ルクツゥン
3分で読む小説
※作品募集:どなたでもご自由に1000文字程度でお寄せ下さい。テーマは自由です。サイトに似つかわしい作品を編集室で選び掲載していきます。作品投稿

その2
海石榴(ツバキ)
早透 光作

 寒さに耐える小径の草が、低い陽光をほんのりと受けて、薄い狐色に輝きながら風に揺れている。
 私が幼い頃に歩いた時と同じ。何も変わらない風景。今は懐かしいと感じるよりも、ただ淋しい風景に見えてしまう。家を飛出した頃の強情な私は、こんな風に此処を歩くなんて考えてもみなかったからだろう。

 最後に父と一緒にここを歩いたのは、祖父の納骨の日だったろうか。
 春の暖かな土手にはナズナとタンポポが所狭しと咲いていて、小さな田圃が淡い赤紫色に輝くと蓮華の甘い香りが広がった。お墓の周りを賑わう花々がとても綺麗で、幼い私は何も分からずに楽しんでいたのかも知れない。そんな中、お墓の横に植えられた椿だけは好きになれなかった。
 濃い緑色の葉っぱがやけに生々しく輝いて、私を近付けようとはしない感じがしたからだろう。父はそんな私の肩を抱き、微笑みながら何かを言った。
 納骨を済ませたお墓の前で、祖父とのお別れをと父は私の両手を合わせた。その時の父の横顔は淋しそうにも見えたが、とても優しい顔だった。
(あの時父は何と言ったのだろう)
 今となっては遠い記憶の底に沈められ、私一人では分からなくなってしまった。

「ママ、お爺ちゃんはココに住んでるの?」
 不意に息子の握った手が下に引き寄せられた。私はその手を握り返すと軽く頷いた。
 今度は紅い花を指差して「何の花?」と聞いてきた。
「椿って言うの。紅い花が綺麗ね」
 そう言って、また私は父の言葉を考えた。
(椿が嫌いと言った私に向って父は何と言ったのだろう?)
「ツバキか、キレイだね。ほらあのアカイお花ママに似てる」
 息子の言葉に私は驚いた。(似てるって?)そして、父の言葉が急に聞こえた。

『ユキ。お前もあの強情そうな葉に似ないで、紅い花の方に似るといいんだけどな』
 ……そう、父はそう言って笑ったのだ。

 後ろから追いついた主人が私の肩に手を掛け、静かに黒い墓石を見ながら言った。
「とうとう身勝手な俺達を許してもらう事も出来なかったな……」
 その主人の言葉に振り返りゆっくり微笑むと、もう一度椿を見つめた。
 奇麗な緑色の葉を輝かせ、紅い花弁が微かに揺れている。その椿の下で三人一緒に並び、父の前に座った。
 私は父の言葉を心の中でくり返した。
(……強情そうな葉に似ないで、紅い花の方に似るといい……)

「ほら、お爺ちゃんに、初めましてって。挨拶をしなさい」
 そう言って、私は息子の小さな両手を合わせてあげた。

 QBOOKS第31回1000文字小説バトルチャンピオン作品


その1
或日の蕎麦屋
マニエリストQ作

 或日、遅い昼食に蕎麦でも食おうと妻を近所の蕎麦屋に誘った。空は今にも降り出しそうだったが、蕎麦屋は歩いて五分とかからなかった。
 店に入ると何やら薄暗い。客もほかには居ない様子。カウンターに席をとり品書きを眺めていると、店主がまるで幽霊のように音もなく店の奥から出てきた。二度ばかり来ていたので店主は私たちを知っているはずだ。しかし店主に覇気がない。小声で「いらっしゃい」と言ったきりうつむいたままである。
 妻は天ぷら蕎麦を頼み、私が鴨南蕎麦を注文した。店主はこくりと頷いたが声がない。それでも目の前で蕎麦を湯にかけて支度を進める。心無しか湯はぬるそうに思えたが、まあ待つことにした。すると店の奥から、小学五、六年生だろうか、一人の男の子が出てきて蕎麦をつくる店主の傍らで丼をせっせと洗い始めた。
「父さん頑張ろうね」
 男の子が店主の背に話しかけた。店主は黙って頷く。私たちも黙って顔を見合わせる。
「大丈夫だよ父さん、僕が居るから」
 店主はまたも頷くだけだった。男の子は洗い物をしながら店主の様子を窺いつづけていたが、その瞳に宿した潤いは今にも大きな滴となって落ちてきそうだった。
「女房が居なくなったんです」
 いきなり店主が私たちに向かって言った。店の中が暗かったせいか、大柄な店主が小さく感じ、頬も落ちているように見えた。私たちは呆気にとられ、ただ店主の顔を見つめるだけだった。
「客の一人なんです」
「突然なにも言わずに居なくなったんです」
「性に合わなかったですかねえ、この商売」
 言葉がぶちぶちと切れた。釜の白い湯気が店主の顔を半分ばかり隠す。
「父さん僕が居るから」
 店主の前掛けの端を小さな手で握り男の子が言う。そう言えば、小柄でふっくらとしたおとなしそうな女が店に出ていたことがあった。ああ、あれが店主の女房だったのかと、改めて思い出された。
 ほどなくして蕎麦が出来上がってきた。私たちは、黙々と食べ、すすった。掛け忘れた七味唐辛子が心残りではあったが、とにかく一心不乱に食べた。蕎麦は旨かった。
 いつの間にか、小さな女の子がカウンターの中に居た。きゅっと噛んだ唇がコケシ人形のように愛くるしかった。居なくなった女の面影があった。

「寒いね」と妻がぽつりと言った。
 外は煙るような霧雨だった。振り返ると、店の煙突から細い白煙が一筋、すうと伸びて濡れた空に消えていくのが見えた。
 以来、私は二度とその店に妻を誘うことができなかった。

(作品の著作権は作者にあります。無断使用、転載を禁止します)