和田知見 著

一駅一本。ショートショート作品集

全1407作品(内100作品掲載)まだまだ増産中。

プレゼンドット 編集



◎著者紹介



和田知見(わだ・ともみ)



【プロフィール】
1974年神奈川県生まれ。北海道大学(文学部行動科学科社会心理学講座)を卒業後、代々木アニメーション学院ジュニア・ノベルズ科で小説修行、特育生として卒業する。現在は介護非常勤相談員という異色の肩書きを有し、パワフルな作家活動を行なっている。インターネット文芸では、インディーズ文芸QBOOKSのスタッフを務める傍ら、自身もショートショートストーリーの名手として多数の作品を発表しており、また童話『ピトラの冒険』も連載中。集英社『コバルト』ではベスト・ショートショートの五代目・八代目マスターを獲得するなど、着々と実績を伸ばしている。



【著作】
○著書(筆名:和田知見)
『知識ゼロからはじめる株式投資』(実業之日本社)
『らくらく講座20 サルでもわかるExcel講座』(英和出版)
○Webにて発表(筆名:ごんぱち)
ピトラの冒険』……プレゼンドットにて、コラボ画家募集中
遠くへ行きたい……って訳でもないんだが』……旅エッセイ
月極文芸ごんぱち』……月産30本のショートショート、1本の短編


 

【作風】
コメディ寄りの娯楽小説・ショートショート。ライターとしての文体は、やや柔らかめ。いわゆるアニメ、ゲーム、漫画関係の趣味があるため、それらのネタを折り込む事がある。
2007年7月現在 



●著者・著書の問合せ、仕事の依頼は
プレゼンドットまでお願いします。

No.1『先端医療』

「おお、ちゃんと動くぞ」
 患者は喜びの声を上げて、右腕をさする。
「はい、クローン技術ですので、拒絶反応もありませんよ」
「へえー、聞いてはいたが、凄いもんだ」
 二の腕の辺りに僅かにできた傷跡を境に、日焼けのコントラストができていたが、消えるのも時間の問題だろう。
「いやあ、プレス機に腕を切り取られた時は、どうしようかと思ったぜ――いや、ありがとう」
「ははは。おめでとうございます。ところで」
 医師は、黒くて巨大なビニール袋を、重そうに差し出した。
「ん?」
「残りの部分は、どうなさいますか?」

【完】



No.2『開かずの扉』

 学校で火事が起き、この扉の近くで、僕は死んだ。
 念が残る、とでもいうのだろうか、僕はこの場所から動けなくなった。地縛霊、そうかも知れない。
 気付いて欲しい。せめて、花の一輪も手向けて欲しい。
 だから僕は、この扉を開かなくした。

「そういえば開いたの見たことないね、この扉」
「そーだねぇ。ボクらも今日で卒業だし、開けてみる?」
「ちょっと、やめてよ。うちのガッコの非常扉は、報知器に連動してるでしょーが!」
【完】



No.3『密売』

「っと、金の方が先ですよ」
 背の低い男が手を伸ばそうとした包みを、痩せた男はさっとかすめ取る。
「がっちりしてやがるな」
 背の低い男は、自分のバッグをテーブルの上に置き、中身を見せる。
「約束通りの額だろう」
 紙幣が見え隠れしている。相当な額だった。
「オーケイ。では、こちらも確認して下さい」
「よっしゃ」
 受け取った包みを開くと、白い粉の入ったビニール袋が露になった。背の低い男は、濁った目で笑うと、白い粉を指に付けて舐めた。
「大した純度だ」
「感謝して欲しいですね。これだけの代物を手に入れるのは大変なんですから」
「ああ、もちろん。ふふ」
 包みを元に戻す。
「この小麦粉さえあれば、麺もチヂミも食べ放題だ」

 ――北朝鮮にて。
【完】



No.4『完全犯罪』

 俺は都会の闇に潜む仕事人。
 凶器も、目撃者も、ターゲットの死体もない。何一つ、残したものはない。
 警察には、ターゲットと俺の関係を掴むことも不可能だろう。何しろ、動機はおろか、個人的な関係もないのだから。
 仕事を引き受けて何年になるだろうか。
 俺は、一度たりとも警察に尻尾を掴ませたことはない。

「って、わけで」
「って、お前ぇなぁ! なんだってそんな奴に仕事なんか頼んだんだよ! 大枚はたいて!」
「で、ですがね、アニキ、腕は立ちそうだったもんで……」

 俺が殺人で捕まる可能性はない。
 常に完全犯罪だ。
 凶器も、目撃者も、死体もない。
 何しろ、殺しをやってさえいないのだから。



No.5『家族団欒』

「やあ、ようこそ田中さん」
 玄関では、山口さん一家が笑顔で勢揃いしていた。
「いやあ、すみません。またお呼ばれしてしまって」
「田中のおじちゃん!」
 末っ子が田中によじ登ってくる。
「こら健太! おじちゃんに失礼でしょ!」
 次女がお姉さんぽいところを見せようとして、末っ子を小突く。
「ははは、まあ奥へどうぞ」
 主人の山口さんに招かれるままに、田中は居間の上座に腰を落ち着ける。
「なんだか悪いですね」
「いいんだよ、田中さんは家族も同然だからねぇ」
「そうだねぇ」
 山口さんの両親も、にこにこしている。
「さ、ご飯にしましょ」

「ふぅ」
 賑やかな食事が終わってから、田中は寂しげなため息を洩らす。
「やっぱり、家族っていいですね」
「はは、うるさいだけですって」
「いえ、その賑やかさが、楽しくって。僕なんか、家に帰っても誰がいるわけでもありませんから……」
 主人は湯呑みのお茶に口をつけて笑う。
「まあ、うるさいのだけは折り紙付きですからね。こんなのでよければ、またいつでもいらして下さい」
「ええ。是非」
 しかし、彼の顔は晴れなかった。
「でも今さらですけど、思いますね」
 大きなため息をついた田中は、山口さん一家全員を見回した。
「僕も一家心中しておけばな、って」

 ――黄泉の国にて。
【完】



No.6『ごみ』

「これ廃棄ね」
 部長に手渡されたファイルを、四谷京作は受け取った。
「どの書類ですか」
 四谷はファイルを開こうとする。
「こらこら! これは社外どころか社内秘のファイルなんだ、勝手に見ちゃだめだよ!」
「って、言われましても開かなきゃ、書類が取り出せないじゃないですか……」
「知らんのか、四谷君。昨今のシュレッダーってのは、ファイルごと裁断できるんだよ!」
「そ、そうなんですか?」
「まったく、会社の機器の性能ぐらい知っておきたまえ! さあ! ぼさっとしてないで、さっさと廃棄!」
「あ、はい」
 ぐおんぐおんぐおんぐおんぐおんぐおん。

「ふぅ」
 執刀医はゆっくりと手術用手袋を外す。
「お疲れさま」
 麻酔医も疲れた顔をしていた。
「しばらく、臓器バンクから貰った腎臓ばかりだったからなぁ」
 大きく執刀医は深呼吸する。
「生体腎移植は、二度手間だからかなわないよ」
「二人分の手術になっちゃいますからね」
「どうです? このあと」
「いや、私の方はそうも行きませんよ、意識を取り戻すまでが仕事ですからね」
 麻酔医は笑う。
「大変ですねー。ふぁああああ、じゃ、こっちは廃棄ね」
 執刀医は看護婦に指示した。
「はーい」
 ぐおんぐおんぐおんぐおんぐおんぐおん。
【完】



No.7『生物兵器』

「同志、我々の作戦はうまくいったようですな」
「ええ。笑ってしまうほどですね」
「それにしても、凶悪な生物だ……」
「強靭な身体と、繁殖力、周囲のあらゆる生物を食いつくす凶暴にして貪欲な性質。理想的な兵器でしたね」
「情報部の操作もうまくいったようですな。あれを殺すことは、一種の罪悪にまでしてしまった」
「ふふ。ただの兵器では、気付かれますからね」
「まったく素晴らしい。それで、今はどんなものを?」
「植物がいいかも知れませんね」
「それはいい。あの国の生き物という生き物は、これで完全に滅びるでしょうな」
「ですね」
「しかし、ここまで根付くとは思いませんでしたな、ブラックバスは」
【完】



No.8『スーパーマーケット』

「いやあ、今日仕入れた押麦、よく売れたな」
「そうでしょう」
「やっぱり、『思いっきりテレビ』の影響は大きいな」
「ええ。まったくです」
「これも、テレビ局に知り合いのいる君のお陰だな」
「いやあ、それほどでも」
「それで、次は何がくるんだ?」
「大根とサンマ、それに焼き網を多めに仕入れたらいいですね」
「ほう?」
「明日はサンマを取り挙げるそうですから」「よーし、それ行ってみよう!」

「いやあ、売り切れ御礼だったな」
「ええ。大した影響力ですね」
「明日はどうするかな?」
「刃渡り二十センチの包丁と、ストッキング、それにオートバイですかね」
「ほう?」
「明日は、特番で『警視庁二十四時』ですから」
【完】



No.10『お告げ』

「お前は明日の夜明けと同時に死ぬであろう」
 男の前に現れた天使は、そう告げた。
「ち、ちょっと待て、なんだよそれ!」
「前世の罪により、お前の寿命はそう区切られているのだ」
「じ、冗談じゃねえぞ。天使だか神だか知らんが、お前ぇのいいようにされてたまるか!」
「神の御心には逆らえない。では、残りの人生を精一杯楽しむがいい」
「このやろ、待ちやがれこら……ちっ、消えちまった」
 男は天を睨み付けた。
「ふざけるなよ、この野郎」

「こういう例は、どうします? 神様」
「イレギュラーだな」
「まあ、ほっときますか?」
「それはいかん。預言者ならともかく、天使のお告げが間違っていたでは神の威信に関わる」
「じゃあ、元に戻しちゃいますか。全部なかったことにして」
「そうだな」
 こうして神様は、夜明け前に自殺してしまった男の魂を地上に返したのでした。
【完】



No.11『クレーマー』

「ちょっと、あんたのとこに頼んだ家、ひどいじゃない!」
「は、どこがです?」
「図面なんか出してもしょうがないわよ。まったく、図面通りにできてないじゃない」
「ま、職人さんたちは、最適と思われる方法を使うので、多少の違いは――」
「多少? よく言えたもんね! 設計の時に散々言っておいたのに、ガレージに車が入らないじゃない!」
「ひょっとして、車を変えられたのではありませんか?」
「そうだけど、排気量も一緒の車よ!」
「車種が違えば、大きさも違いますよ。それに、ガレージはコンクリートの厚さ分、どうしても小さくなりますから余計ねぇ」
「だったら、ここの窓は? 窓なんか付いてないじゃない!」
「ひょっとして、タイルを貼られたのではありませんか?」
「まあ、あそこはタイル張りだけど」
「でしたら、タイルにふさがれてしまったのでしょう」
「ぐ……じゃあ、これは文句ないと思うわ!」
「はあ」
「その家が、買って三日目で潰れたのよ、ぐしゃっとね!」
「奥さん」
「なあに、やっと認める気になった?」
「ひょっとして、家の中に入られたんじゃありませんか?」
【完】



No.12『エコ時代』

「いやあ、お隣の山口さんじゃないですか」
 公民館の寄り合いに向かっていた山口さんは、ふいに声をかけられた。
「おや、中村さん。新しい車ですか?」
「ええ。ハイブリッドカーですよ」
「へえ」
「やはり、これからの時代は、きちんと環境のことを考えませんとな」
「はあ」
「何しろ、この車はリッター当たり七十キロも走るんですよ」
「それは……多いんですか?」
「もちろん。山口さん、あなた環境のことに気を使っている割には無知ですな」
 少し馬鹿にしたように中村さんは笑う。
「はあ、不勉強で」
「まあ、わたしが今まで乗っていた軽乗用車と比べても、燃費は倍、二酸化炭素排出量は半分ですぞ」
「それは、すごい」
「おっと、こんなことをしていては遅れてしまいますね」
「そうですね」
「では、お先に。あちらでお会いしましょう」
 走り去る低公害車が出した僅かな排気ガスを見ながら、山口さんは頭を掻いた。
「家から二百メートルも離れてないんだけどなぁ、公民館って」
 山口さんは呟いて、自転車のペダルを踏んだ。
【完】



No.13『無差別殺害』

 僕の仲間が殺されてしまった。
 首を切られ、毛をむしられ、内臓をえぐられ、ばらばらにされた。もはや、原形さえも留めていない。
 奴等にとって、僕らを殺すことなど、朝飯前なのだろう。
 畜生。
 呪ってやる、復讐してやる、絶対に!
 えっ? この僕まで? 子供まで殺そうというのか?
 鬼、悪魔! 地獄へ堕ちろ! 畜生……せめて、死ぬならせめて、母さんと一緒に……。

「親子丼できたよ」
「あらありがとう。ももちゃん。朝っぱらから親子丼とは豪勢ねぇ」
「おねーちゃん、ひょっとして皮肉言ってる?」
「違うわよ。ところで、常々思ってるんだけど、親子丼って名称はおかしいわよねぇ」
「まーたわけの分かんないこと考えてるわね?」
「ほら、肉にされる鶏と玉子って、親子なわけないでしょ? だから、せいぜい大人子供丼か、もしくは他人丼、状態で言うなら無差別殺害丼ってことに」
「いいから、黙って食べなさい!」
【完】



No.14『黄身』

「うわ、もう一週間も置きっぱなしだったっけ」
 冷蔵庫を覗いた四谷京作は、手つかずの玉子パックを手に取った。
「……全部うで玉子にでもしておくか」
 大きめな鍋でお湯を沸かすと、四谷は玉子を十個全部ゆでた。
「とりあえず、今三つくらい喰っておくか」
 彼は玉子に塩をかけ、かじりついた。
 ――と。
「ラッキー、黄身が二つ入ってる」
 食べかけのゆで卵の断面には、黄身が二つはっきり見えた。
「こりゃあ朝から縁起がいいや」
 にこにこしながら、二つ目に手を付ける。
 すると。
「え? また――」
 食べかけの玉子を見た。黄身が二つではなかった。二つではなかったが、四つだった。
「な、なんだこれ……」
 三つ目を手で割ってみる。
「う、うわ」
 中には、普通よりも一回り小さい玉子の黄身が、八つ入っていた。
「ま、まさか」
 四つ目には、十六。
 五つ目には、三十二。
 六つ目には、六十四。
 七つ目には、百二十八。
 八つ目には、二百五十六。
 九つ目には、五百十二。
 そして、そして十個目には。
「ぎゃああああ!」
 千二十四個の小さな小さな黄身が、殻の中に溢れんばかりに詰まっていた。

「――と、いうよーなことがあったんですよ、先生」
「四谷。例えそれが事実としても、二の十乗が千二十四になることくらい予想できたろうが!」
 出席簿の角で教師は四谷の頭を小突いた。
「そんなもんを律儀に数えて遅刻してるんじゃない!」
【完】



No.15『願い事』

「一つだけなんでも願いを叶えて進ぜよう」
 千世さんの見つけた壷から出てきたのは、魔人だった。
「一つだけ?」
「そうだ」
「なんでも?」
「無論。願いを増やすこと以外なら、なんでも可能だ」
 ドジョウ髭を引っ張りながら、魔人は胸を張る。
「そうねぇ」
 千世さんは小首を傾げた。

「へー、中学の時にそんなことがねぇ」
 居間でお茶を飲んでいた千世さんの妹が、鼻で笑う。
「あ、ももちゃん、全く信用してないでしょ」
「信用できるわけないでしょーが! そもそも、それほど凄いことが起こって、なんでおねーちゃんがこんなのほほんと生活してられるのよ!」
「のほほんって言われてもねぇ」
「普通、世界征服して暗殺されるとか、宇宙の真理を知って発狂するとか、なんかあるでしょ」
「猿の手や悪魔じゃないんだから、そんなことはしないってば」
「で、何をお願いしたの?」
 呆れた風に、妹はお茶を啜る。
「永遠に幸せな世界」
「へー。そいつぁようございました」
 妹はせんべいをぼりぼり噛じりながら、新聞を開く。
「もう、やっぱり信じてないでしょう」
「信じるなんて言った覚えないってば。それに、永遠の命なんて持ってても、なーんにもいいことないじゃない」
「永遠の命じゃなくて、永遠に幸せな世界だよ」
「同じことでしょーが」
「そうでもないんだけどなぁ」
 千世さんは空になった妹の湯呑みに茶を注いだあと、『こちら』を向いた。
「そんなわけで、私は作中人物になったんだよ」
「おねーちゃん? 誰に話してるの?」
【完】



No.16『新作ゲーム』

「おお、これは素晴らしい」
 取締役は、感動に打ち震えながら、頭から専用コントローラーを外し、かたわらのプログラマーを見た。
「本当に自分の手で剣を振っているようだ!」
「そうでしょう。かのノーベル賞論文『外的刺激による脳波制御理論』を利用し、音声、映像どころか感触さえも直接脳に送ることのできる、文字どおり仮想現実を体験できるゲームですよ」
「歩く感触、手に触れたものの感触……素晴らしい。まるで、一つの世界の中にいるようだ……」
「ええ。この世界を作り上げるために、のべ七万人のスタッフが動員されましたからね。魚一匹、木の葉一枚に至るまで、きちんと触感があるんです」
「素晴らしい!」
 もう一度取締役は叫び、プログラマーの手をがっちりと握り締めた。
「これはいける。メガヒットどころではない、ギガヒット間違いなしだよ!」

「あ、九十八円になってるぜ、『魔界覇王』」
「マジかよぉ」
 小学生が二人、ソフト屋のワゴンの前で足を止めた。
「おまえ、買ったんだよな? これ」
 背の高い方の小学生が尋ねる。
「そうそう、サイアクだぜ。あの時だって、二千円もしたんだから」
 背の低い方が溜息をついた。
「主人公のやってる事を体感できるってのはたしかだったけど、シナリオが今時『魔王を倒せ』でおしまいだぜ? 王様から剣だけもらって」
「あはははは、しょーもねぇ」
「よかったら貸す――やるぜ?」
「いらねー」
【完】



No.17『死体蘇生者』

「よし、脳細胞の修復は完成した。あとは縫合だ」
 地下深い実験室で、一人の天才医師の手によって、偉大なる治療がついに完成しようとしていた。
「へい、先生」
 はぁ、はぁ、はぁ、かちゃ、はぁ、ふぅ、はぁ、かちっ、はぁっ……。
 室内に医師と助手の呼吸音と、僅かな手術器具の音だけが響き続ける。
「よし……」
 一時間後、ついに医師は顔を上げて天を仰いだ。
「せ、先生! 脳波がきちんとリズムを取り始めやしたぜ!」
「ははははは、やったぞ! 俺たちはやったんだ! 死者を生き返らせたんだ!」
「先生ぇ!」

 すっかり後始末を終えた二人は、地上の家に戻った。
「ついにやりましたなぁ、先生」
「おう、まったく、献体が見つかってからの一ヶ月、長かったが充実してたなぁ!」
「同感ですぜ。ああ、郵便受けも一杯だぁ」
「あははは、全部持って来い。今ならダイレクトメールだって読んでやりたい気分だ!」
 医師は、目の前に積み上げられた新聞や手紙を、片端から読み始めた。
 ――と、医師の手が止まった。
「おい、この記事」
「三週間ばかり前の新聞ですね?」
「読んでみろ」
「えーと……」
『――生死判定問題の高まりを受け、国会では”人権法“が新たに可決、来週二十一日から施行される。
 今後は、死体にも人権が認められ、死体に対する”人体実験“が禁止されることになり、各学術機関では献体の返還を――』
「え、ええっ!?」
 その時、呼び鈴が鳴った。

”逮捕された田中容疑者と大田容疑者は『研究に夢中で、新法の施行に気付かなかった』と抗弁しているものの、基本的に犯行を認めている。
 また、人体実験の被害者Aさんは、若干の抵抗はしたものの、担当者の説得に応じ丁重に埋葬された“
 ――某紙社会面より抜粋。
【完】



No.18『最後の核』

『さあ、たった今、核兵器全廃の夢が果たされそうとしています!』
 解体式の映像に、同時通訳のレポーターの声がかぶさる。
『一世紀に渡り人類の脅威だった核兵器が、ついに地球上から消滅するのです』
「ほお」
 四谷京作は、テレビに見入っていた。
 テレビの向こうでは、花飾りの付いたハンマーを持った、放射能防護服姿の米国大統領がカメラに向かって愛嬌を振りまいている。
『さあ、いよいよ世紀の瞬間です! 百年前の今日、最初の核兵器が爆発したこの場所で、最後の核兵器が解体されるのです!』
 フラッシュの光が激しくなる。
 大統領は、くさびを半分打ち込まれた核弾頭の前に立った。
『世紀の瞬間です!』
「あんなんで壊していいのかなぁ……」
 大統領は、ゆっくりハンマーを振り上げると、くさびを思いきり叩く。予め入れられた切れ目に従って、核弾頭がぱっかり割れた。
『たった今、この瞬間、地球上から核兵器と名の付くものは――』
「こら四谷! 仕事もしねえでなにやってる!」
 ふいに、四谷は後ろから怒鳴られた。
「あ、主任」
「あ、じゃねえべ! ほら、さっさと仕事にに戻れ」
「へーい。でも、歴史的瞬間なんですよ?」
「知ったことか。納期に遅れたらオレたちの歴史も未来もねえべ!」
 追い立てられるままに、四谷は仕事に戻った。
「ははは、サボってるからだぁ」
「テレビ見たいから、昼休み少しずらして貰ったんじゃないですか。先輩の分もやって」
「そんだったな。すまんすまん」
 先輩は笑いながら、手際よく機械の組立を行う。
「ところで先輩」
「なんだぁ?」
「これなんですか?」
「ああ、半物質弾頭だぁ」
「半物質?」
「理屈は分からんけどな、これ一発で、惑星が一つ灰になるそうだから、気を付けるだぞ」
 楽しげに先輩は作業を続ける。
「これでうちの工場も百年は好景気だぁ」
『――これから先は平和の時代へと……』
 つけっぱなしのテレビから、まだ同時通訳の興奮気味の声が聞こえていた。
【完】




No.19『ある一族の興亡』

 長い旅の末に、彼と彼女は大地に降り立った。
「ああ、やっと、やっとたどり着いた……」
 見渡す限りの肥沃な大地は、まるで彼らを待ちわびていたかのようだった。
「ここが、私たちの安住の地ね」
「そうとも。ここで、僕たちは王国を作るんだ」
「でも……ここも、またあそこみたいにならないかしら……」
「僕たちの故郷か」
 彼は暗い顔でうつむく。
「大丈夫さ、あれだけの不幸がそう簡単に起こるわけがないさ」

 彼と彼女は、何人もの子供たちに囲まれて、幸せそうにくつろいでいる。
 たった二人だった住人は、今や数え切れないほどになっていた。
 彼らは、遅れて移民してきた他民族との戦いや、先住民との戦いにも打ち勝った。そして、ついにこの大地を支配するまでになった。
「幸せかい?」
「ええ」
 二人は寄り添った。

「なるほど。そりゃ体の中でバイキンが増えちゃってるんですね」
 医師は、注射器を取り出した。
「ま、抗生物質射っときましょ」
「はぁ」
「大丈夫大丈夫、保険効くから。もう、すぱっと良くなるからね」
「それじゃ、お願いします」
「はいはい」
 注射器の針が患者の皮膚に刺さり、ゆっくりと薬液が注入されて行った。
「ま、明後日には良くなるでしょ。お大事に」
【完】



No.20『捨てられて』



「畜生、俺の何が悪かったってんだよ!」
 女のところに来た男は、手も付けられないほど荒れていた。
「どうしたの、あたしでよければ話してごらん」
「どうしたもこうしたも……誠心誠意尽くした仕事をクビになって、ポイさ。もう、夢も希望もねえよ」
「そうかい」
 女は静かにうつむく。
 ここは、疲れた者たちの止まり木。訪れるのは、誰もが打ち捨てられ、傷ついた者ばかり。
 余計な同情は禁物。女はそれをよく知っている。だから、ただ静かに愚痴を聞く。泣きたい相手には泣かせる、怒りたい相手には怒らせる。
 泣き疲れ、怒り疲れた頃、彼らはまた旅だって行くのだ。
 だが、今日来た男は、少しだけ違った。
「なあ、姐さん」
 愚痴を言うだけ言ったあと、ふと女に目を向けた。
「あんたはこの仕事辛くないかい?」
「な、なんでだい?」
 気遣うことはあっても、気遣われることは久しくない。女は、がらにもなくどぎまぎしてしまった。
「こんな場末だ。来る奴なんか、愚痴しか言わねえだろ。そんな奴ばっかり相手してて、辛くならねえかい?」
「フフ。辛くないなんて言ったら嘘になるかねぇ。でも、これがあたしの仕事さ。お客さんたちの涙がここで乾くなら、それで充分さ」
「……強いんだな」
「まあね。お客さんたちよりは、少しだけできが違うんだよ」
「でも、強いから辛いってことも、あるんじゃねえか?」
「えっ?」
 男の問いに、女はふっと虚を突かれた。
「弱けりゃ泣けた、弱けりゃ逃げられた、そんなことが……」
「お客さん、優しい人だね」
「もう若くねえだけだよ……もう時間だ、世話になった」
 男は背を向けると、振り返りもせずに旅立って行った。
 女はただ、その後ろ姿を見送っていた。
 いつまでも、いつまでも……。

 どさっ。
「ありがと、おねーちゃん」
 妹は、ぎゅっとゴミ袋の口を縛った。
「どういたしまして――?」
 ところが、ゴミ箱を持ったまま、千世さんは首を傾げていた。
「どうしたの、おねーちゃん? ゴミ箱持って考え込んだりして」
「古くなって来たわねぇ、このゴミ箱。そろそろ買い換えようか?」
「まだいーんじゃない? ゴミ箱なんて、ゴミを出し入れするだけでしょ? 作りも頑丈だし――とといけない、行って来まーす!」
 ゴミ袋を持って、妹は元気よく玄関から出て行った。
「でも案外心労が溜まってたりするんじゃないかしらねぇ?」
 千世さんはそのゴミ箱を不燃ゴミと一緒にした。
【完】



No.21『進化』

「ねえ、最近の魚っておいしくなくなったって思わない?」
 昼休み、絵里子と一緒に弁当を食べていた千世さんは、思い出したように尋ねた。
「って千世、あんたいつの生まれよ? たかだか十六、七年で食べ物の味なんて変わんないと思うけど?」
 絵里子は、パンをもくらもくら食べる。
「そーでもないよ。ほら、食べてみて」
 千世さんは、自分の弁当箱から鮭のムニエルを取って絵里子に差し出す。
「……どれ」
 ぱくっ。
「相当おいしいと思うけど? あんたの妹さん、料理上手いしね」
「そりゃ、ももちゃんの料理はおいしーけど、やっぱり素材の味が落ちてるのよねぇ」
「環境変化かなんかじゃない?」
「ううん。違うよ。最近は、地上核実験も、メルトダウンもやってないはずだし」
「メルトダウンをわざわざやる国もないと思う……」
 苦笑しながら、絵里子はコンビニの袋からパックの牛乳を取り出す。
「ま、ともかく思い過ごしでしょ。そもそも小さい頃と今とじゃ、好みも違うんじゃない?」
「……私は今も昔も一緒だけど? 豆腐とかフグとか鮎とかタニシとか」
「嫌味な好みねー、しかし」
「だから、味の違いは分かると思うのよねぇ」
「はいはい、よーございました」
 諦めたように絵里子は肩をすくめる。
「これには、やっぱり理由があると思んだ」
「理由?」
 牛乳パックにストローを挿しながら、絵里子は首を傾げた。
「自然淘汰ってあるでしょ?」
「……なんだっけ」
「進化論で言うところの、弱いものが滅ぶ法則だよ。適者生存とも言うでしょ?」
「ああ、あれか」
「おいしい魚とおいしくない魚がいたら、どっちを食べる?」
「まあ、おいしい方ね」
「そーすると、相対的においしくないものの方が多く生き残るわよねぇ」
「はぁ」
「だから、時代を経るごとに、おいしい生き物は減っていくと思うんだ。だから、一億年前の貝なんか、それはもう――」
「……んな馬鹿な話があるわけないでしょーが!」

「ほぅ、ここまで完全な形で出てくるとは……」
 極寒の氷の下から発掘されたマンモスを、防寒着に身を包んだ博士が感慨深げに見つめる。
 北極圏近くのこの地の気候は、死んだ生物を腐らせもせず冷凍保存する。何万年も。
「こら貴様、何をやっている!」
 博士は、記録を付けている学生を睨んだ。
「え? いえ、発掘状況を記録しておこうと」
「馬鹿なことをするな。記録は、一切残してはならん!」
「ですが博士、こんな大発見を……」
 状況が理解しきれない顔で、学生は鉛筆を止める。
「何が大発見なものか。お前が知らんだけで、冷凍のマンモスなど、今や生物学でも考古学でも腐るほど標本を採っておるわ! 今さら大学に持って行っても何にもならんわ!」
「ま、まさか、裏ルートで売る気ですか? それは学者としての良識が――」
「馬鹿もん! 売るわけがなかろう!」
 博士は一喝した。
「そ、そうですよね。失礼なことを言ってすみません」
 怒鳴られた学生も、幾分ほっとした顔をしている。
「――他人に売るわけなかろう」
 にまぁっと博士は笑った。
「こんな、うまいもんを」
【完】




No.22『進化』

 極寒の氷の下から発掘されたのは、何万年も前の人間だった。
「これは凄い……」
 防寒着に身を包んだ博士が感慨深げに見つめる。
 北極圏近くのこの地の気候は、死んだ生物を何万年も腐らせもせず冷凍保存する。発掘された人間も、まるで昨日死んだかのように、みずみずしく完全な状態だった。
「こら貴様、何をやっている!」
 博士は、記録を付けている学生を睨んだ。
「え? いえ、発掘状況を記録しておこうと」
「馬鹿なことをするな。記録は、一切残してはならん!」
「ですが博士、こんな大発見は学会で公表を……」
 状況が理解しきれない顔で、学生は鉛筆を止める。
「冷凍人間だのマンモスだのの発見例はお前が知らんだけで、何度もある。学会で発表しても何にもならんわ!」
「そんな話ほとんど聞いたこと――ま、まさか、裏ルートで売っていたんですか?」
「馬鹿もん! 売るわけがなかろう!」

「ねえ、最近の魚っておいしくなくなったって思わない?」
 昼休み、絵里子と一緒に弁当を食べていた千世さんは、思い出したように尋ねた。
「またわけの分かんないことを、薮から棒に……」
 絵里子は、パンをもくらもくら食べる。
「ほら、食べてみて」
 千世さんは、自分の弁当箱から鮭のムニエルを取って絵里子に差し出す。
「……どれ」
 ぱくっ。
「相当おいしいと思うけど? あんたの妹さん、料理上手いしね」
「そりゃ、ももちゃんの料理はおいしーけど、やっぱり素材の味自体は落ちてるのよねぇ」
「環境変化かなんかじゃない?」
「でも最近は、地上核実験も、メルトダウンもやってないはずだしねぇ」
「メルトダウンをわざわざやる国もないと思う……」
 絵里子はコンビニの袋からパックの牛乳を取り出す。
「ま、ともかく思い過ごしでしょ。そもそも小さい頃と今とじゃ、好みも違うんじゃない?」
「……私は今も昔も一緒だけど? 豆腐とかフグとか鮎とかタニシとか」
「嫌味な好みねー、しかし」
 牛乳パックにストローを挿しながら、絵里子は肩をすくめる。
「それでねぇ、一つ仮説を立ててみたんだ」
「仮説?」
「自然淘汰ってあるでしょ?」
「……なんだっけ」
「進化論で言うところの、弱いものが滅ぶ法則だよ。適者生存とも言うでしょ?」
「ああ、あれか」
「おいしい魚とおいしくない魚がいたら、どっちを食べる?」
「まあ、おいしい方ね」
「そーすると、相対的においしくないものの方が多く生き残るわよねぇ」
「はぁ」
「ってことは、時代を経るごとに、おいしい生き物は減っていくでしょ。だから、一億年前の貝なんか、それはもう――」
「……んな馬鹿な話があるわけないでしょーが!」

「う、うまい……」
「だろ?」
【完】



No.24『メルヒェン的疎通』

「おい、雅彦の奴、まだ虫に夢中なのか?」
 辰夫はネクタイを外しながら、妻の晶子に尋ねる。
「ええ。まるでお友だちみたいに、ずっとお話してるわ」
「話?」
「ちょっと見て。かわいいわよ」
 晶子に誘われるままに、辰夫は居間にいる雅彦をそっと覗いた。
「――でね、あさみちゃんといっしょに、どろをこねてたらね――あ、おとうさん」
 辰夫に気付いた雅彦が振り向く。彼の前に置かれたケースには、近所で集めてきたアリやバッタなどの虫が入っていた。
「ただいま雅彦。虫とお話してたのか?」
「ううん、くさとはなしてたの」
 見れば、ケースの中には雑草も一塊入っている。
「そうか。生き物は動くものだけじゃないもんな。偉いぞ、雅彦」
「本当に、雅彦は生き物に優しいいい子ね」
「……だってぼく、どんないきものとでもおはなしできるから」
「うんうん、そういう想像力は大事だ。なあ、晶子」
「ええ。夢のある子に育って欲しいわね」
「いや、だからほんとうにおはなしが……」

「で、なんでやったんだ」
 取調室の中で、下田両次巡査部長はタバコに火をつける。
 容疑者はぼんやり天井を見上げ、黙っていた。
「物証もあれば目撃者もいる。黙り決め込んでても、減刑なんかされねえぞ」
「さっき言ったろ」
 面倒そうに容疑者は吐き捨てた。
「歩くのに邪魔だったから、老人を車道に蹴り出して轢かれさせたってのか」
 下田は新しいタバコをくわえた。
「蚊やハエをおっ払うんじゃねえんだ。相手は話の通じる人間だぞ!」
「蚊やハエと一緒だよ」
「なんだと!?」
「話が通じるって点じゃあな」
 ふてくされたように、容疑者は下田を見た。
「わけの分からんことを言うな、佐竹雅彦!」
 下田は怒鳴ってから、自分の腕に止まっていた蚊を叩き潰した。
【完】



No.25『ぶれーき』ACT2

「自動車いや、車両というものが、なぜここまで発達し、利用されるようになったか君たちは分かるか?」
 広いが薄暗い部屋の中、長い机の一番上座に座った男が場の人々を見渡す。
「内燃機関の発明、でしょう」
 禿げた男が素気なく答える。
「違う!」
「石油の発見ですか?」
 白髪混じりの女がおずおず尋ねた。
「そんなことではない! 全ての鍵は、ブレーキだ!」
「ブレーキ?」
 人々は顔を見合わせる。
「車両は、ブレーキが存在するからこそ、走ることができる!」
 上座の男は、資料の表示されているスクリーンを叩く。
「ブレーキの存在なくしては、自転車一つ満足に走らせることはできない! ブレーキのない車両は、自殺装置そのもの。何の価値もないのだ!」
「そ、そうですか?」
 彼の剣幕に少々たじろぎつつ、禿げた男は額とも頭とも付かない部分をハンカチで拭く。
「人類の歴史一つ取っても、疫病や飢饉、はたまた戦争などのブレーキがかかったからこそ文明の発達があったとも言えるのだ!」
「例えば?」
「日本がいい例だ。大東亜戦争の敗戦、米軍による占領という大きなブレーキが働いたからこそ、事故も起こさずに、急成長を行えたのだ! もしもあのまま帝国主義が突き進んでいたらどうなった? 植民地の維持能力があの政府に、軍部にあったと思うか?」
 ばんっ、と上座の男は机を叩く。
「それだけではない! 学校には必ず落ちこぼれがおり、会社にはヘマをする社員がおり、一週間にも日曜日というものがある!」
 彼は鋭い目で人々を見渡した。その視線を真っ直ぐ受け止められる者は、一人としていなかった。
「我々の命運を握るのは、人類普遍の発展法則、ブレーキに他ならないのだ!」
 会議室はしん、と静まり返る。
 上座の男は、カラフルなサンプルの中から、白い一つを取った。
「ドロップには引き続きハッカも入れる!」
【完】



No.26『完全消臭』



「やあ、四谷君」
 会社の帰り道、駅に向かう四谷京作は、声をかけられた。
「?」
 振り向くと、そこには同期入社の高柳雅俊が立っていた。
「おう。高柳か」
「久し振り」
 雅俊は爽やかに会釈する。
「なんかご機嫌だな。スーツも前のと違うし」
「はは、コンパさ」
「コンパ? 合コンって奴か?」
「うんにゃ、大学時代のサークルの後輩が開くんだよ。まあ、ただの呑み会とも言うがな」
「なーんだ――って、待てよ? お前のサークルって、室内楽だったな」
「ご明察。男女比率が二対八ってとこかな」
 雅俊はにんまり笑って、胸ポケットから小さな箱を取り出した。
「あ、その消臭剤……」
「そう『ムシューZ』だ。驚くほど効くよ」
 彼は中から錠剤を取り出し、飲み込む。
「知らないわけないだろーが」
「どんな二枚目でも、臭いでぶちこわしってのはよくあるからねぇ」
「……なぁ、良かったら俺も、そのコンパ邪魔していいか?」
「いーよ。君の守備範囲は僕と全く違うしね」
「さんきゅー」
 京作も自分のポケットから『ムシューZ』を取り出し、飲み込んだ。
 それから少し歩いた彼らは、カレー屋の前で立ち止まった。
「なあ、少し腹ごしらえして行かないか? 大学生の無茶呑みに付き合うんだろ」
「ははは、うちのサークルは大人しいから大丈夫だよ。それより、効いてきたかな?」
「そうだな」
 京作たちは自分の臭いを嗅いでみる。
「うん、全くなくなった」
「ばっちりだね」
 彼らは軽やかな足どりで駅へと歩いて行った。
 カレー屋から、何の臭いもしなかったことにも気付かずに。

 xxxx



No.27『ぶれーき』

「自動車いや、車両というものが、なぜここまで発達し、利用されるようになったか君たちは分かるか?」
 広いが薄暗い部屋の中、長い会議用机の一番上座に座った男が場の人々を見渡す。
「内燃機関の発明、でしょう」
 禿げた男が素気なく答える。
「違う!」
「石油の発見ですか?」
 白髪混じりの女がおずおず尋ねた。
「そんなことではない! 全ての鍵は、ブレーキだ!」
「ブレーキ?」
 人々は顔を見合わせる。
「車両は、ブレーキが存在するからこそ、乗ることができる!」
 上座の男は、資料の表示されているスクリーンを叩く。
「ブレーキの存在なくしては、自転車一つ満足に走らせることはできない! ブレーキのない車両は、自殺装置そのもの。何の価値もないのだ!」
「た、確かに」
 彼の剣幕に少々たじろぎつつ、禿げた男は額とも頭とも付かない部分をハンカチで拭く。
「人類の歴史一つ取っても、疫病や飢饉、はたまた戦争などのブレーキがかかったからこそ文明の発達があったとも言えるのだ!」
「例えば?」
「日本がいい例だ。大東亜戦争の敗戦、米軍による占領という大きなブレーキが働いたからこそ、事故も起こさずに、急成長を行えたのだ!」
 ばんっ、と上座の男は机を叩く。
「それだけではない! 学校には必ず落ちこぼれがおり、会社にはヘマをする社員がおり、一週間にも日曜日というものがある!」
 彼は鋭い目で人々を見渡した。その視線を真っ直ぐ受け止められる者は、一人としていなかった。
「我々の命運を握るのは、人類普遍の発展法則、ブレーキに他ならないのだ!」

「はい、ももちゃん」
 中学生の千世さんは、缶の蓋を開け妹の手の上にドロップを出した。
「あっ!」
「どーしたの? ももちゃん」
「これきらい」
 妹の手の上には、白いドロップがあった。
「半分私が食べてあげるから、もう半分は食べないとダメよ」
「えーっ」
「好き嫌いはダメ」
「……はーい。でも、白いのって、お友だちもみんなきらいだよ? なんでこんなの入れるのかな?」
 不満の声を洩らしながらも、妹は千世さんに白いハッカのドロップを手渡した。
「少しおいしくないドロップがあった方がねぇ」
 にこにこ笑いながら、千世さんは缶の角でドロップを叩き割った。
「他のがおいしいって思えるわよ」
 小さい方のカケラを妹の口に、ぽん、と入れた。
【完】



No.28『新製品』

「工場長、これが新開発の洗濯機か」
「へい、社長。この洗濯機は、今までの欠点を全て解消しておりやす」
「説明してくれたまえ」
「ええ。こいつは、騒音、振動などが一切ありません。しかも軽量で、消費電力も大幅にカットできました」
「なるほど、洗濯機の欠点はなによりあの騒音だからな」
「そうです。だから、この洗濯機なら、夜中だろうが、隣にヤクザや小説家が暮らしていようが、全く問題ありやせん」
「ふーむ。素晴らしい。でも、価格はどうなる? 高く付くんじゃないかね? 商品は値段が全てだよ?」
「いえいえ、それこそ自慢できるところでさぁ。ほら、この通り、今までにない安さになっておりやす」
「ほほう、ここまで安くするとは、やるな、工場長」
「いやあ、ははは」
「わはははは」
「ま、ちょっとした欠点はありやすが」
「欠点? まあ、これくらいなら、多少のことには目をつぶろう」
「ありがとうございやす」
「で、なんだ?」
「ええ。モーターが付いていないんで、漬け置き洗いしかできないんでさぁ」
「な!!」
「まあまあ、そう怒らないで下さい。ほら、オプション装備がありやすんで」
「洗濯板?」
「ええ。これで、きちんと汚れもおちまさぁ」
「なるほど!」

「――というわけで、当社の洗濯機に対するクレームの数々だ」
「はあ」
「客のアンケート結果だ、参考にするように!」

「いやあ、大儲けだよ!」
「へい、当たったでしょう」
「ああ。無駄な洗濯機部分を廃し、本来オプションだった洗濯板のみを売る! 素晴らしい発想の転換だ!」
「ははは、伊達に工場長やってませんぜ!」
「よしよし、今日は呑みに行こう、奢るぞ!」
【完】



No.29『社会的地位に関する仮説』

「ただいまー」
「お帰り、おねーちゃん。ごはんできてるよ」
 妹は、千世さんの分のご飯もつぐ。
「ありがと」
「ところで、今の今まで何やってたの? 大学午後は休講だったんでしょ?」
 ぱきぱき音を立てて炒めたウインナーをかじりながら、妹が尋ねる。
「うん。でも、今日は天気が良かったからねぇ、芝生でごろごろしながら、詩を書いてたの」
 千世さんは味噌汁をすすった。
「相変わらずの呑気もんねぇ。就職活動とかしよーと思わないの? おねーちゃんは」
「うん。大学院行くし」
「ふーん。でも、どっちにしろ、芝生で詩なんか書いてる場合じゃないと思うけどなぁ」
 ぼやきながら、妹は茹でたブロッコリーにマヨネーズを付けた。

「はぁ」
 男はため息をついて茶碗を置いた。
「どうされたんですか、あなた」
 心配そうに妻が尋ねる。
「なに、いい詩が浮かばなかったもんで、近所の大学にふらっと出かけたらな、そこの学生が書いてた詩が目についてな」
「へえ、大学生の詩人さんですの?」
「――それが、私の作品よりも数倍いいんだ」
「まあ、凄い」
「それが今日昨日だけの話じゃない。かれこれ二十回は見たんだ」
「二十本分の原稿料なんて言ったら……」
「言うな。今日は仕事にならんかった。寝る」

「おねーちゃん、大学院なんて行って、大丈夫なの? 仕事見つけるなんて大変でしょ?」
「でも、どんなに凄いことやってもねぇ」
 千世さんは味噌汁の最後の一口を飲み干した。
「誰かがお金をくれなかったら、所詮遊びなのよねぇ」
【完】



No.30『作り事』

「大体、ミュージカルって奴はどうかと思うね、俺は」
 酒の廻ってきた係長が、一段と声を大きくする。
「そうです、かね」
 四谷京作は脂光りしている係長の禿頭を見ながら、つくねをかじった。
「そうに決まってるだろ! 四谷、考えてみろ考えて。そもそもお前はいつも…(酔っぱらいの説教につき中略)…つまり、だ。突然こんなとこで歌い出すなんて、あり得ないだろ? あん?」
「はあ、確かに」
 空になった徳利を何度も振りながら、四谷は生返事をする。
「そもそもだなぁ、劇ってのはみんな作り事だ。あんなもんに涙流す奴はどうかしてるだろ!」
「僕は泣きませんよあんまり」
「お前のことなんか言ってない! うちの女房なんかがな、月九だの金妻だのってドラマを見ちゃあ騒ぐんだよ! お前見たか、月九?」
「月九はドラマの枠の総称ですし、金妻ってのは相当昔の話じゃ……」
「いらんツッコミをするな! 大体我々が若い頃は…(安保闘争の話につき中略)…つまり、作り事なんだ、ドラマなんてものは全部!」
「全部ってのは、言い過ぎじゃありませんか?」
 少し据わった目で、四谷は言い返す。
「いーや、全部だね!」
「ノンフィクションドラマとかあるじゃないですか」
「は! その感動的な実話があった時、カメラが廻ってたとでも言うのか? そのドラマの主役をやった人間が、本当にラストシーンで殺されるか? 特殊メイクの造り物の死体に、涙でも流すがいい!」
「むぅ……」
「お前もいい大人なら、そんなつまらん作り事なんかを観ないで――」
 係長はレバーを頬張った。
「電波少年を観ろ!」
【完】



No.31『ごはん』

「おい、かあちゃん、メシの中に虫がいる!」
「なんだい、男のくせにだらしない。虫の一匹や二匹、具が増えたとでも思って喰っちまいな!」
「喰えるか! んなもん! 大体、こんなことに男も女もあるか!」
「ったく、貸してごらん。ほら! これで文句ないだろ!」
「って、虫取っただけだろーが! ラーメン屋みてぇな真似すんな!」
「いーじゃないか。お米ってのはね、八十八回手間を掛けて作られるんだ。一粒だってねぇ……」
「八十八回の手間で何億粒取れると思ってんだ。一粒あたりの手間の数なんて小数点の後ろにゼロがいくつ並ぶか」
「ったく、この子は屁理屈ばっかり! 喰え! 黙って喰え!!」
「あぢぢぢぢぢ!」

「お母様、ご飯の中に虫がいます」
「あら珍しい。ちょっと待ってごらんなさい――」
 ――地球がブラックホールに吸い込まれる前日、突如人間がいなくなった。
 どこへともなく。
【完】



No.32『キツネ目の男』

「怪人二十一面相?」
 刑事課の下田両次巡査部長は、タバコの火をもみ消して、部下の永野典男巡査を見た。
「と、いうか、あのグリコ森永事件に手口の似た犯行ですね」
 永野は押収した豆腐パックを下田に差し出す。
「なるほどな」
 ごく有り触れた豆腐。だが、そのパッケージの横には、カードが貼り付けてある。
「で、科研の鑑定は?」
「出てます。中身は入れ替えられてました。明らかに、このカードの通りです」
「ふむ。ホシの目星は付きそうか?」
「一応、防犯カメラに写ったのは、目の細い男だったそうですが……」
「――キツネ目の男、か。あの時の手配犯と似てやがるな」
「ええ」
「目的は、企業相手の脅迫、か?」
「確かに企業に取っては大打撃ですが……でも、問題はこれがどれだけの罪になるか、ですね」
「ああ。奴も考えたな。青酸カリなら、立派に殺人未遂だが――」
 下田は豆腐に張られたカードを見つめた。
『この豆腐は、遺伝子組み替えをした大豆を使用しています』
【完】



No.34『障害者』

「……おお、見える」
 患者は溜息混じりに呟いた。
「調子はいいようですね、田中さん」
 包帯を持った医師が、にこにこしながら彼のテレビカメラに置き換えられた目を見る。
「ここまで見えるようになるとは……」
「ははは、医学の進歩ですよ。脳細胞レベルで機械化を行えますから、例え脳障害があったとしても光を取り戻せるんです。もはや、障害という言葉は死語になりますよ」
「いや、本当に驚いた」
 患者は自分の新しい目に、ゆっくりと触れてみる。指先が触れたのは、確かに固いテレビカメラだった。
「鏡あるか?」
「ええ、ありますよ」
 医者から手渡された鏡で、患者は自分の目を何度となく見る。
「凄え凄え。もう、……ん?」
「どうしました?」
「なんか少しぼやけたような」
「ああ、レンズに指紋が付いたんですよ。このクリーナーで磨けばすぐに綺麗になりますよ」
 きゅっ、きゅっ、きゅっ。
「ほらこれで――あれ? 田中さん?」

「アレルギー、ですね」
 困り顔で、医師は頭を掻く。
「レンズクリーナーが、体質に合わないみたいです」
「じゃあ、どうなるんだ、俺は?」
 目に包帯を巻かれたままで、患者はぼやく。顔にできたジンマシンが、ようやくひき始めていた。
「カメラを汚さないようにするのが、一番ですね」
 医師は溜息をついた。
「だったら、外しちまってくれ、このカメラ」
「え、ええっ?」
「目が見えないのはもう慣れたが、アレルギーには耐えられん」
【完】



No.35『時効記念』

 高校帰りの千世さんと絵里子は、スーパーの食品売場で足を止めた。
 きらびやかに飾られた台に、無数のチョコレートが並んでいた。
「今年はどうしよっかなー」
 絵里子が箱に入った魚型チョコレートを手に取る。
「相変わらず色々あるわねぇ」
「千世、あんたは誰かにあげるの? バレンタイン」
「あげないよ」
「……だろうけどね」
 苦笑いを浮かべ、絵里子はいくつかのチョコレートを物色し始めた。
「うーんやっぱり高いなぁ。まとめて自分で作った方が簡単かなぁ――千世?」
 千世さんがチョコレートの箱を一つ持って、じっと見つめている。
「なんだ、あげるの、まさか? あ、お父さんか誰か?」
「そーじゃないんだけどねぇ」
 軽く鼻に近付け、千世さんは匂いを嗅ぐ。
「何やってんのよ?」
「チョコレートの香りがするのよねぇ」
「当たり前じゃない。チョコレートなんだから」
「ビニール掛かってるのに?」
「あ……」
 絵里子は言葉に詰まった。先ほどから、売場全体に漂っているのは、確かにチョコレートの香りだった。
 完全にラッピングされているはずのチョコレートがなぜか。
「で、でも、ほら、ただ銀紙で包んだだけのチョコとか、あるでしょ、ねえ? あーゆーのから洩れてるんじゃ」
「それもそうねぇ」
 千世さんはチョコレートを台に戻した。
「さ、帰ろ。たー坊」

 数週間後。
「あら? このスーパー今日も休みねぇ」
 千世さんは呟いて、警察の張り紙のされた自動ドアのそばを歩み去った。
【完】



No.36『職人』

「この仕事を始めて……七十年になるな」
 風通しが悪く蒸し暑い部屋の中で、山内さんは手を休めずに応えた。
「七十年、ですか?」
 魔法のような仕事ぶりを見ながら、喜田は感嘆の溜息を洩らす。
「お前さん、何歳だい?」
「二十一歳です。大学二年の」
「ああ、そうだったな。さっきも聞いたか、すまねえすまねえ」
 笑って山内さんは自分の額をぴしゃりと叩く。
「えーと、工学部の二年の、喜田太郎さんだったな、うん」
「いえ、気にしないで下さい」
 喜田は苦笑いを浮かべ、額の汗を拭う。
「でも凄いですね、やっぱり。昔からこのお仕事を?」
「いや、最初はそう、水道の蛇口なんかを作ってたな」
「そんなに太いものをですか?」
「なに、別に太さは関係ねえんだ。戦争中なんぞ、曲射砲の試作品を作るのに同業と一緒に呼ばれたしな」
「曲射砲? 迫撃砲ですか?」
「違う違う。物陰から撃つために、砲身がこう横に曲がった大砲だ」
「ええっ? 暴発しないんですか?」
「最初は俺もそう思ったけどな。なかなかどうして上手く射てやがった」
「へえ」
「けどな、曲射砲に対応した照準器がなくてな。お蔵入りになった。ははははは」
「言われてみればそうですね」
 喜田は興味深げにメモを取る。
「一番難しかった仕事ってなんですか?」
「……これだな」
 山内さんは、作業着の胸ポケットから錆びた音叉を取り出した。
「これって、あの、楽器のチューニングに使う奴ですよね?」
 若干拍子抜けした顔で、喜田は音叉を見る。
 U時型の音叉は、確かに見事なものだったが、取り立てて珍しいものにも見えない。
「今の俺なら簡単だけどな。十歳の時、初めて売り物になった仕事だったんだよ」
 遠い目をして、山内さんは微笑んだ。
「なるほど、初めての」
「二本作ってな。二本とも業者が買い取ってくれるとは言ってたんだけどよ、なんだか惜しくなって、最初に出来たこの一本は売らずに済ませてな」
「最初の仕事、ですか」
「そうなるかな」
 山内さんは膝をぽんと叩いた音叉を、喜田に差し出した。
「えっ……」
 驚くほど澄んだラの音がする。今まで聞いた音叉の音が、偽物だったと思わせるほど。
「いい音ですね」
「機械とはわけが違うからな。実際、お前さんたちの大学でも、あれなんか分析不能だったんだろ?」
「ええ。あれにはまいりましたよ。人力でも機械でもあり得ない、まさかって教授も混乱してましたから」
「ふふふ」
「素晴らしいですね、これは。もう作らないんですか?」
「最近は音叉を使う奴も減ったし、値段もな」
 静かに言って、山内さんは音叉を大事にポケットにしまった。
「残念ですね、そこまでの職人芸が」
「なあに、大したもんじゃない。この界隈には、ミクロン単位の精度で部品を作る奴らだっている。それと比べりゃ俺なんてな」
 山内さんはまたスプーンを手に取った。
「ただのじじいだよ」
 彼に柄の端を持たれたスプーンは、触れもせずにひとりでに曲がる。
 機械で曲げたわけでも、腕力で曲げたわけでもない。そこには、人知を超えた職人の技があった。
「それでもまだ、買ってくれる人がいるのはありがたいことだけどな」
 曲がったスプーンを十本ごとにまとめ、新聞紙で包み、箱に詰める。
「あっ、手伝います」
「触るな。送るまでが、俺の仕事だ」
 静かだがぴしりと叩くような、鋭い声だった。
「は、はい。すみません」
「いや、すまない。親切で言ってくれたのにな」
「気になさらないで下さい。立派な考えだと思います」
「立派ってこともねえんだけどな。俺が作ってるのはもう――」
 山内さんは、胡麻塩頭を掻いて照れ笑いを浮かべながら、荷札に送り先を書いた。
「ただの手品のタネだけだしな」
 ユリ・ゲラー、エスパー伊東、Mr.マリック……。
 喜田は仕事に戻った山内さんの背中に深々と一礼して、その町工場を出た。
 蝉の声が耳に心地よかった。
【完】



No.37『治療』

「あなたに性格操作薬が効かない理由は、脳神経にあるわけです」
 医師は、ハキハキと笹岡芳信に説明する。
「ですから、大脳の特定のシナプスを除去することで、性格操作薬は効くようになりますよ」
「でも先生」
 遠慮がちに笹岡は尋ねる。
「性格操作薬って、そんなに必要ですか?」
「もちろんです」
 医師はにっこり微笑み、笹岡の方に向きなおす。
「仕事の時、遊ぶとき、家族とくつろぐとき、人間は様々な性格になります。昔は、自分の努力で変えていたようですが、そんなストレスの掛かることをしていては、すぐに病気になってしまいます」
 彼は机の上の棚から、一つの錠剤を取って見せる。
「そのために生まれたのが、性格操作薬です。仕事の時は明るく、家庭の時は穏やかに、薬一つで性格が自由に使い分けできますからね。これが効かないという障害は、早めに改善しておくのが利口ですよ」
「障害、ですか……分かりました、手術はお願いします」

 病室のベッドに横たわったままの笹岡のそばに、医師が座る。
「……ぁ、ぅぁ」
「どうしました? 笹岡さん」
 医師はペンと紙を彼に手渡す。
 それを片手で受け取った笹岡は、ガタガタの字を紙に書いた。
『右手が動かない』
「ええ。半身不随は、この手術を受けた方の中の一割に起こる後遺症ですから」
『そんな』
「右半身をオートマティック義肢で補えば、脳が機能していなくても大丈夫です」
『なら、さっさとやってくれ』
 それだけ書いて、笹岡は疲れ切ったようにベッドに倒れ込んだ。

「いかがです? 笹岡さん」
 ほんの少し得意げに、医師は問いかけた。
「ええ、いいですね」
 笹岡は新しくなった自分の右半身をなでる。
 コンピュータの自動制御で動く機械の右半身は、脳の損傷を感じさせない。
「さ、性格操作薬を試してはいかがですか?」
 医師はポケットから、性格操作薬の錠剤を取り出した。
「あは、ありがとうございます」
 嬉しそうに笹岡は錠剤を口に入れた。
「試してみたかったんですよ、これ」


『公平なる基準』

「中村、やっぱり性格が悪すぎだな」
 中学の教師は、中村政孝の成績表を難しい顔で見る。
「そうっすかねぇ」
「うむ。確かに君は、知力値や運動値は凄い。しかし、性格値があまりに低すぎるんだよ」
「性格値、っすか……」
 政孝の表情が暗くなる。
「そのせいで、人間ランクが引き下げられてるなぁ。高校は難しいね」
「やっぱり低いっすか」
「細かく言うと、特に献身点や謙譲点、友愛点、明朗点なんかが絶望的にね」
「気を付けちゃいるんっすけどねぇ」
「付け焼き刃で行動を変えた位じゃ、やっぱり無理だよ。検査ですぐにボロが出る」
「なんとかならねえかな? 性格値が必要にならなそうなとこは?」
「うーん、就職するとしても性格値は足を引っ張るね。それに普通、高校は一つの数値だけじゃなくて、人間ランクで取るからね」
 教師は高校の一覧表を見せる。
「ほら、今の人間ランクで行ける高校はこれだけだ」
 彼が指したのは、下の二校だけだった。
「って、これ国外じゃないっすか。せめてもう一つ上にいけねえっすか? ほら、これならリニアで六十分の通学圏内だし」
「知識量を増やせば知力値が僅かに上がるかも知れないけど、人間ランクは動くほどじゃないね」
「そんな!」
「高校は狭き門だよ? 普通、君ぐらいの人間ランクだと、高校には行かないんだけどね」
「俺は学問やりてえんだ!」
「まあ知力値の高い君のことだ、高校という最高学府を目指したい気持ちは分かるけどね」
「だ、だろ?」
「だとして、一つ上に行くためには、あと十ポイントは性格値を上げないとね」
「じ、十ポイントぉ? って、おい! 俺の潜在能力値超えてるじゃねえか!」
 反射的に政孝は教師の襟元を掴みそうになる。
「こ、こら! やめなさい」
「くっ」
 ふと我に返り、政孝は手を戻した。
「悔しい気持ちは分かるが、人間ランクは君の性格、知力、体力、時の運、潜在能力その他もろもろ全てのデータを元にした公平なものだよ」
 教師はきっぱりと言い切った。
「いくら性格落第点の君でも理解力はあるんだ、分かるだろう? 君の人間ランクはここなんだ」

「冗談じゃねえぞ! 十ポイントも上がるかよ! 脳味噌をドーパミン洗浄でもしろってか!」
 進路相談を終えた政孝は、理不尽に沸き上がってくる怒りを抑え切れぬまま、いつものように県立図書館に向かう。
「畜生!」
 理不尽――確かに理不尽だった。
 人間の総合評価が低いと判断された。潜在能力の開花確率まで加点されたその基準は決して間違っていない。これ以上ないほど正確で公平。それに対して怒ったところでなんの意味もない。
「あー、イライラする!」
 図書館の自動ドアをくぐった政孝は、苛立ちを押さえ切れぬままに本を物色する。
「っ。なんもねえな」
 早々に見切りを付けた彼は、いつもは入らない二階の閲覧室に向かった。
 閲覧室には、貸し出しに手続きが必要な郷土資料や全国の電話帳、それに新聞の縮尺版などが並んでいた。
「昔の新聞、か」
 政孝は分厚い冊子状になっている新聞の縮尺版を取り、席に座って読み始めた。
「ソビエト? うわ、一九〇〇年代かよ」
 新聞を斜め読みしていた彼は、ふと一つの記事に目を留める。
「偏差値?」
 教育欄に書かれた記事には、耳慣れない言葉があった。
「昔の人間ランクみたいなもんか?」
 その言葉は他の日の教育欄を読んでも、当たり前のように出てくる。
 一ヶ月分ほど教育欄を読んだ政孝は、呆然と宙を見つめていた。
 どうやら『偏差値』とは、非常に限定された主に知力の、それも特定の学力だけを重視したランクらしかった。そこには、性格値も、幸運値も、潜在能力値も加味されないらしい。
「ってことは、もしも俺がその時代にいたら」
 エリート中のエリート。
 どんな性格であっても、偏差値を上げれば上を目指せる。より高度な学問が受けられる。ほとんど固定された人間ランクではなく。
「ぷ、ふふ、ぷはは」
 思わず吹き出した。
「こんな不公平な基準がまかり通ってたとは」
 政孝は音を立てて冊子を閉じた。
「ひどい時代があったんだなぁ」
【完】



No.38『レンジで一分』

「これか、新しいアレは」
 工場の事務室の机に置かれた電子レンジの試作品を、社長はまじまじと眺める。
「そうだ。あんたの要求を完全に叶えた」
 作業着姿の工場長は、不愛想に応えた。
「これからのエコロジー時代を踏まえ、消費電力を二十パーセントカットした省電力電子レンジだ」
「ふーむ」
 社長はドアオープンボタンを押して、中を覗く。
「そういえば、どことなくデザインがシンプルになったような――ところで中島君、アレはどうなっている?」
「コストも性能も従来品と全く変わらん」
「ほう。何から何まで要求通りだな。しかし、アレだな、俺は自分で見るまでは信用できんな」
「城ヶ崎、サトウのご飯持ってこい!」
「へーい」
 従業員に持ってこさせたレトルト飯を、工場長は電子レンジに入れる。
 ――チーン。
「どうだ」
「おお、いただこう」
 社長は背広の内ポケットから「二十八円」という値札の貼られた鯖缶を取り出し、それをおかずに茶碗につがれたレトルト飯を食べた。
「むむ、なるほど。問題なく温まっている」
「稼働中の消費電力も、この通りだ」
 工場長は計測器の記録画面をさっと見せる。最大値でも、従来品を二割方下回っていた。
「いや、大したものだ。うん、素晴らしい」
「ここまでのもんを開発したんだ、従業員にボーナスくらい――」
「ん、あ? ああ。考えておこう。うん、いや素晴らしい素晴らしい」
「開発費だって手弁当でやってだな」
「素晴らしい、うん、よくやったよ中島君」
 その後、社長は「素晴らしい」を十三回ほど繰り返して帰って行った。

「どうなったっすか、試作品。ボーナスは?」
 工場長に、従業員が尋ねた。
「あの社長に期待する方が間抜けだ」
 工場長は皮肉っぽい笑みを浮かべる。
「しっかし、売れますかねぇ、あの電子レンジ」
「知ったことか。俺たち七人は明日にはここにはいねえんだ」
 彼は作業着の胸ポケットから、小さく折り畳まれた封筒を取り出す。封筒には、大手家電メーカーのロゴが入っていた。
「あの社長にゃ、カラの工場とこいつがありゃ充分だろ」
 試作品のタイマーを一分にセットし、二人は事務室から出て行った。
 ――きっかり七十二秒後。
 チーン。
【完】



No.39『引き金』

「なるほど確かにFCS――火器管制装置の能力は高くなりました」
 技官は最高司令官に詰め寄る。
「ですが、どんなにFCSが狙いを定めたところで、最終的な引き金を引くのは人間です。その反応速度の遅さは兵器の性能を著しく落とします!」
 分厚い企画書を技官は最高司令官の机に置く。
「自動射撃のロジックは完成しています! 誤射など絶対にあり得ません! 是非検討を!」
「……貴官の申し出は受けられん」
「な、なぜです!」
 最高司令官は机の引き出しからパイプを取り出し、タバコを詰める。
「人間を殺すのは人間だ。コンピュータではない」
「そんな感傷で、兵士たちが何人死ぬとお思いですか!」
「大事なことだ。戦争は必要悪だが、意思の介在しない殺戮は絶対悪だ」
「ソフトウェアは人間の意思の結晶です!」
 じっと技官を見ながら、最高司令官はポケットから変わった形のカギを取り出した。
「その考えで、核まで射たせるか? コンピュータに」
「そ、それは……」
「できまい。これは私の責任で使う。コンピュータに委ねる気はない」
 最高司令官はカギをポケットにしまい、マッチの箱を手に取った。
「戦争は人間同士でするものだ。その瞬間引き金を引くべきか引かぬべきかは、人間が考えなくてはならぬのだ。いかな憎むべき敵と言っても、命を奪う以上人間が責任を負わねばならぬのだ」
 ゆっくりマッチの箱を開ける。
「我々は戦争を終結させるために戦っているのだ。敵を滅ぼすためではない」
 技官は黙ってうつむいた。
「分かって貰えたようだな」
 最高司令官はマッチの一本を取ろうとした――が、取り落としてしまった。
「あ、司令」
 机の上に落ちたマッチを技官が拾う。
「ありがとう」
 しかし、またマッチが落ちてしまった。
「調子が悪いようですね。直しておきましょう」
「ふむ。是非頼む」
 最高司令官はその自動制御の義手を取り外した。両手とも。
「学習機能にバグでもあるらしくて、勝手に動いて困っていたところでな。ははは」
【完】



No.40『洗剤』

 高校帰りの千世さんは、スーパーの洗剤の棚の前で足を止めた。
「?」
 色とりどりの洗濯用洗剤の箱が並ぶ中に、洗剤名も、メーカー名もない白無地の箱があった。
「ミスプリ、かしらねぇ」
 千世さんは、つ、と近寄ってその箱をよく見る。
 明らかに洗濯用洗剤のものと分かる直方体の箱。材質はボール紙で、表面は白くつるつるしていた。
 手に取ってみたが、重さも普通の洗剤と変わらない。振ってみると、中でサラサラ音がした。
「洗剤、よねぇ? 品名くらいあるはずだけど?」
 だが、千世さんがどれだけ確認しても箱は白一色で、文字はおろか数字一つ書かれていない。
「バーコードもなし、か」
 文字らしいものといえば、スーパーで貼り付けた小さな値段のシールだけだった。
「百四十三円かぁ。税込み百五十円ねぇ」
 いつも買っている洗剤と、その白無地の箱の洗剤とを見比べる。
「……ま、安いし試してみよっか」
 千世さんは白無地の箱をかごに入れた。

 数日後。
「ねえ、おねーちゃん!」
 居間でテレビを見ていた千世さんのところに妹がやってきた。乾いた洗濯物が入ったかごを持っている。
「どーしたの、ももちゃん?」
「どーしたもこーしたも、ひどい仕上がりだよ?」
「あら、そう?」
「ほらぁ」
 妹は白い靴下を一枚差し出す。
「洗わない方がよかったくらいだよ」
 確かに、泥汚れも脂汚れも何となく落ちておらず、すっきり白くなっていない。それどころか別の服から色移りしたらしく、ほんのり青い。加えて、繊維が縮んで固くなっている。
「本当ねぇ。でももう一度洗うなんて真っ平ごめんだし……」
 千世さんは靴下をかごに戻す。
「ま、お父さんとお母さんは洗濯機もない場所にいるんだから、気にしないことねぇ」
「目下パオ暮らし中の人類学者と一緒にされても困るんだけどなぁ」
「あら、職業に貴賎はないわよぉ」
「いや、そーゆー話じゃないんだけど。それに貴賎があるとしたら学者って割と上の方な気も……」
「ふふ。ごめんね、次は気をつけて洗うから」
 千世さんは、にっこり微笑んで座椅子から立ち上がった。
「しまうの手伝うわよ、ももちゃん」
「うん、お願い。でもなにが悪かったのかなぁ」
「そうねぇ、なにが悪かったのかしらねぇ」

『――は、新酵素の働きで汚れを分解、従来の洗剤よりも、ぐーんと洗浄力がアップしています……』
 消し忘れたテレビに、新製品の洗剤のカラフルな箱と、従来の洗剤の白無地の箱が映っていた。
【完】



No.41『人間ですもの』

「淫行とおっしゃいますけれど」
 取調室の中、その教師は、真っ直ぐな目で下田両次巡査部長を見る。
「恋する気持ちを抑えることはできません。それがたとえ、十歳以上も歳の離れた教え子でも」
「あんたはプロの教育者だろうが」
「刑事さん、あなただって恋をなさったことはあるでしょう? それを秘めることがどれほど苦しいか」
「あのなぁ」
 下田は立ち上がって禁煙パイプをくわえる。
「青少年保護育成条令ってもんがあるだろう。悪いことしたとは思わねえのか?」
「愛し合う気持ちに、歳の差はありませんわ。私は悪いことをしたとは思っていません」
「去年まで小学生だったガキだろ。まだまともな判断力なんてねえよ。そんな奴と愛し合えたなんて、ただの幻想だ」
「刑事さんは寂しい方ですわね」
 バカにしたような笑みを教師は浮かべたが、下田は取り合わなかった。
「親の気持ちになってみろ、手前ぇのガキを学校にやったら、教師に手ぇ出されたなんて、納得できるか? あん?」
「もちろん考えましたわ。でも、それは建て前です。燃え上がる恋の炎を消すことは、できませんでした」
「おいおい、教師だの警官だのはな、建て前守ってナンボの商売だろ。不可抗力じゃ済まねえんだよ」
「刑事さん」
 何度目かの言葉を、教師は繰り返した。
「教師だって人間ですわ」

 取調室の中で、下田はタバコをくわえた。
「で、なんか言い分はあるか?」
「刑事さん」
 容疑者の男は下田を見つめた。
「政治家だって人間です」
【完】



No.42『再会』

「山川さん、大変残念ですけどね」
 沈痛な面持ちで、顎に特徴のある司会者はうつむく。
「妹さん、お会いしたくないそうです」
「……えっ」
 依頼人の中年過ぎの女は、虚を突かれた顔をした。
「スタッフが調べたんですけどね」
 メモをみながら、司会者は説明する。
「お姉さんが家出なさったあと、妹さん――節子さんは、ご両親と一緒に暮らしていました。寝たきりになったあとも、一生懸命、お世話なさってたそうです」
 依頼人は白いハンカチで目頭を押さえる。
「それで先日、ご両親も亡くなったそうです」
「……ゃ……やっぱり、恨んでいるんでしょうか」
「違います。スタッフが行ったときも、妹さんはあなたの悪口なんかひとっ言も言いませんでした」
 観客からすすり泣きの声も聞こえる。
「妹さんは、あなたがきちんと生活なさっていると聞いて、大層喜んでられましたよ」
「そう……ですか」
「ただね、もう別れてからの時間が長すぎるそうです。顔を合わせても、心の底からお姉さんとは呼べないだろうっておっしゃるんです」
「そんな」
「妹の節子さんにとってあなたは、まだ十八歳の若い姿のままなんですって」
「うぅぅぅ……ごめんね、節子」
「さあ、テレビご覧になってるでしょうから、せめて何か言ってあげて下さい――」

「お姉さん……」
 テレビに映る依頼人の姿に、節子はしゃくりあげながら茶漬けを食べる。
「可哀想に、実のお姉さんなんだろ、会ってあげればよかったのに。仲も良かったんだろう?」
 夫がタクアンをぽりぱりかじる。
「確かにそうなんですけどね」
 ずずず、と音を立てて節子は茶漬けをすすった。
「お父さんとお母さんが亡くなったばかりですからね」
 涙を拭う節子の指に、結婚指輪よりも遥かに高級そうな、プラチナの指輪が輝いていた。
【完】



No.43『いつかあなたと』



「村田さん、あなたの記憶みんな本当でした」
 顎に特徴のある司会者は、厳しい顔をする。
「あなたのお父さんは、お酒とギャンブルに溺れ、しかも外で女の人と子供まで作っていました」
 依頼人はうつむいて、黙って聞いている。年の割に白髪が多すぎる頭は、幼い頃の苦労がしのばれる。
「あなたにふるった暴力も、間違いないと、おっしゃいました。もちろん悪かったとは言うてはります。けれど、否定はしませんでした。今も、同じような生活をしてはります」
 じっと依頼人を見て、司会者は尋ねる。
「それでも、会いたいですか?」
「……はい。どんな人間でも、実の父、ですから」

「横山さん、どうですか?」
 司会者は笑顔で尋ねる。
「今も本当にいい人らしいですよ。優しい奥さんと結婚なさって、幸せな家庭を築いているそうです。お話をしたスタッフも、すぐにその人柄に惚れ込んでしまったそうですよ。いや、社長の器ですね、流石に」
「は、はぁ」
 硬い表情で、若い女は頷く。
「どうです、お会いになりませんか?」
「い、イヤです!」
 彼女は激しく首を横に振った。
「お会いしたくないんですか?」
「デビュー前に切った元カレに会いたいアイドルなんていません!」
【完】



No.44『価値』

「ちょっと聞きました? 奥さん」
「お向かいの息子さんでしょう?」
「ええ。青年海外協力隊から戻ってらしたんですって」
「何をなさってたのかしら?」
「ええ。最初は井戸を掘るつもりだったみたいだけど、内戦が始まったせいで、お医者さんのお手伝いして、日に何百人も治療したそうよ」
「偉いわねぇ」
「元々ボランティアでいろんなことやってたし、本当に感心よねぇ」
「そうねぇ」
「でも、帰国したら就職先が決まらなくて、今失業中で収入がないんですって」
「まあ……」

「ちょっと聞きました? 奥さん」
「ええお隣の息子さんでしょう?」
「ええ。暴力団なんですってね」
「やっぱり本当だったんだ」
「同じクラスだった女の子を、何人も水商売に売ったらしいわよ?」
「酷いわねぇ……」
「おまけにピストルもってるとか、麻薬を売ってるとか、噂よ?」
「怖いわねぇ」
「本当に。それで、実績が認められて暴力団幹部になるんですって。ものすごく稼ぐそうよ」
「まあ!」


『いつかあなたと』



「村田さん、あなたの記憶みんな本当でした」
 顎に特徴のある司会者は、厳しい顔をする。
「あなたのお父さんは、お酒とギャンブルに溺れ、しかも外で女の人と子供まで作っていました」
 依頼人はうつむいて、黙って聞いている。年の割に白髪が多すぎる頭は、幼い頃の苦労がしのばれる。
「あなたにふるった暴力も、間違いないと、おっしゃいました。もちろん悪かったとは言うてはります。けれど、否定はしませんでした。今も、同じような生活をしてはります」
 じっと依頼人を見て、司会者は尋ねる。
「それでも、会いたいですか?」
「……はい。どんな人間でも、実の父、ですから」

「横山さん、どうですか?」
 司会者は笑顔で尋ねる。
「今も本当にいい人らしいですよ。優しい奥さんと結婚なさって、幸せな家庭を築いているそうです。お話をしたスタッフも、すぐにその人柄に惚れ込んでしまったそうですよ。いや、社長の器ですね、流石に」
「は、はぁ」
 硬い表情で、若い女は頷く。
「どうです、お会いになりませんか?」
「い、イヤです!」
 彼女は激しく首を横に振った。
「お会いしたくないんですか?」
「デビュー前に切った元カレに会いたいアイドルなんていません!」


『PL法』

「つまり、これは百パーセントメーカーの責任だと?」
 被告側の弁護士が、聞き返す。
「無論です」
 原告側の弁護士は、陪審員に顔を向ける。
「原告のマクラーレン氏の商品の使用法に、一切の誤りはありませんでした」
 身を乗り出して、彼は声のトーンを上げる。
「なのに、マクラーレン氏は、多大な不利益を被っているのです」
「だからって、結果は目に見えていたはずではないか!」
「そうでしょうか? メーカーは、注意を一度だってしたことはありません。同型の商品百二十九種のマニュアル全てを調べましたが、警告も注意書きもありませんでした」
「馬鹿げてる! 他の注意書きから類推すれば、なんの問題もなかろう。そんなことは子供でも分かるはずだ!」
「マクラーレン氏を侮辱なさるおつもりですか? 彼の知能程度は、間違いなく成人男性のものです。子供ではありません」
「だったら、判断力があるだろう。商品の目的、使用法、なんでもいい、常識があるだろう! こんな訴訟は馬鹿げている!」
「常識、ええ、それはあなたの常識、企業の常識に過ぎません。メーカーは、あらゆる事態を想定し、注意を促す必要があったのです」
「じょ、冗談じゃ――」
「そうすれば、ウィルソン氏の命も奪われずにすみ、マクラーレン氏は殺人犯の汚名を着せられることもなかったでしょう」
 原告側の弁護士は、余裕の表情で微笑んで、資料の拳銃を手に取った。
「表記すべきだったのです――人に向けて撃たないように、と」
【完】



No.45『長いものには』

「長いモノには巻かれろだぁ?」
 男は怒鳴る。
「そういう考えが、己をダメにするんだ、分からないのか!」
「大袈裟だなぁ、巻き付けてやってるとでも思えば?」
 呆れた風に女は茶々を入れる。
「言葉の言い替えでどうなるというのだ!」
「でもねぇ」
 困ったように女は口を挟もうとする。
「でもなんだ! 我々は流されるままじゃいけない! 気にいらんことがあれば、断固として拒否し戦うべきだ!」
「非力だと思うけど?」
「ハ、非力! それがどれほどのものか! 非力なら非力なりの戦い方もあるだろう! かのマハトマ・ガンジーは、非暴力という最も戦いに向かない手段で勝利を勝ち取ったんだぞ!」
 男の勢いは止まらない。
「別にそんな人引用しなくてもいいけど、分相応ってもんもあるしさぁ」
「身分か! 貴様は差別主義者か! アパルトヘイトかカーストか!」
「後の二つは人間に使う言葉じゃないでしょうが」
「やかましい! ともかくだ、俺は長いモノに巻かれるような真似だけはせん! 絶対だ!」

「……おねーちゃん、妙なアフレコしないでよ。きちんと分けたげるから」
 妹は苦笑しながら、フォークに巻き付けたスパゲッティを千世さんに差し出した。
【完】



No.46『数』



 窓一つない部屋の中で、政夫は数えていた。
「十億三千四百八十二万二千一、十億三千四百八十二万二千二、十億三千四百八十二万二千三……」
 金ではない。
 畳の目でもない。
 今まで食べたパンの枚数でもない。
「……十億三千四百八十二万二千二十一……」
 ただ、数を。
 部屋の中には、缶詰が山と積まれている。一人の人間が、一生食べられるほど。
 数を数えながら彼は缶詰を開け、食べる。

「政夫、宝くじ当たったんだって!?」
「ああ」
 友だちの言葉に、政夫は素気なく応える。
「凄えなぁ、三億だっけ?」
「凄いと思うか?」
「当たり前だろ。一億使ってもまだ二億だぞ」
 政夫は笑う。中学生とは思えない、疲れた顔だった。それは、幼くして親元を離れたせいだけとも言えない。
「知ってるか?」
「なにを?」
「宝くじの賞金ってな、普通の人が一生かけて稼ぐ額と同じなんだってさ」
「い、一生分?」
「でも、そんな額でも、戦闘機一つ買えねえ、ビル一つ立たん」
「ふーん。でも、だからって大した額には変わらねえよな。ゲームだって買い放題じゃねえか」
「ふん」
「で、何買うんだよ? 政夫」
「――時間、かな」

「十億三千五百二万二千百二十三、十億三千五百二万二千百二十三……」
 一生何もせずに過ごす。
 ただ、人生を数え続けて。
 八十年分、二十五億二千四百六十万八千秒を数えるだけの人生。
 政夫の顔に皮肉な笑みが浮かぶ。
 下らない。
 確かに下らない行為。
 でも、働いて同じ金を稼いで、数多くの一人として死ぬことと、何が違うだろう。死んだ後が、どう違うだろう。

 政夫は数え続けた。
 誰も気遣わなかった。
 窓も時計もない部屋に、時の流れも、季節の移り変わりも入っては来なかった。
 ただ、数が重なって行った。
「……二十五億二千四百六十万七千九百九十八、二十五億二千四百六十万七千九百九十九、二十五億二千四百六十万八千」
 何事もないかのように、八十年分を数え終えた政夫は、ゆっくり立ち上がり、ドアに手をかけた。
「まだ、生きてるのか」
 きぃ。
 ドアが開くと、朝の光が廊下に溢れていた。
「人生って、長いな」
 大きく溜息をついて、政夫は食卓につき、テレビをつけた。
 八十年前の番組が、まだやっていた。
【完】



No.47『医療の発展』

「一体、この移植用臓器の何が悪いのかね?」
 医療機器メーカーの社長は、会議室の上座で首を傾げる。
「クローン豚を利用したお陰で、大きさには問題もない、一切の拒絶反応もない、人間以上に強靭に働く上に、安価だというのに」
「はい、私ども開発と致しましては、非の打ち所もない最良の臓器商品として完成させておりますが」
 開発部長が禿頭をハンカチで拭く。
「なんだ、我々営業が無能だとでも言いたそうじゃないか!」
 険しい顔で営業部長が開発部長を睨む。
「営業部長、そう突っかかってはいかん。営業部の力はよく理解しているつもりだ」
「は、はい。一言つけ加えさせて頂ければ、今回の移植用臓器につきましては、営業マン一人一人に実際に心臓を付けさせた上で、営業に当たらせております」
「うむ。そこまでやって、なぜ一個も売れんのだ? 需要はあるはずなのに」
 社長は茶を飲み干す。
「このままでは、みんな食肉業者に卸すしかなくなってしまう」
 それからしばらくの間、沈黙が続いた。
「あの……」
 茶の入った急須を持って来た秘書が、遠慮がちに声を掛けた。
「何だね清佳君?」
 眉間にしわを寄せたままで、社長は秘書を睨む。
「どんなに安全で高性能でも」
 彼女は茶を社長の湯呑みに注いだ。
「豚はいやですわ、やっぱり」
【完】



No.48『抗菌効果』



「この器、買ったのか? 里美」
 朝の食卓についた下田両次は、見慣れない器を手に取る。
「ええ、そうですよ。抗菌加工がしてあるんですって」
 妻の里美が、味噌汁を彼の前に置く。
「抗菌、か」
 両次は器をひっくり返してみる。
 陶器らしき素材で、裏には確かに『抗菌』という刻印が入っている。
「普通の器と変わらねえ気がするんだがな」
「ふふ、そうですけどね。一応宣伝では、効果抜群だって話ですよ?」
「ほお」
 楽しそうに微笑む里美の顔を見て、両次はそれ以上何も言わなかった。
「いただきます」
 両次は味噌汁を一口飲んでから、納豆のパックを開け、その新しい器で混ぜた。
「両次さん、海苔どうします?」
「焼き海苔なら貰おうか」
「はいはい」
 和やかに朝食を終えたあと、両次はいつものように職場へ出かけて行った。
 納豆の粘りが少なかったことを口にせず。
【完】



No.49『ファーストコンタクト』

「ク人について集められたデータはこれだけです」
 初老の調査室長は、机の上に大きな封筒とメモリディスクを放った。
「そうか」
 地球連邦大統領は封筒に入っていた何枚かの写真を確認する。
 写真に写っているク人は、SFで語られる異星人のイメージとはほど遠く、地球人そっくりだった。
「行動様式、摂取・排出物、宇宙船の技術水準から見た文化の発展法則、生物的にも科学的にも地球人と違うところはありません」
 調査室長は淡々と説明する。
 任務中に戦闘でもあったのか、腕に包帯を巻いていたが、彼も大統領もそれには一言も触れなかった。
「ク人から送られたデータに工作は見られませんでした。彼らは明らかに地球上の生物ではありません。それに、地球と通商を求めていることも事実です」
 大統領はパソコンのドライブに、ディスクを挿し込む。中に収められていた無数の分析データと文書が表示された。
「なるほど……人間とそっくりで、通商を求めている、と」
 大統領はしばらくの間、宙を仰いでいた。
「よし」
 写真をまとめて封筒に収める。
「不可侵条約だ」
「不可侵、ですか?」
 初めて調査室長は表情を動かした。
「うむ」
 大統領は椅子に深く腰掛けた。
「我々と同じ奴らとなぞ、誰が交流したいものか」
【完】



No.51『災害対策本部』

 ぎゃああああずぉおおおお!
 「それ」は、叫び声を上げながら、東京タワーをなぎ倒した。
 地響きをたてながら東京の街を踏みつぶしていく。
 それの歩みは止まらない。
「さっさと来い、こっちだ!」
 すぐ背後にそれの気配を感じながら、下田両次は人々を先導して地下鉄の国会議事堂前駅に駆け込む。
 ずしっ、ずしっ、ずしっ……。
 地響きと共に、足音が遠ざかって行った。
「か、怪獣、かよ?」
 溜息をついて、下田は駅の床に座り込む。それからタバコをくわえようとして、やめた。
 逃げ込めた者が所々にかたまっている。
「畜生、よりにもよって、なんで俺のいる時に」
 コートの内ポケットから拳銃を取り出す。
「あんな化け物に、効くわけねえか」
 拳銃を内ポケットにしまって苦笑する。
「って、東京は警視庁の管轄じゃねえか。職業病だな、こりゃ」
 彼が取り出した警察手帳には、隣の県警の名前が書かれていた。
「助けを待つか、な」
 無線のイヤホンを耳にはめ、周波数を合わせる。
『――ただいま、国会で対策本部が召集されている。対策本部決定事項については、チャンネル***−***で随時報告する。また、方針が決定するまで、各員は住民の安全確保に――』
「やれやれ。やっと上が動いたか」
 下田は微笑んでずるりと床に倒れ込んだ。彼の座っていた辺りに、血溜まりができていた。
「これで気絶できる」

『……さん、刑事さん』
「う……あ?」
 声と揺さぶられる感覚に、下田は目を覚ました。
「あ、気がつかれましたか」
 下田と同じくらいの年齢の中年男が、彼を覗き込んでいた。
「こ、ここは?」
 下田はゆっくりと身体を起こし、頭を振る。
「地下鉄の駅の中です」
「なんだ、動いてねえのか。で、他の連中は無事か?」
 自分の身体を見ると、背中の傷に包帯が巻かれていた。
「ええ、刑事さんが身を呈して先導して下さったお陰で、逃げ込めた人たちは大丈夫……というか」
「あん?」
「もう二日も経っていまして、帰れる人は帰りました」
「はは、そんなに寝てたか。不眠症気味だったからいい機会だ」
 下田は壁に寄り掛かろうとしたが、背中が痛いのでやめた。
「で、怪獣はどうした? 対策本部の作戦で殺せたか?」
「対策本部?」
 男は不思議そうな顔をする。
「怪獣は勝手に逃げただけですよ? 国は、何もしてくれませんでした」
「なに? おい、俺のコート取ってくれ」
「はい」
 下田は、コートのポケットに突っ込んであった無線のイヤホンを耳に付け、周波数を合わせる。
『――対策本部より報告』
 機械的な声が、イヤホンに聞こえてきた。
「やっぱり、対策本部はあるじゃねえか――」
『東京に出現したものの呼称は、本日衆参両院の承認を経て『グドラドン』に決定。繰り返す――』
【完】



No.52『続き』

『本当に、来るんでしょうか?』
 レポーターが、真剣な顔でY氏に尋ねる。
『無論だ。きちんとテレパシーは届いている筈なのだ。もし来ない要素があるとすれば、君くらいのものだ』
『わ、私ですか?』
『君の心に、一片の疑いでもあれば、カトナ星人へ送っているテレパシーにノイズが混じってしまうのだよ』
『いや、私はきちんと真面目に、カトナ星人との交信を望んでいますよ』
『それなら来ない道理がない――!!』
 Y氏は目を見張った。レポーターも釣られて彼の視線を追った。
 その時――。
『ママー、お弁当箱ぬるぬるするよー!』
『大丈夫、ネメシスゴールドがあれば、しつこいお肉の脂汚れもすっきり落ちるわ』

「だあああっ!」
 怒鳴って妹はテーブルを叩いた。
「どーしたの、ももちゃん?」
 千世さんがジャスミン茶の入った湯呑みを、彼女の前に置いた。
「またいーとこでCMが入ったの」
 憮然として妹はテレビを睨む。
「ったく!」
「じらされた方が、CM明けの価値が上がるって思ってるのかしらねぇ」
 静かに千世さんはお茶を飲む。
「あんなとこで切られたらテンポが悪いっていうか、テンションが落ちるっていうか、酷いと思わない?」
「そうねぇ」
「ふんっ!」
 妹はテレビを消すと、リモコンを置いた。
「あら、続きは観なくていいの?」
「いいよ。どーせ何にも出てこないか、ちらっと見えたと思ったら消えちゃうんだから」
「ふふ。そんなに怒らないの。可愛い顔が台無しよ? ほら、八つ橋あげるから」
「……いつの間にそんなもんを?」

「また、戻ってきましたね?」
「ああ」
「でも、いい加減着陸したらどうです?」
「そーはいかんよ、チミ」
「あっちの方も、じれてるんじゃないですか?」
「そこがいいんじゃないか」
 銀色の服に身を包んだそれは、操作パネルのレバーを引いた。
「じらしたあとだからこそ、接触の価値が上がるってもんだよ、チミ」
 虚空に輝く青い星が、遠ざかって行った。
【完】



No.53『最強の敵』

「わはははは、宇宙公僕コウジ! ついに貴様も年貢の納め時だ!」
「なに!」
 戦闘服に身を包んだコウジの周囲に、秘密結社タイノーンの怪人たちが二十五体現れる。
「お前たちは今まで倒した怪人!」
「かかれ!」
 タイノーン司令の号令と共に、怪人たちは襲い掛かった。
「負けるか! パワーアップした血税スーツの威力、思い知れ!」
 筆舌に尽くしがたいほど長く激しい戦いの末、立っていたのはコウジだった。
「タイノーン! 残ったのはお前だけだ! 宇宙民の義務を果たして貰おう!」
「ふぁははははは! 何を寝ぼけたことを言っている。たかが使い廻しの怪人を倒した程度でいい気になるな! あれは単なる時間稼ぎだ!」
「なんだと!」
 ぱきっ。
 タイノーン司令が指を鳴らすと、扉がゆっくりと開き始めた。
 そこにはコウジが――いや、コウジになりつつある不定形のものがあった。
「な、なんだこれは!」
「不定形生物デジタラー。あらゆるものを、姿形から装備、能力、記憶、分子一つに至るまで完璧にコピーする、最強の怪人だ!」
 瞬く間に、デジタラーはコウジと全く同じ姿になった。正にコウジが二人。
「どんなに貴様が強くとも、自分に勝つことはできん! ちなみに、偽物特有の弱さなど、カケラも持っていないから無駄な抵抗はするな!」
 コウジは何も言わない。
「どうした、怖じ気付いたか!」
「……タイノーン」
「なんだ、今さら命乞いか?」
「じゃなくてな」
 二人のコウジはデジタラーを指さした。
「「全く同じじゃ、コピーもお前の敵じゃん」」
【完】



No.54『幻想』

「あー、もう、全く!」
 高校からの帰り道、高柳絵里子はいつになく荒れていた。
「どーしたの、たー坊」
 一緒に帰る同級生の五月雨千世さんがのんびり尋ねる。
「どーしたもこーしたも――」
「四谷君に振られたの?」
「な、そ、それをどこで?」
「何となくよぉ」
 いつも通りにこにこしている千世さんに、絵里子は何だか毒気を抜かれてしまった。
「ま、まあ、とにかく、今日ね、その四谷先輩に部活の後で告白したの」
「ふーん。でも、四谷君理想が高いからねぇ」
「知ってたけど」
 絵里子は転がっていた石を蹴飛ばす。
「ああまではっきり言われると、ね」
「どう言われたの?」
「『俺はお淑やかで綺麗で家事ができて頭が良くて話してて和める上に面白い娘が好きだ』って」
「ふーん。たー坊は、ちょっと可愛い程度だもんねぇ。面白味はあるけど、面白いわけでもないし、馬鹿じゃないけど頭も取り立てて良くないし、料理はするけど掃除はダメだし」
「……相変わらず容赦なく分析してくれるわね、あんた」
「なんか違う?」
「違わないからイヤなの!」
「なんかモデルでもあるのかしらねぇ?」
「そう、どうも漫画のヒロインらしいのよね、イメージが」
 バッグから絵里子は漫画の単行本を取り出し、千世さんに渡す。
 千世さんはそれを受け取り、パラパラとページをめくった。
「なるほどねぇ」
「ったく、そんな作り物を現実と一緒にするなんて、四谷先輩もしょーもない奴よね。ったく幻想持ちすぎよ」
「でもねぇ」
 いつの間に買ったのか、千世さんは缶の麦茶を絵里子に差し出した。
「幻想ごときに追い付けない現実って、同じくらいしょーもないもんかも知れないわねぇ」
 ぷしっ。
 缶を開ける音が、やけに大きく響いた。

『妖刀』

「これのこと、でしょうか?」
 遠慮がちに骨董屋の店主が、ケースに収めた小刀を持って来た。
「おお、何と美しい」
 客は、小刀に手を伸ばす。
「お待ち下さい!」
 慌てて店主は、ケースを引っ込める。
「この刀は幾多の血生臭い伝説のあるいわく付きの代物です」
 ぎらりと小さな刃が輝く。その青いほどに研ぎ澄まされた刃は、見る者の心をも切り裂きそうだった。
「お客さん、聞いてますか?」
「あ、ああ」
「幾度となく買い手は付きましたが、ひと月ともちませんでしたよ」
「もたない?」
 店主は小刀のケースに、ガラスの蓋をする。
「人を斬らずには、いられないんです」
 自己主張するかのように、刃は輝いた。
「悪いことは言いません。諦めて下さい。私はもうこれを売る気にはなれないのです」
「しかし、この美しさ……」
 小刀に伸ばそうとした客の手を、ぐっと店主は掴んだ。
「本当に、よろしいのですか」
「ああ、欲しい」
「理解、してますか」
「――え?」
「この刀を持つことがどれだけ危険か、本当に理解してますか」
 店主は諸肌を脱いだ。二の腕から肩にかけて、無数の切り傷があった。
「血を欲しがる刀を抑え、しかも犯罪者の汚名を着ないためには、こうする以外に手がないんです。それでも、あなたは!」
「綺麗な……切り口だ」
 客は、にまぁと笑った。
「売ってくれ。金はいくらでも出す」

 皮膚が裂け血が吹き出し、刃が紅く染まる。
「おー、切れるわ切れるわ」
「でしょ、先生。これで手術もばっちりですよっ」

『努力』

『えっとぉ、今簿記の勉強やってるんですよぉ』
 テレビのトーク番組で、グラビアアイドルが司会者に話している。
「簿記ぃ?」
 ぼんやりテレビを見ていた石田京子の眉が動く。
『やっぱりぃ、つぶしがきくようにしたいって言うかぁ、資格あるといいしぃ』
「あんたみたいな、カラダ一つで売ってるタレントなんかに取れるほど楽なもんじゃないわよ。仕事の技能なんだからね」
 今度ははっきりと声に出して毒づく。
『でもぉ、やっぱり勉強って面倒でぇ』
「はは、所詮はあんたにそんな根性なんかないわよ」
『一ヶ月くらいは勉強できるんですけどぉ、それ以上は忙しいしぃ』
「は! 一ヶ月で取れるわけないでしょ、あんたなんかに永遠に無理よ」
 ぎゅるるるるる。
「――あー、お腹空いた!」
 京子はおもむろに立ち上がり、冷凍室からアイスクリームを引っ張り出した。
「まあ二週間もやって、一キロも減らないダイエットなんて、続ける意味ないわよねー」
 アイスクリームを食べながら彼女はちらりとテレビ画面を見る。カメラは、アイドルの大きな胸やくびれた腰ばかり強調していた。
「ったく、どんな手ぇ使ってるんだか。こちとらどんなに頑張っても、胸しか減らないんだもんなぁ――そーだ、風呂入ろ、風呂」
 テレビを消し忘れたまま、京子はバスルームに入った。
『そのプロポーションを保つ秘訣ってあるんですか? 効果的なダイエット法とか?』
『えぇー、別にぃ魔法みたいな方法はないですよ。ご飯食べ過ぎないで、地道に運動やってるだけですよぉ』
『地道ってことは、デビューからずっと?』
『この道目指し始めてからだからぁ、七年かなぁ』
『すごいんだねー。普通、続かないでしょ、そーゆーの?』
『別にすごくないですよぉ』
 アイドルの表情が、ふっと真面目になった。
『あたしはぁ、これが仕事ですから』
【完】



No.55『安全』

「へえ、これが世界最強の衝突安全ボディか」
 四谷京作は、車の白いボディを押してみる。
「お気に召しましたでしょうか?」
 明らかな営業スマイルを浮かべ、ディーラーはカタログを手渡した。
「この『ゴリアテ』は、乗員の安全を第一に考えて設計されています」
「見た目は確かに頑丈そうだなぁ」
「はい。圧縮鋼を使用したキャビンは、従来の車両と比べて強度は七倍です。更に、衝撃吸収シートと全面エアバックで、乗員は完璧に守られます」
「ふーん」
 四谷がカタログの仕様の欄を見ると、『安全基準』の項目にAが七つ並んでいた。
「えーと、Aが七つってことは――」
「最大法定速度――つまり、時速八〇キロでの正面、側面、背面、オフセット衝突、その全てにおいて乗員が軽傷すらも負わない安全性能ですよ」
「大したもんだなぁ……でも、ガードレールが突き刺さる、なんて事故もあるそうだけど?」
「車体内部に戦車の跳弾構造を模したセラミック骨材が仕込まれていますので、よほどの事がない限り、乗員に突き刺さることはありません」
「なるほど」
 車のドアを開け、四谷はシートに座ってみる。
 外見よりも内部は少々狭めだが、それがかえって重厚で堅牢な印象を与える。
「思ったより、座り心地のいい椅子だなぁ」
「はい。シートの衝撃吸収素材『アバドン』は、事故の衝撃吸収だけでなく、座る際の腰の負担も軽減します」
「ほお」
 四谷は四点式シートベルトを締める。衝突時には、両肩を押さえてくれるのがよく分かる。無論、緊急時のベルトカッターも用意されていた。
「ぶつけてみたいな」
「それはご勘弁を」
「冗談、冗談」
 ハンドルをぽん、と叩く。
「確かに、ドライバーの安全を第一に考えた素晴らしい車だ」
「はい、ゴリアテに乗っている限り、事故死も怪我も、あり得ません。これが、二十一世紀の車の形ですよ。単なる移動手段で死や怪我のリスクに怯えるなんて、ばかばかしい話ですからね」
「うん」
 四谷はディーラに頷いた。
「買わせて貰おう。ちょっと高いが、安全のためなら安いもんだ」

「あれ? 四谷はどうした?」
 会社の同僚が空のデスクを不思議そうに見る。
「自動車事故で病院です」
 パソコンを操作しながら、OLは素気なく答える。
「ええっ? け、怪我は重いのか!?」
「四谷さんは全く無傷だったけど、轢かれた歩行者が重傷ですってよ」
【完】



No.56『雑草魂』

「先生、やっぱりオレ、ダメなんだよ」
 夕日に染まる河原の土手で、神田一郎は膝を抱える。
「何がダメだ。お前にだって得意なものはあるだろう?」
 教師の安倍宏治は、真剣な顔をしていた。
「別にないよ」
 神田は土手に生えている草を引きちぎって投げる。
「オレは所詮雑草さ。有り触れた落ちこぼれだろ。今学校中退しようと、来年卒業しようと、誰も気にも留めやしねえよ」
「雑草なんて草はないぞ」
 安倍は引きちぎられた草の一本を拾って安倍に差し出した。
「今はまだ分からないかも知れないが、お前にしかできないことが、きっと見つかるはずだ」
「先生……」
 手渡された草を、神田はじっと見つめた。
「あっ」
 神田は息を呑んだ。
 先ほどはただの雑草にしか見えなかった草が、一本取り出してみると実に個性的で綺麗な形をしていた。
「分かるだろ、一つ一つ名前の付いた、別々の草なんだぞ」
「そ、そう、だよな」
 神田の表情に明るさが僅かに戻る。
「なあ先生、じゃあこれって……なんて名前だ?」
「これは、えーと、その……」
「おや、どうしました、安倍先生」
「あっ、生物の名取先生、いいところに」
 神田から受け取った草を、安倍は名取に見せる。
「この草はなんて名前ですか?」
「――こ、これは、初めて見る草だ! ひょっとしたら新種かも知れないぞ!」
 名取は草を受け取ると、踊るような足どりで立ち去ろうとする。
「な、なあ、だとすると名前は――」
「新種に名前なんかあるか!」
【完】



No.57『階段話ACT2』

「知ってるかい? このアパートってさ」
 茶碗に注いだウイスキーを呑んでいた大田は、切り出した。
「?」
 岩崎は固い氷下魚の干物を噛みちぎる。
「自殺者が何度か出てるんだって」
「ふーん」
 興味なさげな顔で、岩崎は自分の茶碗にウイスキーを注ぐ。
「どうも、恨みが残ってるみたいなんだよ。その自殺者たちの」
 大田は柿の種を食べる。
「だから、夜中の二時頃になるとさ」
「どうなるんだ?」
 ほんの少し、岩崎の表情が固くなる。
「外の階段がね」
 大田は声をひそめる。
「階段が?」
「一段多くなってるんだよ」
「それで、それを見た奴が取り憑かれたり呪われたり?」
「ううん、階段が一段増えるだけ」
 無言で岩崎はウイスキーを注ぎ、ぐっと飲み干した。
「ったく何を言い出すかと思えば。つまんねえ怪談だなぁ」
「本当の話なんだってば」
「第一、この部屋にはよく遊びに来てっけど、そんなの気付きもしねえぞ」
「二時頃はいつも呑んでるからだよ」
「バカバカしい――」
 岩崎はウイスキーの瓶に手を伸ばす。
「とと、もう空いちまったのか」
「買い出しに行って来よう」
「なに、たかが酒一本、オレが一人で行ってくる」
「そう? 悪いね」
「いーってことよ。つまんねえ怪談の礼だ」
「怖いと思うけどなぁ」
「じゃ、行ってくる」
 岩崎が部屋から出ていき、玄関のドアが閉まる。
 トン、トン、トン……。
 足音を聞きながら、大田は時計に目を留めた。
「あ、そろそろ二時か」
 トン、トン、トン、トン……。
『わあああああっ!』
 下の方から、岩崎の悲鳴が聞こえた。

「確かに取り憑かれるわけでも、呪われるわけでもないけど」
 大田は岩崎の傷に包帯を巻く。
「一段多くなると、空中踏んじゃって、転ぶんだよねー、よく」
「そーゆーことは先に言え!」
【完】



No.58『未来からの便り』

 地球が遠ざかっていく。
 かつては宇宙に浮かぶ青い宝石のようだったその惑星も、今は澱んだ灰色の石ころ。そこで育まれた生命も、ほとんどが死に絶えた。
「人造バクテリアが完全に環境を回復させるまでに、千年、か」
 大統領は連絡宇宙船の展望台に立ったまま、ぽつりと呟いた時。
「大統領」
「――あ?」
 彼が振り返ると、白衣姿の女が立っていた。
「どうしたね? まだコロニーではないだろう?」
「科学省の新たなプロジェクトが、たった今決定しましたので、承認をいただきたく思いまして」
「君たちは、この移民の件で充分に働いてくれたのに、まだ何かやってくれるのかい?」
「弱気になられては困ります。このプロジェクトが成功すれば、移民も必要なくなるんです!」
 女の目は輝いていた。
「どういう、ことだ?」
「人造バクテリアを、二百年前から使って貰うんですよ」
「??」
「つまり、過去に人造バクテリアを送るんです」
「過去に物質など送れはしないだろう? 時間を逆行できるのはタキオン粒子くらいのもので……」
「ええ、ですから、タキオン粒波動で人造バクテリアの理論だけを送るんです! ハードがダメならソフトを送れってとこです」
「過去への電子メール、というわけか……」
「はい!」
 大統領は彼女の目に、かつての地球の輝きを見た気がした。

「なあ、聞いたか? 例のクラッカー」
「あー」
「世界中にどでかいファイル送りつけて、メモリがみんな一杯になっちまったってさ」
「あー」
「結局そのファイルの内容も収まりきらないせいで読めねえらしいし――って、何やってんだ永島?」
「見て分かんねーか? パソコン動かしてんだよ」
「って、それいつのだよ?」
「十年は前のだ。研究室の隅っこに転がってた」
「ふーん。で、使えるのか?」
「一応DOSを走らせるOSは作った」
「難儀な話だな」
「ネットが落ちててまともに動くマシンがこれしかねえんだ。手書きじゃ卒論はできねえからな」
「ふーん」
「で、これの編集ができれば――」
 フロッピーディスクをパソコンに読み込ませた。
「ありゃりゃ、エラーかよ? メモリオーバフロー?」
「ぬぅ。ただのグラフ一枚だぞ、グラフ!」
「まあしゃーねーだろ。最近のパソコンはメモリばっかり喰うからな」
「達観してる場合か! このままじゃ卒論書けねえんだぞ!」
 苛立たしげに学生はパソコンの電源を切った。
「畜生、クラッカー野郎め、見つけたらただじゃおかねえ!」
【完】




No.59『共感』

『明日までにCDが十万枚売れないと引退しちゃうんです!』
 テレビの向こうで、バラエティ番組の押すグループが涙ながらにCDを手売りしている。
「可哀想ねぇ」
 感化されたのか、妻はちり紙で涙を拭いている。
「そうか? 別にあいつら歌も上手くないし、元々番組企画で作ったグループだろ?」
 夫は独り言のように呟く。
「知らないの? あの子たちがどれだけ苦労したか。この前なんか真冬に滝に打たれてたのよ。お陰で肺炎になって入院したんだから」
「ふーん」
 何かツッコミを入れたそうな顔をしつつも、夫は生返事に留めておいた。こんな下らない事で、妻と険悪な雰囲気になる事もない。
「――あら、今売ってる場所って、隣町の駅前じゃない?」
「あ? ああ、そうみたいだな」
「ね、行きましょ、買ってあげましょうよ」
「ええー、でもCD一枚四千円もするんだろ?」
「大丈夫よ、食費削れば」
「やれやれ」
 夫は溜息混じりに腰を上げた。

「へえ、借金苦に自殺か」
 夕食を食べながら、夫はテレビのニュースに目を留める。
「テレビで公開募金でもすれば、助かったかもなぁ」
「見ず知らずの人に、お金なんかあげる馬鹿はいないわよ」
 早々と夕食を食べ終えた妻が、CDのパッケージを開けた。
「さっそく聞かなきゃ。テレビ消すわよ」
「ああ」
 取り立てて目新しくも上手くもない曲が、ラジカセから流れ始めた。妻は、CDと一緒に鼻歌を歌っている。
『見ず知らずのプロデューサーさんにお金をあげたのは他ならない君なんだが』
 夫は言葉をかみ殺し、曲が聞こえないようにダイニングから出て行った。
【完】



No.60『幻覚』

「?」
 玄関で鍋島竜平は足を止めた。
「一、二、三足……」
 無造作に脱ぎ散らかされている靴は、三足あった。
 竜平は、自分の足を見る。
 いつも会社に履いていく革靴だった。そして、他の三足。中の一足は、確かに自分のもの。
「あれ? だとすると」
 ゆっくり靴を数えてみる。
「一、二」
 竜平は首を傾げた。
「えーと、家族は、父さん、母さん、姉貴に、俺だよな?」
 一足足りない。
「えーと、この靴が父さんの、母さんの、姉貴の……あれ? あれ? で、でも数は確かに足りない?」
 不思議なことに、誰の靴が足りないのか、何度数えても分からなかった。
「竜平か?」
 リビングから、父親が顔を覗かせる。
「あ、ただいま、父さん」
「さっさと着替えて来い。みんな晩飯待ってるんだぞ」
「うん、ああ。分かった」
 竜平は慌てて靴を脱いだ。

 翌日。
「また、か」
 脱ぎ捨てられた靴は三足。そのうち一足は竜平のもの。
 また、一足足りない。
「どーしたの、竜平?」
 リビングから姉が顔を覗かせた。
「ごめん、姉ちゃん」
 竜平は二階の自室で服を着替え、リビングの食卓につく。
「いただきます」
 食事をしながら、竜平は何となく家族を見回した。
 父、母、姉。
 確かに四人家族。
「??」
「ほれ、ウド炒め旨いぞ」
 父親が小鉢を差し出す。
「ありが――」
 ふと、箸を伸ばそうとした竜平は、言葉を切った。
 二人。
 食卓に、二人しか見えない気がする。
 靴を数えた時と、同じ感覚だった。
(……一人は、ひょっとして)
 見えているようで見えていないもの。これはすなわち。
「幻覚?」
 竜平が呟くのと同時に、母の姿が見えなく――いや、初めから見えていなかったことに、ようやく気付いた。
「どしたの、竜平?」
「い、いや、ちょっと。母さんの幻覚が見えたみたいな気がしたから」
「疲れてたんだな」
 父親が寂しげに笑う。
「そうみたいだな。いるわけないんだ、はは」
 竜平は苦笑した。
「母さん、姉ちゃんが生まれる前に死んでるんだから」
【完】



No.61『一両損』

 大岡忠相、問題の財布の中身の三両に一両を加えた。
「拾った八五郎の正直さ、落とした寅吉の気っ風の良さ、それぞれに対する褒美として二両づつの褒美とする、これでどうじゃ?」
 二両づつを差し出され、八五郎と寅吉、互いに顔を見合わせる。
「へえ、まあご褒美ってことでしたら、おいらも受け取らねえわけには行きませんや」
「拾った金なら貰ういわれはねえですが、御奉行様のご褒美ならあっしも」
「よしよし」
 大岡忠相深く頷く。
「これぞ、三方一両損」
「なんすかそりゃ?」
「さんぽう、なんですって?」
「八五郎は寅吉の言う通り金を貰っておけば三両手に入ったところが二両になって一両の損、寅吉も八五郎に届けられた金を素直に受け取れば三両だから一両の損。そしてこの忠相も一両を足したのだから一両の損。三人が一両づつの損で、三方一両損じゃ」
「ふふ、へへへ、なるほど」
「ふははは、こりゃ傑作だ」
「ははははは、これにて一件落着!」
 白州に笑いの起こる大岡忠相の名裁き、今日も江戸の空は青く澄んでいた。

「――で、また似たような訴えが来ているんですが」
「ち、ちょっと待て、これで二十七件目じゃぞ」
「じゃあ別の裁き方をするんですか? 先例を曲げて」
「忠相ピンチ……」
【完】




No.62『妖刀』

 かん、かん、かん、かん……。
 焼けた鉄に鎚が振り下ろされ、火花が散る。
『……切れろ』
 かん、かん、かん……。
『もっと鋭く、あらゆる物を切り裂く刃になれ』
 かん、きん、かん、かん、かん。
 刀工の顔には、大きな火傷の痕があり、片腕は肘の先からなかった。
『切れろ』
かん。
『切れろ』
 きん。
「切れろ!!」
 じゅーーーーーー!
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁはあ」
 肩で息をしながら、刀工は憑かれたような顔でにたりと笑った。

『殿様がまたご乱心なされたそうだぞ』
『なに?』
『姫君、御子を残らず斬り殺したそうだ』
『やっぱりあれかの?』
『ああ。あの刀鍛冶の刀だったそうじゃ』
『切れるためなら自分の腕も斬るちゅうあいつか』
『だから、あんな妖刀が生まれる』
『奴が作ったもんは、脇差し一本でも、血を吸うまで鞘に収まらん言うぞ』
『剣呑剣呑』

 すっと動かした刃のあとに、血の珠が浮き上がって来た。
「痛てててて」
 鏡の前で、四谷京作はシェービングローションを手で拭う。
「あの骨董屋め、やっぱり使いにくいじゃないか」
 恨めしそうな顔で、四谷はその古ぼけた和式カミソリを洗った。
「丸半年、毎日顔切っちまうとはなぁ」
 カミソリを折り畳み、刃の雫を拭った。
「明日は使うのやめよか……なぁ?」
【完】



No.63『階段話』

「こ、ここで自殺っすか?」
 サークル後、いつものように大田のアパートに遊びに来ていた岩崎は聞き返す。
「そうだよ。僕も聞いた話だけどね」
「同じ大学の、奴っすか?」
 岩崎は茶碗に注いだウイスキーを一口呑む。
「うん。同じ大学の人もいる」
 柿の種を大田はぱりぽりかじる。
「『も』ってなんすか、『も』って!」
「一度も話してなかったっけ?」
 氷下魚の干物を彼は手でちぎる。
「このアパートって、過去三十年の間に、三人の自殺者と二人の変死者が出てるんだよ」
「は、はは、そんな馬鹿な」
 固い笑いを浮かべ、岩崎はウイスキーを茶碗に注ぎ足す。
「だからか知らないけどね、新月の――」
「し、新月?」
 思わず岩崎は窓の外に目を向ける。
 曇ってもいないのに、月は見えない。
「午前二時頃になるとね」
「や、止めて下さいよ、オレ結構霊感とか強い方なんすから。今もう一時じゃないっすか」
「十二段しかないはずの外の階段が、十三段になってるんだよ」
「階段? 他には?」
「他は別にないよ」
「金縛りとか、声がするとか」
「なっしんぐ。金縛りも亀甲縛りもない」
「な、なんだ、驚かさないで下さいよ。それにさり気なく下品なオヤジギャグとか入れないで下さいよ」
「ま、気を付けるんだよ」
 大田はにこにこ笑って、ウイスキーを岩崎と自分の茶碗に注ぐ。と、すっかり瓶は空になってしまった。
「ちょっと呑み足りないね」
「あ、オレ買って来ます」
「僕も行くよ」

 二十四時間営業の酒屋でウイスキーを買った大田と岩崎は、アパートに戻って来た。
「思ったより時間掛かったね」
「そうっすね」
 岩崎は、ふと時計を見た。
 午前二時。空に月はない。
「もろ、なんすけど」
「気を付けるんだよ」
 大田は普段通りの笑顔でそう言うと、アパートの階段を昇り始めた。
 安っぽい金属製の階段を踏む足音が、真夜中の学生街に響く。
 一、二、三、四、五……。
 岩崎にとっても、目をつぶっていても昇れるほどよく昇った階段。
『な、何にも、ないよな? あるもんか』
 六、七、八、九。
 手に持ったウイスキーの瓶に、身体の震えが伝わる。
 十、十一、十二……。
「わああああああっ!」
 悲鳴が響き渡った。

「痛ててて」
 岩崎は、額に貼られた絆創膏を撫でる。
「だから気を付けろって言ったのに」
 救急箱をしまった大田は、茶碗のウイスキーに再び口を付ける。
「もう少し具体的に教えて下さいよ」
 ぼやきながら、岩崎は柿の種を噛み砕く。
「階段が増えると踏み違えて転ぶから気を付けろって」
「そう言ったつもりだったんだけどねぇ」
 大田は少しすまなそうに笑って、氷下魚の干物を口に入れた。
【完】



No.64『わたしの一番』

「ね、私の……一番、大切なもの、あげる」
 ふと会話が途切れた時、芳子はぽつりと言った。
「え、えっ!?」
 隆之は思わず彼女をじっと見つめる。
 付き合い始めて一ヶ月。初めて彼女の家に来た事で、何らかの期待はあった。
「い、いいのか?」
 ぼうっと頭に血が上るのを感じつつ、隆之は聞き返す。
 芳子は黙って頷くと、自分のジャケットのボタンに手をかけた。

「で、貰ったのがこれなんだが」
 隆之は、同級生の雅彦にそれを差し出す。
「……通帳と印鑑? うわ、すっげー金額」
「本当に大事そうな全財産を貰ったんだから喜ぶべきなんだろーか? 一番大事がこの程度ってことで呆れるべきなんだろーか? ただのギャグとして笑っとくべきなんだろーか?」
「うーむ」
「それとも、この二つが入ってたのが、今時腹巻きの中だった事に反応すべきなんだろーか?」
 迷っている顔はしていたが、隆之の指にはリングが輝いていた。
【完】



No.65『わたしのいちばん』

「ねえ」
 会話が途切れた時を狙っていたかのように、郁美は切り出した。
「な、なんだ?」
 浩一は返事をしてから、彼女が出してくれたお茶に口を付ける。
「来週、誕生日だよね?」
「そうだよ」
「ちょっと早いけど、わたしの、一番大切なもの……プレゼントするわ」
 ごくっ。
 生唾を呑み込む音が、想像以上に大きく響き、浩一は無意識に口を押さえる。
 浩一が郁美と付き合い始めて半年。初めて彼女のアパートに招かれ、ある程度予想はしていた申し出だった。
「う、うん」
 だが、彼の声は情け無いほど震え、裏返っていた。
「ちょっと待ってね」
 郁美は立ち上がって、押入を開ける。
「い、郁美……」
 堪えきれず立ち上がった浩一が、後ろから彼女の肩に触れようとした時。
「はい!」
 振り向いた郁美の手には、小さな消しゴムがあった。
「な、なんだ、これ?」
「なんだとは何よ。この消しゴムはねえ、わたしの初恋の相手の祐介君から借りっぱなしの、いっちばん大事なものなんだよ」

「で、どーしたって?」
「別れたよ!」
 友人の尚利の問いに、浩一は吐き捨てるように答えた。
「堪え性のねえ奴だな――いや、無理矢理やらなかったのは我慢強いか」
「萎えたんだよ! あれは絶対俺を馬鹿にしてんだ。あー、そーだとも。もう、あんな女、顔も見たくねえ!」

「わたしの一番大切なもの、あげる」
 真剣な眼差しで、昌枝は浩一を見つめる。
「……つかぬ事を聞くけど、それは捨てにくいけど持って置きたくないものじゃあるまいな? お守りとか、思い出の品とか」
「はあ? それは一番大切じゃないでしょ?」
「いや、その辺の共通認識があるならいーんだけど――って、また押入開けてるし!」
「はい」
 彼女は押入ダンスの奥からそれを取り出した。

「何が不満なんだ? 外野の俺が見ても一番大事だぞ、それは。喜ばしいことじゃねーか」
「そう思うか? 本っっっっっ当にそー思うか?」
「あ、はは」
 固い笑いを尚利は浮かべる。
「萎えるのは認める」
 テーブルの上には、昌枝名義の通帳と印鑑が、所在なさそうに転がっていた。
【完】



No.66『おべんとつけて』

「あら、おべんと付けてるわよ」
 伸助の頬に付いたご飯粒を、尚絵は指さした。
「え、どこだ?」
 箸を持ったままで、伸助は自分の頬に触れる。だが、もう少しのところでご飯粒が掴めない。
「もう、ここよ、ここ」
 尚絵は微笑んで、ご飯粒をつまんで食べた。
「あれ? そんなとこに付いてたんだ」
「もう、伸ちゃん子供みたいなんだから」

「あ、おべんと付いてるね」
「そりゃそうだろ」
「取ろうか?」
「すんな! いや、そもそもできねーだろ。その上取ったら死ぬだろ俺たち」
 午後の昼下がり、人間の内臓にばっちりくっついた二匹の寄生虫は、ぷつぷつと話しておりました。
【完】



No.67『罰せられるは誰が為か』

 かちゃり。
 カギの掛かっていない玄関の扉が、すっと開いた。
「よっしゃ」
 満面に笑みを浮かべ、高野茂は家の中に靴を脱がずに上がり込む。
 まず二階へ上がり、主人と妻の寝室に入る。
「金目のもの、金目のもの……」
 だが、床の間に飾られているのは実用の茶釜、掛け軸は印刷だった。枕元には何もなく、タンスの中も服ばかり。
「ちっ」
 隣の子供部屋を覗いたが、軽い音しかしない貯金箱があるだけだった。
「引き出しは――」
 子供の机の引き出しには、カギが掛かっている。
「無理矢理開けるのもなんだな」
 別の部屋を漁ろうとした時、机の上に置かれた一枚の書類が目に留まった。
 その書類は、大戦中に米軍の落とした不発弾の処理に伴う避難命令を伝えていた。珍しいものなので、子供が欲しがったのかも知れない。
「へへっ、お陰で仕事がし易いってもんだ。周囲四キロ圏内がゴーストタウンだもんな」
 高野はほくそ笑んで部屋を出て、階下に降りた。
「一体どこに……」
 ダイニングに入ると、戸棚が目に付いた。
「!」
 引き出しを開けると、封筒が一つ入っていた。
「おっ」
 中を確認すると、一万円札が四枚と千円札が二十枚入っていた。
「よしよし」
 にんまり笑って彼がその封筒をポケットに突っ込んだ瞬間。
 どーーん!

「空き巣ですって?」
「ええ。呆れたものよね。もっとも、不発弾の暴発のお陰で捕まったんだけどね」
「まあ、不発弾様々ね」
「そうですわね。ガラスがかなり割れたけど、そう思えば腹も立ちませんわね」
【完】



No.68『呪いの帳面』

「あれ、何このノート」
 高校帰りにフリーマーケットに立ち寄った四谷京作は、そのノートに目を留めた。
「ああ、それね」
 売り主の顔色の悪い中年の女は、溜息混じりに応えた。
「買って貰えると嬉しいんだけどね」
「?」
 そのノートは、アンティークなデザインの表紙が付いており、中の紙は百ページはありそうだった。
「これで五十円か」
 四谷はノートを開く。
 白無地の相当上質な紙だった。
「横線があるとちょうどいいけど……」
 ――すると、紙に八ミリ置き罫線が現れた。
「あ、あれ?」
「それは、呪いのノートでね。願い通りの体裁になるんだよ」
「の、呪い?」
「決してページを使い切ることはできないし、焼くことも破ることも捨てることもできないんだよ」
「燃えないとかは欠点とは思えないけど、捨てられないって?」
「そう」
 女はまた溜息をついた。
「どんなに逃げても、必ずやって来る。どこに捨ててもね」
「じゃあ、売れないんじゃない?」
「持ち主が変わったってことは、ノートにも分かるらしいよ。少なくとも、あたしにこれをくれた奴は、ノートと縁が切れたらしいしね」
「ふーん……でも、それってノートを忘れ物しないってことじゃない?」
「え? まあ、そうだね」
「俺結構ノート忘れること多いんだよね」
 ノートをぱたんと閉め、四谷は頷いた。
「よし、買った!」

「――四谷、お前最近ノートだけは忘れなくなったなぁ」
 授業中、友人の中井と四谷はこっそり雑談していた。
「まーね。ちょっとした裏技さ」
 四谷はにやりと笑ってノートを軽く叩く。
「こら、四谷、中井、何話してる!」
 教師にどやされ、二人は肩をすくめた。
「さーて、これから小テストを始める。筆記用具以外は机の中にしまえ! ――おい、どうした四谷、そのノート早くしまわんか!」
【完】



No.70『ふそくの事態』

「え、ええと、も、もう一度言ってくれるかな?」
 財布を見た四谷京作は、酔いが醒めていくのを感じた。
「四千五百十五円になります、けど」
 不審そうな目で、店員は彼にレシートを差し出す。
「五千円、だよ、ね」
 四谷は財布を確認する。入っていた筈の一万円札はなく、五千円札もない。あるのは、千円札ばかり。
「ボーナス後で油断してたかな、思ったより使ってるね、あはは」
 半分独り言のように喋りながら、四谷は財布の札入れから取り出した千円札を、ゆっくりと数える。
 一、二、三――おしまい。
「小銭だ、うん。面倒臭がって万札ばっかし使ってたからな」
 小銭を確認する。
 ――光沢のない茶色の硬貨ばかり。
「あは、その、ねぇ?」
 数えてみるが、せいぜい六百円。
「ツケって、きかない?」
「お待ち下さい、店長を呼んで――」
「待って! ほら、この定期、七万円で半年分のとこ、後一週間も残ってるから、これで足りない分に」
「申し訳ありませんが、現金かカード以外のお支払いは受けられませんので」
 店員の口調は冷たかった。
「この上着は? 青山で五千円もしたんだ」
 店員が無言で別の店員に目配せする。
「わ、分かった、社員証置いて行く。足りない分は明日きっと払うから」
 四谷が慌ててカード入れから社員証を取り出そうとした時。
「あっ」
 テレホンカードの間に挟まっている紙は正しく。
「や、やた、ほら、千円!」
 彼は札を広げて店員に見せる。
「いやあ、ははは、いつだかに返して貰った奴をつっこんどいたんだ! いや、すっかり忘れてた!」

「――という事があると思わないか、同志?」
「うむ。確かに」
「我々は未来の我々に対し、エネルギーの贈り物をしているわけだ」
「異議はない。未来には、高速増殖炉もきっと改良されるであろうしな」
 どぼーん。
「さ、任務終了だ。さっさとこの防護服を脱ぎたいものだ」
 海に沈んでいく無数のドラム缶を見届けた後、二人の士官は船室に入って行った。
【完】



No.71『やさしいひと』

「もう我慢できないわ。あの人には」
 長い沈黙の後、姉はぽつりと呟いた。
「そうかなぁ」
 妹は苦笑する。
「優しい人じゃない?」
「……そうね、優しくする優しくするっていつも言ってるわよね」
「口ばっかりって事?」
「本当に私の事を考えてくれてないのよ。あの優しさは王様の優しさ」
「いーんじゃない? あの人、あたしと付き合ってた時なんか、ひどかったよ。生傷絶えなかったんだから」
「傷だったらあたしだって。ほら」
 姉は傷を見せる。
「でも、あたしの時は、傷ができる事自体、お構いなしだったんだもん。まだねーさんの方が幸せもんだよ」
「いやよ、もう! あの人と別れるわ」

「おい、いいのかよ?」
 天ぷら鍋を流しに傾けようとした妻の手を、夫が止める。
「そんなもん流したら」
「いいのよ。この油は植物性で、分解されるんだから」
「それにしたって一回しか使ってないんだろ?」
「うるさいわね。地球に優しいって書いてあるんだから大丈夫でしょ」
 まだ熱い透明な油は、流しの排水口の中へ消えて行く。窓から射し込む月明かりが、油膜を虹色に輝かせた。
【完】



No.72『家事公連立』

「ねえ、伸行さん、これ読んだ?」
 晩酌をしていた野間伸行は、妻の晶子に夕刊を差し出された。
「家事公務員法?」
「これからは、主婦はみんな公務員扱いになって、給料を貰えるんですって」
「そういえば、そんな話が選挙の時にあったな」
 伸行は記事を読む。
「――なるほど、家事も労働として認め、その評価を地方自治体が行い賃金の支給をする、つまり主婦の公務員化、ねぇ」
「いいと思わない? これで私もきちんと給料を貰えるのよ」
「ま、収入が増えるのは賛成だな」
「もう。そんな簡単な話じゃないのよ。主婦っていうのはね、なににも所属してないっていう不安感がいつも付きまとってたの。それにね――」
 嬉々として話し続ける晶子の声をぼんやり聞き流しながら、伸行はコップ酒を空けた。

 数カ月が過ぎた。
「なあ、給料っていつになったら出るんだ?」
 朝食の食卓を囲み、伸行は尋ねる。
「なんの事?」
「なんの事って、公務員になって役所から給料が出るんだろ?」
「ああ、あれね。申請してないから」
「なんで?」
「だって、認定受けるための条件が難し過ぎるんだもん。等級によっちゃ学歴まで問われるし、筆記試験も面接もあるのよ、信じられる?」
「ふーん」
 この女に使わせている自分の給料は、法的には一体どんな扱いになるのだろう。伸行はそんな言葉を喉に引っかけたまま、不味い味噌汁を飲んだ。
【完】



No.73『ダメ・イッキ飲み』

「山ちゃんの、ちょっといいとこ見てみたい!」
 はやし立てる声と共に、グラスが満たされた。
「ち、ちょっと、中野さん、やめて下さいよ!」
 檜山恵美は一番大声を出している男を制止する。
「一気飲みは身体に悪いんですから!」
「なんだなんだ、ノリが悪いなぁ」
 不満そうな顔で、男は仲間の方を向く。
「いーよなぁ? 山ちゃんに飲んで欲しいよな?」
「そーだ、そーだ!」
「邪魔するなよ、恵美ちゃん!」
「白けるぞ!」
「ダメです! そんな事したら死んじゃうでしょう?」
「死ぬ?」
「この前だって、大学で死人が出てたでしょう!」
「わははは、そんな事ないって!」
 笑い声が部屋に満ちる。
「頼むからやめて!」
「でも、これ烏竜茶だよ?」
 男が見せたのは、間違いなく烏竜茶のペットボトルだった。
「だから死人が出ないとでも?」
 痺れを切らした恵美は、有無を言わさずペットボトルとグラスを引ったくった。
「一気飲みしてむせずにいられる人がどれだけいるんです。ケアスタッフの身にもなって下さい!」
 つまらなそうな顔をする老人たちをそのままに、恵美は血圧の計測結果をファイルに書き留めた。
【完】



No.74『けつばっと』

「けつばっと?」
「ああ。数百年前に存在した、伝統的な野球練習法らしい」
「それで、どうやるんだ?」
「こう、野球のバットで尻を叩くらしい」
「ち、ちょっと待て、そんな事をしたら、骨が折れるだろう?」
「その加減が重要だった、とこの文献にはある。この苦痛と加減を通じて、精神の鍛錬と成長をはかったとか」
「ほお。考えてみれば、バットはただボールを思い切り叩けばいいものではないな。あえて人間の尻を叩く事で、力加減や狙いを肌で感じたというわけか」
「そう。野球理論に実に乗っ取った訓練法なんだ」
「しかし、何故廃れてしまったんだ?」
「どうも人間を殴る事が野蛮だ、という理由らしい。文献によると『いちぶのせんぱい』なる一派が、けつばっとを始めとする無数の伝統的訓練法を廃止したらしい」
「なんて事を……貴重な文化遺産を」
「そう。だから我々国際文化財団が立ち上がる時だ」
 二十五世紀、生け贄、抜歯、バンジージャンプ等の項目に、古き新語『けつばっと』が加えられたのであった。
【完】



No.75『再会』

「ナオ?」
 ふいに声を掛けられ、田中直之は振り向いた。
 そこには、見慣れないヒゲ面の男が満面に笑みを浮かべていた。
「どちら様で――」
「忘れたのかよ、野島だよ、野島!」
「ノジ君!?」
「おうよ」
 野島行秀はどんっと分厚い胸を叩く。
「変わったねえ、ノジ君。いや、それよりもこっちに戻ってたんだ?」
「ああ、今度こっちにビル作る事になって、地元の奴を付けようってんで俺に白羽の矢が立ったって寸法さ」
 当然のように、野島は田中の隣りに座った。
「じゃ、乾杯だ」
「そうだね」
 二人はコップをぶつけ、乾杯する。
「それでナオ、お前は今何やってんだ?」
「ああ、僕は高校の時と一緒だよ、調理師免許取って家を継いだんだ」
「へえ、絶対この町出るって言ってたのにな」
「まあね。一生町の定食屋で過ごすと思ったら、逃げ出したくもなったけど」
 田中はぐっとコップを干す。
「ノジ君、あの時言ったろ? 『数え切れねえほどの人間に、手前ぇの料理を喰わせられるなんて、凄え仕事だ』って」
「あ、はは、言ったっけなそんな事」
 照れ笑いを浮かべ、野島はヒゲを引っ張る。
「あの言葉、後になってからずっしり効いて来てね。なんか、今は仕事が楽しいんだ」
「へえ」
 野島はぐっとペットボトルを差し出した。
「飲め飲め。今日は朝まで語り明かそうじゃねえか」
「ふふっ、酒があればもっと良かったんだけどね」

 翌朝。
 テレビカメラが、深刻な顔をしたレポーターと、木造の体育館を映す。
『津波警報の発令された尼約島の小学校に設けられた避難所では、住人たちが眠れぬ夜を過ごしました――』
【完】



No.76『バリアフリー』

 宇野陽介の電動車椅子は、道の何かに引っかかって止まった。
「なんだ?」
 動きにくい半身を引きずりながら、地面を見下ろすと、車椅子の車輪が点字ブロックに引っかかっていた。
「しょうがないな」
 一旦バックしてから、勢いを付けて前進する。
 がたっ。
 だが、思いの外大きな段差に加え、僅かに上り坂になっているため、乗り越える事ができない。
「っ」
 陽介は舌打ちして周囲を見回す。
 だが、他に誰も道を歩いてはいなかった。
「むぅ」
 彼は車椅子に引っかけてあった杖を取る。
 それから、先ほどの要領で助走を付け、点字ブロックに差し掛かった瞬間、杖でぐっと路面を突いた。
 がたがたっ。
 かなり激しく揺れながらも、ようやく車椅子は点字ブロックを通り過ぎた。

「そういう事態の為に、こちらの電波ブロックが有効なんですよ」
 介護用品業者の営業担当者は、市役所職員にサンプルを見せる。
 一つは凹凸のないブロック、そしてもう一つは薄いカードだった。
「このカードは?」
「ICチップとスピーカーが埋め込んであります。ブロックから出る電波を察知して、進路指示を行うんですよ。これで、凹凸に車椅子が引っかかる事はありませんよ」
 職員がカードをブロックに近付ける。
『――このまま直進して下さい』
 カードからかなり大きな声が出た。
「なるほど、これなら凹凸はいりませんね」
「これからは、様々な障害を負われた方それぞれの利益を最大限に満たす事のできる、技術の時代ですよ!」

「あれ、ここ」
 リハビリも進み、松葉杖で道を歩いていた陽介はふと足を止めた。
 以前、車椅子で立ち往生しかけた道の点字ブロックが、平らな色違いブロックに替わっていた。
「へえ、通りやすくなったのか。もう少し早けりゃなぁ」
 陽介はそのブロックを通り過ぎ、ハローワークへ向かった。
「とにかく給料高い仕事選ばないとなぁ」
 ハローワークの前は、ブロック張り替えの工事中だった。
「最近介護保険料、異様に高くなったし」
 



No.77『ふそくの事態』

「え、ええと、も、もう一度言ってくれるかな?」
 財布を見た四谷京作は、酔いが醒めていくのを感じた。
「四千五百十五円になります、けど」
 不審そうな目で、店員は彼にレシートを差し出す。
「五千円、だよ、ね」
 四谷は財布を確認する。入っていた筈の一万円札はなく、五千円札もない。あるのは、千円札ばかり。
「ボーナス後で油断してたかな、思ったより使ってるね、あはは」
 半分独り言のように喋りながら、四谷は財布の札入れから取り出した千円札を、ゆっくりと数える。
 一、二、三――おしまい。
「小銭だ、うん。面倒臭がって万札ばっかし使ってたからな」
 小銭を確認する。
 ――光沢のない茶色の硬貨ばかり。
「あは、その、ねぇ?」
 数えてみるが、せいぜい六百円。
「ツケって、きかない?」
「お待ち下さい、店長を呼んで――」
「待って! ほら、この定期、七万円で半年分のとこ、後一週間も残ってるから、これで足りない分に」
「申し訳ありませんが、現金かカード以外のお支払いは受けられませんので」
 店員の口調は冷たかった。
「この上着は? 青山で五千円もしたんだ」
 店員が無言で別の店員に目配せする。
「わ、分かった、社員証置いて行く。足りない分は明日きっと払うから」
 四谷が慌ててカード入れから社員証を取り出そうとした時。
「あっ」
 テレホンカードの間に挟まっている紙は正しく。
「や、やた、ほら、千円!」
 彼は札を広げて店員に見せる。
「いやあ、ははは、いつだかに返して貰った奴をつっこんどいたんだ! いや、すっかり忘れてた!」

「こ、これは!」
 自動発掘装置が掘り当てたのは、大量のドラム缶だった。
「おおっ、間違いない、本物だ!」
「どうした、野田?」
「隊長、これです!」
 野田ゾルターンが、識別装置の画面を見せると、発掘隊長の顔色が変わった。
「な、なに、これ全てがか?」
「はい」
「枯渇したと思われたプルトニウムが、こうまで大量に見つかるとは」
 感激に打ち震えながら、隊長はひときわ声を大きく張り上げた。
「よし、報告に戻る! 旧日本海発掘計画は大成功だ!」
【完】



No.78『保険』

「ガン保険、か」
 保険の外交員の並べた様々なパンフレットに、四谷京作は目を通す。
「ええ。現代、どんな不幸にも、諦める事なんてありません。私たち山門保険が、完全サポートいたしますわ」
 外交員はぺらぺらと喋る。
「災害や事故の特約も付くのか……」
「はい。もちろんですわ。不測の事態を補ってこその保険ですから」
「なるほどなぁ」
 四谷は溜息をつく。
「でも、保険がなけりゃ安心できないってのも、何だか本末転倒かも知れないなぁ」
「とんでもない。健康保険や国民年金だって、言ってみれば保険ですわ。年金のない老後なんて考えられないでしょう?」
「ま、確かに」
 もう一度パンフレットに目を向ける。
「それにしても掛け金高いなぁ。今の会社だって、一生雇ってくれるわけでもないんだし、ちょっとなぁ」
「あら、そんなこと」
 外交員はにっこり笑った。
「保険金滞納保険をかければよろしいですわ。ちょっとお高くなりますけどね」
【完】



No.79『アリとキリギリス』

「毎日コツコツ働いてばっかりで、イヤにならないのかい?」
 居酒屋のカウンターに座ったキリギリスは、鼻歌混じりにビールを空ける。
「別に好きで働いてるわけじゃねえけど、仕事ってのは地道にやるからこそだろ」
 アリはモロキュウをぱりぽり食べる。
「いやーご立派、真面目だねぇ」
「お前が不真面目過ぎるんだ。いい歳して歌手だなんて。ちゃんと定職に就かねえと、家族も家も持てねえし、社会的な信用もなくなるし、何たって老後が悲惨だぞ」
「かー、バカバカしい。身体も頭も衰えた状態で、今の半分も楽しめるかい? 楽しむ能力があるうちに楽しむべきなんだよ。今は、老後への助走なんかじゃない、立派に人生本番なんだよ」
「ふん、後で泣いても知らねえぞ」
「今笑えなくて後に笑える保証があるもんかね――店員さーんお勘定お願い」

「リストラ、ですか?」
 平伏していたアリは、思わず顔を上げる。
「控えよ、女王の御前なるぞ!」
 女王アリのお付きが一喝する。
「で、ですけど、そんな、俺は一生この巣で働くつもりだったのに!」
「わらわとて心苦しい。じゃが、今年の冬は予想以上の寒さ、現在の巣の蓄えでは汝ら働きアリを全員は養えぬ」
「し、しかし!」
「働き者の汝の事、今までの蓄えもあろう?」
「そ、それはそうですが」
 アリはそれ以上何も言い返さなかった。いや、女王に言い返せるわけもなかった。

 辛うじて冬を越せるだけの食べ物と共に、アリは小さな穴にこもった。
「ああ、これからどうすれば……」
 寒さが身に染みる。
 何より、女王から見放された空虚感が心を支配する。
 保証されていた筈の一生、幸せ。
「畜生っ」
 居たたまれぬ気分で、アリは穴の外に出た。
「少しでも、餌を手に入れよう。これから先どうなるか全く分からねえんだ」
 だが早い冬に包まれた森に、めぼしい食べ物はなかった。
「くそぉっ、こんな事がもしもずっと続いたら、冬が終わった後も餌が手に入らなくて、いや、怪我でもしたらそれだけで仕事もできなくなるんだ。そうなれば社会的な信頼もゼロになって、しまいにはホームレスだ……」
 絶望的な気分で、アリは歩く。
 歩き回るうちに、川の畔にたどり着いた。
 澄んだ水面は灰色の冬空を映す。
「いっそ、このまま――」
 その時、ふと聞き覚えのある歌声がした。
 みれば、河原の石にもたれ掛かる様にして、キリギリスが座っていた。
「キリギリス!?」
「やあ、アリさんか」
 歌を止め、弱々しくキリギリスは微笑む。冬の寒さに凍え、何も食べていないのかガリガリに痩せていた。
「ひでえ姿だな、キリギリス」
「ふふ。まあね」
 キリギリスはきりのいいところまで歌ってから、アリの方を向いた。
「言わんこっちゃねえ。あんな生活してるから――いや、結局、立場は一緒か」
 自嘲気味にアリは笑った。
「俺たちは、もっとほどほどに生きるべきだったのかもな」
「ん? 僕は別に後悔なんかしてないよ」
 楽しげにキリギリスは笑う。
「僕はアーティストとして夢を追ってるんだ。それは前も今も変わらない」
「でも、結局叶わなかった夢だろ」
「違うよ。まだ叶ってないだけさ」
 キリギリスは空を見上げる。
「綺麗な空だね」
 灰色の空からは、いつしか雪が降り始めていた。
「最高の、ステージだ」
 キリギリスは歌い始めた。灰色の空と雪に、歌声は解けて消えた。
 歌が終わってから、アリは河原を立ち去った。振り返りそうになる自分自身を抑えながら。
【完】



No.81『欠陥建築』

「ちょっと、あなたの作った建物ひどすぎるんじゃないですか?」
 客は写真を何枚か並べる。
「ひどいと言われてもなぁ」
 施工業者は眉をひそめる。
「ひどくないって言うんですか? ほら、見て下さいよここ、ほらここ。建築基準と全く違うじゃないですか」
「違う?」
「釘を使い惜しみしてるでしょう? 一本も入ってないじゃないですか」
「いや、それはその方が仕上がりが綺麗だし」
 戸惑いながら業者は写真を手に取る。
「それだけじゃないですよ。確かに一見外観は綺麗ですけどね、壁の中に断熱材も入ってないじゃないですか」
「断熱材?」
「それどころか、電気のコンセントもなけりゃ電話線もないんですよ? こんな所人間が住めますか?」
「そう言われても」
「その上、木造だから火事になったらあっと言う間に丸焼けですよ? なのに防火設備もなくて。わざわざスプリンクラー増設したんですよ?」
「は、はぁ」
 写真を何枚も確認しながら、施工業者――イタコの口を借りた室町時代の名工――は、ただひたすら頭を掻いていた。
「国宝だか何だか知らないけど、管理させられる身になって下さいよ!」
 優越感に浸りつつ怒鳴る僧侶の顔は、今までに見せたことがないほど晴れやかだった。
【完】



No.82『採用基準』

『求む
 高給優遇(委細面談)、住み込み。
一、三キロのカレーライスを三十分で食べられる事。
一、百メートルを十秒台で走れる事。
一、何らかの武芸の有段者である事。
一、アニメーション作品について語れる事。
 連絡は赤井(**−***−****)まで』

「あのー、連絡した山吹って者です。面接に来ました」
 山吹三郎は、その屋敷のインターホンの前で何度か頭を下げる。
『山吹様ですね。お待ちしておりました』
 門が開き、スーツ姿の執事が山吹を出迎えた。
 門から屋敷への長い道を執事と山吹は歩く。
「あの、一体どういう仕事――」
「山吹様、昨日の『プラネットクロス2』はご覧になられましたか?」
「ああ、PC2の二十三話ですか。なんか、画が荒れてましたよね」
「はい。どうやら成田でトラブルがあったらしいですよ」
「うげっ、七話の悪夢が」
「ははは、そこまではないと思いますよ」
「そ、そうですよね。あの時は作監が案野でしたし」
 そこまで話した時点で、山吹はふと気付いた。
(ま、まさか、面接はすでに始まってる?)
 彼の表情に僅かに緊張が走る。
(あまりに自然な振りだったから気付かなかったが……これはうっかりした事できないな)
「さ、こちらへ」
「はい」
 執事に従って山吹は歩く。
 歩く、歩く、歩く、歩く歩く歩く歩く歩歩歩歩歩歩走走走走走走る走る走る走る走る、走る、走る!
「さあ、こ、こちらが玄関になります」
「はい」
 玄関の段差を越えようとした山吹は、自分が汗だくである事に気付いた。
(な、なんだと? いつの間にか俺は走っていたのか! 侮りがたし執事……)
 屋敷は和風の建物だった。
「靴をどうぞ」
 執事に勧められるままに靴を脱ぎ、スリッパに履き替えると、客間に通された。
「お疲れでしょう、生憎主人は所用で出かけております。三十分すれば戻りますのでお待ち下さい」
 執事が恭しく盆を運んで来た。
「ああ」
 山吹は茶と茶請けを食べながら、執事と話しつつぼんやり三十分を過ごした。
「いや、お待たせ」
 客間に入って来たのは、まだ若い、山吹と同じくらいの男だった。
「うん、合格だね」
「えっ?」
 ふと気付くと、お茶請けに出ていたのは巨大な皿に盛られた