしゃった。生意気盛りの生徒達は、「教室から出て行け」と言われたら行っちゃうかもしれないが、「3階の窓から」と指定されては、にやりと笑って座っているしかなかったものだ。マニュアル人間や指示待ち症候群ばかりの今の教室では、本当に飛んじゃう人もいそうで、「お利口だから座ってなさい」と言うしかないだろう。双方共にお気の毒である。この頃は親が子供を叱るにも、「出ていきなさい」だなど言おうものなら、本当に取り返しのつかない事態にまで進展し、「感情的に怒ったらいけない」などと唱える人もいる。でも実際の話、頭で教わったとおりやってられないのが子育てだ。親は子供に怒りたいとき遠慮しないで怒っていい、と私は思う。ただし、「指示通りなんでも行なって命の危険も顧みない」タイプの輩には、単に「出て行け」や「死んでしまえ」では言葉が足りない。そこで、「豆腐の角に頭をぶつけて死ね」と、死に方まで指示してやればいい。親がわが子に「死んでしまえ」と怒鳴るとき、本当に死んで欲しいと思ってるなんて100パーセントあるわけ無い。「それ程憤っているが、実際はお前の事は大好きなのだ」が伝わる怒鳴り方の筆頭に、「豆腐の角……」を私はあげたい。ほかに「へそ噛んで死ね」もセンスが良いと私は思う。真意は測りにくくとも、愛は伝わると思えるのだ。
 真意が測りにくいといえば、「ライスが決めて」と大書してあるレトルトカレーを購入したら、そのすぐ次の行に「又はナンで召し上がれ」とも書いてある。調理法として「具が入ってなくても冷たいままでも食べられます」???である。そりゃあ冷たいままでも食べられるには違いないが、普通美味しくないでしょう? 決め手のライスは私が炊くのだし、具も入れないなら入ってないのだ。420円タージ・カリーというこのカレーに、はたして愛はあるのだろうか?

左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。

写真:不器用ながらそれを推して余りある愛の伝わるオムライス。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)

左槙子のカレーてんこ盛りページ:レトルトカレーを極める会食品庫エッセイに登場した名誉あるカレー様達。遊びに来てね。



連載エッセイ●10
露出連呼の町
 ある休日の午前中電話が鳴った、小学校からの緊急連絡網であった。休日の連絡網とは異例の事態、受話器をとる手にも緊張が走る。
(連絡網のシステムが万一わからない方のために説明すると、学校からの連絡事項に尾ひれをつけず正確に素早く次の家庭へ伝言しクラス全員に確実に伝える。メモを取り復唱しながら電話を受けることが望ましく、仮に子供5人が在学中の家庭には各クラスから同じ伝言が5度回ってくることになる。)
 この朝の連絡事項は「学校近くの路上で30代の男が露出するという事件がありました。子供たちに注意を……」というもの。さすが学校作成の伝言であると感心する。伝言中最も肝心とおもわれる「何を」が絶妙な呼吸で伏せてある「何を、どう、で? どうだったんです?」と聞きたい、話したい、付け加えたい気持ちを抑え、伝えられた伝言のみを次の家庭へ送る。留守ならば留守番電話に吹き込み、とにかく全家庭に伝える。それが連絡網の使命である。
 露出男の話題で町内もちきりな状況に図らずもなる。私は露出癖も露出願望もあいにく持ち合わせないので想像するしかないのだが、露出男にとってこの状況はまさに至福の事態なのではあるまいか? 我が露出が町中に言い広められている。露出癖保持者冥利に尽きるとはこのことなのではあるまいか?
 このように善意が元になっているのに結果はなんとなくよこしま寄りに終わってしまう。という様な事、世の中には意外と多いのかもしれない……「薬だよ」って幼児に玉子酒……とか、『足元注意』の看板に目を取られ誰もが蹴つまずく段差……とか、小銭を出そうと財布を払った挙句に1万円を出す……とか。悪心からではないのに悪事の一翼を担ってしまったようで、つきつめると心の居心地がなんとなく良くないのである。レトルトカレーにもあまりにスパイスをはずみすぎて、辛いを通り越し、味覚も飛び越し、直球で痛いものがある。辛さは慣れであるし個人差もあり、その痛いカレーが「おいしい! 」「大好きだ!」という方々もたくさんおられるので一概には言えないのだが、口に含んだとたんから「痛い」。飲み込んだ胃袋からヒィ〜とかヒョ〜とか声にならない声が返ってくるその息で口内が更に痛い程のカレー。辛さの表示は「40倍」や「アブノーマルホット」と、名前からして危険! 注意! と促してあるのは良心的である 。がまさに、悪気じゃないとはわかっちゃいるが、毒なんじゃないか? の疑惑も拭い去れない私である。

左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。

写真:悪気で無いとはわかっていてもこの赤さ、一抹不安な氷イチゴ。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)

左槙子のカレーてんこ盛りページ:レトルトカレーを極める会食品庫エッセイに登場した名誉あるカレー様達。遊びに来てね。



連載エッセイ●9
およびでないじゃない?
 子供が小学生だった頃の話である。家庭科の時間に「サンドイッチを作って親と食べるので学校に来てね」と言われて、なるほど日頃の感謝をそう表すのか、感心、感心と、いつもの参観日より少しきれいな服を着て出かけたら驚いた。クラス中の親がエプロンに三角巾姿でいそいそと働いている。「今頃来てなに? さっさと手伝いな」と私に向かって暴言を吐く者までおり(いい度胸である。どうやらテンパッてるらしいので、この場での成敗は控え)、常日頃温和な性格で通っている私から「子供達が作って親を招待してくれた会でしょう? あんた達こそなんですかっ!?」と、少し大きな声が出たが、多勢に無勢。こんなとき一人の声なんてかなり虚しい。
 私が切れたと見て少しあわてた先生は、その後何度か「お母さん方は今日はお客様です。6年生は主体的に動いてください」と声を張り上げておられたが、その虚しさは私と同様であった。お気の毒な話である。私自身3人の子供を抱えた今どきの親であるが、今どきの親の過保護・過干渉は異常の域を超え傑作ですらある。社会見学にお忍びでついて行ったり、運動会のジャッジに血相変えて本部に怒鳴り込むなどざらな話である。
 ニュースでは教師の犯罪が取りざたされ、教育現場大丈夫か? と心配されているが、幾百万の変な親がいて、たまに教師が立場上捕まっちゃってるだけなんじゃない? と思えるほど、今の親達は変である。6年生と言えば12歳。2〜3種のサンドイッチくらい子供たちで作れて当たり前ではないか? 親は紅茶の用意くらい手伝えば十分でないかと思う私は、変だろうか?
 この日の会食には、お母様方のご用意下すった唐揚やらフルーツポンチその他手作りのケーキやフライドポテトに400円もふんだくられて、憤懣やるかたなし。聞けば、それぞれ手分けして朝からママたち大忙しだったそうである。学校がおかしいのではなく、親がおかしいと確信した。料理実習めちゃくちゃだとは、夢にも思っていないのだろう。先生方が大切に育んでようやく出た芽を、それっとばかりに摘み取って、ラップをかけて冷凍保存。そんな光景なのだ。
 包丁も火も使わせなければ、使えなくて当たり前。小学生ともなれば、親の留守にカレーライスくらい自分達で作って当たり前だと思う私は、少数派。留守中、火を使うなんて、とんでもないのだそうだ。で、500円を渡し「コンビ二でなんか買って食べなさい」と言うそうだ。そんなの「虐待じゃないか」と思う私は「変」なのだそうである。こんな時代に子育て「つらい」と、たまに弱音も吐きたくなる。

左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。
写真:重圧に負けず必死で伸びる草。ママに悪気は無いのだよ、許してくれよ子供達。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)
左槙子のカレーてんこ盛りページ:レトルトカレーを極める会食品庫エッセイに登場した名誉あるカレー様達
遊びに来てね。



連載エッセイ●8
長生きの秘訣
 神童だ天才だと親から言われて育った私は、「天才の私は夭折なのだから20歳まではとても生きられまい」と、大慌てで青少年時代をすごしてしまったらしいとこの頃になって気がついた。思い込んでいたのは「天才は夭折」というあれだ。ところが肺病やお上の思想的弾圧などによる若年の死亡が医学の進歩や時代の発展で少なくなった時代に、作品だけ残して早々とこの世を去らねばならない事は中々むつかしく、いつしか白髪頭になって今に至っている。「天才も20歳過ぎればただの人」というそれだ。
 生家の家族を見渡せば、大正生まれの両親共に元気だし、母の母も100歳を数えなお矍鑠と健在で、亡くなった祖父達も長命であったことをみれば、なんてことない長寿の家系であるらしい。身近な年寄りに親しく接しては、長寿には長寿の共通点があることにきがついた。
「よく笑う」「生涯を貫く趣味を持ち自分の世界を持っている」「何があろうと、そのうちなんとかなるだろうと思っている」。この3点セットを持っている人は何気なく見えて実に強い。逆にどれか一つ欠けてもならない程の重要素ともいえるのではないか。朗らかに良く笑う人は存在そのものがありがたいし、自分の世界を持つ者の強さは言うまでもないだろう。
 そのうちなんとかなるだろうは困難に対面した時の脱力の姿勢で、病魔も艱難も辛苦も、脱力の前に霧散していく奇跡を目の当たりにしながら育った私である。体の健康も重要ではあろうが、健康でも朗らかでなければ生きていたってつまらないし、「そのうちなんとかなる」と思えなければ、病気宣告を受けたらまともに病気になってしまうだろう。病魔に対しても脱力は相当に有効であると私は思っている。「あんたは長生きする」とはこの頃頻繁に友人達から言われるが、確かにこの3点セットを私は若くして収得しているかもしれない両親のおかげであると感謝している。
 カレーの基本はいわずと知れたスパイスであり、スパイスはもともと薬であって、肉やらを使わずに本当にインド人のお惣菜であれば健康食、長寿の元に違い無かろうが、霜降り牛肉や豚バラ肉なんて物が大好きな私達日本人である。たまにインドから輸入された本格ベジタリアンの豆カレーやほうれん草のレトルトカレ ーを食べると、「こんなのカレーじゃない」「なんか味が足りない」等の感想がもれてしまう。本場のカレーは日本のカレーより脱力に秀でているのだ。遥かかなたの日本から「カレーって深い」とつくづく思う。

左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。
写真:大樹に出会ったら、静かに寄り添い、生命について語りあうべし。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)



連載エッセイ●7
視点変えの奨め
 桜が散って新緑の頃になると春先からくしゃみ鼻水鼻づまり目耳のどのかゆみ、と苦しんできた花粉症も一段落かとほっとする。流行り物にはおいそれと手を出さないよう心がけて生きている私だが、花粉の季節には一通りの症状があり、そんなことだけ人並みでうれしいのだか悲しいのだかわからない。それにしても、つい数年前まではこれほど誰も彼もがマスクやゴーグル着用で歩いてなかった気がするのだが気のせいだろうか。
 交差点で信号待ちをしていたら向かい側にずらりと並んだマスクの人々。信号がかわるといっせいにマスク軍団が歩き出す。その軍団にむかって私も歩き出しながら着用していたマスクをはずし、その日からきっぱりマスクはやめた。
 こんなにマスクが流行っていたら、マスクしないで歩いていると「露出魔」として通報されたり「はしたない娘」とうわさをたてられ、縁談に差し支えが出たりしはじめるのでは? と怖くなったのだ。フラフープやダッコちゃん(例が古いとお感じの方、各自適当な流行り物に差し替えてお読み下さい)が流行ったりと同様に、今は花粉症グッズが流行っているだけじゃないか? と、思う。そうと気づいたら急に一通りの症状が軽くなった気もするので、花粉症でお悩みの方には一度「そんな流行にのるものか」と視点を変えてみること、おすすめである。
 とか言うと一斉に「本当の花粉症のつらさをしらないくせに」と怒られそうだ。だいたいどんな病気でも、症状が重いほうがえらいと言わんばかりに病気自慢を始める人が多い。健康な人はうつむいて端っこにいるしかないことすらある。めざしの頭も信心から。視点を変えるだけだもの、目くじら立てずにお試しください。なんてったって無料です。
 視点を変える。で、思い出すのがホワイトカレーと言うカレー。カレーから黄色い色のスパイスを抜いてみたらこんなになりました、という感じ。たしかに一味足りなくてこんなのカレーといえるのか? と思うのだが。
 カレーから抜いた黄色いスパイスを白いご飯を炊くときに炊飯器に入れ、ちょっとバターも入れ、黄色いターメリックライスを炊き上げて、白いカレーをかけて食べると、あら不思議。意外といける。白いご飯に黄色いカレーをかけるのか、黄色いご飯に白いカレーをかけるのか。視点を変えただけの物だ。
 ホワイトカレーを食べてみて「なんだこんなまずいもん」と思った事のある方は是非一度お試しください。具はエビやベーコン、赤いものが合うと私はおもいます。

左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。
写真:いっせいに赤い新芽を吹き出して「視点が違う」を実証する生垣。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)



連載エッセイ●6
黒いランドセル
 一年生のお祝いにランドセルを買ってもらった、遠い昔の話である。デパートの売り場で「赤は嫌だ」と頑張った。男の子は黒、女の子は赤のランドセルがお決まりだった時代であり、母も店員も困った顔で説得したが私は頑固に意志を通し、学校中の女子でただ一人黒いランドセルで入学した。
 幼稚園から仲良しだったQちゃんは、私の黒いランドセルを見たとたんうらやましくなり、入学式から帰るなり赤いランドセルを投げ捨てて「黒がほしい」と猛烈な駄々をこねた。「黒は駄目です」というママと大バトルの末、翌日、目にもまばゆい黄色いランドセルで登校した。さぞかし高価であっただろうが、黒が欲しくて行ったのに、言いくるめられ黄色を買って帰ったのだ。子供の目にもあきらかな敗北である。
 Qちゃんはその黄色をまたも投げ捨てて更に激しく戦って、結局紺色の洒落たランドセルを買ってもらって落ちついた。私が「赤は嫌だ」と頑張って、我が母上もその意志を尊重してくださった。我が家にとってはあたりまえの買い物であったのが、私とたまたま同級で、席も近かったばかりにQちゃん家は入学式から1週間で3つのランドセルを購入する羽目となったのだ。私の家とは桁違いに裕福な家のQちゃんだったが、ママの買う高価な品とはいつも「違う物」を欲しがって、与えられても、与えられても、満たされない状態をその後も繰り返し続けていた。この出来事から「欲しいものを1つだけ」と学んだ私は、その後の人生で岐路に立つ度その教えに従い現在に至っている。今のように色とりどりのランドセルが売られているご時勢には、赤か黒かのこだわりなど理解しがたい事かもしれない。
 色とりどりのランドセル同様、昔は黄色と決まっていたカレーも、この頃は色とりどりである。赤カレーにはトマトたっぷり、黒カレーはイカスミ入りなど味も意表をついてくる。ホワイトカレーは文字通り白く、ほうれん草カレーは緑のどろどろで、頑張らないと食欲がうせる。選択肢が増えて自由に選べる幅が広がり、本当に好きなものを1つに絞るのは、物の無かった昔より難しくなってきている。レトルトカレーも1箱に2種類のカレー入り、牛丼とカレー、ハヤシとカレー、の相掛け等、一つに決められない人対応の商品を見かける。2種類のカレーを食べたい人の気持ちはわかる気もするが、牛丼かカレーのどちらが食べたいのかすらわからない人もいるかと思うと、ちょっと暗い気持ちになる。

左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。
写真:珍しいからラッキーなのに、こんなに見つけては逆に不安な四葉のクローバー。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)



連載エッセイ●5
口内炎の秘密
 口内炎ができて痛い。くちびる、歯茎の近く、頬の内側、舌の裏、どこにできても痛いに変わりは無いのだが今回最悪に痛い位置、舌の付け根に見せてあげたいほど大きな1つが、これはもう、水を飲んでも、食べても、しゃべっても、何もしなくても、痛くて往生している。
 こういう目に遭うと、さすがの私も「何か悪いことしましたかしら?」自分の行動を振り返ってみたりしてしまう。そんなことしても痛みに変わりがあるじゃなし意味無いことかもしれないが、原因がわかれば予防法大発見への道が開けるかもしれないと、心静かにここ数日を振り返ったら、思わずをぉうっと声が出た。
 私ってけっこう変な事をして人に迷惑かけてるのかもと、思える事がいくつかあった。なかでも子供の卒業式を前に、子供達が今日まで学んだ事の発表や学校生活の思い出を劇で演じたり、合唱・合奏を披露してくれる発表会に招待され客席で鑑賞した日、すべての演技を立派に終えて晴れ晴れと誇らしげな表情の子供達に精一杯の拍手を送ったその直後、壇上に子供達を整列させたまま「それでは次に校長先生のお話です」というアナウンスにおもわず「いらねえよっ!」とつぶやいてしまった。ほんの小さな独り言だったのだが「槙子さんの『いらねえよっ!』が、しっかりビデオに収録されてます」と数人の保護者からお電話いただいた。場内がしんとした一瞬にズバッと響いてしまったらしい。思い返せばあの瞬間に数人の先生がギロリとこちらを振り返った「どうかしたのかな?」と思っていたが、聞こえました、という意味だった? うわ〜ぁやっちゃったよ、と汗が吹き出た。
 口内炎はストレスが原因で出来るとは良く聞く説だ。今回私を苦しめている口内炎はこの出来事が原因だという気がする。「卒業式には黙ってなさい」という神様からの戒めか、校長先生からご立腹の念を送られてまんまと受けてしまったのか、いずれにしても子供のハレの卒業式には身を謹んで行かなければと深く反省させられた。口内炎のおかげである。
 こんなに口の痛い日は刺激的なカレーなどは避けるべきとお考えの方も多いと思うが、辛い味より痛く響くのは口内炎の場合咀嚼数である。「カレーは飲み物だ」などと乱暴な言い方をする人もいるように(そんな食べ方身体に良くないに決まっているので推奨はしませんが)痛い口には(かまずに飲めると言う点で)案外いけるメニューかもねと、私は思う。

左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。
写真:口内炎にはビタミンを摂るが良いといわれるが柑橘類は最もしみる。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)



連載エッセイ●4
擬態と変態
 生まれつきたいへん地味な性格なので、人前で話をする事や会合での自己紹介などがとても苦手だ。ごちゃごちゃ言わずとも、服装や髪型や立ち居振る舞いを見れば大体のことはわかるだろうと思うのだが、学校や幼稚園の新学期の保護者会では保護者に「自己紹介をお願いします」とおっしゃる先生は意外と多い。
 自己紹介というからには自分自身を紹介することと昔から決まっているはずだが、どういう訳か保護者会では「○○子の母です」と話し出す人がほとんどで無性にいらいらさせられる。そして「○○子は▽な子で△◎なのでどうぞよろしくお願いします」だなどと結ぶ。ちっとも自己紹介がわかってない。「全員やりなおせっ!」と言いたくなるが、気が弱いので静かに拝聴し、自分の番になったなら「左槙子です。どうぞよろしく」と言って着席すると、「えっ? それだけですか?」と、さも意外そうな反応をされて更にいらつくが、持ち前の我慢強さで辛抱する。
 だいたいそういう会に出向くときには、なるべく自己紹介など無用にするべく、自己主張の強い服を着ていくように心がけている。近頃は面白いメッセージが大きな文字で書かれているTシャツなどが売られており、そういうシャツを利用するのも効果的だ。私が良く保護者会に来ていくシャツは黒地に派手なピンクの文字で大きく「へんじんだもの」と書いある。自己紹介もはぶけるし、親同士のつまらない食事会にも誘われにくくなるので重宝している。その他「かんぜんへんたい ふかんぜんへんたい」と書いてあるものもPTAの役員を断りやすくなるなどの利益があり便利なシャツだ。ここに書いてある「へんたい」は「幼虫が蛹になって成虫になる=完全変態(蝶など)・幼虫が蛹にならずに成虫になる=不完全変態(セミなど)」のことであるが、どうとられようと先様の知性の問題なので頓着しないことにしている。
 青虫が蛹の中で1度どろどろの汁になり蝶になって出てくる完全変態は、まさに神秘な営みで、凄いなあといつも思う。凄いなあと思うものといえばもう一つ、最近食べたレトルトカレーに柿カレーというのがあった。いままでずいぶんたくさんのおかしなカレーを食べてきた私だが、丸いままの柿がカレーに入っているのには驚いた。どうぞ柿についての先入観を捨てて、「無理だ」とかいわず想像してみてください。カレーに丸いままの柿。
 柿カレーは柿の完全変態を証明している……かもしれない。たいへんな神秘である。

左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。
写真:地味な人ほど奇抜な衣装を身につけて俗な世間に擬態する……のかも。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)



連載エッセイ●3
我がまま増量中
 自慢じゃないが今だかつて携帯電話を持ったことも無ければ使ったことも無い。だから大威張りで言うのだが便利なものを手に入れて人類は更に今一つ我がままになったなあと思う。
 ディズニーランドでアトラクションに並んでみると良くわかる。携帯電話を持った代表が列に並んでその代表のもとへ仲間がどんどん携帯利用で割り込んでくる。並んでいる間にちょっと列を離れるのとはわけが違う。「いまどこぉ? こっちはもうすぐだからぁいらっしゃいよ」と、当たり前のように呼び合って挨拶もなしに割り込んで平気な顔である。
 長時間列に並ぶあのばかばかしく無駄な時間を共有する。ディズニーランドからそれをとったらいったい何が残るのだ? それぞれ勝手に行動し、たまに携帯で存在を確認しあう、共に遊びに来てそれなのなら普段もさぞかしお粗末な付き合いなのだろうなと想像できる。
 幼い子供に携帯を持たせて安心と思う親の気も知れない。外に出て困ったことが起きたとき携帯で親に指示されなければ安全な選択ができないような幼子からは未だ目を離すべきではない。分別つくまで育ててから一人歩きはさせれば良い。思慮も分別も直感も安全も買い与えて得られるものではないだろう? はるか昔、我がままとは未熟な子供の専売特許であったものを、最近では分別盛りの大人や老人も水の低きに流れるがごとくその我がまま度を増しているように思えてならない。
 そんな我がままなお客さん達を相手に困りきった末なのだろう。「辛さ、旨さはお客様次第、スープは素のまま、お召し上がりの際に各々お客様の好きな辛さにしてね」というレトルトカレーがある。
 その名もマジックスパイスというカレーの箱の辛さ表示は中辛〜激辛、工夫を凝らした具材と野菜たっぷりのスープ・スパイス・ペーストと、袋3つを食卓の器にて混ぜ合わせ好きな辛さにして食べろ。ということらしい、味や辛さにうるさいお客さんには好評なのか知らないが、実際やってみるとこれは不親切の極みである。レトルトカレーを食べながら、辛い・甘い・おいしい・まずい、お客さんには勝手な事を言いながら食べる自由ってものがあるのに、一口食べてはスパイスを入れ二口食べてはペースト入れて、結局わけがわからないまま食べ終わる。
 スパイスの適量を決めて味付けしてから出すのが料理人の仕事だろう? なんでそこを丸投げするんだ? と腹立てながらも新製品が出る度購入し、毎度憤りつつ食べている。甘い私だ、情けない。

左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。
写真:思わず目を見張る程我がままな張り紙、善意が動機らしいだけに迫力がある――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)



連載エッセイ●2
自慢の水族館
 四角い枠の中でなにかちらちらと動いているのを眺めるのが大好きである。家に居て、テレビを見たり、パソコンをいじったり、水槽の魚を眺めたり、窓から外をみていたり。家を出て乗ったバスの四角い窓から外を眺め、降りた先の映画館で映画を観て、出てきて寄ったペットショップで水槽の魚やハムスターや昆虫を見て、帰ってテレビを見て、パソコンをいじって、魚を眺め、本を読んで寝る。
 私の一日を振り返ると、四角い枠の中で動いている物を見ているばかりの1日で、なんでかなあ? と思うのだ。
 水槽に泳ぐ魚を眺めているのは子供の頃から大好きで、江ノ島や油壺にはよく家族に連れて行ってもらった。油壺のマリンパークは開館当時から東洋一の大回遊水槽が評判で、円筒形の建物の中心に立ち自分の周りを魚達がぐるぐる泳ぐ様を飽きずに眺めに行ったものだ。その大回遊水槽に、ある日大きなマンボウがいて、マリンガールがマンボウの口に優しく餌を突っ込むがマンボウは即座にそれを吐き出す、マリンガールはまた餌を口に突っ込む、を繰り返していた。その様子は子供心にマンボウの意地と、なんとか餌付けしてマンボウを飼いたいというマリンガールの必死な気持ちが伝わって心に残る光景だった。後に鴨川シーワールドのマンボウ長期飼育世界記録が達成され、日本のマンボウ飼育記録の歴史が展示された時、そこにあの日私が見たマリンパークのマンボウの飼育記録も記載されており、あのマンボウは1週間ほどで亡くなったと知った。貴重な光景を目撃したのだと改めて感動した。
 マリンパークには忘れられない思い出がもう一つある、中学生の私に母の友人から「遊びに来ている孫を水族館に連れて行ってくださいな」と子守の依頼、東京から来た男の子のマリンパーク行きにお供して海の見えるレストランで食事をした。私がシーフードカレーを注文した時、唐突に「水族館でシーフードカレーかよ」と笑われた。その子と他にどんな話をしたか、どんな顔だったかも思い出せないのに、彼の鋭い一言は忘れられない言葉となって今も心に残っている。その展望レストランは、後にナマズがお好きなヒゲの殿下が紀子様とデートなさった際、シーフードカレーをお召し上がりになった事で一躍有名になったが、シーフードカレーをそこで食べたのは私達が先であることを特別に記しておく。
 現在、展望レストランは無料展望室になり、あのシーフードカレーはもう食べられない。

左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。
写真:マリンパークのサカサナマズ小さく地味な魚だがこの展示は老舗の技か迫力満点である――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)


連載エッセイ●1
不思議の国の桜
 まったくいったいどういう理由でこの国の人達は桜の満開がこんなに好きなのか、毎年春が来るたびに不思議でならない。
「桜につぼみがつきました」にはじまって「ふくらみました」「開きそうです」「咲きました」次々と北上して行く桜開花の情報が、連日テレビ、ラジオや新聞のニュースとなり、そんなことに紙面を割いて報道しても苦情を言ってくる人も無く、皆喜んで聞いている。
 そんな国がほかにあるか? と思うのだ、絵画、意匠、お菓子や歌謡曲、詩、小説、俳句に短歌、桜にかかわる諸々をあげ連ねたらきりがない。
 私の好きな岡本かの子(岡本太郎のおかあさん)の短歌にも桜の連作がある。
「桜ばないのちいっぱい咲くからに生命(いのち)をかけてわがながめたり」
 おおげさである。春が来たから勝手に咲いている桜と、何をするでもなくただ眺めるそれだけなのに命がけになっちゃう様子に、こちらも思わず同調し、わくわくと平静ではいられなくなる。満開の桜の前で魂を奪われそうで怖くなった事、誰にでもあるのではないだろうか。だから、むやみやたらとお酒を飲んで桜に魂を奪われるより先に正気を失ってしまおうとそれぞれ必死の自己防衛心から、桜の元での酒宴は催されるに違いない。そうと思えば毎年繰り広げられる酔っ払いたちの狂態も多少かわいく思えてくる。
 桜にどんな魔力があるのか、日本人が摩訶な魔術に掛かっているのか毎年春限定の不思議である。
 そして私にはもう一つ年間を通じて不思議でならないことがある、日本人、どうしてこんなにカレーが大好きなのだろう? デパートのカレー売り場に200種類ものレトルトカレーが並んでいる、そんな国がほかにあるか? と思うのだ。売り場に立って見渡すと面白いカレーがたくさんある。洋梨カレー、びわカレー、いちじくカレー、さざえカレー、なんでこんなに何でもかんでもカレーに入れてしまうのだ? 八丁味噌味、しょうゆ味、ソース味、とんこつベースのビーフカレーがあるかと思えば、欧風、タイ風、メキシコ風、インド風まであるには驚く。〜風と言うからには、日本のものを外国風にアレンジしましたと言う意味以外には解釈できないのだが、そういう意味なのだろうなあ。不思議は尽きない。
 不思議ついでに「桜カレー」を探してみたが、明日葉カレーや昆布カレーはあるらしいが、桜カレーは見つからなかった。一番好きな「桜」と「カレー」。どうして「桜カレー」は無いのだろうか? 不思議でならない。

左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。
写真:満開のソメイヨシノ。眺めるには命をかける覚悟がいるのだ――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)