注射はぜんぜんこわくない

ピトラのばんがまわって来ました。
ぷすり。
きゅぅぅぅぅぅぅ。
(いたくない、いたくないっ、いたくないっ)
ピトラは、うでにささる注射器をずっとみつめます。
しっかり見ていると、いたいのがいつ来るかわかるので、びっくりはしないし、こわくもないのです。
(いたくないっ!)
すいっと注射の針がぬかれ、ぬれた白いだっしめんがあてられます。
うでがまだジンジンしますが……。
(これぐらい、冒険でぶつけたりころんだりするのとくらべたら、どうってことないもんね)
なみだ目になりながら、ピトラはうでをおさえました。
ピトラは、おいしゃさんに頭を下げて――。
「ありがとうございました」
「おお、まだ小さいのにえらいね。おだいじに」
おいしゃさんは、にっこりわらって、うけつけの紙にポンとハンコをおしました。
まあ、ピトラだっていたくないわけでも、こわくないわけでもないのです。
でも……。
「ぎゃあああっ、いたいっ、いたいっ」
ピトラのあとで注射をされた子が、なきさけんでいます。
(あれはみっともない、うん、ああはなりたくないなぁ)
ピトラはみえっぱりなのです。
「……ガマンできたのはほんとうじゃないか」
保健センターのロビーで、ピトラは注射のあとをおさえながら、お父さんのポポトさんをまちます。
ロビーは人がいっぱいです。
(おとうさんも、注射するみたいだけど、お父さんはないたりしないんだろうなぁ)
あたりまえです。
(まあ、大人はおっきいから、注射の針なんかささってもへいきなんだろうなぁ)
そんなワケはありません。
「……ピトラもきてたのか」
ふいにこえをかけられました。
「あ、ラグヤ」
ラグヤも注射をおえたみたいで、うでをだっしめんでおさえています。
「ラグヤもおわったの?」
「……うん」
「いたかった?」
「……さあ?」
「さあって。注射したんでしょ?」
「……円周率をあんしょうしてたら、おわった」
「えんしゅう、りつ……?」
(よくわかんないけど、そのあたりもふくめて、ラグヤらしいなぁ)
「おう、ピトラ! なきごえがこっちまできこえて来たぞ」
「そうだそうだ、きこえ――ん? きこえなかったぞ、サリス? ウソはよくない」
サリスとノクタもやって来ました。二人とも、だっしめんでうでをおさえています。
「サリスこそ、ないたんじゃないの?」
「そんなワケないだろ。ぐっとこう、おくばをかみしめてガマンすれば、なみだなんてひっこんぢまう」
「なきそうにはなったんだ」
「なにを?」
ピトラとサリスはにらみあいます。
「オレは、ぜんぜんだいじょうぶだったぞ。あと十本うったってなくもんか」
「へへんだ、ぼくなんか、あと百本うってもだいじょうぶだよ」
「……そんなにうったら、たぶんわるい病気になる」
「ちゅうしゃはひつようなりょうだけうたないと、あぶないぞ」
「ぐはっ、味方からツッコミがっ!」
「……じゃあ、また」
「つぎはなくんじゃないぞ、ピトラ」
「またな、またな、ピトラ」
ラグヤとサリスとノクタは、かえっていきました。
「またね」
ピトラはまた、ロビーでお父さんをまちます。
「たいくつだなぁ」
おいしゃさんなら、絵本の一冊もあるのですが、保健センターのロビーには、しんぶんがおいてあるばかり。
ひとがいっぱいいますから、あちこちあるいていると、まいごになりそうです。
「おとうさん、おそいなぁ……」
おとなの注射のれつは、ずいぶんながくて、なかなかすすみそうにありません。
「あーあ」
ピトラは、おさえっぱなしだっただっしめんをとります。
もう、血もかたまっていました。
「やれやれ」
ぬれただっしめんは、へんなにおいがします。
ピトラはだっしめんで、手をちょっとふいてみます。
すぅっ。
すぅっとして、ひんやりして、なんだかきもちがいいです。
「水とちがうんだよね」
なんどもなんども手をふきます。
すぅ。
すぅぅ。
すうぅぅぅ。
「夏に体をふいたら、きもちよさそうだなぁ」
それからしばらくピトラは手をふいていましたが――。
「……さすがに、これ一つでじかんはつぶれないなぁ」
ピトラはイスからたちあがります。
「トイレでもいこう」
『トイレ』と、大きくかかれたあんないばんのさきに、トイレはありました。
古くてカベにはヒビが入っていましたが、トイレはトイレです。
おしっこ用のべんきがふたつ、こしつがひとつ、そうじようぐ入れがひとつ。
ピトラがおしっこをしていると――。
がた。
なにか、うしろで音がしました。
「ん?」
チャックをあげながら、ピトラはふりむきます。
ところが、こしつはドアがあいたまま、だれも入っていません。
がたがた。
「え? だ、だれ?」
がたがたがたがた!!
「うひゃあああっ!」
ものおとといっしょに、そうじようぐ入れから、小さな男の子がころげ出て来ました。
「な、なんだ、びっくりした」
ピトラよりもちいさい、ようちえんの子みたいです。
「こんなとこであそんじゃダメでしょ」
ピトラがいいましたが、男の子は――。
どたどたどたっ。
また、そうじようぐ入れに入ってしまいました。
「あそぶとこじゃないってば」
ピトラはドアをあけます。
「ぼく、いないよ」
男の子はカオをかくして、言いました。
「いるじゃない」
「いないの!」
「いるかいないかは、じぶんじゃなくて、ほかの人がきめるものだよ」
「??」
「って、カソが言ってたんだけど」
「じゃあ、いてもいいから、だれにも言わないで!」
男の子はなきそうです。
「ははぁ」
ピトラはわらいます。
「キミ、ちゅうしゃがこわくてかくれてるな?」
「か、かんけいないでしょ」
「ひとは、どこかしらでかんけいがあるものだよ。袖触れ合うも他生の縁っていうでしょ」
「そで?」
「まあ、イミはぼくもしらないんだけど」
ピトラは男の子のうでをつかみます。
「さあ、いかないとお父さんかお母さんがしんぱいしてるよ」
「やだーーーー!」
男の子はなきだします。
「注射なんて、ちょっとのことじゃないか」
「いたいのイヤだよ!」
「あんなのがいたいって? ぼくはいままで、いろんなぼうけんをして来たけどね、注射よりもずぅぅぅぅぅぅぅっといたいことも、こわいこともあったよ。そんなのとくらべればどうってことないね」
「ぼうけん?」
「ゆめの世界でだけど、ほんとうのことなんだよ。ほら、ツキト町にきょうりゅうが出たことあったでしょ? あれも、ぼくがかいけつしたんだ」
「えええっ! ほんとうに? あれはたしか、どこかのけんきゅうじょからにげたって」
「ぜんぜんちがうんだよ。じつはね――」
ピトラは男の子に、いままでのぼうけんのうちの、ほんのいちぶぶんを話して聞かせました。
「――うわぁ、すごいんだね……」
「いやぁ、それほどでもあるけどね。ちょっとしたえいゆうだから、へへへ」
「じゃあ、ちゅうしゃなんてぜんぜんこわくないの?」
「もちろんだよ」
「だったらさ、かわりにしてきてよ」
男の子は、うけつけの紙をさしだします。
「え?」
「ちゅうしゃ」
「そ、それはよくないよ。そういうことじゃないでしょ」
「おねがいだよ、いたいのイヤなんだよ。こわいよー」
男の子はなみだをながしながら、頭をさげます。
「ねえ、おねがいだからさぁ」
なんども頭をさげられるうちに、ピトラはなんだか男の子がかわいそうになってきました。
「……よし、わかった」
ピトラは、どんとじぶんのむねをたたきました。
「かわりにうけてあげる」
「ありがとう! ええと……なまえは?」
「ピトラだよ」
「ありがとう、ピトラ!」
ピトラは子どもの注射のれつにならびます。
(……二回目だったら、どうってことないや)
前のほうでは、泣いている子がいます。
(へへん、みんなぼくがうけてあげてもいいんだよ)
すこしづつ、れつが前にすすんでいきます。
(いたいのは、ちょっとだけだもん)
また、べつな子がなきだしました。
(ちょっと……だけ)
にげようとする子もいます。
「……やっぱり、二回もやるのは、イヤだなぁ」
なんだか、きゅうに足がガクガクふるえてきました。
(ぼうけんしてたって、いたいものはいたいんだよ。じょうだんじゃない)
でも、にげだそうとすると――男の子のなきがおがうかんできます。
(そうだ、ぼくは、あの子のためにやってるんだ。えらいんだ、だから)
とうとう、ピトラのじゅんばんがまわって来ました。
ピトラはおいしゃさんのカオを見ないようにして、うけつけの紙を出して、それから腕を――。
「ん? キミはさっきうけただろう?」
おいしゃさんは、言いました。
「なっ、なんでそれを!」
「うでに注射のあとがあるじゃないか」
それから、おいしゃさんは、うけつけの紙も見せます。
「年も三才じゃあないだろう?」
「う……」
「カオにも見おぼえがある」
「そ、それは……」
おとなはそんなにあまくありませんでした。
「もうしわけありません」
「いえ、こちらこそ、もうしわけありません」
ピトラのお父さんと、男の子のお父さんが、たがいに頭を下げます。
「ピトラ、注射がだいじなものだってしっていただろう? かわってあげられるようなものじゃないって、しっているだろう?」
いつになく、お父さんは本気でおこっていました。
「う……」
「こういうときは、お兄さんのピトラがきちんとおしえるべきなんだ。もしも、この子が注射をうけられなくて、インフルエンザにかかったら、どうするつもりだったんだい」
「ごめんなさい」
(うー、いいと思ってやったのに)
ピトラも、わるいことをしたとは分かっていますが――。
(こんなにしかられるとはおもわなかったよー)
「小さい子がまちがっていることをしたら、なおしてあげるのが大きい子のやくめなんだよ、わかってるかいピトラ!」
「ごめんなさぃ」
(うー、だれか、しかられるの、かわってーーー)
【おしまい】
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