ENTRY 1
ラクダは楽だ
ごんぱち◆◆
四谷京作が降りた直後、小さな爆発音がしてボンネットから炎が上がり始めた。
「うわっ、わわっ!」
沙漠の灼熱の太陽に熱せられた車体を、炎が瞬く間に包んでいく。
「な、なんてこった」
砂の上にガックリと膝を突く。
「あのレンタカー屋め」
ため息混じりに周囲を見回す。
地平線まで一面の砂と石ころ。
砂に覆われたのか、方向を間違っていたのか、道路らしきものの姿もない。
「……街まで、二〇キロ、ぐらいの筈だな」
ゆっくりと四谷は歩き始めた。
「畜生、海外出張だって喜んでれば!」
「はぁ……はぁ」
沙漠の中を、独り四谷は歩く。
砂に足を取られ、歩みは限りなく重い。
「大した、距離でも、ないと、思ったのに」
振り向いても、車の残骸はもう見えない。前を見ても街らしきものはまだ見えて来なかった
「はぁ、はぁ……はぁ」
出た瞬間に汗は乾き、流れる事がない。カサカサに乾いた唇は、ひび割れ、血が滲む。
「畜生、こんなとこ、で……」
四谷の膝はがっくりと折れ、どうと砂の上に倒れ込んだ。
「熱い……疲れ、た」
仮に起き上がれたとしても、次の一歩を出すだけの気力が、残っていなかった。
四谷の呼吸と、熱風の他に、音がなくなる。
間もなく、熱風の音だけに――。
四谷の眉が動いた。
それ以外の音が。
規則的な、そして、力強い足音が、四谷の耳に飛び込んで来た。
目を見開き、身体を起こすとそこには。
「ラクダだ!」
ラクダの背に乗り、四谷は進む。
「ああ……なんて素晴らしい」
ラクダの瘤にしっかりと抱き付く。
「ラクダ、ああ、ラクダ、ラクダ、本当に」
一瞬、風が止んだ。
「本当に……」
まるで、四谷の次の言葉を待っているかのように。
「助かった!」
ラクダは急に立ち止まると、振り向いてじぃぃっと四谷の顔を睨む。
「な、なんだ? 違うって?」
こくこく。
「ええと、それじゃあ、ラクダは、ら――」
砂ネズミも蛇も、待ちかまえている。
「ラッキーだ!」
ぶぼっ。
「わぶっ、胃液! 胃液吐いた! 臭っ、すごい臭っ! なんだ、これも違う?」
ぶん、ぶんっ!
「んな事言われても、心からの言葉なのに……あー、それにしても、ラクダって本当にらく」
ラクダは期待を込めた目で四谷を見つめる。他の動物、風、雲、その更に上の人工衛星さえも、じっと四谷に照準を合わせる。
「らくちんだぁ!」
次の瞬間、絶望の表情をしたラクダは、四谷を振り落とし、地平の彼方まで走り去った。
ENTRY 2
盗賊になりたいか
荵◆◆
ようさあ、田舎のコンビニにさあ、夜中たまっとる奴らっておるっちゃろ? 俺もそうやったんちゃ。自覚はあったんよ。理由は仲間それぞれ色々ちゃ。何かよう集まっとったなあ。こっちに越して来てからはないけどな。当たり前か。
お前、見よったら思い出したっちゃ。ちゃうちゃう。元カノの話と違う。あのなあ、ちょっと長なるけど、ええ?
あのなあ、中学ぐらいの時やけど、俺ら、硬派やったからいつも男ばっかでおってな、誰の腕っ節が強いかとか、むかつく先公の話とかそんなんばっかしててな、俺らグループの名前もあってんで、あのなあ、モテてないとかいうなや。まあ、そうやったんやけど。そん頃の俺らのファッションとか今みたらビビるで。いかついでー。写真、ないなあ。今度実家帰った時もってくるわ。
ちゃうって、あのなあ、そん頃な、まあ、田舎やから、客とか深夜に全然おらんねんけど、女の子がなあ、え、ちゃうちゃう、どんくらいって小3や言うてたけどな。そう、こんなこまい子でな。深夜に来るんちゃ、コンビニ。しかも生傷作ってな。いつもやったな。いや、理由は知らん。聞いてへん。いや、聞いたけど答えへんかったな。なまいきな子でなあ。俺らも子供やったから、まあ年もそないに変わらんやろ。だからな、仲間もさ、その子からかったりしよったんちゃ。この不良少女が、俺らと同じやなって。
「あんたらみたいな盗賊と違う。あたしの方が絶対マシちゃ」
捨て台詞みたいにな、よう言うとったよ。すごいマジできつい目しててな。
そう、俺ら、自分で自分らの事、シーフって言うてたんちゃ。ゲームの職業でな、あってな、あの子もゲームしとったんやろな。まあ、俺らのやってることはカツアゲとか、万引きとかその程度やったちゃ。きついな。
そんなんしててな、けっこう仲良うしててな。当時は邪魔臭かったけどな。UFOおごったげたりとか。万引きのじゃなくて。そういうのは受け取らんかったよ。ちっちゃいのにな、今思うと。お返しにさバレンタインとかくれたなあ、微笑ましいな。深夜にやで。
でも死んでもうてな。ああ、噂やけど。近所の神社で首吊ったてな。ほんと、風。そんな噂。誰が言い出したのかわからんのちゃ。
いきなりコンビニ来んようになってな。何でやろなー。
しつこく誘っとけば良かったんかな。盗賊になりたいか、なんつってな。
もっと何とかならんかったんかなぁ、と思うんちゃ、たまにな。
ENTRY 3
秋桜と金魚草
青野 岬◆◆
あら。
……いいのよ気にしないで。疲れてたんじゃない? こんな世の中だもん、男の人も大変よね。それよりお客さん、せっかく一時間コースを予約してくれたのに、まだ時間が二十分くらい残ってるの。どうする?
……添い寝? もちろんいいわよ。それじゃあ恋人気分でふたり、お話でもしましょうか。あ、その前にイソジンでうがいさせてくれる? ほら顔が近いからさ、気になるのよ、いろいろと。ちょっと待っててね。
……お・ま・た・せ! あら今、有線でかかってるこの曲、百恵ちゃんの「秋桜」じゃない? 名曲よね。それに秋桜って死んだ母が一番好きだった花なの。特に淡いピンク色のやつがね。
……ねぇ金魚草って花、知ってる? 金魚に似た可愛い形の花が咲くんだけど、よく母が言ってたの。金魚草は死んだ金魚を埋めると、そこに育つんだって。だから金魚草の咲いている土の下を掘ると必ず、金魚の亡骸が出てくるんだって。
……アタシ昔から頭が弱かったから、すっかり信じちゃって。ためしに家で飼ってた金魚が死んじゃったとき、庭の隅っこに埋めてみたの。そうしたら一週間くらいして、同じ場所に金魚と同じ赤い金魚草が咲いたのよ!
……まぁ今思えば、それもきっと母がアタシを驚かすためにわざわざ植えたのよね。でもアタシもまだ子供だったから素直に感激しちゃって。うん、そういうお茶目な人だったのアタシの母親って。
……でもね、そんな母も今年の春に死んじゃった。心不全。あっけなかったな。親孝行もできなかった。孫の顔も見せられなかったし。ううん、いいのよ、気にしないで。もう立ち直ってるから。
……それでこの間のお彼岸に、お墓参りに行ってきたの。そしたら母のお墓のすぐ脇に一輪だけ咲いてたのよ、母の大好きだった淡いピンク色の秋桜が! きっとどこからか種が飛んできて、たまたまそこに根付いちゃっただけなんだろうけど。
……でもね、母のことだからアタシをビックリさせようとしたんじゃないかって、実は本気で思ってたりもするの。馬鹿みたいよね、いい歳して。でもきっと秋桜の花の下でアタシの驚く姿を見て笑ってるんだろうな、なんて。
……なんだかしんみりしちゃったね。ごめんね。あ、もうこんな時間。早く支度しないと。え? 楽しかった? そう言ってもらえるのが、この仕事してて一番嬉しい。アタシのほうこそ、楽しかったわ。ありがとう。
また指名してね。
それじゃ。
ENTRY 4
リコール
越冬こあら◆◆
「三の段ぐらい……簡単なんだが」
バシッ。
ため息とともに漏らした独り言だったが、いつの間にか目を覚ましていた助手席の班長に聞き咎められ、鉄拳制裁が下った。
「お、起きていらしたんですか」
俺は体勢を立て直し、左頬の血を拭いながら言った。
「めったな事を言うな。俺達には簡単な九九だが、ホシにとっては死活問題だ」
言いながら班長は、はす向かいに見えるアパートの二階を顎でしゃくった。アジトへの「張り込み」はそろそろ三十六時間を越える。
「人間リコール?」
「そうだ。三十九年前に三日月第三小学校二年三組で学習した三十六名の生徒が、九九の授業において『三の段』を学習していないという事実が判明した」
世間を騒がせた公立高校履修不足事件の亜流として、小学校における履修不足問題が発覚したという。いい加減な態度で役に立たない教科を履修する高校生と違い、小学生問題は「三つ児の魂百まで」といわれるように、人間形成の上で大きな欠陥となる。
特に『三の段』は「消費税三十三%導入」を目論んでいる政府を震撼させた。政府は、三十六名の欠陥人間をリコールし、催眠学習法による修復を行うことを決定。全国規模のリコールが開始された。
「しかし、自分がリコール対象であることが発覚すると『カッコ悪い』し、これまで築いた社会的地位を失いかねないと考える連中が逃走した為、我々公安局に捜査と逮捕が任された……というわけだ」
そう言うと局長は、我が班に張り込みを命じた。逃走した九名のうち、昨日時点での逮捕者が七名。残り二名については「生死を問わない」との密令が下されての張り込みだった。
決め手は、三の段の暗誦だが、ホシも必死だ。三の段を瞬時に逆に入れ替えて計算し、答えようとする。ホシを特定するには、そこを見破るしかない。
ガチャ。
突然、アパートのドアが開き、ホシが現れた。班長と俺は急いで車を降り、アパートに向かう。班長がいきなりホシに掴みかかり、怯んだホシを俺が羽交い絞めにした。
「三日月第三小学校の卒業生だな」
班長が叫ぶ。
「ひっ人違いだ。俺はやってねえ」
「じゃあ答えてみろ。サンイチが?」
「サン」
「サンニが?」
「ロク」
「サザン?」
「……クロス」
ドスッ、班長の会心の一撃がホシの顔面を捉えた。
「サザンはオールスターズだ」
パーン、乾いた銃声が響いた。狙撃手の放った弾丸が、班長の右こめかみを正確に打ち抜き、リコールは完了した。
ENTRY 5
ヒステリヤ
ながしろばんり◆◆
玄関の脇、サボテンの鉢の隙間から押し遣って、したたかな芽が顔を覗かせている。冷たい、昆虫のような冷ややかさですっくと伸びる芽はあきらかに雑草なのだが、しかし二年前、引越しのときから風景に埋没しているサボテンと較べたら、芽のほうがあきらかに主のような振る舞いを見せていた。薄くなった生活の壁の、ほんのひび割れを見せつけるがごと。すっくとした青。もうこの生活から飛び降りたいアタシの、本能を引きとめる青だ。
口の端から滲む血が止まらない。歯のエナメル質が裂いた頬の内側、流れ出る血の行く先は喉の奥と舌先で、アタシはおもわず鉢植えにべっとりを吐き出した。鉢の縁に垂れ下がる鮮烈な赤は青い芽の清純を腐食するようで、ふいに快感。とっさには形容できない憎悪の近似値が沸き立った。
アタシはあの宿六と一緒にはなりたくない。辛いならこんな生活、止めてしまえばいいのに、アイツは全てを酒のせいにして未だ死なない。酔いが切れて、死の淵に引きずり込まれないようにアタシの足にしがみつく。なりふり構わずに強く引っ張られた右耳は、もう聞こえない。
「気違草だ」アイツは夜九時なんて中途半端な時間に帰ってきてこういうのだ。「おい、玄関のあれを見てみたか俺がおかしな生活をしているばっかりに玄関に気味の悪い植物が生えやがって」根元でちぢんだふぐりのようにしおたれる針山とは別に、着色料の青でりきりきとそそり立つ植物が玄関、伸びに伸びて向かいの壁にまでふさがってしまっている。根元を追うこびりついた血糊、黒々とした中に半分だけ見えて白く光るのはアタシの糸切り歯だったものだ。その後殴られて出来た頬の青いあざは醜かったけれども、同じ青い色でも鉢植えの植物は輝いてみえて、それはきっとアタシに対する愛情の恩返しだったのだと思う。多分きっとそうだ。
ベランダでうづくまる背中から、タバコの煙だけがいやにもうもうとしてみえる。一通り暴れて大人しくなったアイツに見せたいものがあって、あたしはずっと待っていたのだ。
「ねえこれ」アタシは、嬉しいのだろうか。悲しいのだろうか。「いいでしょ、買ったんだ……指輪。いいでしょ、ティファニー。独りで」アイツは化繊のセーターをぎしぎし言わせて振り向くのだ。「なんだ、男か、男なのか」「だから自分で買ったんだってば。三万五千円。いいでしょ」
よくねえよ、と、怯むのを見て、アタシはなんだかしっかり安堵する。
+追記+
respect for "Hystelia" by Jun Togawa @ Yapoos.
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