メガネ、メガネ……
ごんぱち
「じゃあこれは?」
おじいさんの校医の先生が、目のけんさの「C」みたいなかたちのマーク、「ランドルトかん」をさします。
「左!」
ピトラははっきりこたえます。
クラスメイトのうちのなんにんかは、「えっ?」という顔をしますが、こういうけんさの時は、なにも言ってはいけないのがルールです。
「……こっちは」
「上」
マークも上をむいています。
「じゃ、これは」
「左ななめ上」
マークは右ななめ上。
ハズレです。
「はい、ありがとう。じゃあつぎのひと」
校医の先生は、つぎのクラスメイトに声をかけました。
それから少したったある日。
「ただいまー」
ピトラは学校から家に帰って来ました。
「あらあらあら、おかえりピトラ」
仕事のへやから、お母さんのピピラさんが顔を出します。
「おお、にいちゃん、かえったか」
妹のポテトがかけよって来ます。
「ただいま、お母さん、ポテト」
「にいちゃん、あそぼう。ぬいぐるみで、しゅじゅつごっこだ!」
「ひとりであそんでよ。今やってるゲーム、そろそろクリアなんだよ」
「だいじょうぶ、にいちゃんはインチョウやくだ。イスにふんぞりかえって、しんだんしょにハンコをおすだけでいい」
「よけいイヤだよ! そんな黒い役!」
「だったら、しっぱいのせきにんをなすりつけられるかんごしにするか?」
「イヤだというのに。ポテトのあそびは、さいきんそんなのばっかりじゃないか」
「このまえは、しんぞうで、こんかいはおなかだぞ」
「しらないよ、そんな小さなちがい」
「もう、おとはないつも、ポテトたちのことをわかってくれない」
「ぼくは大人じゃないし、たぶんポテトも大人のことはぜんぜん分かってあげてないでしょ」
「……にいちゃんは、ラグヤでもないのにむつかしいことを言うなぁ」
「頭を使うのがラグヤのせんもんってワケじゃないんだよ」
ピトラはポテトをあしらいながら、ランドセルをおろし、中からふうとうをとりだします。
「お母さん、なんか、先生がこれわたしてって」
「あらあらあら、ありがとう、ピトラ」
ピピラさんはふうとうをあけて、中に入っているプリントを読みます。
「なんなの、それ?」
「きっと、にいちゃんがあんまりわるい子だから、学校をやめさせられるんだな」
「そういうことを言うのは、この口かっ!」
「あははは、にいちゃんがおこった!」
おいかけっこをしながら、ピトラとポテトは二階へかけあがって行きました。
のこされたピピラさんは、もう少ししてから、プリントを読みおわりました。
「まあまあ……」
ピピラさんはためいきをつきます。
「ピトラがこんなに目が悪くなってたなんて、ちっとも気づかなかったわ」
とん汁、サンマ、ポテトサラダ、それからダイコンのすのもの、おつけもの。
ばんごはんがのったテーブルを、ピトラとポテトとピピラさん、それからお父さんのポポトさんがかこみます。
「――メガネをつくる?」
ピトラがききかえします。
「ええ」
ピピラさんは、うなずきます。
「ピトラ、あなたの目のけんさ、よくなかったのよ」
「そうなのかい?」
ポポトさんが不思議そうな顔をします。
「ピトラがなにか見えなくて困ってるとこ、見たことないけど」
「いや、とうちゃん、にいちゃんの目は、見えてそうでみえてないぞ。このまえのおやつのときも、クッキーを四つもとったけど、きづかなかった」
「そんなことで怒るのは大人げないからほっといただけでしょ!」
「それはおかしいぞにいちゃん、にいちゃんはおとなじゃないって、さっき言ってた」
「やかましい!」
「ピトラ、これ読めるかい?」
むかいにすわっているおとうさんが、しょうゆのボトルのラベルをピトラのほうにむけます。ラベルには、小さい字がびっしり書かれています。
「え? はい、えーと、なんとかアルコール、食べる……塩? 大豆」
「あらあらあら、読めてるわね」
ピピラさんは首をかしげます。
「こんなにはなれてるのに」
「ひょっとすると、遠視かな?」
「にいちゃんの目、おかしいのか? たしかに目つきはわるいな」
「知っているか、ポテト。だれかの悪口を言うのは、自分の悪口を言うのといっしょなんだ」
「にいちゃんは世界一かわいいな、えらくて、かわいいな」
「……現金だよ、お前は」
「ってことは、にいちゃんがゲンキンなんだな?」
「ぐはっ!」
「とにかく、いちど、きちんとけんさしてもらいましょ」
「そうだね、ピピラさん。こんどの休みでよければ、ぼくがつれていくよ」
つぎの日。
教室で授業をうけるピトラは、黒板をながめます。
字ははっきり見えます。
(メガネ、かぁ)
クラスの中でも、メガネをかけているひとはいます。
(体育の時とか、めんどうそうだなぁ)
ピトラは、自分の顔に、メガネをかけたところを考えます。
(んー、なんか、イメージがさっぱりわかないな)
ノートのすみっこに、メガネをかけたピトラの顔をかいてみます。
(ダメだ、ぼくの顔に見えない)
メガネはあんまりイメージがちがいますし、ピトラの絵はそんなに上手というワケでもないのです。
「では、ピトラくん次を読みなさい」
ゴレイト先生が、ピトラをさします。
「え……ええと」
ぼんやりしていたので、ピトラはどのページだか分かりません。
「あ、そうか」
ゴレイト先生はなにかにハッときづきます。
「いや、今日はいい。こんど当てるからな」
「は、い?」
(え? 一体どうしたんだ?)
ピトラは不思議に思いながらもすわります。
(……そうか、目が悪いから、メガネができるまでまってくれるんだ)
「じゃあ、つぎはタオーゼくん、読みなさい」
「えっ! いや、その、ええと」
タオーゼがしどろもどろになっています。
「聞いてなかったのか、このバカチンがぁ!」
学校が終わり、ピトラはサリスとかえります。
「――それで、なかなかグロックが出てこなくてよ」
「うん……」
(メガネ……)
むかいからやってくるおじさんは、メガネをかけていました。ピトラの顔には大きそうです。
「けっきょく、四時間も同じとこをウロウロしちまったぜ。がははは」
「そう……」
サリスを見ます。サリスはメガネもコンタクトレンズもつけていません。
「次の日やってみたら、これがすぐに出たんだよ。まったく、さがすのをやめたとき、見つかるなんてな」
「まあ、よくある話だよね……」
「おい、ピトラ?」
サリスは少し心配そうです。
「んー?」
「なんか、元気ないな」
「いやあ、そんなこともないと思うけど」
あわてて、ピトラはごまかしました。
(メガネ、かぁ)
家に帰って、夜になってふとんに入っても、ピトラはメガネのことをかんがえていました。
(重いのかな)
自分のメガネ。
きんぞくのフレームと、ガラスのレンズ。
(ガラスが顔の前にあるなんて、こわいなぁ)
しかも、なにかでとまっているワケではありません。耳と鼻にひっかけてるだけなのです。
(下をむいたら落ちるんじゃないかな)
下をむいて、すとん、と落ちるメガネ。
落ちそうなのをあわててうけとめます。
でも、一体、下をむくことなんて、これから何回あるでしょう。数えきれません。
落ちて、うけとめ。落ちて、うけとめ。落ちて、うけとめ。落ちて、うけとめ。
まにあわずに、じめんに落ちて、レンズがくだけちります。
(ああっ!)
バラバラにわれたレンズを、せっちゃくざいでくっつけますが、また、落ちてしまいます。
なんども、なんども、なんども、レンズはわれて、せっちゃくざいでくっつけて。
しまいには、こなみたいになったガラスと、せっちゃくざいのかたまりになってしまいます。レンズの形にしようとするけれど、やればやるほどおだんごみたいになってしまう。
せっちゃくざいは、手にくっついて、うっかりさわったほっぺたにくっついて、ゆかに、カベに、てんじょうに、ベタベタベタベタくっついて、もうみうごきもできなくて……。
「はっ!」
ピトラは目をさましました。
「ゆ、夢か……」
あせを、びっしょりかいていました。
「メガネ……イヤだなぁ」
何日かして、ピトラはポポトさんと目医者さんに、けんさにやって来ました。
カベにつけた「C」みたいなマークではなくて、けんびきょうみたいにのぞく機械に「E」みたいなマークが、上をむいたり横をむいたりして出て来ます。これの切れている方を答えるのです。
「――これは?」
ピトラの前にすわって機械をそうさしながらお医者さんがたずねます。きれいな若い女のお医者さんです。
「……右です」
ピトラははっきり見えている通り答えます。
お医者さんは、少し首をかしげてから、機械をそうさしました。
マークがきりかわって、こんどはひらがなになりました。
「これは読める?」
「『う』です」
「これは」
「『し』です」
「これは」
「『さ』です」
「これは」
「『ま』です」
「ピトラ君、ちょっと機械から目をあげて、こっち見てくれるかな?」
「は、はい」
ピトラはお医者さんの顔を見ます。
「こっちは右? 左?」
お医者さんは右手をあげます。
「右です」
「それじゃあ、ピトラ君」
お医者さんはイスから立ち上がって、ピトラの後ろに立ちます。そして、ピトラの顔の横から、にゅっと左手をのばしました。
「これは?」
「左です」
「ぷっ」
お医者さんはふきだします。
「ぷっ、ふふふっ、ははははっ!」
「え? なんですか?」
耳のすぐ後ろで笑われて、息があたってなんだかくすぐったいです。
「あはははは、あのね、ピトラ君」
お医者さんは、また、ピトラの前のイスにすわります。
「君、あのマークの右と左、わたしから見たむきを、答えてたでしょう?」
「ちがうの?」
そうです。
ピトラは、向かいがわにいる、先生から見た向きを答えていたのです。
だから、上や下は当たっているのに、右と左をぎゃくに答えていたのです。
「そのままで良いのよ。向かいがわの私じゃなくて、ピトラ君がマークを持ってるって思ってみて?」
「は……はい」
ピトラはもう一度、けんさの機械をのぞきます。
「これは?」
「E」みたいな形です。
「……右です」
「これは?」
こんどは少し小さな「ヨ」みたいな形。
「左です」
「これは?」
ずっと小さな「ヨ」みたいな形。
「左です」
「そう、そういうことよ」
「小学生にもなって、右と左をまちがえるなんて……」
ピトラははずかしくなって来ました。
「ははは、そんな顔しなくて良いわ」
お医者さんはピトラの頭をぽんぽんと、やさしくたたきます。
「たまにいるのよ、ひとの気持ちになっちゃう子が。そういう子は、だいたい、思いやりのあるやさしい子。わたしは大好きよ」
「そう、かな?」
ほめられて、ピトラはまたはずかしくて、でも何だかとてもうれしくなっていました。
「ええ。お医者さんの言うことは信じなさい」
「それじゃ、メガネは……」
「もちろん、ゼンゼンいらないわ」
「――あらあらあら、そうだったの?」
家に帰って、ピトラの話を聞いたピピラさんは、おどろいて、それから笑います。
「なんかおかしいと思ったんだよ」
おやつのにんじんケーキを食べながら、ポポトさんも笑います。
「にいちゃん、右は右、左は左だ、まちがえるなんて、どうかしてるぞ」
ポテトはえらそうです。
(そっか、メガネはいらないのか)
ピトラは自分の顔をさわります。
メガネもレンズもない、いつもどおりの顔です。
(やれやれ、ホッとした)
ピトラはにんじんケーキを食べます。
「おいしいね、これ」
「そう? よかった。たまには作ってみるものね!」
(ホッとしたけど)
ピトラはもうひとくち、にんじんケーキをたべます。
(もう、メガネをつくることも、目医者さんに行くことも、ないんだなぁ)
さびしいような、ガッカリしたような、なんだか、とてもヘンなかんじがしていました。
【おしまい】
|